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# エピローグ:記録の外へ

──記録媒体:紙片断章/記録者:不明/日付:欠落──


---


塔を出たあと、瀬名はしばらく街をさまよっていた。


足取りは定まらず、景色はどこか遠くにあるようだった。

耳に入る喧騒も、行き交う人々の声も、まるで水の底から聞こえるように鈍く響いていた。


塔での出来事が、現実だったのか夢だったのか──その境界は次第に曖昧になっていく。

けれど、ひとつだけ確かに残っていた感覚があった。


それは、ただの罪悪感ではない。

後悔や贖罪とも違う。


もっと静かで、深く、染み込むような“何か”だった。


──自覚した者として、生きていくこと。


それは重荷でもあり、同時に指針でもあった。

自分は、これから何を選び、何を記し、何を残していくべきなのか。


塔が与えたものは、“罰”ではなかった。


誰かに下された断罪でも、償いの儀式でもない。


それはもっと静かで、もっと根源的なもの──


ただ一つの“問い”を胸に残すこと。


それは、「どう生きるか」「何を記すか」という、答えのない問いだった。


瀬名は、それを“重荷”とは感じなかった。

むしろ、それこそが生きていくための“指針”なのだと思えた。


そして気づいていた。


この問いは、誰の胸にも、きっとあるものだと。


塔は、それを“思い出させる場所”だったのかもしれない。


問いと共に歩くこと。

答えを急がず、見失わずに、耳を澄ますように日々を進んでいくこと。


それが、瀬名に課された“これから”だった。



数ヶ月後、瀬名は雑誌社を辞めた。


記者としてのキャリアも、名声も、報酬も、すべて手放した。

それは、かつての自分にとっては“敗北”を意味する選択だったはずだった。


だが今の瀬名には、その感覚すらもう、どこか遠い出来事のように思えた。


代わりに胸にあったのは、静かな確信だった。

何かを壊すためではなく、何かを“繋ぐ”ために言葉を使いたい──そんな思いが、じわじわと形を取り始めていた。


彼が選んだのは、新たな“媒体”だった。


──他のジャーナリストの取材を、取材する。


取材の裏にある意図、伝える側の論理、情報の取捨とその影響。

歪んだ正義のあり方、言葉が生む暴力、そして記者たち自身の葛藤。


それらを“外側から”見つめ、照らし出す“超客観的メディア”を、彼は一人で立ち上げた。


そこに掲載される記事には、記者の名前はない。

肩書きもない。

あるのは、ただの“記録”だけだった。


記録の中には、対象となる取材だけでなく、記録者自身の感情や、恐れ、迷いまでもが綴られていた。

それは、自分がかつて置き去りにしてきたものだった。


それは、誰もが納得するような“唯一の真実”ではなかった。

記録者の視点が入り込み、完全な客観からは遠く、曖昧さや感情の揺れを含んでいた。

だが、誰かの“声なき声”を、できる限り正直に、誠実に写し取ろうとする、新しい記録の形だった。


その媒体は、世間で注目されるような派手さもなかった。

けれど、瀬名にとっては、何より確かな“応答”のかたちだった。



数ある記録の中で、静かに異彩を放つ一冊の灰色の本があった。


それは他のどれとも違い、明確な主張も、分析も、結論もなかった。

けれど、読む者の内側に静かに沈み込み、長く尾を引くような奇妙な余韻を残す記録だった。


タイトルは──『灰衣の塔』。


著者は不明。

だが、読んだ者の誰もが、こう思ったという。


──これは、自分自身の記録かもしれない、と。


ある者はそれをただの寓話と笑い、ある者は胸を締めつけられ、静かに本を閉じた。


そして、本の最後のページには、ひとつだけ言葉が記されていた。


「塔は、まだそこにある。」


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