# 第1章:瀬名というジャーナリスト
──断片記録/表層──
※記録対象:瀬名悠斗
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記者は事実を書く。
それが真実であるとは限らない。
そう言い聞かせて、瀬名悠斗は記事を書いていた。
週刊誌の中でも特に刺激的な見出しを得意とする編集部。
スクープを打ち続け、名前が売れれば、それが記者としての成功だと誰もが信じていた。
「瀬名さん、またやりましたね。アクセス数、ダントツです」
若手の編集がモニターを見せながら笑う。
モニターの中には、“政務官スキャンダル暴露”の記事タイトル。
コメント欄は賛否の嵐。けれども、それが何よりの証だった。
瀬名は、静かにうなずいた。
内心では、記事の反響などどうでもよかった。
ただ、自分が“見抜いた”こと──
情報の奥にある人間の綻びに触れた実感だけが、彼を満たしていた。
人は必ず、何かを隠している。
その“隙”を突く。
そのために、彼はどんな手段も選ばなかった。
取材中、相手が涙ぐんでも、沈黙しても、
そこに真実がある限り、引き下がらない。
記録という名の武器。
言葉という名の刃。
それが彼の記者としての流儀だった。
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かつて、深夜の取材先で、ある女性が彼に言った言葉を思い出す。
「あなたみたいな人が、いちばん怖い。優しい顔して、切ってくるんだもの」
そのときは、苦笑いで済ませた。
けれどその言葉が、どこかに棘のように残っていた。
彼は、人の“本音”を聞き出すことに長けていた。
だが、聞き出すだけで、それを“受け止めた”ことはなかったのかもしれない。
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「誰かの人生を壊して、何が残るんだ」
そう言ったのは、かつて一緒に記者をしていた同僚だった。
もう何年も前のことだ。
彼は異動になり、やがて新聞社を辞めたと聞いた。
瀬名は、思い出すたびに、あの問いの意味を反芻する。
壊したのかもしれない。
けれど、それは“必要な損失”だった。
そう言い聞かせなければ、自分の手がどれほど汚れているか、見えてしまう。
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彼のノートには、いつも過去の事件が書き込まれている。
その中に、今でも時折読み返すページがある。
「自殺未遂の女性の個人情報を晒したスクープ」
「冤罪を引き起こした誤報」
「家庭を崩壊させた政治家スキャンダル」
どれも“正しい記事”だった。
けれど、正しさは人を救わなかった。
その記事のひとつ、誤報による冤罪の事件──
情報提供者を信じ、裏取りを省いた。
「こいつが犯人だ」と断定的に書いた記事が、まるで社会全体の口火を切った。
後日、その男が公園で独り座っていた写真が週刊誌に載った。
髪はぼさぼさで、靴も履いていなかった。誰も近づこうとしなかった。
「誰がこの人を壊したんですか?」
あるフリーの写真記者がそう呟いたのを聞いたとき、瀬名は目を逸らした。
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それでも書いた。
いや、書かずにはいられなかった。
誰よりも、人の矛盾や歪みを“知ってしまった”から。
真実とは不純物の塊だ。
だからこそ掘り出す価値がある──そう思い込んでいた。
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夜、編集部に一人残ったとき──
瀬名はふと、録音機のスイッチを入れる。
「これは……記録だ」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、何かを留めておかないと、自分が崩れてしまいそうで。
録音機は机の上で、赤いランプを灯す。
静かなクリック音が、空間に微かに響いた。
──これは、塔へと続く最初の記録だった。
光のないオフィスで、静かに、機械が回る音がした。