抜け目
その村には、奇妙な言い伝えがあった。
「抜け目を犯すと、目に見えぬものが取り憑く」と。
俺、佐藤浩一はその言い伝えを半信半疑で聞いていた。
だが、ある夜、予期せぬ形でその言葉が現実のものとなった。
仕事で疲れ果て、久しぶりに実家に帰ると、母が言った。
「浩一、最近変だね。目が…ちょっと怖いよ」
何が怖いのか、最初はわからなかった。
けれど、鏡を見た瞬間、背筋が凍る思いがした。
目の奥が黒く、深く沈んでいるように感じた。
次の日、村の古老、村上さんに会った。
彼は昔からの村の伝承を語り継ぐ人物で、俺にとってもただの年老いた村人だと思っていた。しかし、あの夜、何かが違った。
村上さんは言った。
「浩一、お前は『抜け目』を犯したな。」
「抜け目?」と俺は聞き返す。
意味がわからなかった。
「抜け目とは、何か重要なものを見逃すことだ。お前がやったんだろう。あの道を通る前に、見逃したんだ。」
村上さんの言葉に困惑しながらも、俺は何も言わなかった。
だが、帰り道で思い出したことがあった。あの夜、村の道を歩いていたとき、ふと目をそらしたことがあった。それは、小さな川のほとりに立つ一人の男の姿を、俺は見たような気がした。でも、目を逸らした瞬間、その男は消えていたのだ。
その男が本当にいたのか、幻だったのか、それを考えているうちに、村の異常な空気に気づき始めた。
俺の目が、何かを見ていた。
でも、それが何かはわからない。時間が経つにつれて、俺の周りに奇怪な現象が起き始めた。時計が勝手に止まったり、壁にひびが入り、そこから冷気が漏れ出す。夜になると、視界の端に何かが動くのを感じた。
村の人々も、どこかおかしい。顔色が青白く、言葉が途切れがちだった。村の古老でさえも、何かに怯えているような気配を感じた。
「浩一、抜け目を犯したお前が見ているのは、もう『目に見えないもの』だ。」
村上さんが言った。
その言葉が、俺を深く恐れさせた。俺が見逃した何か――それは一体、何なのか?
そしてある晩、とうとうその「何か」が姿を現した。
目の前に現れたのは、最初に見かけたあの男だった。しかし、彼の姿はまるで人間とは思えないほど歪んでいた。顔は不自然に引きつり、目がなく、代わりに黒い穴が開いていた。その穴からは無数の小さな、うごめく影が飛び出していた。
その男は何も言わず、ただ俺をじっと見つめていた。
「君を取りに来た。」声はないが、頭の中で響いた。
その瞬間、俺の意識が引き裂かれるような感覚に襲われた。
気がついた時、俺はもうその村にいなかった。
だが、俺の目の中には黒い穴が開いている。
目を閉じても、その目は開き続けている。




