ひとりぼっちの魔法使い
魔法使いは、一人ぼっち。
トボトボと田舎の一本道を歩き続けていました。
「ああ、お腹が空いたなあ」
昨日、突然に馬車から放り出されて以来、何も食べていません。
彼は、王国の誇り高き魔法師団の戦士でした。
魔法学校を優秀な成績で卒業し、皆に期待されて師団員になったのです。
人一倍魔力が多く、呪文もたくさん勉強していた彼は、戦場でも大活躍。
敵を目前にして、さあ殺し合いが始まるぞ、というところで、とんでもなく巨大で強そうなドラゴンを召喚したり、とても越えられそうもない高い壁で間を仕切ったり。
戦が始まる前に、相手の戦意を喪失させるので、怪我人も少なく、死人は一人も出ません。
戦場から生きて帰れることで、彼に感謝する剣士や魔法使いはたくさんいました。
しかし、力を奮えず不満を持つ輩も多かったのです。
戦からの帰り道、すっかり疲れて眠り込んでいた彼は、馬車から落とされてしまいました。
眠っている最中に、馬車の中で人や物にぶつからないよう、緩衝魔法をかけていたせいで怪我はありません。
しかし、落ちた衝撃も感じなかったので、たっぷり眠って目が覚めた時には、馬車はすっかり見えなくなっていたのです。
彼は凄い魔法使いなので、食べられない物を魔法で食べられる物に変えることが出来ます。
けれどそれには、美味しそうに見えること、という条件があるのでした。
一度、貴重なルビーがあまりに美味しそうに見えたので、苺ゼリーにして食べてしまい、怒られたこともありました。
その時はお詫びに、大きくて美味しい苺ゼリーを大きなルビーに変えて、やっと許してもらったのです。
しかし、ここには土と石ころと、草と低木しかありません。
この辺りの草は土まみれで、少しも美味しそうには見えないのです。
石もゴツゴツしていて、ちっとも美味しそうではありません。
土は言わずもがな。
そうしてフラフラ、あてもなく彷徨っていると、道の先に大きな綿菓子が見えました。
「ああ、なんて美味しそう!」
彼は綿菓子目指して駆け寄ります。
「いただきます!」
そして、たどり着いた瞬間、大きな綿菓子にかぶりついたのです。
「美味い!」
「そりゃ、どうも」
返事をしたのは綿菓子の頭でした。
いいえ、普通、綿菓子には頭はありません。
綿菓子に見えていたのは、大きな白い羊だったのです。
「ああ、僕は君の大事な毛を食べてしまったんだね」
彼がかぶりついた場所は、すっかり毛が薄くなっていました。
「しばらく毛刈りしてもらってなかったから、すっきりして丁度いい」
「本当かい?」
「本当だとも。
君はまだお腹が空いているんだろう?
良かったら、全部綿菓子にして食べてしまっておくれ」
「ありがとう!」
彼は本人の同意を得て、山のような綿菓子を食べ始めましたが、さすがに甘いばかりで飽きてしまいました。
それで、残りの五分の四は、魔法の鋏で普通に毛刈りをし、マジックバッグに詰め込みました。
「君は食いしん坊だが、毛刈りの腕は間違いない」
「毛刈りの腕を褒められたのは初めてだ」
「その鋏で刈られると、引っ張られて痛いことも無いし、刈り跡がチクチクする感じもない」
「毛刈りされる羊にも、いろいろ悩みはあるんだね」
「ところで、君はどこからどこへ?」
「僕は王国の魔法使いだったんだけど、戦の帰りに馬車から落っことされてしまったんだ」
「そりゃ気の毒に」
「だけど、こうなって、よく考えてみると、戦場に出るのも好きじゃないし、王都に戻りたくも無いんだ」
「そうか」
「羊さんはどこへ行くの?」
「俺は自由な放浪羊だが故郷はある。
たまには帰って、同胞の顔でも見ようかと思ってるところだ」
「じゃあ、一緒に行ってもいいかな?」
「その毛刈りの腕なら、宿と飯にありつけるに違いないよ」
「それは、ありがたいな」
魔法使いは、羊の故郷の場所を訊くと、魔法で一緒に飛んでいきました。
「あら、放浪羊、久しぶりね」
たくさんの羊がのんびり草を食む丘の上。
羊飼いの少女が、彼等を迎えました。
「ただ今。友達を連れて来たんだ」
「あらまあ、人間のお友達?」
「初めまして」
「彼は毛刈りが上手なんだ。そのかわりに、宿とご飯をあげてくれないか?」
「まあ、毛刈りが得意なの?
素敵だわ! 是非是非、長く居てちょうだい」
「その前に、何か食べるものはありませんか?
僕はお腹が空いている時、美味しそうなものが目の前にあると、それを食べ物に変えて食べてしまう癖があるんです」
羊飼いの少女の太く編まれたお下げは、ホカホカの編みパンのよう。
とても美味しそうに揺れています。
「たいへん! 何でも食べられてはたまらないわ。
お昼用のサンドイッチがあるから、これを召し上がれ」
「ありがとう!」
魔法使いは夢中でサンドイッチを食べました。
「美味しかった! やっと、ちゃんとしたご飯を食べられた」
「毛刈りをする間は、しっかりご飯を食べてもらうわ」
「嬉しいな」
けれど、毛刈りのシーズン以外は仕事がありません。
どうしようか考えていると、放浪羊が言いました。
「実はさ、俺が放浪している理由は、ここに生えてるより美味しい草を見つけるためなんだ」
「なるほどなるほど。じゃあ、僕が魔法で美味しい草を生やす研究を成功させたら、もっと長く、ここにいられるかな?」
「そうかもね」
魔法使いは羊飼いの少女に、羊が喜ぶ味の草を生やす研究をしたいと相談しました。
少女は村長に相談し、村の会議で研究が許可されました。
「して、魔法使い殿、研究費はいくらぐらいかかるのだろうか?」
羊の喜ぶ草は欲しいけれど、村の予算は多くありません。
村長は心配そうに、魔法使いに尋ねました。
「研究費は要りません。
僕はこの村が気に入ったので、研究が成功するまで宿とご飯がもらえれば十分です」
「何と欲のない」
「じゃあ、家に来ればいいわ。
兄が村長さんのところの娘婿になったばかりなの。
部屋が空いているわ」
「君さえよければ是非」
魔法使いは、あの美味しいサンドイッチの味を思い出しました。
「しかし、結婚もしていない若い男女が一つ屋根ではなあ……」
村長さんが常識を持ち出します。
「じゃあ、俺が一緒にいてやるよ」
すると、放浪羊が手を、正確には前足をあげました。
「俺は美味しい草の味見係をしなくちゃいけないから、おあつらえ向きだ」
「それはいい」
村長さんも納得し、二人と一匹は一つ屋根の下。
やがて、美味しい草の研究は成功し、村には他所から来た羊が列をなすようになりました。
羊に家出されて困った土地からは、美味しい草の種を譲ってくれるよう頼みに来るように。
美味しい草は売れに売れ、村はすっかりお金持ち。
けれど、人々の暮らしは今のままで十分幸福です。
「今度は、飢饉に強い作物の研究をしてくれないか?
きっと、外国との戦争回避にも役立つだろう」
羊と一緒にのんびり暮らしたい村の皆は、もちろん、戦争などに行きたくありません。
村の会議の決定を伝えられた魔法使いは、二つ返事。
「もちろんですとも。
では、その作物を作る間も、ずっと村に居ていいんですね」
「あら、もう他へは行かせないわ」
羊飼いの少女は、毎度毎度、美味しい美味しいと彼女の料理を食べて喜ぶ魔法使いを、手放すつもりはありませんでした。
「では、結婚許可証を受け取りに村役場まで来ておくれ」
「これからずっと、ご飯と宿の心配をしなくていい上に、君と一緒にいられるなんて!」
「これからも、よろしくね!」
盛り上がる若い二人を見て、放浪羊が言い出します。
「じゃあ、そろそろ、お邪魔虫は消えるとするよ」
「とんでもない! 君は味見係だろう?
これからも研究員として働いてくれないか?」
「……俺もそろそろ、お嫁さんが欲しいんだけど」
村長が請け負います。
「お嫁さんは自分で選んでもらわなければ困るが、研究員用の宿舎は用意しよう」
「わかった。今からプロポーズしてくるよ」
放浪羊は、いつの間に仲良くなっていたのか、他所の土地から流れて来た美女羊を連れて、すぐに戻ってきました。
すっかり大団円かと思っていたら、羊飼いの少女と魔法使いの間に可愛い第一子が誕生する頃、王国の魔法師団に居所がバレ、呼び出されてしまいました。
王都に行きたくない魔法使いが無視していると、一個師団で捕縛にやって来たのです。
「なんてことだ! 羊のえさ場が滅茶苦茶になってしまう」
頭を抱える村長たち。
「大丈夫ですよ」
そこは得意の魔法でドラゴンを召喚し、壁を作って撃退する魔法使い。
一個師団はなすすべもなく、すごすご帰って行きました。
「しかし、また来たらどうしよう?」
村長は心配性。
すると、放浪羊がドラゴンの言葉を通訳してくれました。
「ドラゴンも、ここの草の味が気に入ったから、ここに住むってさ」
なんと、召喚されたドラゴンは大人しくて草食性。
魔法使いも、敵を脅かすために少しの間召喚していただけなので、初めて知った驚きの事実です。
王国からは再び使者が来ましたが、ノシノシと草地を散歩するドラゴンを見て、すぐに逃げ帰ってしまいました。
それから村は、ずっと平和。
飢饉に強い作物やその種を、いくつも安く出荷して、世界中に喜ばれたのでした。