第5話 氷河に本心を叫べ
<犬飼竜太郎>
氷ヶ峰こおりが「なに?」と返事をするしばらく前────。
ここは『屋上カフェ』。
大型のパラソルは束の間の心地よい日陰を提供している。
プラスチック製の椅子に腰かけた俺は、同期入社の佐賀と最上に、仕事を辞めたら大学に行ったらどうだと言われて考え込んでいた。
「おい、どうした竜。急に黙って。死んだか」
「ついに壊れてしまったかー」
好き勝手言う金髪の佐賀と最上に言う。
「……あの時は輝いて見えたんだよ」
アイドルになると宣言した高校時代の氷ヶ峰の顔を思い出す。
でも、もう、解放されるんだ。
なのに何でこう脳裏をちらつくんだ。
「……お? もしかして氷ヶ峰の話か?」
「え、なに。昔の話? 聞かせて聞かせて」
「どうせ竜は教えてくれないだろ」
「蒼樹坂のオーディション受かったって教室に来てさ、もう大騒ぎだったよ。その場で事務所のバイトに応募させられるわ写真は撮られるわで……」
俺は遠い目で過去の話をしようとした。
「うお、竜。ちょ、ちょっと待て。まだ話すな」
すると、いつも気だるげな佐賀が目を見開いて身を乗り出してきた。
なんだよ。
「うそ……。竜太郎が氷ヶ峰さんのそういう話するなんて……」
聞いてきたくせに最上まで驚いてる。
「緊急招集《エマージェンシー!》、おい最上、手分けして仕事抜けれる奴呼ぼう」
「了解《ラジャー!》、えーとシフト確認しますね。この子とこの子と……」
二人が慌てて会社の人間を呼び始めた。先輩とか同期とか、あ、今名前上がったのは後輩だな。
「何だよ二人とも。そんなに珍しいかよ」
ただならぬ雰囲気に思わず聞いてみる。
「氷ヶ峰が辞めるっていう形式的な業務連絡で終わると思ったからな。お前の個人的な感情が聞けるなら事件だよこれは。みんな気になってる。俺たちだけ聞いてあとから他の奴らに伝えるのは面倒だ」
「うん。今まで竜太郎と氷ヶ峰さんの関係って踏み込んじゃいけないタブーって感じだったからね」
そんな感じだったのか。
確かに俺は入社当初から氷ヶ峰だけの専属という普通じゃありえない待遇だった。
今はそうでもないが当時は敵も多かった。
その頃の流れであまり自分の話をしなかったのはある。
周りに気を使わせていたのかもしれない。
「いい機会だしみんなに聞いてもらうか」
あいつの引退宣言から続く、何とも言えない高揚感は、まだ俺を支配していた。
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「はぁい。らからね、俺は言ったんすよ。俺とお前は対等だぞって」
「うんうん」「そうだね同級生だもんね」
「それがれすよ。……気づいたら、俺はあいつの犬になってたんれす!!」
「そっかそっか」「辛かったね」
「氷河系なんて言われてますがね、本当に、上手いこと言ってますよ。あいつの心は氷なんれす!!」
「大変だったね」「がんばったね」
気づいたら俺は、氷ヶ峰に対する不満をぶちまけていた。
今俺の目の前にいるのは蒼樹坂の女子社員二人。
名前は、たしか石橋さんと中原さんだったか。先輩だということは分かる。
ていうかいつ来たんだこの二人は。分からない。
じーんと全身にアルコールが回ってるのは分かる。
過ごしやすい気温と屋上から見える綺麗な秋空が、いい気分にさせる。
周りを見渡すとなぜか人が増えている。
飲み会というか宴会になっている。
カフェで宴会すな。まだ夕方だぞ。お前ら仕事しろ。
「おい誰だ竜に酒飲ませたやつは」
「あ、すいません自分買ってきました」
「水も持ってきてくれ。竜は好きなくせに弱いんだ」
横で佐賀と後輩が喋ってるのが分かる。
顔も向けず、耳だけ意識を傾ける。
「なんかでも、酔ってる竜太郎って可愛い……」
「おい最上、いらんこと言ってないでペース落とさせろ」
最上も近くにいるのか。
というか、今、聞き捨てならんことを聞いた。
「うぉい最上川。俺ってやっぱり可愛いのか!?」
がばっと振り向いて最上に視線を向ける。
急に話しかけられて最上は少しビビっている。ていうかこいつは普段から小型げっ歯類みたいだ。
可愛いのは俺じゃなくお前だろう。
「ど、どうしたの。あと川はつけないで」
「女子の可愛いって、基準は何なんだ。教えてくれ」
「……誰かに言われたの?」
「ああ、言った。氷ヶ峰が、俺に」
そう、あれは高校一年生の時。
「あれは、バレンタインだったか。教室でもらった酒が入ってるチョコを食べたんだ。ウィスキーボンボンってやつ。そしたら、氷ヶ峰が俺を引っ張っていって、体育倉庫に、入れられた」
「な、なんで?」
最上だけでなく、周りの人間も耳を大きくして先の言葉を待ってる気がする。
「俺が可愛いから誰にも見せたくないって」
「キャー!」だの「うおおお」だの声が上がる。
おい! なんでちょっとみんな良い顔してんだよ。
「閉じ込められたんだぞ! 監禁事件だろ!! 逮捕ら!!」
クソ。お前らはあいつの傍若無人さを分かってない。
本当に血も涙もない女なんだぞ。
「ていうか最上、竜が氷ヶ峰さんと同じ高校とか知ってたか?」
「初耳だよ。この二人、思ってた以上に歴史があるんだねぇ」
なんでこいつら素面なんだよ。ムカついてきた。
「佐賀! 最上川! こっち座れ! 今日は朝まで飲むろ!!」
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気づいたら、俺はテーブルに突っ伏していた。
「何が朝まで飲むだよ」
「勢い三十分で終わったね。まだ夕方だよ」
佐賀と最上の声が耳に入ってくる。
うー悔しい。耳は生きてるのに目が死んでる。まぶた重い。開かない。
少し離れた席で盛り上がりが聞こえる。
佐賀が招集かけた他の社員が集まって楽しんでいる。
暴露大会や愚痴大会が開かれているようだ。
「でもやっぱり竜の周りは人が集まるなぁ」
「ね。これが人徳ってやつですか」
佐賀と最上が言う。
……まぁ自分の周りでみんながワイワイしてるのは嬉しかった。
自分が喋らなくても誰かが楽しそうに喋ってる場所って、居心地が良いよね。
ずっと仕事詰めだったから余計にそう感じるのかな。
「セクハラプロデューサー! しねー!! つぎ身体触ったら、ころすー!!」
一年目のマネージャーの女性社員が空に向かって叫んでいる。
「やってやれ!」とか「俺たちは立場弱いからなぁ」とか共感してる人もいる。
「猫屋敷くるみ様ー!! 結婚してくださいー!!」
次は先輩の男性マネージャーがいった。
猫屋敷くるみとは、蒼樹坂のトップアイドルだ。
「わかるー!」とか「仕事に恋愛感情持ち込むなー!」とか言われてる。
その後も続々とみんなの言霊が夕陽に向かって飛んでいく。
そんなに気持ちいいのだろうか。
俺も何か叫びたい、と思った。
突っ伏していた身体をおもむろに起こす。
長らく閉じていた目を開けて、俺にパスを寄越せ、そういう顔をした。
大声大会をやっていたテーブルから、一人が俺に気づいた。
皆ふざけているが、普段はしっかり仕事をこなすデキる社会人なのだ。
さすが周りが見えている。
「そろそろ今日の主役が行くべきなんじゃないかぁ!?」
来た。ナイスパス。
みんなが俺に視線を向ける。
「へえ? 俺ぇ? いいでそう。いきますよ。いくますよ~」
白々しい酔った演技をしながら、ゆっくり立ち上がる。
あくまで、演技だ。俺は酔ってなどいない。
気持ちとは裏腹に呂律が回らない。それでもいい。
「じゃあ、おれが言いたいころがあるのは!!!!!!
もちろ、もちろん。あいつだ!!!!!」
少し溜めて、叫ぶ。
みんなの視線を感じる。盛り上がってきた。
「…………氷ヶ峰こおり、お前だああああああ!!」
さて、何を言ってやろうか。そう思った時だった。
「なに?」
今俺が名前を出した、氷ヶ峰こおり本人が、そこにいた。
なんで? 疑問を持つ前に、日頃虐げられているからか、本能が囁く。
謝れ、と。業務時間に遊び呆けてごめんなさい、と。
氷ヶ峰の背後に見える巨大なシロクマに怯える。
違う、負けるな。俺はもう犬じゃない。新しい未来を生きるんだ。
「氷ヶ峰……」
恐る恐る相手の顔を見る。言ってやる、そう思った。
日頃の鬱憤を吐き出し、仕事を辞められる喜びを伝えてやる。
だけど、言葉が出なかった。
何故かって。
氷ヶ峰こおりが、泣いていたから。
夕陽が当たってオレンジ色に光る彼女の両頬に、涙が流れていた。
俺は、初めてこいつの涙を見た。
どれだけ悔しくても、どれだけ悲しくても。
決して人前で泣かない氷の女王が泣いている。
そして、こんなに綺麗に泣ける人間が存在するのか……と場違いなことを思った。
「……なによ」
何でお前、泣いてるくせに顔は強気なんだよ。
「お前な……泣くくらい辛いなら、諦めるんじゃねぇよ」
あれ、違う。俺はこいつに怒りを感じていたんだ。
不満を叫ぶつもりだったんだ。
「泣いてない」
「めちゃくちゃ泣いてるわ、アホ。いつも通り言えよ」
───何を言おうとしてる、俺は。
「……アホって言わないで」
「ほら、言えよ。いつも通り、えらそうに」
「……だから何が言いたいの」
たしかに、何を言おうとしてるんだ。
俺の思いとは裏腹に、勝手に口が言葉を紡ぎ出す。
「何とかしてって言えよ。何とかしてやるからよ」
「……え」
氷ヶ峰が口をぽかんと開けている。
アイドルのくせになんて間抜け面。
今日はこいつの初めて見る表情が多い。
「トリプルミリオンだったか? 売ればいいだけの話だろうが」
言ってしまった。だが、止められなかった。
こいつには心底ムカついていた。
奴隷のようにこき使われて、精神すり減らされて。
でも今の負けたような顔を見る方が、無性に腹が立った。
何故かは分からない。
「……売ればいいって、やるのは私だから。生意気なこと言わないで」
氷ヶ峰こおりの顔は、表情が乏しい。
それでも、この瞬間は、好戦的に笑っているのが分かった。
涙も止まっていた。
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