第29話 第四のアイドル
<犬飼竜太郎>
あらかた仕事の片付いた夕方頃、俺は、先輩マネージャーの高橋さんに用があると事務所の一室に呼び出されていた。
連絡を受けてすぐ参上し、軽く雑談したあと、俺は椅子から身を乗り出して言った。
「で、どうしたんですか高橋さん、改まって呼び出すなんて珍しいですね。俺今日は定時以降フリーっすよ。どんな仕事でも任せてください。とりあえず明日の朝までならいけます。いかせてください!」
最近は時間外労働も減ってよく寝てるからな。
体力は有り余ってる。
「おいおい落ち着け……。最近はマシになったと聞いたのに……そんな意識じゃまた過労で倒れるぞ」
あれ……。尊敬する高橋さんの力になれると思ったのに、引かれてる……。
それに何だか。
「何か思い詰めてます……? 本当に珍しいですね」
高橋さんの何が尊敬できるかって、この激務のマネージャー業を高いレベルでこなし、なおかつ生活も大切にしているところだ。筋肉を維持し続けているところからもそれが窺える。
ワーカーホリック気味になって加減できなくなる俺とは大違いだ。
それと、これは個人的な話だが、俺が新入社員でどこに行ってもイジメに遭っていた頃、この高橋さんだけは親身に対応してくれたんだ。
だから俺は高橋さんに頼まれたら断らないと決めている。
それが何であっても。
「竜太郎……その、こういったプライベートな話はなんていうか……」
「……?」
こんな歯切れの悪い高橋さんはちょっと見たことないな。
心なしか筋肉もいつもよりは元気がないように見える。
「……ああ、分かった。もう単刀直入に聞く。竜太郎は今、彼女はいるのか?」
高橋さんは何故かそんなことを聞いてきた。
さりげなく手首に巻かれたApplewatchに目線を向けてたのも気になる。
「いえ、いないです」
「……そうか」
本当にどうしたんだろう。
俺は今まで高橋さんと女性関係の話をしたことは、ちょっと記憶にない。
「……どうしたんですか? 俺、高橋さんになら何でも言えますよ」
「何でもって言ったな?」
「はい、何でもです」
俺と高橋さんしかいない部屋に、どこか緊張感が走る。
俺はなぜか腕を組んだままパンプアップした高橋さんと対照的に、全身の力を抜いて、構える。
素直に答えるだけだからだ。
「竜太郎は……どういう女性が好みなんだ?」
「胸が大きい女性です」
考えるより前に即答する。
自分でも意外に思った。これが本能の答えか。
普段ならこんなこと絶対言えないが。
けれど密室で、信頼している高橋さんと二人きりだから言えた。
「そうか…………」
すると高橋さんは俺の答えに笑うわけでもなく、考え込んだ。
そして小声で「全員デカいか……絞れない……」と言った。
俺は尋ねる。
「何のことですか?」
筋肉の話?
ていうかあれ、またApplewatch見てる。
「……いや、じゃあな、竜太郎。氷ヶ峰こおり、猫屋敷くるみ、春出水桜子の三人なら……誰が一番そういう対象なんだ?」
「そういう対象?」
「その三人の中なら、誰が好きなんだ? 女性として」
「いや……アイドルをそんな目で見れないですよ」
「それは分かってる。お前が真面目なのもな。それでも、しいて言うなら、どうだ?」
何でその三人なんだろうと思いながら、考える。
まず氷ヶ峰は、腐れ縁だ。対象ではない。
春出水さんは、彼女というより妹キャラだし。もちろん対象ではない。
つまり、必然的に。
「その中だと、猫屋敷さん……ですかね」
「そうか! ……そうか。そうかぁ……」
高橋さんは、俺の答えを聞いて、安心した顔になったり、不安な顔になったりと忙しい。
本当に何なんだ。
そこで俺はふと思い出す。
そういえば良いなと思った子がいたのだ。
「でもあれですよ。蒼樹坂のアイドルの中だと最近は別の人が気になってますね」
その子を思い浮かべる。
俺は、最近見つけた原石について思いを馳せる。
「ん?」
「研究生上がりじゃなくてこの前の外部オーディションで入った子なんですけどね。元々バンド活動やってたみたいで、なんていうか歌が良いんですよね。あれは化けると思います」
「あ、ああ。でもちょっと待て」
「で、最近時間あるし。俺、その子のマネジメント志願したんですよ。会社的にも俺が氷ヶ峰専属なのは良く思ってなかったみたいで、すぐ通りました」
「頼む、竜太郎。その話はあとで……」
「名前はね、百鬼 灯花って子です。今俺はその子に夢中ですね」
「…………」
俺は少し熱くなって一気に話し切ると、高橋さんは何故か腕を組んだまま上を見上げていた。
あれ、興味なかったか。しゃべり過ぎたか。
すると、ガチャ……と部屋の扉が開いた。
そして、ゆら~っとゆっくり入ってきた女性が、呟くように言った。
「…………りゅ、竜太郎くん、どういうこと……?」
いつもの、ゆるふわで元気な印象とは真逆の、どこか様子のおかしい猫屋敷くるみがそこにいた。
目の光が死んでいて、俺はそれが怖かった。
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<猫屋敷くるみ>
私は、高橋と竜太郎くんがいる部屋に入った。
急に出てきた私に驚く竜太郎くんと、目を閉じて諦めたようにフリーズしている高橋。
「猫屋敷さん……? どうしたんですか」
「どうしたも何もないよ……ッ」
きょとんとした顔の竜太郎くんに対し、自然と語気が強くなってしまう。
ライバルと思ってたのは、氷ヶ峰さんだと思ってたのに。
「百鬼灯花って誰なのかな」
「え……?」
そりゃ竜太郎くんは驚くよね。
でももう説明する気力もない。
高橋に向けて顎をしゃくる。説明して。
「……竜太郎、すまん」
高橋が通話中のスマホを竜太郎くんに見せる。
繋がってる相手は、私。
つまり。
「全部聞かれてたってことですか。でもどうして……?」
竜太郎くんは本気で分かってない様子だった。
高橋は、竜太郎くんの肩に手を置いて、言った。
「許してくれ竜太郎。あとは二人で話してくれ」
「え? は、はい。」
そのまま高橋は申し訳なさそうに部屋を出ていく。
私はその背を追いかけるように歩き、高橋が外に出たあと、内側から鍵を閉めた。
「ね、猫屋敷さん。どういうことですか? どうして鍵を?」
少し怯える様子の竜太郎くんを見てると、イライラしてくる。
座ってる竜太郎くんの正面に立ち、顔を近づける。
まつ毛の長さも、腹が立つ。
私は、しばらく黙ったあと、言った。
「前みたいに、くるみって呼んで」
「へ?」
「くるみって呼んでよ!!」
「……はい。……くるみさん」
はぁ最悪。いきなり出てきて、盗み聞きしてて、キレて。
私、最悪な女過ぎる。
でももう止められなかった。
「百鬼灯花って誰なの。担当ついてるって本当なの」
「はい。本当です」
「……氷ヶ峰さんは知ってるの?」
「いや知らないと思います。最近は氷ヶ峰と別行動も増えてるので」
「怒ると思うよ。私みたいに」
竜太郎くんは、本気で分からないといった顔をしている。
本当にこの無自覚タラシ男め……。
私は、さらに問い詰めようとしたとき、たったいま鍵を閉めた扉がノックされた。
コンコン。
「犬飼くんいますか~?」
聞いたことない女の声だ。
「あー。そうか来ちゃったか。ちょっとすいません」
竜太郎くんが椅子から立ち上がり、目の前で仁王立ちしてた私の両肩を正面から掴んで、軽く揉んだ。
「ひゃ……!!」
そして何食わぬ顔で扉の方に向かっていく。
な、なに。何今のボディタッチ。
そういうことするんだ。するんだー。
自分で今触られたところを手をクロスして抑える。うぅ。
さっきまで怒ってたのに不思議とその気持ちが霧散していた。
霧散していたのに……次に目に飛び込んできた光景に、私の感情は再び爆発した。
「もー犬飼くん、鍵なんか閉めて何してたん。はよ焼き肉連れてってーやぁ」
鍵を開けてもらうと、部屋に入ってくるなり竜太郎くんに抱き着いて甘えた声を出す女。
黒髪ウルフカット、色白でギャルメイク、関西弁。
そして巨乳。
もしかして、こいつが百鬼灯花?
属性盛り過ぎでしょ。
私────猫屋敷くるみが。
蒼樹坂人気No.1で、そこで鼻の下を伸ばしてる(ように私には見える!)犬飼竜太郎が大ファンの真名くるみが。
ここにいるんですけど、の気持ちを込めて、力の限り机を殴った。
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※真名は、くるみがYouTubeで使っている名前です。19話参照。




