第25話 病んでるアイドル
<猫屋敷くるみ>
私は、あの日から竜太郎くんのことが気になって気になって仕方がなかった。
彼を見かけるたびに、動画の再生数が増えるたびに、どうしようもなくあの瞬間が思い出された。
『俺が、お前の歌にどれだけ救われたか────』
胸がきゅーっと締め付けられる。
竜太郎くんに聴かれてると思うと、ストレートに今貴方のことが気になっていますと歌い上げそうになる。
私がアップロードした動画を見て、聴いて、気づいてって思ってしまう。
でも何とかすんでのところで踏みとどまっていた。
まだ、私たちは関係性ができていない。
あの時は、衝動的になんとなく付き合ってと言ってみたら、彼はOKしてくれようとしたみたいだけど……今同じことをしても無理だろう。
なぜなら、私は冗談で告白する最低な女として彼の目に映っている可能性が高い。
そして、それは紛れもない事実で、私は最低な女だ。
でも私は心を入れ替えた。
今は竜太郎くんのことを、私の心を支えてくれたDDさんだと知っている。
何度も地道に会って話して、好きになってもらいたかった。
だけど、彼と二人きりで話すのはなかなか難しいことだった。
竜太郎くんは氷ヶ峰さんの専属マネージャーで、常に拘束されていた。
それもなんというか……正直言って嫉妬に狂いそうになる。
たまに見かけても常に氷ヶ峰さんの隣にいて、流れるように上着を羽織らせたり、飲み物を渡したり、目線を合わせて体調を気遣ったり……。
(なんで私じゃないの)
そう思ってしまう。
もしそこにいるのが私だったら……嬉しくて幸せを噛みしめるのに。
涼しい顔をしてる氷ヶ峰さんを見て、代わって欲しいと何度も思った。
そしてチャンスを窺っていた先日、なんと竜太郎くんの家に入れるという機会を得た。
水着になるのは恥ずかしかったし、氷ヶ峰さんや桜子をえっちな目で見る彼が嫌で嫌で仕方なかったけど、しっかり私も《《そういう目》》で見てくれたから、許した。
とにかく大きいのが好きなんだなと思った。
そう、そして彼の興奮がピークに達して気絶してしまった時、私はあるミッションを成功させていた。
それは、彼のカバンにAirTag(500円玉ほどの大きさの位置情報を探索できる装置、アプリで確認できる)を滑り込ませるという────最悪な行為だ。
でも、でもでもでも許して欲しい。
悪用はしません。
いつかはバレるし、その時は誠心誠意謝るつもりだ。
ただ、貴方と話せるチャンスが欲しいだけ。
そして今日、それのおかげでチャンスを得た────と思っていた。
事務所で氷ヶ峰さんを見かけたが、珍しく一人だったのだ。
氷ヶ峰さんが一人ということは、邪魔者なしで竜太郎くんに会える。
マネージャーの予定を把握してるチーフマネの立夏を問い詰めたら、午後はフリーだと言うので、慌ててアプリを開いて確認した。
すると……今、竜太郎くんは都内のホテルにいるのが分かった。
(ふーん……)
その時は何も思わない、というか、家族と過ごしたりしていたら残念だなと思った。
でも、一応、確認はしなければならない。
私は、気づいたらホテルに足を踏み入れていた。
でももちろんアプリでは座標が分かっても、何階の部屋とかは分からない。
「うーん、どうしようかな……」
まぁやりようはいくらでもある。
ロビーで変装用のマスクと眼鏡をはずし、少し待つ。
「どうされましたか……? あ、あと、猫屋敷くるみさんですよね、蒼樹坂のっ」
────はい来た釣れました。15秒でした。
「え、知ってくれてるんですか~。うれしいっ。あの~ちょっと協力してくれますか?」
そう言ってホテルマンの青年の手をそっと握る。
「も、ももももももちろんです」
「この写真に映ってる男の人、来なかった?」
ニコニコ顔でサービスしながら聞く。
普通に盗撮した写真だけど、ちゃんと正面から写っている。
「本当は言ってはいけないんですけど……来ました。マスクと帽子を被ってる女性と入っていきましたね」
────────は? 変装? 同業者か?
「部屋番号教えて、今すぐ」
────────────────────
「竜太郎くーん。あーけーてー?」
ドアの前に人が立った気配がしたので、除き穴の前で、満面の笑みでそう言った。
たっぷり間を置いて、ガチャリ、音が鳴りドアがゆっくりと開く。
「猫屋敷さん。どうしてここにいるんですか?」
嫌。敬語はやめて。
あの時みたいにくるみって呼び捨てにして。
思わずそう言いそうになる。
でも今はそんなことより。
「……竜太郎くんは? 誰といるの?」
私がここに来た理由は特に考えてなかったので質問は無視する。
「えーと、まぁ、その。…………関係ありますか?」
「かっちーん」
────普通に頭にキタ。ドアを無理やりこじ開け、竜太郎くんを押しのけて部屋に入る。
「ちょ、ちょっと」
入口にあるのは、いつか見たミュール、少し厚底の高めのヒール。
記憶を遡るまでもなく、その人は向こうからやって来た。
「お兄ちゃん、まだー?」
甘えた声を出すその女は────。
「……え? 桜子……?」
私の声を聞いて、対峙した桜子の目が急速にいつもの状態に戻った。
珍しくポニテを解いて下ろしている。
そのせいかいつもよりさらに幼い印象を受けた。
え。っていうかお兄ちゃんとは……?
今、一瞬、竜太郎くんを見つめてたとろけたような陶然とした目は……?
「くるみさん……」
「どういうこと?」
桜子に向ける私の声は自然と硬くなっていた。
「あ、あのですね。猫屋敷さん」
「竜太郎くんは黙ってて。桜子に聞いてるの」
隣で彼が「な、なんか俺浮気を詰められてるみたいになってない?」とか呟く。
私はそれを無視して桜子を睨みつける。
「……私は、犬飼さんの能力を高く評価しています。なので、その知見をお借りしようと思い、この場を設けていただきました。つまり、私の仕事の相談です」
なんとか言い訳を絞り出したようだけど、だめ。
「わざわざホテル取って? 二人きりで?」
「……はい」
「苦しすぎるでしょ。具体的な相談内容は? はい。今すぐ言って。ほら考えないで言って」
「…………その、」
「遅い。嘘じゃん。そもそも桜子なんて蒼樹坂で一番仕事があって順風満帆なのに何を相談するの?」
「…………すみません」
「いや謝らなくてよくてさ。何してたのって聞いてんの」
「…………」
「あと、お兄ちゃんって何?」
「……う、うぅ……」
私に問い詰められて桜子が涙目になっている。
こんな桜子は初めて見たし、追及を止められなかった。
まさか竜太郎くんと付き合ってるなんてことを言われたら、私は自分がどうなるか分からなかった。
そう思っていると、竜太郎くんが桜子を庇うように立った。
そして桜子の方を向き、頭を撫でる。
は?
「桜子、大丈夫か」
「おにいちゃん~~~~~~~」
そう言って、桜子が彼に抱き着いた。
はぁぁぁああ!?
私は、卒倒しそうだった。
「猫屋敷さん、あまり責めないでください。春出水さんは疲れてるんです。少し話しませんか」
私は、目の前の出来事を理解できないまま、言われるがまま部屋の奥へと進んだ。
────────────────────
「……で、過度なストレスと体調不良から幼児退行してしまって、今はお兄ちゃんを求めてると?」
「はい。春出水さんは家族がいなくて、兄弟、特に兄に憧れがあったらしいです」
なんだそれ、変な話すぎる。
この業界は変な人しかいないけど、桜子だけは普通の人間だと思ってたのに。
でも、とりあえず二人が付き合ってるとかいう話ではなかった……。
こっそりベッドも確認したし桜子の衣服の乱れもチェックしたけど、そういう感じではなかった。
「竜太郎くんは納得してるの?」
「まぁ事実ですからね。じゃないとこんな状態にはならない」
────そう、今なんと桜子はソファの上で、竜太郎くんにくっついて丸くなっているのだ。
最初は並んで座っていたのに、竜太郎くんが頭を撫で続ける(なぜ撫でる!?)と、気づいたら彼の太腿に頭を乗せて横になってしまった。
そして今は顔をこちら────向かいの椅子に座る私────に向けもせず、竜太郎くんにゆっくりと柔らかな髪を撫でられている。猫みたいに。
な、なんて羨まし……じゃない。
「……で、どうするの?」
暗に「どうにかしなさいよ」と圧を込めて言う。
アイドルとマネージャーが触れ合ってるこの状況、おかしいでしょ。
「……まぁ、たまにこうして兄役をやることで春出水さんが癒されるなら、今後も続けようかなとは思っています。メンタルコントロールもマネージャーの仕事ですので」
違う。私の求める答えじゃなーい。
「竜太郎くんは氷ヶ峰さんの専属じゃん」
「実は最近はけっこう空き時間があるんですよね。氷ヶ峰の意識が変わったのか分かりませんが、雑用も減ってまして……」
違う違う違う。君は氷ヶ峰さんのモノなんでしょ。
「じゃなくて、何で桜子を特別扱いするのって聞いてるの!」
「へ? まぁ春出水さんはグループ内でも稼ぎ頭ですし、社員としてサポートするのは間違ってないかと」
イライラする。
氷ヶ峰さんの専属だからって気を使ってた私がバカみたいじゃん。
「……じゃあ私は?」
「へ?」
間抜け面の犬飼竜太郎。
この、間抜け面さえ愛おしい。
クソ。
認める。私はもうこの男にヤられてる。
「私は、蒼樹坂の人気第一位だよね。私もサポートするべきでしょ」
「はぁ、まぁ」
煮え切らない竜太郎くんに、私の気持ちを投げる。
うりゃ。気づけっ。
「私にも時間ちょーだい。最近、病んでるの、たぶん」
ホテルのロビーで使った破壊力抜群の営業スマイルを、今も使おうと思ったのに、上手くできてないのが分かった。
返事がYESじゃなかったら、この状況を脅すため、スマホのカメラを起動した。
「……分かりました。後日また連絡します」
「……よかった。楽しみにしてるね」
私は少し震えてた手でスマホを収めた。
竜太郎くんと何をしようか考えるだけで、心が躍った。




