第2話 成功の条件
<氷ヶ峰こおり>
私は、窮地に立たされていた。
ここは、氷ヶ峰家総本山。
今いるのは、わずか一代で国内有数のホテルグループを創り上げた祖父の部屋である。
本人の意向でそれほど大きくない部屋のはずが、室内を彩る様々な装飾品が圧迫感を与えてくる。
その中でも闘牛や熊の剥製の目が、こちらを見ている気がして嫌だった。
私は動物が好きだから、この祖父の収集欲のために殺された彼らが不憫で仕方なかった。
同じ血を継ぐものとして、どうしようもない罪悪感が襲ってくる。
違う。
考えるな。
雑念は振り払え。
下腹部に力を込めて、目の前の人間と向き合う。
「こおり、儂と交わした約束は、いつまでだったか」
「……私が二十歳になるまでと存じます」
「ほっほ。そうだったか。歳を取るというのは怖い。色んなことを忘れていくからのう」
嘘をつけ。
祖父は恐ろしく記憶力がいい。
ついこの間なんて、私が四歳の頃歌っていた曲まで憶えていてゾッとした。
頭が良く、身内には愛情を持って接してくれるお爺ちゃん。そう思っていた時もあった。
実際は違う。
たとえ身内だとしても、いや身内だからこそ己の意に反する存在は何があっても支配しようとする。そういう人間だと私は思っている。
「そして、アイドル……とか言ってたな。それで成功し影響力を持つだったか?」
「はい」
白々しい。
私が死ぬ気でもぎ取った条件を、気にも留めていないフリをするな。
書面で残している癖に。
「成功しなければ、儂の選んだ婿と結婚。約束はそうだったな?」
「……はい」
私は氷ヶ峰家の三代目次女だ。
元々はグループの繁栄のため、大学卒業と同時に許嫁と結婚するはずだった。
時代錯誤な慣習だと笑う人もいるかもしれない。
しかし私の人生には物心ついた時から判然と存在する逃げられない事実だった。
逃げられないからこそ、交渉して、闘った。
結果的に私は高校二年生の十七歳でアイドルとしてデビュー、二十歳までに結果を出すことで許嫁と結婚を回避するという条件に漕ぎ付けた。
アイドルになってから二年半経った今、それなりに名の知れた人気アイドルになれたとは思う。
しかし、今所属している、蒼樹坂グループは恋々坂に続く業界ナンバー2である。
私はどうしても限界を感じていた。
「わかってるならよろしい。下がりなさい」
「はい」
「氷ヶ峰家として、筋は通しなさい」
「はい」
「儂だけでなくな」
「……はい」
なぜ今日このタイミングで呼ばれたか、今の問答で疑いが確信に変わった。
私が蒼樹坂の事務所との間に結んだ契約書には、辞める半年前には雇用解除の申し入れをしなければならないという記載がある。
法律上は二週間前で良いが、私がいるのは特殊な業界で、CMスポンサーとか諸々含めて色々あるのだ。
筋を通せとは、そういうことだ。
だが何故祖父がその詳しい内容を知っているのだろうか。
この世界は金があれば何でも調べられるのか。
幼い頃から知っている祖父のやり口には、もう驚くこともなくなった。
ふふ。
とにかく明日、私が二十歳になるちょうど半年前の日になる。
十七歳の時、三年以内に祖父が病死でもして有耶無耶にならないかと少しでも考えた私は甘かった。
……私も努力しなかった訳ではない。
いやむしろ命を削ってやった。
だけど、もうここまでかもしれない。
自室に帰り、スマホを開く。
「竜太郎……」
小さな呟きは、誰にも聞こえず消えていく。
通話をタップする。
いつもより数回コールしたあと、彼が出た。
「遅い。ワンコールで出なさいよ」
さっきまで化け物じみた祖父と対峙したからか、いつもより彼の声が耳に沁みた。
いくつか言葉を交わし、一方的に電話を切られ軽く首を捻る。
彼も疲れているんだろうか。
はぁ。でももういい。
とにかく明日、事務所に伝えなければならない。
私のアイドル人生は終わる。
でも何故だろう。
ここまで来てまだ私は実感が湧いてこず、どこか他人事のように感じていた。
────────────────────
翌日、事務所にて。
社長がいなかったのでチーフマネージャーの立夏さんに話を通そうと思ったら、彼が来た。
髪がボサボサだし目が虚ろだ。
寝たほうがいいのに。
「あら、犬飼くん。ちょうどいいわ。あなたも聞いて」
どこか呆けた顔の彼に伝える。
「私、半年後に引退するから。引退して許嫁と結婚する」
「は?」
彼がきょとんとしてる。物凄くきょとんとしてる。
なんか竜太郎のこんな顔、久しぶりに見たな。
少しだけ憂鬱な気分が晴れるのと同時に、なぜか悲しくなった。
「何その変な顔。なんか紙持ってるけどそれ何?」
「い、いや。これは何でもない」
「そう」
いつになくあたふたしている彼が言う。
「ちょっと待ってくれ。何澄ました顔してんだよ。経緯を説明してくれ」
「面倒だわ」
「経緯を、説明、してくれ」
な、なに。顔が近すぎる。
竜太郎の顔をとりあえず押しのけて、大まかに説明する。
竜太郎と、その場にいるチーフマネの立夏さんも一緒になっていくつか質問してきたから、それに答えていった。
二人は信じられないといった様子で愕然としている。
まぁそりゃそうよね。
こんな許嫁だの旧財閥家みたいな話、現実味ないでしょう。
「それで、条件の成功って何をもって成功なんだ?」
恐る恐る竜太郎が私に聞いてくる。
ああ、そうか。私は肝心のそれを言ってなかった。
「トリプルミリオン」
「「へ?」」
竜太郎と立夏さんの声が重なる。
「トリプルミリオン、CD三百万枚」
私は繰り返す。声に出すたびに遠すぎて空しく聞こえる。
「……この時代に?」
「この時代に」
そう、このCDが売れない時代に、だ。
「だからまぁ、引退確定ってわけ。今までお世話になりました。あと半年はちゃんと働くから。立夏さん、発表とか大人の事情は事務所に任せるわ」
「う、うん」
「とにかく、私は辞める意思は伝えました」
「……分かったわ」
よし。契約は守った。
もうここで話すことは無い。
私はぼうっと動かなくなった竜太郎を置いて事務所をあとにした。
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やる鹿