第15話 酔った竜太郎
春出水桜子が変な発言──犬飼こおりカップル激推しクラブだとか──をする少し前────。
<犬飼竜太郎>
朦朧とした頭で考えていた。
──俺がこの決起集会でやるべきことは何か。
それすなわち、番組が成功するために動くこと。
当たり前だ。
──じゃあ番組が成功するために必要なことは何か。
それはもちろん、氷ヶ峰こおりと霧島凛空を近づけないことだ。
言ってて悲しくなるところでもあるが、俺の担当アイドルは、プライベートでの会話が壊滅的にできない。
仕事の会話というかトークはそれなりにできる。
……できると言っても事前に俺とシミュレーションを何時間も行えば形にはなる……というレベルの話だが。
つまり今、紛れもなくプライベートの場であるここでは、いかにして氷ヶ峰のボロを出さないようにするかが重要だった。
この番組は霧島凛空に懸かっている。抜けられたら終わりだからな。
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「犬飼ィ! 酒が足りてねぇぞ!」
「犬飼くん~。暑いんじゃない? とりあえず裸になったら?」
この時代にいまだアルハラやセクハラを堂々と繰り返すディレクターや営業さん。
「犬飼竜太郎~。僕にゲーム負けたんだから飲まないと! ホラホラホラ!」
さっきから理不尽なイカサマで俺に酒を浴びせてくる霧島凛空。
俺はもう二時間近くこいつらの相手を踏ん張っていた。
だが限界は近い。
俺は酒にあまり強くない。
気合で飲むタイプだ。
さっきから霧島凛空は俺がゲームに負けると刹那的に笑い、俺が酒を飲んでる間、冷めた顔で、奥のテーブルの方に目を向ける頻度が増えてきた。
奥のテーブル、つまり氷ヶ峰がいる方向だ。
まだだ。まだ俺を見ろ。
俺は霧島凛空が相当な酒好きだという情報は知っていた。
酔わせればこっちのものだと思っていたのだが、意外とそこまで乗ってこない。
「うぃ~~~~。良い感じに酔っぱらってきました! まだまだいきますよお!」
「いや~。犬飼竜太郎、顔真っ赤じゃん。早く僕にももっと飲ませてよ」
うるせぇ。じゃあそのイカサマトランプ使うのやめろ。
「じゃあ次、どうすか。負けた方はテキーラSUN LIGHT UP、いきますか」
「何言ってるかわかんないよ、それより氷ヶ峰さんの話しない? こお~りちゃん、の、話」
クソ。俺のテキーラサンライズとかけたギャグが効かないだと。
それにしても、そんなに気になるのか氷ヶ峰こおりが。
でもこいつも一応酔ってるな。
もう少しなのだろうか。
早く潰れてぐちゃぐちゃになれ。
「俺を倒したら何でも話しますよ」
「まるで何でも知ってるような口ぶりだね~」
霧島凛空の口が皮肉気に歪む。
「……まぁ専属マネージャーなので」
「へぇ~、でもこれは知らないんじゃない?」
「何ですか?」
そう言いながら、思っていた。
おそらく俺があいつのことで知らないことはない、と。
自惚れていた。だから動揺したし、酔いが回ったと後で思う。
「こないだ僕は、氷ヶ峰冷厳の謝恩会に行ってきた。なぜだと思う?」
……なぜこいつがジジイの名前を知っている?
──その瞬間、高橋さんの言葉をまた思い出す。
『霧島のお目当ては氷ヶ峰こおりだよ』
──その瞬間、氷ヶ峰の言葉を久々に思い出す。
『引退して許嫁と結婚する』
俺は問いかける。
「分かりません。なぜですか?」
霧島凛空は俺に顔を近づけ、周りに聞こえないように耳元で答えた。
「僕が氷ヶ峰こおりの許嫁だからだよ」
場がシーンと静まり返っている。
ディレクターも近くにいた女の子たちも俺と霧島凛空のの只ならぬ雰囲気にあてられて黙っている。
へぇ、そうなのか。
そういうことだったのか。
とりあえず、笑うか。
「あははははは」
「はははははは」
霧島凛空もつられて笑う。
どちらともなくショットグラスを持ち合う。
色々聞きたいことがあるな。
カチンと音が鳴った。
────マジで潰すか。
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<氷ヶ峰こおり>
私は、蒼樹坂に入って以来、初めてアイドルの味方ができるかもしれない。
そんなことを考えていた。
味方の名前はそう──。
『なんですって! 許されません! 私、犬飼こおりカップル激推しクラブ会長として見逃せませんよ!!!』
そう言ってくれた彼女の名前は、春出水桜子さん。
うちのグループで司会をするってなったら第一候補になる人だ。
頭の回転が早くて、可愛くてそつがない。
竜太郎にいつも見習えって動画を何度も見せられたからよく知ってる。
よく知ってるし、正直嫌いだった。
竜太郎がいつも褒めるから。
竜太郎は今日の企画会議中も桜子さんのことをずっと見つめていて、桜子さんが何か発言するたびに「うんうん」と深く頷いていて、腹が立った。
会議室を出る時も、彼女に笑いかけられて鼻の下を伸ばしていてキモかった。
────でも、いきなり隣に座ってきた桜子さんを見て、この子は私の味方だってすぐに分かった。
私を見つめる瞳、尊敬をひしひしと感じたから。
竜太郎が高校時代の私に向けていた瞳にそっくりだ。
それに……。
「犬飼こおり……」
口に出して言ってみる。
「はい。私、犬飼さんとこおりさんは絶対に結ばれるべきだと思うんですよ」
桜子さんが答える。
「犬飼こおり……」
もう一度呟く。
何て、何て美しくて胸があったかくなる響き……。
「私、以前からこおりさんと仲良くしたくてたまらなかったんです。でも今までのこおりさんは新雪のように滑らかで氷柱のような危うさがあってそれがなんと、ショートボブになってから急激に……」
桜子さんが何か喋っているけど途中からあまり頭に入ってこなかった。
すると、目の前の、こっちは味方ではないアイドルが話しだす。
「ちょっと二人で盛り上がんないでよ。そもそもマネージャーとアイドルが結ばれる? 漫画やアニメの見過ぎなんじゃないの?」
「……」
言い返したいけど、咄嗟に言葉が出てこない。
すると、桜子さんが身を乗り出す。
いきなさい、私の桜子──。
「くるみさん、貴女は誰かを本当に好きになったことがありますか」
「そうよッ」
とりあえず私は、桜子の隣でびしっと指を差す。
「……ないけど。え、氷ヶ峰さんは竜太郎くんと付き合ってたりするの?」
くるみちゃんは桜子さんではなく私に向かって言う。
付き合う? 私と竜太郎が?
「……くるみちゃんに関係ないでしょ」
「ほら、やっぱり。そりゃ私の専属になってくれるって言うくらいだからねぇ」
そうだった。桜子さんが入ってきて忘れてたけど、その話の詳細が聞きたかった。
ていうか、くるみちゃんってなんか、こう、意地悪な人だったのか。
可愛い名前で見た目も可愛いから勝手に好きだったのに、少し裏切られた気分だ。
「だから許しません! 何ですかその話は! ちょっと犬飼さんを呼んできます!」
えぇ……私くるみちゃんに話を聞きたいんだけど。
なんか桜子さん、こんな元気な人だったんだ。知らなかったな。
私、こういうプライベートな食事会に顔を出すことはほとんどないから、全てが新鮮だった。
あれ、呼びに行こうとした桜子さんが、座り直した。
何でだろうと思ったら、すぐ理由が分かった。
「────呼びましたか」
気づいたら、竜太郎がそこに立っていたから。
なんか、フラフラしてる。顔も真っ赤た。
……酔ってる。ヤバい。何がヤバいって。
酔った竜太郎が、くるみちゃんの隣にストンと座り、小さくなった。
「……ふぅ。つかれた。ふふふ。でも倒した、俺はつよい。ふふふ。」
普段難しい顔ばかりしてる竜太郎が、ニコニコしてる。
くるみちゃんが竜太郎の顔を見る。
下から上目遣いで覗き込む彼女は、大きな胸をむぎゅっと自分で寄せたように見えた。
黒のシースルートップスの上に踊る金髪が艶かしい。
竜太郎はえっちだからそういうのに弱い。
「前もちょっと思ったけど、竜太郎くんって実は可愛い────」
「だめ!!!!!」
そう、竜太郎は酔ったら可愛すぎるのだ。
私は思わず傍に行って竜太郎の顔を抱きしめていた。
「うーんなんだこのしあわせなふわふわはふわ」
何かもごもご言ってる竜太郎に構わずがっしりホールドする。
ちょっと、あんまり口動かさないで。
すると。
「キャー!! 尊すぎます!!!」
私たちを見た桜子さんが叫んで、机に額を打ちつけた。
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しばらくして、賑やかな会は終わりを迎え、各々解散していった。
最初は霧島凛空が竜太郎に許嫁の話をしないか気が気じゃなかったけど、竜太郎とのお酒の飲み比べに負けて潰れてしまったらしい。良かった。
酔った状態の竜太郎は素直なので、くるみちゃんの専属の話とか、退職届の話とか、色々と聞いてしまいたい気持ちはあったけど、怖くてできなかった。
私が聞かなければこの関係を続けられるなら、それでいい。
あと半年くらいそばにいさせて欲しかった。
私は爺の車の迎えが来たので、店を出る。
最後に、今日できた友達に挨拶する。
「桜子さん、楽しかった。これからもよろしく」
「はい。やっと仲良くなれて良かったです」
椅子に横になっている竜太郎を横目で見る。
「本当に犬飼くん任せていいの?」
「はい、私に任せてください」
くるみちゃんは帰ったし桜子さんは私達の仲を応援してくれてるみたいだし、大丈夫か。
そう思い手を振って店をあとにした。




