第13話 第三のアイドル
<犬飼竜太郎>
夜、俺は今日、じきに始まる例のweb配信番組の演者を含めた企画会議に来ていた。
会議室のメンバーを見渡す。
まず演者側。
霧島凜空とそのマネージャー。
猫屋敷くるみとマネージャーの高橋さん。
氷ヶ峰こおりとマネージャーの俺。
そして番組を作るスタッフ側。
プロデューサーやディレクター。
ADからカメラマン、メイクさんまで多種多様な人間がいる。
俺の同期である最上も配信番組だということでITスタッフ枠で参加していた。
まだ会議は始まらない。
最後の一人の演者を待っている。
待ってる間、俺は話したいことがあるので担当アイドルに後ろから話しかける。
つまり、目の前のパイプ椅子に座る氷ヶ峰こおりに。
姿勢よく椅子に収まる彼女は、形の良い後頭部を俺に晒している。
それにしても髪が短くなったからか華奢で少し弱々しい印象を受ける。
「氷ヶ峰さん」
「…………」
返事がない。ゆっくりとこちらを見て、すぐに目をそらす。
「氷ヶ峰さん」
今度は前を向いて顔を動かさない。
「……………………アーーーアーーー」
俺の呼びかけを無視して耳を塞ぎ、なにかアーアー言い出した。
「おい、いい加減に機嫌治せよ。この番組はぜったい当てたいんだ俺は」
聞いてんのか。
おい、手を無理やり耳から離してみる。
「…………イヤッ」
そう言ってそっぽを向かれる。
俺の手を振りほどくことはしないが、聞く耳はありませんといった表情。
小学五年生女子みたいな嫌がり方だ。
半年後は二十歳になるって女がやることかこれ。
「どうしたんだよ本当に」
後ろから顔を近づけるが、今度は目を閉じている。
氷ヶ峰が掴まれてる腕を前に降ろしたのでそれを握ってる俺は、期せずバックハグのような形になった。
至近距離になった表情をまじまじと見つめると、なんか顔色が赤い気がする。
「……んっ……!!」
まさかこいつ、インフルエンザじゃねぇだろうな。
周りに迷惑かかるからそれならいち早く病院だが。
「ちょ、ちょっと。竜太郎」
ワガママ主にムカついていると、後ろから誰かにちょんちょんと背中をつつかれる。
「なんだよ」
俺が氷ヶ峰から手を放して振り向くと、その相手が耳打ちしてくる。
「す、すごいね。よく氷ヶ峰さんにそんなことできるね」
IT担当の最上が少し興奮したような様子でそこにいた。
俺たちは氷ヶ峰から少し離れて会話をする。
「クソ。こないだデートしたから何かが変わると思ったのに。ここ何日かずっとこの調子だ。また氷河系に戻りやがった。嫌になるぜ」
「……デートってのも気になるけど、その、機嫌が悪くなる理由に心当たりはないの?」
「全くもってない」
まぁ氷ヶ峰の機嫌をいちいち窺ってたらキリがない。
大体こいつは昔から言いたいことも言わずに抱え込みすぎなんだよ。
それで勝手に不満を膨らませて勝手に爆発して、俺がどれだけその後処理に追われてきたか。
今この瞬間だってそうだ。
ったく。冷厳のジジイと不利な契約結びやがって。
俺のことは無視する癖に今は俺のことをジッと見てくる氷ヶ峰。
まるで俺が何か悪いことをしたみたいに見つめてくる。
まぁいい。氷河系アイドルのこいつのことを考える。
CDを三百万枚売らなければ引退。
最初聞いたときは「よし」と思った。できるわけない、と。
心身共に疲弊してた俺は思った。やっとこの労働環境から解放される、と。
だけどまぁ今は、わりと前向きになっていた。
氷ヶ峰が心を入れ替えパワハラ的労働が緩やかになったことで、睡眠時間が確保されたからだろうか。
氷ヶ峰をトップアイドルにするという初志を貫徹してやろうじゃないかという気になっていた。
そう、俺は自分でも意外なほど真剣に荒唐無稽な目標に向かって動き出していた。
そして今。
俺はオカルト信者でもなく自己啓発本の類は死ぬほど嫌いなのだが……。
今この状況は、俺のやる気が引き寄せたものかもしれないと思っていた。
現状を整理する。
氷ヶ峰こおり。
綺麗系ルックス最上位、抜群の歌唱力とプロポーションを持つ。
髪を50㎝切ってボブにしただけでネットニュースの閲覧数がめちゃくちゃ回るくらい話題性がある。
氷河系アイドルとして鋭利な塩対応さえ人気に変換される存在だ。
多少変動はあるが、現在は蒼樹坂の人気、第三位に収まっている。
猫屋敷くるみ。
甘い可愛い系ルックスと清楚系の王道ではない金髪ロングのクールさ、裏表の無い性格を掛け合わせ、男女両方からの人気を得ることに成功している最強のアイドル。
不動の蒼樹坂人気、第一位。
そして霧島凛空。
男性アイドルグループ|SUN LIGHT UPの専属トラックメイカー。
作曲家ながらアイドル顔負けのルックスと場慣れしたタレント力がある。
そして何よりその作曲能力は百万枚連発、まぎれもなく若き天才である。
……俺は氷ヶ峰の生まれ持ったルックスと努力する才能を認めているし、猫屋敷くるみもある才能を持っていると今は確信している。
その二人と、霧島凛空───。
俺は氷ヶ峰と猫屋敷が競い合うような曲を彼に作ってもらうという未来を想像していた。
だがこの三人で番組をやるにはピースが足りない。
まず氷ヶ峰は与えられた役はこなせるようになってきたが、それだけだ。
自分の興味関心が向かない作業には恐ろしく気合が入らない。
猫屋敷くるみ、彼女は放っておけば上手く立ち回るだろう。
だが俺は、彼女に上手く立ち回って欲しくなかった。
他に役割がある。
高い確率で機能不全に陥るであろう氷ヶ峰のサポートをやってる暇はない。
霧島凛空───。こいつの性格は正直未知数だ。動画等を見れるだけ見漁ったが本質は分からなかった。だが天才肌で、気が回るタイプではないのは確かだった。
ただ高橋さんの話が気になる。
『霧島のお目当ては氷ヶ峰こおりだよ』
これが吉と出るか凶と出るか───。
願わくば氷ヶ峰の性格にドン引きして初回降板、いや番組開始せずなんてことにならないように祈りたかった。
そう、つまりこの三人だけでは不安がある。
これは俺だけが思っていることではない。
実際この場にいる人間みんなが思っているだろう。
氷ヶ峰は無言で俺を見つめ続けているし、少し離れた位置の猫屋敷はスタッフと世間話をしている風だがスマホから目を離さない。霧島凛空は普通に寝ている。
空気が読める常人なら居心地の悪さを感じているだろう。
予想できた事態。だから手は打っていた。
と言っても高橋さんに相談しただけだが。
しっかり応えてくれる筋肉先輩に感謝だ。
ガチャ───。会議室の扉が開く。
そして元気いっぱいのポニーテールが揺れた。
「──────遅れてすみません! 春出水、桜子です!! よろしくお願いします!!」
最後のピースであり、蒼樹坂の最後の良心───委員長系アイドルが来た。
少し低めの身長が、それを補うような元気いっぱいの可愛い笑顔が。
新しい風を巻き起こす。
一気に空気が変わったのを感じる。
スタッフ達が露骨にホッとしてるのが面白くて俺はこっそり笑った。
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それから、かなり白熱した会議が行われ───マネージャーの俺は端に立ってただけだが───気づいたら時刻は夜になっていた。
概ね俺の期待通り、氷ヶ峰と猫屋敷が霧島凛空から指導を受けながら曲作りを学び、最終的にシングル曲を作る───という番組になりそうだった。
春出水は自ら歌にも作曲にも自信がないとのことで、自然とMC兼リアクション側に回ってくれることになった。
その流れもとても自然で、スタッフ達に気を使わせないようにしていて俺は惚れ惚れしてしまった。
人に愛される人間ってこうあって欲しいよなと思った。
気づいたらプロデューサーが締めの言葉を言い、皆ぞろぞろと立ち上がり始める。
そこで会議では流暢に音楽理論を語ってた霧島凛空が話し出した。
「せっかくだし、演者の皆さんで決起集会しませんか~?」
良いんじゃないか、と俺は思った。
時代錯誤かもしれないが、俺は飲みの場でしか得られないコミュニケーションがあると思ってるタイプの人間だ。
少しでも仲が良くなるならそういう機会はあった方がいい。
でもまぁコミュ障の氷ヶ峰は行かないだろうな───と思いながら彼女の顔を確認したその時、霧島凛空が氷ヶ峰に何かを耳打ちした。
なんだ? あの二人は初対面じゃないのか……?
すると氷ヶ峰が鬱陶しそうにその霧島凛空の手を払ったあと、言った。
「……犬飼くんが来るなら」
……!? マジかよ行くのかよ。
「竜太郎くんが来るなら」
え……? 猫屋敷さん……?
「犬飼さんが来るなら安心ですね」
……春出水さん!?!?!!!??
お、俺の名前呼んだ!!!?????
俺は春出水桜子さんのこと、一方的に優しくて素晴らしいアイドルだと思ってただけなのに。
まさか、俺のこと認知してくれてるとは……。
う、うれしい……。
これが推し活にハマる人間の脳内ホルモン分泌状態なのか!?
衝撃で固まった俺の前を、春出水さんが「お願いしますね」と微笑み(マジ天使)通り過ぎる。
猫屋敷さんが「なんか私の時、反応薄くない?」と俺のおでこに指を弾いて(いでっ)通り過ぎる。
氷ヶ峰が「………うーー」となんか、涙目っぽく俺を睨んで(なんだこいつ)から通り過ぎる。
最後に、霧島凛空が俺を下から舐めるように見上げ、俺のつま先を踏んでから出て行った。
は?
「なんだクソガキ、ぶっとばす───「まぁまぁ竜太郎、頼んだぞ」って……高橋さん」
「……高橋さんも来てくださいよ」
「まぁまぁ竜太郎、頼んだぞ」
「高橋さん、猫屋敷と春出水の担当じゃないですか」
「まぁまぁ竜太郎、頼んだぞ」
「高橋さんの筋肉は俺の両肩を潰すためのものなんですか?」
「まぁまぁ竜太郎、頼んだぞ」
……だめだ高橋さんが壊れてしまった。
まだ仕事が残ってるのか、頑として行かない様子だ。
クソ、俺一人で行くしかないのか。
これから始まる決起集会とやらを想像して、俺は天を仰いだ。
どう考えても波乱の予感しかなかった。




