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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暇をつぶす者 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 人生は死ぬまでの、壮大な暇つぶしである。

 どこかで聞いた言葉なんだけど、感想としてはゆとりがあっていいねえ、といったところだな。

 フレッシュマンな僕からすると、毎日が忙しい。肉体的にもそうだけど、精神的にしんどいことが多いな。時間があるイコール余裕があるわけじゃないんだよ。

 先のことを考えると、眠る度胸さえ奪われる。

 明日に待つことを思い浮かべ、それに対してどうすればいいか。このような結果がもたらされたらどうなるか。失敗した後に自分がどれだけのことを抱えねばならないか……。

 すぐ終えたくもあり、永遠にその時が来ないでほしいとも願う。この板挟みの時間がなんともつらい。


 だから、何かをしたくなる。

 ご飯かもしれない、掃除かもしれない、娯楽かもしれない、あるいは自分を傷つけることかもしれない……それを考える余地を、自分から追い出してしまいたい。

 もし、暇を暇としてじっと消化できないのであれば……重大な何かが迫ることの証かもしれないね。

 僕の昔の話なんだけど、聞いてみないかい?




 僕は以前、手術で病院に入院したことがある。

 術後の経過は良好だったのだけど、そのぶん病室では暇を持て余すことになった。

 リハビリ程度に身体を動かすことは推奨されたけど、激しいものはもちろんダメ。かといってテレビはつまらないものばかりだし、本なども僕はあまり興味ない。


 リハビリチックな動きを終えれば、あとは食べるか、トイレ行くかくらいしか身を動かすことなく、一日を過ごしていく。あとは看護師さんの体温や血液検査の注射に、おののくばかりか。

 ずっと眠ってしまえたらな、とも思うけれど、このようなときほど眠気にも限度が来る。

 その日の昼下がりも、病院食を食べたら横になっているばかり。お見舞いも今日は都合がつかず、暇人がほぼ確定していたんだけど。

 その時は違った。


 二階の病室、一番窓際の僕のベッド。

 そこから見えるベランダの手すり部分に、ひょいと下から飛び乗ってきた白猫がいたんだ。

 器用に、病院の壁なりに足をかけてここまで来たのか。

 猫はそのまま手すりの上に立つと、こちら側へ降りてくるまでもなく、その場にとどまった。

 珍しい客に、つい視線を向けているとほどなく猫は身を起こして、とととっと手すり沿いに奥へ歩き、カーテンの向こう側に隠れてしまう。

 と、思ったら引き返してきて、僕の目の前を横切り、今度は手前側のカーテンの影へ。さらにそこからもUターン、と。


 せわしない、という言葉がぴったりきた。

 猫は僕の眼前の窓から見える範囲を、行ったり来たりし続けている。

 手すりの上を外れないまま、尻尾をピンと突き立てたまま。カーテンに隠れるや、すぐにそこから引き返し。鳴き声もあげないまま、黙々と反復運動を繰り返しているんだ。

 めったに見られないことに、僕はしばし、身を横たえながら目だけで猫を追っていたよ。しかし、湧いてくる尿意をごまかすことはできない。

 自分で立ち歩けるくらいだ。トイレは自分の足で済ませるようになっていたんだけど。


 ふと両足へ、つったかと思う強い痛みが走った。

 手術した箇所は上半身だ。下半身への影響は、まずないとはお医者さんからうかがっている。単純に水分が不足しているのだろうか。

 にしては、他の身体の部分もいうことを聞かない。腹筋に力を入れて身を起こすどころか、布団の中の指を動かすことさえかなわなかった。

 金縛り、と称するにはどうにも様子がおかしい。

 両足の痛みは、ただ筋肉がひきつるばかりでなく、内側からパンパンに張るかのような、膨張感さえ帯び始めていたからだ。

 心臓に似た鼓動が、太ももからふくらはぎへかけて弾む。その一打ちが、より痛みを跳ね上げさせるも、僕は黙っている。黙らせられている。

 口は先から閉じきって、ちっともいうことを聞いてくれないんだ。

 こちらは痛まない。足以外の箇所に痛みはない。ただただ、動こうとしてくれない。

 視線も同じ。足の張りと痛みを自覚するや、動かすことができなくなってしまっているが……ほどなく、僕も気づく。


 外の景色が、動かない。

 病院内に立ち、窓から見える背の高い木々。その枝葉たちさえも。

 敷地の外に走る道路も、先ほどまで行き来していたはずの車、交通人の姿さえも見当たらない。国道に沿うこの道から、気配が消える時間などあるのだろうか?

 旗のはためき、小鳥の飛び立つ姿といった、ささいな動きも見られない。彼らは何もしようとしなかった。

 いわば、「暇」そのもの。世界が暇を持て余していたんだ。あの猫をのぞいて。


 もう幾度めかになるか分からない往復を、すでに僕は動かすことままならない身体で、必死こいてにらんでいる。

 鼻も口も思うように息を吸ってくれず、ろくに声を出すことができない。

 両足の張りはますますひどくなり、もはやつりやしびれを越えて、またずきりとうずく。


 ――弾ける?


 ふと、頭をよぎる予感。

 このパンパンに膨れた両足が、もう限界を迎えているんじゃないだろうか。

 布団に隠れ、実際の姿は見えていない。が、特に膝を立てるようなことをしていないにもかかわらず、その盛り上がりは先より増している気がして……。


 ぱん。

 弾け飛んだ。

 窓外の猫の、突き立てた尾が。白一色の尾は、手品のように消え去るや、その残滓が窓へ数滴、ぴぴっとついた。

 それと同時に。

 僕のベッドの足下に立つ、四つ折りのパーテーションがはっきりと揺れたんだ。

 この部屋にはいま、僕しかいない。当然、足が届くこともなく、誰かが入ってきた気配だってなかった。

 でも確かに、いまこのとき、何かがそこにいたんだ。


 尾を失った猫は、ぐらりと倒れるようにベランダの向こうへ落ちていく。

 同時に、僕の足の張りや痛み、そして体の不自由もたちまち消え去り、窓へ駆け寄った。

 開いた窓から顔を出し、見られる限りに目を向けても、落ちたはずの猫の姿はない。ただ窓に付いた汚れだけは、その存在があったことを物語っている。

 あらためて見る部屋の中は、やはり僕以外に誰もいない。けれども、揺れたパーテーションの生地の一部にははっきりと、僕の膝小僧くらいの大きさはある泥のようなものがくっついていたんだ。


 暇をつぶす。

 それは本当に暇を持て余したときにやってくる、何かを遠ざけるための行為なのかもしれない。

 暇にとらわれようとしていた僕を、あの猫がひたすら忙しく動くことで助けてくれたのかもなあ、と振り返るのさ。


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