第一章 忍び寄る敵意(7)
宇宙空間の航行は、通常航行と亜空間航行を繰り返し、目的地に向かうことがほぼお決まりのパターンである。亜空間ドライブによる亜空間航行は、光速を遥かに超える超光速推進方法であるが、単純な原理としては、遥かに光速を超える宇宙膨張速度の源たるダークエナジーの反発力を利用して、艦船自体を超光速で弾く、という乱暴なシステムであり、艦船自体とエンジンに負荷がかかり、その分極端に船体とエンジンが高温になる為である。長時間の連続使用は推奨されない上に、エンジン内の温度を下げなければ、エンジントラブルの原因になることから、通常の低速航行を挟み、冷却や排熱を行うのである。また、その航法の原理の関係上、船体を弾くための施設、ジャンプゲートが存在する場所で亜空間航法に入る必要があった。
そして、星系内での航行の場合、亜空間航行よりも、通常航行の割合が高くなるのが常である。というのも、各惑星の公転によって、重力の影響の季節変動が激しく、亜空間ドライブ突入用のジャンプゲートの座標を固定できる場所が限られる為である。たいていの場合、惑星やその衛星の重力と自転による遠心力等を利用して固定する為、惑星や衛星の傍にゲートは設置されている。しかし、星系の規模や惑星間の距離、衛星の数に応じて、固定できる惑星や衛星も限られる為、星系によってはスイングバイによる加速の方が、効率が良いケースも多い。
クライエル星系には大きな星系ではなく、後者に当たった。故に、星系内に、ジャンプゲートが存在していない。ユーグの艦艇は高速ではあるが、それでも通常航行で移動できる距離は、星系の広さと比べるとかなり短い。星系の外れまで駆けつけるとなると、一時間や二時間といった短時間では済まなかった。
クリスタルはその間、オペレーターと協力して、ピントのずれた画像に映っている物体の正体について、可能性レベルの解析をレンヴィルのコンピュータに行わせていた。
「この画像は、いつ、何処で撮られたものなんですか?」
クリスタルはオペレーターの傍らに立ち、思いつく限りの疑問をぶつけていた。
「実はこれ、デジタルマガジンで見つけた奴なんですよ。ギーオスティオームってご存じですか?」
オペレーターはあまり話題にのぼることがない名前を口にした。銀河関連盟内でもオカルトの類として語り草になっている眉唾な話に出てくる名前であった。
「虚数星のですか?」
クリスタルは尋ね返した。未知の艦船にどんな関連がある話題なのか彼女には図りかねた。ギーオスティオームというのは、虚数の質量をもつとされる、存在が実証されていない天体の名であった。所謂タキオン粒子の集合体である。タキオン粒子はかつて太陽系人類が夢見たような、遥かに光速を超える粒子ではなかったが、虚数の質量をもつ場、つまりタキオン場の観測には成功しており、その証明において、初期の銀河連盟では、様々な新型のエンジンの開発に、その基礎メカニズムが活用されていたという。だが、虚数の質量をもつ場は肉眼では見えることはなく、場で起こる力学的、あるいは、化学的現象の観測のみで存在が確認できるとされている。ギーオスティオームは、それが惑星、ないしは、恒星レベルの質量を備える場となった場合、肉眼でも星として見える、という与太話であった。
「その実在を伺わせる画像として、掲載されていたのがこれです。虚数質量の構造体は本当に実在する可能性あるというオカルト記事でした。虚数質量の場が実在することは分かっているのです。もしその粒子で構成された虚数質量の物質ともいうべきものが存在するとしたら? この映像がもし本物なのだとしたら? 勿論、虚数には大きさの概念がないので無茶苦茶な話だとは分かっています。しかし、今、実際に無茶苦茶なことが起こっている。もし今回の海賊船がそれだとするならば、あれだけ大胆な行動に出ても不思議はない。何故なら我々に対して無敵だからです。虚数質量の粒子は、実数質量の粒子とは干渉しあわない。しかし、固有の物体として虚数質量の粒子を固着させる技術があるとするならば、その前提を覆す技術すら向こうは備えていることになる。仮説に過ぎませんが、我々から向こうは撃てなくても、向こうは我々を撃てるでしょう。そして、我々には、向こうの砲弾が、目視はおろか、観測すらできない」
「つまり、因果律に反する兵器ですね」
兵器、という言葉を発するのは、未だにクリスタルには抵抗があったが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。それよりもっと深刻な問題の可能性が、見え始めていたからであった。
もしタキオンがターディオンに干渉できるとするならば、それは当然物理法則に反している。つまりは因果律の破れである。例えて言うのであれば、未来に撃った砲弾を、過去に着弾させることが可能であるということであった。理論上、通常の物理法則下で光速を超えれば、時間を遡行することになる。
だいいち、の話であるが、通常物理法則下では、光速を超える、純粋な粒子や物質は存在しないというのが、銀河間連盟内での定説である。その為に、ジャンプゲートを用いた亜空間ドライブでの超光速駆動の発明が成されるまで、超光速移動は実現しなかった(もっとも、その定説自体、ある種の矛盾を含んでいた。宇宙が膨張する速度は明らかに光速を超えており、銀河間連盟外の、幾つかの銀河の移動速度も光速を超えていると考えなければ辻褄が合わない観測結果も出ていた。実際これらの矛盾が許容される理由が判明したという、のちの世に言うダークマター・シンギュラリティーがあったことで、亜空間ドライブが実用化されることになった)。
「私達にはその基礎となる原理すら、おそらく理解不能でしょうね」
クリスタルはそう認めない訳にはいかなかった。それだけの科学技術の差があると、最早石器文明と機械文明くらい、認識に差があると思って良い。ダークマターと仮称されていた宇宙を満たす未確認存在の中に、半エネルギー半実体という極めて特殊な粒子が含まれていることが仮定され、そして、実際に観測された、所謂ダークマター・シンギュラリティーが起きる以前の時代では、亜空間航法がまったく不可能航法にしか見えないことと一緒であった。根底となる常識のレベルがまったく異なる為、何故不可能が可能になったのか、観測する術すら持たないのである。
「そう思います。総司令官たちにも、伝えるべきだと思いますか?」
「いや、聞こえていた。大丈夫だ」
艦長席の傍でアルバートが声を上げる。
「貴重な予測情報だ。今はどのような懸念も捨てるべきではない。しっかりと考慮しよう」
アルバートの傍には、艦長であるカラドニスが艦長席に座っている。既にレンヴィル含めた艦隊は航行中であり、艦橋で航行の指示を取らねばならないからであった。
「総司令、どの程度の確度であり得るとお思いですか?」
カラドニスの艦長はアルバートを見て、クリスタル達の会話について疑問の声を上げた。はたから聞けば、クリスタル達の会話はまさにオカルト系のデジタルマガジン並の眉唾事にしか聞こえない。信じるに値しなくとも無理はなかった。
「現状はすでに十分常識を外れている。海賊船は、私達も知らなかった、私達の探知システムの穴を突いて存在を隠していた。クリスタルがシステムの問題を指摘し、隠れている海賊船を暴き出していなかったら、私も彼女達の話を考慮には入れなかっただろうが、クリスタルが言う、海賊が私達もまだ知らない問題を知っていたということは、海賊が持つ技術を、私達の常識で考えるべきではないかもしれないという疑いの、十分な根拠になると考えている。つまり、クリスタル達が話題にのぼらせた話も安易にオカルトと断じるのは危険だ」
だが、アルバートはクリスタルが単純な絵空事でその会話を広げることはないだろうと考えている。彼女の中で、何割かの確率で、その可能性が排除できず、その場合、何の疑いも持たずに相対することがどれ程の危険になるかのシミュレートができているから真面目に話すのだと信じていた。だからこそ、彼はオペレーターとクリスタルの話を眉唾とは切って捨てなかった。
「クリスタル。対策は何か思いつかないか」
アルバートがクリスタルに問いかけると、
「危険ではありますが、一つだけ私達にも可能な対処方法はあります。非常に胡乱で眉唾な理論を、まず理解してもらう必要がありますが」
クリスタルが頷く。それを聞いてアルバートも頷き、それから、艦長に向き直った。
「艦長、作戦会議室に小艇部隊の隊長クラスを集めてくれ。それと、各艦にも連絡を。未知の船を持つ海賊への備えを、各艦で共有したい」
「了解しました」
艦長が答えると、
「頼んだ」
自分も作戦会議室に移動する為に、アルバートはクリスタルを呼んだ。
「クリスタル、作戦会議室で聞こう。皆にも聞かせてやってくれ」
「了解しました」
艦橋と同じ言葉を、クリスタルはアルバートに返した。あくまで、部下としての返答であった。