第一章 忍び寄る敵意(6)
それから、何の連絡もない時間が、一時間、二時間と経って行った。宇宙ステーションからも、連盟軍基地からも、通信はなかった。
ヴァイルは通信室に移動し、しかし、その場には、アルバートとクリスタルの姿はない。
二人は、第三艦隊所属の小型高速艦である、レンヴィルと登録された船の艦橋にいた。要請があり次第、すぐに現場に向かう為の待機である。レンヴィルには、アンギュールという中型艦一隻と、アーガス、グルーズ、ゼルファースという三隻の小型高速艦が随伴する予定として、基地の宇宙港で出港準備を終えていた。
レンヴィル、アーガス、グルーズ、ゼルファースの四隻は同型艦で、長い四角錘のようなフォルムが特徴的な小型艦である。鋲のようにも見える外観から、共通宇宙語で鋲を意味する、ベレム、というクラスで呼ばれる艦艇である。一方中型艦のアンギュールは、艦首が上部左右、下部左右の四つに割れたような見た目をした独特なフォルムをしている。実際この特徴的な艦首は、艦艇の救助の際に、対象の艦を補足し、固定する為の巨大装置であり、使用時には大きく展開し、内側にキャプチャーフィールドを発生することができるという大掛かりな装備であった。航行不能に陥った小型艇や小型艦を回収する為、あるいは、中型艦を押して宇宙港まで運ぶ為の機能である。
艦橋では基地の長距離レーダーから転送されて来る、クライエル星系の外れで展開されている状況を、大型モニターで画像表示しているものを、アルバートとクリスタルが見上げていた。そばにはレンヴィルの艦長はいない。待機中であっても艦内は乗組員が静観しているという訳ではない。各所への指示に忙しく、艦橋ではなく、艦長室に籠っていた。
「うーむ」
アルバートが唸る。明らかに状況は膠着状態で、かれこれ一時間も前に到着した連盟軍の戦闘艦は、遠巻きに客船を囲んだまま動いていない。しかし、彼の唸り声の原因は、異なっていた。
海賊達が乗っていた筈の宇宙船を、探知機が発見できずにいるのである。近くにいないというのは考えにくい。定期船を占拠した者達を置き去りにして去ったにしては、占拠している者達が落ち着きすぎている。高性能なステルス艦の可能性は排除できないが、それも間違いなく奇妙なことであった。ユーグの探知機で探知できないということは、ほとんどの星系の軍隊でも探知できないステルス性能ということであった。アンダーグラウンド市場で手に入る船の性能レベルではあり得なかった。新造艦レベルと言って良い。
「艦のコンピュータを借りられますか? 私のシミュレート結果と一致するか、艦艇用コンピュータにもやらせてみたいんです」
クリスタルが、アルバートにそう頼むと、アルバートは探知画面から視線を外し、クリスタルを見た。彼は説明を聞きかけてから、見た方が早いと決断したように、艦橋中央、艦長席右の場所の席にいる隊員に声をかけた。
「クリスタルに使わせてやってくれるか?」
「は。は? しかし、この艦のものは同型の艦でも最もロールアウトが後発で」
カラドニスの隊員が反論しかける。若い、男性隊員である。レンヴィルが最近ロールアウトしたばかりで、同型でも装備が更新された艦であることはアルバートも認識している。つまり、高度な訓練を受けていなければ扱える代物ではないということである。
アルバートは隊員の発言を手で制した。
「クリスタルは上級情報機器制御の訓練を終えている。心配ない」
本部所属だとしても、非常時には実働せざるを得ない可能性がある。普遍的な訓練は免除されていない。広報部所属のクリスタルについても特例はなかった。また、彼女は機械であり、精密機器操作などの、知識が重要な分野は、一度覚えてしまえばそれで扱えるというのが強みである。その為、マニュアル丸暗記からの訓練で十分なのであった。
「え。その子、広報部所属ですよね?」
驚いた声を上げ、それから、あ、とオペレーターは席を立った。クリスタルが機械生命体であることは、ユーグ内では既に有名である。そのことを思い出したのである。
「ありがとうございます」
オペレーターシートに座り、コンソールを見回して、クリスタルは頷いた。確かに訓練で覚えたどの機器ともボタン配列などが異なっていて、見慣れないボタンもあった。
「リーブラ3055ですね」
呟き、彼女は、デジタルマニュアルの表示ボタンを叩いた。ひとの目では追えない速度でページを進め、一五六七ページにわたるマニュアルを表示させていった。しかも、索引など、不要なページを、きっちりそのページ数、スキップさせる正確さを見せる。傍らに立ったオペレーターが、
「これで覚えられたら、俺達職を失いますよ」
複雑な表情で、アルバートにこぼした。まさしく、呆気に取られている表情であった。
「そうならないよう、頑張ってくれ」
と、アルバートが笑った。実際、クリスタルを訓練した教官の中には、自分の再訓練を志願した者も少なくないと、彼は聞いていた。分野ごとに教官は異なるものだが、特に電子機器関連の取り扱い訓練や機器の簡易メンテナンスの訓練の教官に集中していた。機械ならではの無駄のなさと正確性、一度知識を得てしまえば絶対に忘れないというクリスタルの特性は、彼等の自信を圧し折るには十分すぎたのであった。
クリスタルはマニュアルを閉じると、早速コンソールを叩き始めた。そして、すぐに、頷いた。
「やはり。探知映像を見ていてください。今は探知機からの結果をそのまま表示している状態です。連盟軍やユーグで使用している探知装備が、ある状況で影ができる、まだ発見されていない問題を抱えている可能性に先程気付きました。何らかの力で宇宙空間のガスの粒子運動に干渉が生じると、探査波の乱反射が生じ、それがコンピュータでノイズとして除去されることで一定規模の影ができます。そこにすっぽり収まると」
またキーを叩き、探知画像を乱れた画像に切り替える。その映像は極めて見にくいものであったが、定期船、連盟軍の艦艇を示すシグナルの他に、先程映っていなかった、光点がもうひとつ、浮かび上がった。
「探知機から身を隠すことができます。今回はノイズ除去をバイパスさせて探査波をレンヴィルのコンピュータで再抽出させてみました。あれが海賊の船です。宇宙軍でもこの探知システムを利用しているところはないことを考えると、絶対に誰も知らない筈の欠陥を、彼等は突いたことになります。さらに、この欠陥が起きる条件は、常にそうなっている訳でも、一定の周期で起きるものでもなく、特定の定点で起きる訳でもありませんから、観測なしには利用できない筈です。つまり、偶然利用する形になったとも考えにくく、先だって認識していて、わざと粒子に干渉しなければこういう結果にはなっていないと言って良いと思います。その知識は、果たしてどこから来たものでしょう。不安が的中した気がします。ひょっとすると、海賊は私達が危惧しているよりさらに高度な科学技術を有しているかもしれません。一度、こちらからも連盟軍に状況を確認するべきかもしれません」
クリスタルは、自分の意見をそう締めくくった。思っている以上に状況はまずいかもしれない。それが彼女の予想であった。
「そうだな。確認してみよう。クリスタル。今の演算結果をデータとして纏めておくことはできるか? 開発部に送り、探知機の問題を解消させる必要もあるだろう」
アルバートはクリスタルの意見に賛成し、同時に、クリスタルに探知機の問題を纏めておいてくれるよう、言葉を掛けた。無論それは最早広報部の仕事でも何でもなかったが、クリスタルもその指示に、異論は挟まなかった。
「了解しました、総司令官」
彼女がその呼び名を選んだのは、状況は明らかに楽観できないと、彼女が予測していることを物語っていた。
アルバートは通信役に指示し、再度連盟軍に現状を確認するよう頼み、クリスタルはコンピュータを操作し、自分が見つけた探知機の問題の記録データを収集させた。本部への送信等は任せてくれて良いとオペレーターに言われ、彼女はそのまま席を譲った。
「あなたなら話が通じそうだ。これを見てもらえますか」
記録データの収集が進む中、コンソールに備え付けのモニターに、別のウインドウを開いて、オペレーターがクリスタルを横目で見上げた。開いたのは、撮影された一枚の写真画像であった。背景は暗く、宇宙空間であることは間違いなかった。焦点があっておらず、かなりぼけた映像ではあったが、何か長細い物体が映っていた。色はメタリックな灰色のように見えた。
「……なんでしょう」
まじまじと見るが、クリスタルにも正体は分からなかった。ぼやけすぎているからだけでなく、全く写真に写った物体の材質の候補予測すらつかなかった。彼女のアイカメラからの情報分析能力としては、間違いなく異例であった。
「……待ってください。これは……画像が鮮明でないからでなく、本当に分析不能な物体かもしれません。だとしたら」
クリスタルはアルバートに視線を送る。丁度その視線に気付いたように、通信士の傍まで移動していたアルバートが、彼女を振り返り、頷いた。
「出動だ。このまま君も来てくれ」
彼は、そう、告げた。