第一章 忍び寄る敵意(4)
クリスタルが指揮官室に戻ると、ヴァイルは彼女に本部からの指示として、アルバートからの指示を伝えた。
「輸送艦の修理が終わるまで待機とのことだ。総司令官直々の指示だそうだ」
「ロワーズ総司令官が、ですか? 私は構わないですが、不思議ですね」
指示を聞いたクリスタルは疑問を隠すこともしなかった。彼女は指揮官室の机の前に立ち、しばらく考え込んでから、
「本部の広報部に状況を確認したいんですが、通信許可を頂けますか?」
と、申し出た。こういった時に直属の上官に念の為の確認を入れることは普通のことである。ヴァイルも許可を出すことに躊躇いはなかった。
「勿論だ。よく話し合って決めた方が良い」
そもそも、彼自身、アルバートの指示の意図が分かっていない。もしクリスタル本人からアルバートの意図が確認できるのであればそうしておきたいところではあった。
「ありがとうございます。それでは一度失礼し、通信室をお借りします。指示の理由が分かるようであれば、指揮官にもお伝えしたほうが宜しいですよね」
厄介になる以上は伝えない訳にはいくまい、ということは、クリスタルも十分理解していた。本来は伝達の義務があるルートではないが、だからといって蚊帳の外にしておいて良いというのも薄情すぎる話である。
「ああ。無論、本部のみの機密事項の場合は教えてくれる必要はない。情報の取り扱いは、厳密にな」
ヴァイルは、やや姿勢を崩し、背中や腰を伸ばしながら、やや崩した声の調子で告げた。
「はい、了解しました」
クリスタルは指揮官室を退出し、通信室へ向かった。指揮官室と通信室はエレベーターに乗り、別の階層へ移る必要がある。その間に、ヴァイルからアルバートへ、本部の広報部に確認の連絡をするという報告は既に行われており、アルバートから本部広報部への、クリスタルへの回答内容の指示もすぐに行われた。クリスタルが通信室に辿り着いた時には、既にお膳立ては完了していたのであった。
「ロワーズ総司令官から、輸送艦の修理が終わるまでラズルール基地に待機との命令があったと聞きました。間違いはないでしょうか」
通信係に通信機を操作してもらい、本部へと通信をつなげてもらう。クリスタル自身も通信装置の扱いの基礎訓練は受けているが、勝手な外部への通信の防止のために、緊急時を除き、ユーグでは通信係以外が通信回線を開くことは禁止されていた。
『その通りよ。ただ、こちらも詳しい理由は知らされていないの。詳細が聞きたい場合には、直接ロワーズ総司令官から話すそうよ。今、総司令官もラズルール基地の宿舎エリアの三〇一号室にいるらしいから、直接聞いてみて。良い? 総司令官が意味もなくそんな判断を下すとは思えないわ。どうか慎重に行動してちょうだい。独断で一般の定期便への乗船を強行したりはしないで』
本部側で通信を受けたのはエリサであった。彼女を含め、本部の広報部には、アルバートの名で指示が下っており、その通りの回答を、エリサも行った。
「え? あ。分かりました。聞いてみます」
何故総司令官がここに、とクリスタルは聞き返したが、それも直接アルバートに聞いた方が早いことに気付いた。エリサにはアルバートがどの部屋にいるのかの情報も伝わっており、早々に通信を切り上げると、クリスタルは本部の人間等が寝泊まりする為にあるという、宿舎エリアへ足を向けた。
言われた部屋番号を探し、クリスタルは部屋のドアの脇にある、呼び出しブザーを押した。ドアはすぐに開き、
「来たね。入りなさい」
間違いなくアルバートの声が、中から聞こえてきた。壁越しでも、クリスタルのセンサーは、室内にいるのがアルバート本人であることを知ることができる。彼女は気兼ねなく入室することにした。
「指令、お仕事は大丈夫なのですか?」
今は仮にも任務中の認識である。クリスタルは、アルバートさん、ではなく、司令、と、アルバートを呼んだ。
「すべて大丈夫という訳ではないが、そうも言っていられない事情があってね」
アルバートは、クリスタルが完全に入室し、自動扉のロックが閉まるのを待ってから答えた。
部屋の中はホテル並みの設備が揃っている。彼はローテーブルを囲むソファーに座り、クリスタルを待っていた。クリスタルにも、ソファーに座るように促す。ソファーは一人掛けのものと二人掛けのものがあり、アルバートが一人掛けの方に座っていた為、クリスタルは二人掛けのロングソファーの方に座った。やや濃い灰色の、布のソファーであった。
「イベント会場では、何か変わったことはなかったか?」
アルバートはぶしつけに、そんな話を切り出した。クリスタルは、観客に紛れて、自分が無視した、突き刺さるような視線を感じていたことを記憶から掘り起こした。
「何か、敵意のような視線が紛れていたことはありました。接触してくるという程の距離ではなかったですが」
と、クリスタルは頷いた。クリスタルにも隠し事をするという行動をとることは可能だが、今この場で、隠し事をするという行動は、適切でないと思った。
「やはりか。実は、差出人不明のメッセージを私も受け取ったのだ。この近辺では、君から目を離すなと。思うに、君に危険が迫っているのではないかと、私は考えている」
そしてまた、アルバートも、そのことをクリスタルにこれ以上隠しておくべきでないと判断したようだった。彼女自身に危険が迫っているかもしれないことを告げれば、待機命令が妥当なものであると、クリスタルも納得するであろうと判断したのであった。
「そういうことでしたか。ありがとうございます。今のところ問題は起きていませんが、気を付けます。下手に一般の船を使うと、他の乗客や乗員を、危険に晒してしまうかもしれない訳ですね。理解しました」
クリスタルの反応は、アルバートの期待通りであった。彼女は一般の定期便内で襲撃されるリスクを、他の人々に対する迷惑と考えた。
「確かに一般への被害も懸念されることだが、まずは君自身の身の安全を重視してほしい」
もっとも、アルバートの希望する考え方とは若干のずれがあった。まずはクリスタルに、自身の身を守るということを優先してほしいというのが、アルバートの希望であった。
「それは――はい、そうですね」
クリスタルは、一度考え込んでから、答えた。もし自分が襲撃されたら、というシミュレーションをしてみようとしたのである。しかし、彼女にはそれはシミュレーションするまでもないことであった。結論は一つしかなく、彼女には、自分が襲撃されたとしたら、間違いなく自分が反撃することはないという一点において、彼女は無力であった。
「でも、今回だけの話なら良いんですけど、これからずっと危ないってなると困ります」
仕事中ではあるが、極めてプライベートな話でもある。クリスタルは、ひとまず総司令官と一隊員という立場でなく、個人としての立場に切り替えた。
「何が危険なのかも分からないまま逃げ回り続けるっていうのも無理がありますよね。何か解決するいい方法があれば良いんですが」
慎重に行動しなければならないのは確かだが、何に対して警戒すべきなのかも分からないまま、闇雲にすべてに警戒することはできないというのは、現実的な問題であった。
「そうだな。困ったことだが、君自身を囮にしてみるというのもな。何に警戒して良いのか分からない以上、君をいたずらに危険に晒す羽目にもなりかねない。正直、手詰まり感はある」
困ったようにアルバートが唸る。事実、彼は打つ手がなく困り果てていた。
「無関係なひとが巻き込まれることがなければ良いんですけど。こちらがあまりに慎重になりすぎると、無関係なひと達を巻き込んだ古風な脅しにでてくるリスクはありますよね。敵意のこもった視線を広報イベントの会場で私が感じ取った以上、自然現象等の危険ではないと思います。敵意を持ったひとが絡むことだという前提で考えると、こちらが安全な場所に隠れると、人質を取る等の手法で、出るように要求してくるおそれがあります」
クリスタルは、それが心配であった。無関係な人々を巻き込むというリスクを考えると、ユーグの内部に籠るというのも、解決にならないリスクがあった。
「ないとは言い切れないな。場合によっては大掛かりな罠を張る必要があるか。としても時間が掛かりすぎる。その前に相手が動いてきたらすべて無駄になる」
アルバートの言葉に。
「そうですね。確かな犯行声明などもない現状では、軍や連盟警察に訴えても無駄ですし。やるならユーグ内部で独自にやるしかありませんが、準備に時間が掛かりすぎます」
クリスタルも、同意した。
ユーグでシャトルを借り上げ、相手を誘い込むという手段はないではないが、問題は、その細工が終わるまで、相手が何もしないでいるかということであった。
打つ手はない。クリスタルには、それ以外に、結論を思いつくことができなかった。
「しかし何もしないという訳にもいかん。罠を張る準備だけはしておこう。それ以外に、現時点で出来ることは、ないだろう」
と、アルバートはそう結論付けたようであった。こちらも手をこまねいている訳にはいかないのは、間違いなかった。
「分かりました。よろしくお願いします」
クリスタルは、頷いた。