第一章 忍び寄る敵意(3)
基地から本部、基地から基地への移動は、ユーグ所有の艦艇で行うのが、ユーグの通例である。一般の定期便を使うことは、何らかの例外が発生しない限りあり得ない。その例外が、メイダ付近に存在する第三艦隊基地、ラズルールで発生していた。
「大型艦エンディルは点検中なのだ」
第三艦隊の指揮官ヴァイルは、大柄のカラドニスであった。鱗の色がやや緑がかっている。体格もがっしりしており、大型の回遊魚を思わせる体格である。彼は、ラズルールの指揮官室にクリスタルを招き、状況を説明していた。
「大型艦ハーシーズは救助出動中だ。そして、大型艦コールヴェーズはさらなる救助要請があった場合、対応する艦がないという事態を避ける為、待機させておかねばならん。ありていに言えば、君を乗せられる大型艦が、残っていないのだ。中型艦以下であれば君を乗せて出航できるが、本部へは航続距離が足りない。急ぎで別件がある場合には、中型艦で近隣の宇宙ステーションまで送り、一般の定期便で向かってもらう必要があるが、どうするかね。それで良ければ、至急こちらで席を用意させよう」
そもそも、第三艦隊では、クリスタルを自分達が保有する艦で本部に送り届けるという予定はなかったのだから、この事態は仕方がなかった。クリスタルがラズルール基地まで来た際も、本部所属の大型輸送艦で来ており(ペデュウムではない。ペデュウムは本来総司令官等の高官専用艦であり、一介の広報部隊員が乗れる艦ではなかった。惑星アミナスから本部に移動する際には、そもそもアルバートが一緒にいたし、銀河間連盟評議会理事会へ行った際は、惑星ラゴンの衛星軌道ステーションへ、他の艦の入港が許可されていない為に、選択肢がなかっただけであった)、もともと同艦で帰還する予定であったことが、不測の事態の原因であった。その輸送艦が、循環系のトラブルにより、人員輸送用の船室が使用できなくなってしまったのである。
もっとも、第三艦隊にも長距離輸送艦はある。他の基地や本部への人員や物資のみの輸送の必要が想定されていないなどということはない。しかし、それはあくまで緊急時の為のもので、代替手段がある少人数輸送においそれと不在にさせて良い艦でもなかった。単純に言えば、クリスタルひとりの為に出港させ、緊急増援を他の基地に十分に送れなくなるリスクを冒すことはできないのである。
「……そういう状況では致し方ないですね」
クリスタルも頷いた。
クライエル星系の住人、マカラカ達は、銀河間連盟加入文明では唯一、独自の宇宙軍を持たない。それでも彼等の星系が他の文明に奪われない理由は単純であった。クライエル星系には、他の種族が住むのに適した、地球型惑星が存在しないのである。また、星系周辺のガス濃度が高く、星系に侵入する際の危険に、征服するメリットが見合わないという面も、マカラカの文明が脅かされずに残っている大きな要因であった。ただし、マカラカの奇異な見た目と、非好戦的な性質から、珍獣のように扱われ、海賊まがいの船団による、小規模密猟は、過去だけの話でなく、現在まで続いている。ユーグもラズルール基地内の艦隊を空にすることは、基地防衛の面からも、避けなければならなかった。
「そうですね。交流イベントに関する報告の提出も済んでいますし、急ぎの仕事はないのですが、そういう状況であれば、いつまでも私が滞在するのは邪魔になりますね」
ヴァイルとしても、彼女が滞在している限り、放置という訳にもいくまい。クリスタルは多忙そうな状況の第三艦隊の厄介に、いつまでもなるべきではないと判断した。
「お願いします。私の方は、一般の定期便での帰還になる分には構いません」
無論、ユーグ本部まで航行している一般の定期便は存在しない。だが、ユーグ本部最寄り(と言っても実際にはかなりの距離が離れてはいるが)の宇宙ステーションまで行ければ、ユーグ自体で就航させている、ユーグ関係者とユーグ入隊志願者の為の、直通シャトル便が存在している。十分に帰還は可能である。
「席は上級個室でなく、一般座席で構いません。ユーグの予算は皆さんの命の安全に使われるべきもので、私が無駄に浪費して良いものじゃないと感じますので、上級個室は、申し訳ない気分になります」
「そこまで細かく気にしなくとも良いのでは。女性の一人旅はとかく危険だ。個室で安全に過ごした方が良いと思うがね」
ヴァイルはクリスタルの要求に、そう返した。すると、クリスタルは、逆ににこやかに笑い、頭を振った。
「そうかもしれませんが、私は定期便の安全管理を信じたいです」
クリスタルの言葉には嘘はなかったが、彼女が一般座席で良いという理由は、それだけではなかった。クリスタルは、安全という面においては、一般座席も個室も変わらない、考えようによっては個室の方が危険とも言えることを知っていたからである。
確かに、個室は、ドアのロックさえかけておけば、犯罪に巻き込まれるリスクはほぼない。しかし、強制的に部屋のドアのロックが外されるという事件は実際に続いており、アンダーグラウンドのマーケットで、その解除デバイスは簡単に手に入るらしいということも、クリスタルには知ることができた。無論、そのようなデバイスの船内持ち込みは禁止されていて、旧式のものであれば宇宙港での荷物検査に引っかかりその場で犯罪として摘発される。しかし、この手のアンダーグラウンド技術について、宇宙港での検査をすり抜けるあの手この手の手法が次々と生み出されるというのも、世の常であった。最新の解除デバイスの一部は検査をすり抜けてしまう。対策はまさに鼬ごっこであることも、周知の事実であった。
「そうか。では、君の希望を尊重しよう」
ヴァイルも、個室を予約することに拘りはしなかった。クリスタルが言葉にしなかった意図を、ヴァイルが汲み取ったのかは不明だが、しかし、一抹の不安は感じているようでもあった。
総司令官であるアルバートが、クリスタルが乗ってきた輸送艦で、こっそりついてきていることは、ラズルール基地を預かるヴァイルが知らない筈もなかった。そして、アルバートが公式でなく、極秘裏に基地を訪れたということ自体、アルバートには何か懸念していることがあるのではないかと、ヴァイルに勘繰らせるのに十分な行動であった。
「ありがとうございます」
クリスタルは、ヴァイルも忙しいだろうと考え、礼を言っただけで、すぐに指揮官室を退出した。彼女が自動ドアの向こうに見えなくなると、ヴァイルは、卓上のコンソールを操作し、秘書官にコールをした。
「ロワーズ総司令官に、クリスタルが一般の定期便で本部に向かうと伝えてくれ。もしロワーズ総司令官が、同じ便に乗船したいというようであれば、クリスタルの分の席と、ロワーズ総司令官が同じ便に乗れるように取り図ってくれ。――ああ。クリスタルの分は一般座席で構わん。ロワーズ総司令官については、司令の要望を聞いて対応してくれるか。――ああ、その通りだ。その場合は、クリスタルの分の席だけで構わん。よろしく頼む」
少なくとも、ヴァイルには、アルバートが考えていることも、クリスタルを定期便で帰還させた場合の結果も、予測はつかない。常識的にできる対応をするだけであった。本部の輸送艦にトラブルが起こったことに関しても、仕組まれた工作ということは考えにくく、ただの偶然に過ぎないことは分かり切っている。それすらもが何らかの陰謀だなどと考えることはナンセンスであった。
「しかし、その偶然が悪い方向に転がる間の悪さでなければ良いのだが」
懸念は尽きないが、ヴァイルには基地を預かる者の責任として、クリスタルに同行するという選択もなかった。大型艦ハーシーズを中心とした部隊が、救助任務に出動中の状況で、指揮官が基地を離れる訳にはいかなかった。
『指揮官』
秘書官からのコールがあった。
『ロワーズ総司令官からの伝言です。輸送艦の修理が完了するまで、基地にクリスタルを引き留めておくように、とのことです。クリスタルが、是が非にでも定期便で帰ると言い張るようであれば、また連絡をくれとのことです』
秘書官から聞いたアルバートの伝言は、ヴァイルの不安をさらに煽るものであった。
「クリスタルの身に何らかの危険が迫っている疑いがあるということか」
彼は、そう結論付けた。それ以外に、アルバートが、クリスタルを定期便に乗せたがらない理由が浮かばなかった。
「基地内に連絡を。クリスタルに指揮官室に引き返すよう、放送を流してくれ」
『了解しました』
秘書官は短く答え、コールを切った。
それから、基地内に、クリスタルを呼び出す放送が流れたのは、すぐであった。
『広報部のクリスタル殿。ヴァイル指揮官が再度お呼びです。もう一度指揮官室までおいでください』
その放送を聞きながら、ヴァイルは、果たして何が起こるものか、答えが分かる訳がない疑問を、無言で考え込んだ。
さらに言えば、クリスタルという個人の安全を、アルバートがそこまで気にする理由もまた、ヴァイルには理解できなかった。