第二章 交錯する意思(5)
一方、当のクリスタルは、操縦を受け付けなくなった小型艇の中で、眼前に迫った不気味な航宙艦の姿に圧倒されていた。
レーダー反応でしか海賊船を認識していなかった為、その船の姿を理解していた訳ではなかったが、それが定期船を襲った海賊の航宙艦であろうことは、何となく察していた。小型艇の機体内を走査するスキャンウェーブも検知し、おそらくは、カーゴにアルバートが潜んでいることも露呈しているだろうことも覚悟した。
クリスタルは何の操縦もしていないし、操縦レバーから手も離していたが、小型艇は勝手に動き、海賊船が開いた格納ハッチの中に、吸い込まれるように入っていくのを止めることも諦めていた。最早どうにもならない。ただ、アルバートだけは無事に脱出させなければならないという使命感だけはあった。どうやって。そんなことは、分かる筈もなかった。
小型艇が海賊船の格納庫に収まると、海賊船のハッチが閉まり、カメラ越しの視界は闇に閉ざされた。光源は全くない。他に小型艇が格納されているか、格納庫がどのくらいの広さなのかさえ、クリスタルにはよく分からなかった。自分自身のセンサーで小型艇の機体周囲を探査しようともしたが、妨害されているのか、全く無駄な努力に終わった。
しばらくは何も起きなかった。小型艇の周囲では何かの音がしている筈だが、機体の外部センサーが妨害されているのか、それは僅かなノイズとしてしか分からなかった。格納庫のハッチの外は宇宙空間だ。それが先程まで開いていたのだから、ハッチが閉まってすぐには、ハッチ内には空気がないか、極めて薄い筈だ。そうでなければ気圧差で危険な状態になってしまう。だから、何も起こらないのは、ハッチが閉まった後、格納庫内に空気が注入されているからだろうと、クリスタルは考えた。
「降りて来い」
しばらくしてから、男の声が聞こえ、小型艇の乗降口のドアが勝手に開いた。言うことに逆らって機内に留まることも可能だが、それはアルバートも危険に晒すことにしか、クリスタルには思えなかった。アルバートの安全の為に、言うことを聞くほかない、クリスタルはシートを立ち、小型艇を、降りた。
当然見つかっていると踏んだのだろう、アルバートもカーゴから現れ、指示通り小型艇を降りかけたが、
「男は降りるな。操縦席には座るな。カーゴに戻れ」
どこからか聞こえてくる男は、アルバートは小型艇に留まるよう、指示をしなおした。アルバートは苦悩するように短く唸ったが、結局、現状では指示に従う他なく、小型艇の機内に戻って行った。
クリスタルが格納庫におり、アルバートが機内に戻ると、小型艇の乗降ドアが、また勝手に閉まった。
「クリスタル、こっちにこい」
という声が聞こえ、格納庫の床に、点々と細長いランプが灯った。つまりそれは、ランプの誘導に従って歩けということであった。
ランプの光は弱い。床の材質が、黒っぽい、緑がかった金属的な何かであることは分かったが、格納庫の全体を照らすには、あまりにも僅かな光でしかなかった。クリスタルには、その光が灯る道順の他は、やはり闇しか見えなかった。
クリスタルは、光源が示す指示通り歩いた。そうする他に選択肢はなかったし、それに逆らったうえで、事態を好転させられるプランも、彼女の人工頭脳は提示してくれなかったからだ。
クリスタルが歩いた先は壁だった。その一部に、長方形に切れ目を示すようにランプが灯る。それが、格納庫を出る為の人間用のドアの位置を示していることは、クリスタルにもすぐに分かった。彼女は戸惑い、そのドアの一歩手前で、足を止めた。
「進め」
無慈悲な男の声が聞こえる。クリスタルの足は訛の塊のようで、指示されていることに従わなくてはと思いながらも、彼女のプログラムはそれを拒んだ。ここを抜けたらアルバートから孤立させられ、独りぼっちになる。自分の身柄を要求し、定期船を襲うような者達の船の中で。それがどういう意味なのか、彼女にも分かっていた。回れ右をして逃げたい。しかしそんなことをすれば、アルバートはきっと死んでしまう。結局、進む以外にないのだと、クリスタルは、拒否を騒ぎ立てるプログラムを黙らせた。
一歩。
彼女が踏みだすと、目の前のドアは、自動的に開いた。二歩。クリスタルはドアを抜け、背後で自動的にドアが閉まったのを感知した。
そこは狭いスペースで、背後のドアは、二重ドアになっていた。格納庫のハッチが開いている場合の、エアロックスペースだ。既に室内に空気はあり、しばらくまた、何の指示も提示されなかった。
突然、壁のモニターが点灯した。
映し出されているのは、格納庫内のリアルタイム映像だ。暗視カメラなのか、色はほとんど判別できない。何も起こっていないように、映像では見えたが、クリスタルは、格納庫内の空気が、再度排出されている、と気付いた。そのあとに起こることは、当然、理解できた。
「やめてください」
思わず懇願の声が漏れた。この後格納庫ハッチが開けられ、小型艇が放り出されるのだと予測した。しかし、彼等がそれだけで終わらせるとは思えない。操縦システムが反応せず、身動きが取れない小型艇は、砲弾を避けることもできない。容易く破壊されるのだとクリスタルは悟った。クリスタルを捕えれば、最早あの機体は必要もない。アルバートを生かしておけば奪還の為思わぬ反撃に出るかもしれない。それを回避する方法は簡単だ。身動きが取れないうちに破壊すればいい。彼等がそうしない理由が、クリスタルには思い浮かばなかった。
格納庫のハッチが開く。小型艇は、外に向かってずりずりと下がっていく。向きも変えずに、外へ。通常の発進であればあり得ない動きだ。つまりは、機体が自由を取り戻していないことの証明だった。
そして、ついに、外に放り出される。ブースターは点火していないように見えた。漂流しているだけの状態であった。
格納庫のハッチが閉まっていく。小型艇の姿は、徐々にその向こうに見えなくなっていった。そして、完全にハッチが閉まり、映像は消えた。モニターの電源が、消されたのだ。
「そんな」
クリスタルは倒れそうになりながらも、だが、僅かな外の振動も漏らさないように、ほぼ無意識的にセンサーを宇宙空間に向けた。自分がそれを感知しても、どうすることもできないことは、分かり切っていたというのに。
「進……」
男の声が、再度、クリスタルに指示を与えようとした時だった。
全体が、振動した。一度ではない。二度、三度、クリスタルはよろけ、壁に凭れ掛かった。
「クソッ、もう追いついて来やがった。あれを奪われたか。まあいい。どうせ用済みだ」
男の声が荒く乱れる。その声は、これまでの指示と違い声が大きく、その為に、頭上のスピーカーから聞こえてきているのだと、クリスタルも知ることができた。
あれとは多分小型艇のことだ。クリスタルはそう信じた。何者になのかは分からないが、小型艇を破壊しようとしたが、妨害をされたのだと。アルバートが生きていればまだ望みはある。クリスタルはそう考えることにした。自暴自棄になってはいけないと、自分を励ました。
「進め。ぐずぐずするな」
男の声の声量は落ちたが、声色は荒っぽいままになった。その声の変化を、クリスタルは、焦り、と感じた。
とはいえ、指示に従うしかない状況に変化はない。脱出する手段はなく、海賊の船の中に閉じ込められているのだ。クリスタルは、意を決して、歩き出した。
しかし、小部屋の反対側のドアまで辿り着く前に、再度、船体を振動が襲った。先程より振動は大きく、何処からか、被弾したのだろう外壁を抉るような破壊音が響いてきた。
再度壁に縋りつき、クリスタルは転倒を避ける。同時に、短い声が出た。
「あ」
何故急に攻撃を受けているのか、急に合点がいった気がした。海賊船が定期船のそばを離れ、クリスタルが乗る小型艇の回収に動いたからだ。クリスタルの小型艇は未だ襲撃があった宙域から距離のある場所にあった。ということは人質にされていた定期船は、すでに破壊されたか解放されたかのどちらだ。クリスタルは後者であることを期待したが、いずれにせよ、今、海賊船は外部からの攻撃――満足に攻撃できる船があるとするならばだが――を防ぐための人質がないのだ。
そして、実際に海賊船は攻撃されている。この航宙艦に対抗できる何らかの艦船が存在していて、敵の敵は味方であるかもしれないということだ。
まだ、思った以上に、望みはあるのかもしれない。
クリスタルは、そう思うことにした。