第二章 交錯する意思(3)
黒く、艶のない壁が続いている。
光源は少なく、暗い空間だ。その空間は細長く続いており、どうやら通路であるらしかった。
ところどころに、小型のモニターが壁に取り付けられている。その画面の中には、推進ノズルからの出力が止まった、民間の宇宙船が映っている。メイディア発の、定期船であった。
通路の一ヶ所の壁の隙間から光が漏れている。低く、小さな声も漏れ聞こえていた。部屋の中にいたのは、顔の右側に大きな古い裂傷跡が残る、カラドニスであった。その傷は右目にまで達しているようで、隻眼であった。
「順調とは言えない」
男は、誰かと話している様子だが、目の前には通話モニターも、通信機もなかった。ただ、彼は頭部の左側面に、ヘッドセットのようなものを付けていた。
「未だ連中から返答はない」
『役立たずめ』
彼のヘッドセットの向こうから聞こえてくる言葉は標準宇宙語であったが、喋り方には地球訛があった。声には憎悪が籠っており、世のすべてを呪うような危険さを滲ませていた。
『失敗は許さん。その為に貴様等を雇ったのだぞ。必ず奴を、私の前に引きずって来い』
「しかし、確かに珍しい生命体なのは分かるが、そこまで執着する理由が分からん」
カラドニスは自分達が行っている行為の目的を知らない。金さえ積まれれば悪事だろうと非人道行為だろうと平気でやって来た彼だが、今回ほど不自然な汚れ仕事はなかった。
「あれに、ここまでリスクを負う価値があるようには見えん。機械としてみれば平凡だ」
『その平凡な機械を捕えるのに、どれだけ時間を掛けるのだ。能無しが』
ひどく苛立った声で、カラドニスの通信相手は悪態をつく。カラドニスの傭兵崩れ、ロルゥンは、自分が通信している相手のことを、訛から地球人類だと推測できる以外のことを何も知らない。直接会ったこともなく、会話も、その、通常の通信方式のどれでもないことが分かっている奇妙なヘッドセットを通じてしか、行ったこともない。ただ、この船のどこかに、相手もいることだけは知っていた。
と言っても、ロルゥンが見つけられた、船内のどのドアの先にも、相手であるらしい人物を見つけることができていない。おそらく隠された一角のどこかに、相手は潜んでいるのだろうことは確実であった。
そもそも、ロルゥン自身が乗っているこの船自体、彼の所有物ではない。依頼者が、今回の仕事の為に用意した、と豪語する謎の船であり、動かし方はコンピューターに保存されているマニュアルに従えば何とでもなるが、使用されている技術は、ロルゥンにも見たことがない物ばかりであった。新鋭艦だとしても、とんだ秘蔵艦である。
「連中の船でこちらに向かっていることは確認している。もうすぐだ」
ロルゥンが答えると、
『その情報は本当にリアルタイムか? 馬鹿め、既に厄介な奴に保護されつつあるわ』
さらに苛立った言葉が、返って来た。クリスタル。依頼者の、その小娘への執着は最早異常だ。これまでの経歴を見る限り、クリスタルにそこまで依頼者の恨みを買うような接点は見られない。何が彼の依頼者をそこまで駆り立てているのか、理解に苦しんでいた。
同時に、この仕事は、これまでのどんな非合法の仕事と比べても、きな臭い、と感じていた。クリスタル自身に恨みも縁もないだけに、金を積まれて破壊しろと求められれば、別にそうすることを躊躇う理由はなかったが、どうも、依頼者の異常性が、神経を逆撫でするのだった。
「厄介な奴とは何だ。そんなリスクの情報は、事前に提供がなかった筈だが?」
だが、あくまで冷静に。ロルゥンは声を荒げることなく反論した。ただの確認でもある。前提になかったリスクが隠されていたのであれば、不義理を理由に降りるだけだ。
『状況が変わったのだ。嗅ぎ付けるのが早い。貴様がぐずぐずしすぎたせいではないか?』
事前予測では無視して良い筈のリスクだったという訳か。胡散臭い、とはロルゥンはその言葉を信じなかった。
「で、そのリスクの名は?」
『サファイア』
意外にすんなり、答えが返ってくる。だが、若干、その名に違和感があるような、微妙な発音の乱れがあった。知り合いか、ロルゥンはそう推測した。
「どんな問題がある」
『奴の航宙艦は、この船よりも高性能だ。ブルー・オービット。その船とはやり合うな』
「ほう」
いよいよもってきな臭い話だ。場合によっては、そっちに寝返るのも有りか。ロルゥンはどちらが得かを値踏みするように短く思案した。
『裏切ろうなどと考えるな。今の奴は貴様のような獣を受け入れはしない。絶対にな』
今の。その言葉が、ロルゥンには気になった。過去はそうではなかったということか。一体何があったのか、依頼者との間に、何らかの因縁があることだけは把握した。
「受け容れる奴の方が少ない。賽の目がどう転ぶかなんざ、転んでみなけりゃ分からん」
前置きのように答え、ロルゥンはサファイアについてに、話題を戻す。直接対決を避けねばならない理由等、知っておかねばならないことが多そうだった。
「で、そのサファイアとは何者だ」
『見た目は小娘だ。クリスタルとよく似ていた外見をしている、と言えば理解できるな』
「機械か」
クリスタルが機械だとして、それとよく似ていると言われれば、最初に浮かぶ疑いは、模造品であった。しかし、クリスタルをわざわざ模造した理由は何だ。
『ターゲットにしているクリスタルのボディーと同じだと思うな』
きな臭い訳であった。最初から、ロルゥンが理解している現状以外に、何か別次元の問題が並行して動いているのだ。
「気を付けておこう」
それが分かったところで、あとの祭りであった。ロルゥンは舌打ちをし、ヘッドセットを外して傍らに放り投げた。
受けるべき仕事ではなかったかもしれん、ロルゥンは袋小路に嵌った気分で、何かうまい立ち回りがないか、予測を思案の中に探した。サファイアに取り入れれば、最悪、寝返ることはできるだろう。だが、それも何処まで望めるか分からない危険な賭けであった。
現在普通に銀河間連盟内に存在している艦船が相手であれば、負ける気はしない。それだけのスペックを、依頼者が用意した航宙艦が備えていることは確かだ。しかし、これと同じか、それ以上のスペックの船が現れた場合は、話は一八〇度変わる。
ロルゥン自身がその技術を理解している訳でないからだ。相手は相手の艦の正当な持ち主で、自分の艦の長所や短所、元になっている科学技術の問題点など、多くを理解していることであろう。その時点で、勝負にならないことは明白であった。
「しかし、分からんことが多すぎる」
ロルゥンの口から、ぼやきに近い声が漏れる。もっともこの男は散々他人を罠に嵌めて殺してきた男でもある。そのような目に遭ったとて、自業自得と言ってもよかった。そも、誰がそんな男を助けてくれるというのだ。
しかし、そんな孤独である筈の彼の元に、一通のメッセージが届いた。彼が乗っている船の通信装置にでなく、ロルゥン本人が持つ携帯型の情報端末に、である。
勿論、彼が他人に情報端末用の連絡アドレスを教えることなどあり得ない。どうやって突き止めたのか、不気味すぎるメッセージであった。
『ここで死んではならない。あの男の“船”に乗り続けている限り、行き着く先は死だ』
内容すらも不気味であった。何をどこまで知っているというのだ。メッセージの送り主も分からず、ロルゥンは、まさに己が理解を超えた問題に首を突っ込んだのだと認めざるを得なかった。
だが同時に、そのメッセージに希望も見つけた。送り主が何を知っているのかは分からないが、死んではならないと語る以上、助かる道があるのではないか、そんな僅かな光明を感じるのであった。
もっとも、何をどうすれば生き残れるのか、確実なことはメッセージには何も書いていない。分かることは、依頼主を裏切れという囁きだということだけである。メッセージが真実を語っているのか、保証の限りではない。このまま仕事の依頼人に乗るべきなのか、それともメッセージの送り主に乗るべきなのか、胡散臭さしかない選択肢が目の前に提示されていた。なればこそ、と、ロルゥンは考えた。どうせどちらを選んでも泥沼なのであれば、勝ち目の濃そうな方に乗るべきだと。
依頼主はサファイアとはやり合うなと言った。つまりは、この船をもってしても、サファイアには勝てないということである。
そして、サファイアがクリスタルの保護に動いているとも語った。となれば、このまま仕事を遂行すれば、敵対は免れない。その行き着く先が敗北であるとするのであれば、死であると語るメッセージもあながち嘘とは言い切れない。それを回避するのに一番勝算が高いのは、敵対しないことだ。勝ちもしないが負けもしない。サファイアが受け入れないのであれば、向こうに加担する必要もない。ただ、仕事を降りてあとは知らぬふりを決め込めばいいだけだ。
そのタイミングを待てばいい。彼はそう、企むことにした。ひとまずは、その為にも、今すぐにクリスタルをサファイアに奪われるのは上手くない。ロルゥンは、部屋の明かりを消し、暗い廊下を、ブリッジへと向かった。
しかし、彼はまだ知らない。その決断の結果、最も厄介な荷物を、背負い込むことになるのだということを。