第二章 交錯する意思(2)
小艇の操縦であれば、クリスタルも自分で出来る。単独で小艇に乗り、小型艦レンヴィルを離れた。
ユーグで使用している小艇は、当然救助活動を目的とした機体であり、通常は操縦者でもあるパイロットと、それを補助するコパイロットが操るものであるが、今回は、理由が理由である為、コパイロットはついていない。だが、要救助者を収容し、母艦へ運ぶ為の後部小型カーゴは存在しており、そこにひとり、こっそり乗り込んだ人物がいることには、クリスタルも既に気付いていた。
本来であれば大問題である。総司令官であるアルバートが、こんな危険な場所にいて良い筈がない。それはクリスタルも十分理解していた。しかし、その認識がありながらも、クリスタルはアルバートが潜んでいることを承知で、そのまま小艇を飛び発たせた。
アルバートが受け取ったという、クリスタルから目を離すな、というメッセージの存在が、アルバートの行動を受け入れた理由であった。それに、なんだかんだ言って、クリスタル自身、自分がどうなってしまうのか、なぜ海賊達がクリスタルの身柄を要求しているのかも理解できず、不安だったのである。ただし、問題であることは確かである為、念の為、レンヴィルの艦長にだけ、こっそりと連絡しておいた。彼は経緯も含めて認識しており、ただ、
『私には総司令の行動を止める権限がない』
とだけメッセージが返って来た。メッセージの内容は短く単純であったが、本来は止めねばならぬこと、経緯的に、アルバートがクリスタルから目を離せば、より悪い結果になるであろう予測など、様々な推測を考慮したうえでの苦渋の選択をしたのだろうことが感じられた。
アルバートにメッセージを送って来た主が味方とは限らないものの、敵視して疑う根拠もない。以前メッセージを送ってきた者がすべて味方だったからと言って、これからもそうだという保証はどこにもなかったが、目の前に、より明確な脅威があるだけに、メッセージの内容を無視することはできなかった。
そのメッセージの送り主を、クリスタルも、アルバートもまだ知らない。だが、自分のことをサファイアと呼んだ、クリスタルによく似た容姿のロボットとの短い邂逅の時は、もうすぐそこに迫ろうとしている。それがどのような影響をクリスタルに与えるのか、現時点では知る由もないが、少なからず爪痕を残す経験になることだけは、間違いないと予測することはできよう。
「現状、特に変わった通信は受信していません。問題の宙域到着まではあと三〇分程と想定。小艇の搭載燃料には限度がある為、大半のシステムをカットしています。特に船内エアコンの消費を制限している為、少々寒いですが我慢をお願いします」
小艇内のスピーカーはオンにしているが、
返答を期待した言葉ではない。あくまで誰もいない、という体で、クリスタルは小艇を操縦していた。シミュレーション訓練は行っているが、実際の機体を扱うのは初めてである。
ぶっつけで長距離の操縦をする羽目になり、出だしでは、クリスタルは普通に航行させるだけでも極めて難儀していた。当然小艇は単独長距離航行も想定されて設計されており、制御システムにはその為のモードも存在している。それがなければ、クリスタルには真っすぐ飛ばすことすら不可能なことであったろう。むしろ、艦隊の航行軌道から大きく逸れず、一定の距離を保って随伴できていることの方が驚きではあった。宇宙空間での姿勢制御は、そう生易しいものではない。
だが、難儀したのは最初だけである。クリスタルは、謂わば自分で操縦するフライトレコーダーのようなものである。フィードバック情報を記録、同時分析しながら操縦しているのである。やがて彼女自身適切な学習を重ね、急速に練度を上げて行った。戦闘機動を行うのでなければ、十分なデータをクリスタルは収集していったのである。
ある程度、小艇の操縦にも慣れた頃、ふと、クリスタルに内蔵された通信機能が、一通の謎かけのようなメッセージを受信した。差出人は不明。受信経路も擬装されていて、送信元システムを追跡することはできなかった。
『エアロックを疑うな。メンテナンスハッチを確認してはならない』
クリスタルは混乱した。どの艦のエアロックの話であろうか。それすら明確に書いておらず、故障という内容にも違和感があった。まるでこれから、どれかの艦のハッチが故障するような、予言めいたメッセージに、一種の恐怖ら覚えた。
どこまで把握しているのであろうか。去来する得体の知れない感情に、クリスタルはあり得ない筈の眩暈をさえ覚える程であった。あたかもそれは存在を鷲掴みにされ、見えない糸で何者かに弄ばれているかのような不気味さであった。機械というものが何者かの意図により動作を決定づけられているというのは世の常ではあるが、それはあくまでプログラム内に読み取れるものであり、その違和感はそれとは違っていた。
だが同時に、クリスタルには、一種使命感めいた、その流れには乗らなければならないという確信があった。その流れに敢えて逆らってみようという好奇心や反抗心は、クリスタルにはまだ芽生えていないものであった。
「もし私が」
あまりに人間臭い独り言。ふと、思考が口に出ていることに気付き、驚きと共に、クリスタルはおかしくなって一人笑った。機械が独り言を。ずっとそうだったろうか、と、クリスタルは初めて自分の独り言に違和感を覚えた。機械の思考は演算内で完結するものであり、独り言が言える、などという機能は無駄以外の何物でもない。だが、それがクリスタルだというのであれば、そういうものなのだろうと思うしかなかった。
おそらくは。
機械生命体になる為に生み出された自分と、自分で勝手に創造した、読めないプログラムは、ただのロボットでは導き出さない答えを導きだしていくようになっていくのだ。クリスタルはそう考えると恐怖心が和らぐ気がした。それはクリスタルの中では、哲学や、心理学的な思考でなく、プログラムに基づく演算が導き出すもので――電子化された数学だ。
その先に自分が何を見つけるのか等、クリスタルにはまだ分かりはしない。夢想することすらできないクリスタルに、前提条件も整わない未来の予測などできる筈もなかった。それで良いのだ。ふと、クリスタルは、何かが分かりかけた気がした。
もう少しで手が届く。それが何なのかは分からない。アルバートに聞けば分かるだろうか。あるいはサ・ジャラに。いや、彼等は笑って、
「それはクリスタル自身が見つけるものだ」
というのだろう。そんな気がした。
機械は夢を見ない。果たして本当にそうなのだろうか。クリスタルは自分自身にはじめての疑問を抱いた。これから立ち向かうことになる危険の中で、自分は何かの一定の答えを見つけるのだろう、そんな確信が生まれた。
だが、船内の異常を知らせるアラームが、クリスタルの思考を現実に引き戻した。小型艇のコントロールが効かない。操縦桿をどちらに倒しても、船体はそれに応じず、一定のコースを示すように、勝手に行先を変えて飛び始めた。
周囲の艦船を見る。異常は見当たらず、想定されたコースを悠然と進み続けている。クリスタルが登場した小型艇ののみが、艦隊のコースからずれて飛び出していった。
当然、艦隊からも、この小型艇の異常な飛行は確認できているだろう。だが、通信は許されない。無論のこと、クリスタルの方からも、異常を艦隊に通達することは、やはり許されることではなかった。
クリスタル機のコントロールを奪取した者が敵か味方かなど分かりもしないが、成り行きに任せる以外、クリスタルにできることがないのは確かである。
不安で押しつぶされそうな思い、というものを実感として噛みしめながら、モニターに映し出された徐々に遠ざかっていく艦隊から、クリスタルは視線を外すことができなかった。
一体自分の身に何が起ころうとしているのか。何故自分なのか。クリスタルにはまだ何も分からなかった。
なぜならそれは、彼女にとっては、まだはるか未来の出来事が原因であり、しかし、同時に、彼女の身柄を要求している者、それを阻止しようとする者にとっては、確かに過去に起こった出来事だったからである。
過去と未来の交差。
その一時の交わりが、クリスタルにどのような影響をもたらすことになるのか、それすらも、クリスタルにはまだ、予測できることではなかった。