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リリス・ラズリス Lilies Lazulis  作者: 青海夜海
第一章 群青の孤独
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花零れ

青海夜海です。

 

 そんな四人のちぐはぐな帰路はやがて僕と琥珀だけになり、少々の気まずさと互いに意識する空気感がまたも沈黙を持たせるが青空は許してくれないらしい。

 一風強い風が吹き抜けた。


「風つよ」

「春一番ってやつか?」


 よくも知らない用語を持ち出せ、会話の停滞を動かせるわけもなく、再び沈黙が下りる。

 別に嫌なわけではない。むしろ会話が苦手な僕からすれば沈黙ほど会話できてるものはない。だけど気まずさを感じないわけでもなければ、一人でいることが長い分相手に気を遣ってしまう精神もまた然り。だからなんとなく会話の糸口を探しては琥珀と言葉を積み重ねたいと情動が駆ける。


 視界に映るは遠くの桜の木々と住宅の家々。庭に咲いて見える花は僕には何がなにかわからないし、空の青さも風の心地よさも足音も背景であり情動にはならない。

 何かないかと視線を交差していると、たまたまに左折の道で高校生の男女が手を繋いでいる姿を目にした。どこか少し初々しく、けれどその手はしっかりと熱を分け合うように握られていた。

 彼女の微笑と彼の笑顔にどうしてか視線が釘付けになる。


「ん?」


 僕の視線の先を不思議そうに琥珀は見る。


「高校生のカップルね。付き合って間もない感じがするわね」

「だな。……」

「どうしたの?」


 自分がどうしたのかなんてわからない。だけど本当になんとなくその問いが口から零れ落ちた。他意はなく意識なく求めているわけでもなく、ただ疑問にその問いが風に乗る。


「――琥珀は好きな人いる?」


 花零れのにおいがした。


 琥珀は大きな眼を見開き、動揺と困惑と混乱のどれかに当てはまるように驚愕の顔をする。

 セミロングの髪が風に浮かび白い肌にうっすらと塗るう紅は人知れずその唇を強調し、立ち止まったその足は僕にはっきりと意志を向けていた。驚愕の瞳はすぐに静まり、どこか物静かな儚さを携えて僕の暗いガラスのような眼を射抜いた。


 彼女は言った。果てがないと。


「唯月は人を好きになるってどういうことだと思う?」

「……わからないから訊いてるって言ったら怒る?」

「さあどうだろう。私の興味だから怒らないと思うわ」


 琥珀は後ろで手を組んでゆっくりとその脚を進める。それは互いに言葉を咀嚼するための時間稼ぎのよう。


「私にとって人を好きになること。今のなんでもない私の考えだけれど、求めることのできる存在。ううん。求めたくて応えてほしい存在。そんな人のことをきっと私は好きになってるんだと思う」


 そう琥珀美波は微笑み。あらんかぎりの告白と薄明にも似た命を灯して。その声音は僕を絡み取る。


「私は彼に私の欲望を求めたい。彼が私に与えてくれるものを求めたい。私が求めるものを叶えようとしてくれる。私は好きになったその人に求める。求めて応えてくれると切に願う」


 琥珀美波が求める人。琥珀美波の求めたものに応えようと駆け出せる人。


 彼女の心理は途轍もなく簡単で同時に幻想の類だと僕は思った。きっとそれは彼女もわかっている。

 だけど、その瞳は諦めを知らない強い光を宿していた。僕は息を忘れて彼女の声に言葉にずべてを委ねる。


「わかってる。私のこれは夢物語のような、行き過ぎた願望だって。だけど私は信じてる。この世で私の望みを叶えてくれる人を。私が求められる人を。そんな人が私を――……私の前に現れることを」


 やっぱり琥珀美波はその名前の通り、琥珀の明るさを纏って美しく笑みを魅せるのだ。いや、僕にはそんな風に見えた。


 僕は琥珀美波という人を何も知らない。それは徹や茜音にも言えたことで僕らは互いに深く踏み込むことをしない。同時に存外に扱ったり自己を振り撒くこともない。

 僕たちの関係はフラットにナチュラルだ。

 けれど、彼女と出会って約半年。琥珀美波は初めてその領域から逸脱した真理へと足を踏み出した。

 それは正しく勇気のいることで、簡単にできることじゃないのは僕でもわかる。

 琥珀は知ってもらいたい、あるいは知りたいがゆえ、もしくはもっと違った意味合いで彼女の深層を僕に見せた。

 僕の知らない琥珀美波。僕が知った琥珀美波。琥珀美波は唇を緩める。


「唯月は好きな人いる?」


 再びの問いは生易しく残酷だと誰かが呟いた。

 そして、僕はこう答える以外の術を今は持っていなかった。


「いない」

「じゃあ、唯月にとって――」

「それもわからない」


 僕は間髪を容れず結論する。琥珀は再び足を止め僕を凝視する。僕も少し先で脚を止めて半身だけを振り返る。僕と琥珀は見つめ合う。それは五秒にも満たなかったと思うけど、実感は数十秒を感じ、「そっか」と歩き始めたいつもの琥珀の姿に緊張の息を吐いた。


「じゃあ、唯月の好きな異性はどんな感じ?」

「まだその話し続けるのか?」

「女の子は恋愛話が大好きなのよ」

「自称おしとやかな優等生様でも群衆と一緒か」

「エンターテインメントは万人に受け入れられるもので、需要があるから供給されているのよ。それに誰かの恋愛話しが好きなのは女性のDNAに刻まれているの」

「それは初耳だ」


 なら男の女性に優しくされたり話しかけてもらったらすぐに好きになっちゃう現象もDNAからきているのか。先祖はバカなのか。女に弱すぎだろ。

 しかしそれなら異性に簡単に恋をしてしまうのは仕方がないもの。話しかけられた気を遣ってくれた程度で好きになるのは精神の柔さではなかったのだ。つまり精神ではなく生体本能の過ちということ。

 世界中の男子諸君。我々は決して悪くない。

 どこか誇らしい気持ちで目に浮かぶ男共の活気に満足する。


「あと、顔が一番なのもDNAからだよ」

「それは酷すぎる。男の下卑た判断基準より厳しい」

「大丈夫よ。唯月はそれなりに整っててカッコいいから。ちょっと髪の毛が長いけど……」

「最後のは余計ですごくホローされている気分」

「嘘はついてないわよ。その髪も私は好きだし」

「え?じゃあなんで最後に付け足した?どこが好きなの?」

「それはねー。ふと、髪の毛の合間から瞳が見える瞬間が――って!なに言わせるのよっ!危うく言いかけたじゃないの!」

「待て。僕は悪くない。誘導もしてない。琥珀のフェチシズムも悪くない」

「確かに私が勝手に言っちゃっただけなんだけど、納得いかない!あとフェチとか言わないでよ!」

「シニフィアンにしとくから」

「記号化⁉能記とか嫌だから!それより忘れてよ!」

「お、おい⁉脚を振り上げるな。見えるぞ」

「これくらいじゃ見えないわ、よ!」


 琥珀の蹴りが僕の脛と腹目掛けて放たれ、慌てて逃げるように躱す。そんな馬鹿みたいなことを二度三度してくつくつと琥珀は笑い声を漏らした。


「はぁー唯月は変わらないわね」


 何か返答をと考えたけど何を言えばいいのかわからなく黙って視線だけを向ける。

 静かな昼がもう一度やって来る。


「ねえ、唯月(いつき)


 君の声が綺麗だった。先ほどとは雰囲気の変わった真摯な呼び声に僕はただ聞き入れる。


「どうした?」


 そう訊ねると君は一度目を伏せてから夜に人知れず道となった青の星屑のような麗しい瞳で僕の黒い月のような眼球を定める。まるで一弦の銀閃のようで、世界は僕の耳と目と脳と鼻に静謐をもたらし唯一の風だけがどこか昔のように肌を撫でる。


 彼女は言った。


「もしも、私がいない世界になったら――唯月はどうする?」


 そんな世界、僕なら耐えられない。だから壊すよ。……なんて口に出して伝えられたらよかった。


 だけど、君という人間を知らない僕は、こんな僕が言葉にすることはできない。

 思い違いの想い。思っている幻想の理想。虚無と感情の狭間の夢見ぬ夢。

 琥珀美波を少しでも教えてくれた君に、今の僕は嘘を重ねることはできない。日々を愛しども解ではないのだろう。虚無な僕は戸惑ってしまう。


「それって……えっと、どういう……」

「もしも――」


 君は僕のすべてを断ち切ってどうしようもない言葉ばかりを吐き出し、その意味すら到るところを知らず知れず、ガラクタの海で迷路に迷う焦燥と喪失感を味あわされた。

 君の声がやけに遠く聞こえたのはこの日が初めてだった。


「私が唯月を求めたら、唯月は私の願いを叶えてくれる?」

「……それは……僕にできることなら、その叶えたいと……」


 叶えてあげたいなんて平然と言えるわけがなかった。君が求めるということ、君が叶えてと願うこと。その意味を不運か幸福か僕は知ってしまった。期待に添いたい想いと大罪を前にしたような不安の想いに僕の口は先を紡げない。

 待ち続ける彼女に僕の喉はそれ以上の言葉を逆流させない。

 それでもと、どこかで手を伸ばそうとする自分がいることに気づく。だけどそれは琥珀美波の想いと同じなのかと訊かれたら、たぶん違う。だから僕は口を締めた。その代わり視線だけは逸らさなかった。


 これはたった一つ、君への片想いだ。


 この腐った精神で望まれない命で、それでも君に恋紛いをした気持ちで僕はこの命を投げ出すと言いたい。君への片想いが燃え尽き正しいものと変わるまで、僕は君と――


 でも、肝心な大切な言葉は出てこない。自分の気持ちすらわからない僕は嘘をつかないだけで精一杯。

 今の僕には求められても応えてあげられるかどうか、わからない。

 君はそっかーとその口元を緩く緩めた。その瞳が潤んでいるように見えたのは気のせいなのか、僕は問いかけることもできやしない。

 君は「ありがとう」と言って、歩みを再開する。


「私を―――ね」


 風に運ばれた花零れと木々の歌が君の言葉をいつかな時に運んでいき、ただその背中を見つめるしか僕にはできなかった。

 君は振り返る。まだ足を止めていた僕を見て笑顔を浮かべた。春の情景にも似合う君らしい笑顔を。


「帰ろ」

「……うん」


 それが、君を知った最初で最後の花零れだった。


明日の夜に更新します。

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