桜咲くその道
青海夜海です。
此度、リリス・ラズリスを投稿しました。しばらくは毎日更新を続けていきたいと思います。
どうぞお楽しみください
私たちはいつだって人知れぬ悩みを抱えて生きている。
この理不尽と不平等な理解されない穢い世界で、それでも私たちは必至に隠して生きている。
――ここにいるんだって証明するために
―――――――――
四月六日――入学式当日。
始まりの門出に相応しい晴れ晴れとした青い晴天の下、いつもより皆浮足立っているような街並みを眺めながら僕はのんびりと歩く。
中古屋で買った通学鞄を手に瞼を閉じてしまいそうな陽気を感じながら一年間通ったもう見慣れた景色と一緒に歩く。
僕が通う高校――東京都立雪丘高等学校は今日入学式と始業式が行われる。東海道線に隣接する湘南新宿ラインも通り電車の音が日常的な高校だ。
そんな学校の入学式は朝早くに終わり、始業式がもう始まろうとしているが、今僕が歩く道はあの有名なポップスの曲名にもある桜坂側の脇道。
左右に桜道を作る遊歩道はまるで祝福の道のようで、左側には川が流れており向こう岸にも同じように桜道がある。川と反対側の道は車道でそこを僕は歩く。
春の中盤を盛り上げる美しく華やかな桜の幾千がこれでもかと人生の門出を迎え送り出している。
僕は別に迎えられる側でも送られる側でもないけれど、なんだかいい気分になって遅刻していることなんてそっちのけになってしまう。
薄いピンク色は日本桜を代表するソメイヨシノだろう。種類によっては色々あるみたいだけど、僕が知る桜はソメイヨシノか八重桜くらいだ。
桜並木は朝を怏々と生きる人々を活気づけ、その美しさに心が洗礼される感慨は案外に悪いものではない。
「桜っていいな」
概ね日本人全員の共通認識だと思う僕の感想は聞く人によればさぞ滑稽な文句であろう。だけどいいものは良い。そうとしか僕は言葉にできない。
桜並木を見上げながらふと、遊歩道に立つをとある人を目に入れて違和感を感じた。
何かがあったわけではない。特に何もなかったし、気づきもしなかった。それに僕の勘違いかもしれない。だけど違和感を感じた。
「えっと……あれ?」
刹那、一瞬の瞬きにも満たない時の流れの刻み、自分の存在が浮かび上がるような浮遊感を感じ、でも気が付いたら何も変わりはない。だけど——
「僕って桜並木の脇道を歩いてなかった?」
どうだったかな?うまく思い出せないし実際どうだったかはっきりと覚えてない。だけど、今僕が歩いている道は桜並木の遊歩道。言い換えればプロムナード。
少し不安と奇妙感に辺りを見渡していると、とある人が目に移り込んだ。
桜色一色の中では目立つ黒油の長い髪が風に靡き、同じ高校の制服が確かに情景の一つとなっている。膝少し上までのスカートが揺れ、新入生のような初々しさのない凛とした立ち住まいは睡蓮花のようで、怜悧な宝石のような瞳が世界で異彩を極める。
僕の間抜けな視線と彼女の綺麗な強い視線が重なった。まるで世界の始まりのよう。
彼女はよく知っている人だった。僕と去年同じクラスで芸術の授業で一度ペアになっただけの相柄。だけど、僕はその鋭く麗しい花を知っていた。
彼女はすぐに僕から視線を外して歩いていく。
その姿を呆然と見尽くしていた僕がやっと我に戻れたのは一通の通知。スマホの画面にプレビューが浮かび上り始まりの文句からの内容にすぐさまスマホの画面をロック解除してメッセージアプリを開く。
メッセージアプリのロックは今時に指紋でオッケイ。送信者とのトーク画面に移行して、その内容に返事を素早く返し学校に急ぐ。
「そう言えば、夜咲は何してたんだろ?」
そんな疑問を浮かべても答えなんて見つかるはずもなく、桜たちにまたと告げて桜坂を後にした。
「よっ」
「徹も遅刻か」
そう偶然に遭遇したそいつに向けて言うと、そいつは気怠そうにあくびをした。
「んだよ。……入学式なんか俺らに関係ねぇーだろうが」
「入学式は朝一で終わってる。今は始業式の最中だろ」
「どっちにしろ、俺らには関係ねぇーよ」
「とか言いながらも始業式が終わる頃合いを見計らっての登校は策士だ」
「うるせー。オマエも変わんねーだろ」
「僕は単純に寝坊」
だっせぇー、と吐き捨てた同級生の男――神崎徹は首の後ろで手を組んで気怠そうにあくびをまたもした。
徹は僕が授業をサボった時に偶然同じサボり場で出会った共犯者だ。それからは何かと暇つぶしに話すようになり、学校生活の半分は一緒に過ごすようになった。声にはしないが友達なんだと思う。
「また夜遅くまで遊んでたのか?」
「ちげぇーよ。マルオんとこでオールだ」
「それを遊んでるって言うんだよ。……この前もしてなかったか?」
「人間多少寝なくても問題ねーんだよぉ」
徹は家族との関係があまり良くないのか、家に帰ろうとすることが滅多にない。話しに聞く限り帰ったとしても深夜なんだと。だから夜の大半は同じような奴等のとこでヤンキーしてるだとかどうだとか。
僕は一応友達としては心配であるけど、これといって深堀する気も助けたいとも思わない。誰にだって言えない悩みは抱えているものだ。
「オマエもたまには来いよ。ストレス発散ってのはあーいうのを言うんだぜ」
「銃で殺す系?」
「格闘技で殺しまくる系」
「どっちにしろ物騒だ」
「ちげぇーねー。スカッとするだろ」
はっと鼻で笑うのは徹の癖。別に馬鹿にしているわけではない。馬鹿馬鹿しいと楽し気に笑うのと似ている。
「僕は別にそこまで――」
「感じてない振りか」
その一言に思わず睨みつけてしまい「こわいこわい」と茶化された。それにその行動はまるで図星みたいで嫌だった。
いつだって徹を殴れる距離。一七二の僕に対して一八五と十センチも高い徹は脅威に思えるが正直身長の差なんて大したことはない。大きければ的がでかい。小さければ上からの攻撃に注意が散漫になりがち。どちらもどっちだ。だからそれを無意味と知る。
「人の事言えないだろ」
「……」
「徹の事情なんて興味ないけど、そのイラつきを正当化したくて僕に当たるのはやめろ。虫唾が走る」
「その言葉そっくり返せるからな。オマエは思ってるよりクソだぜ」
「知ってるよ。でも、桜の美しさを知ってるのは僕だ」
「はっ!んだよそれ。詩にでも酔ってんのかぁ?」
「徹はせいぜいエリカがおすすめだよ」
そう言うと「んだよそれ?クソかよォ」と、お決まりの口癖を吐いて知らねーなと笑った。
やっぱり僕と徹は友達じゃない。
いつもこんな喧嘩のような会話をした時、どうしようもなく友達という関係を破壊、否定したくなる。それはもっと適した言葉があるだとか、親友だとかそんなんじゃない。単純にこの関係を友達を呼べないと思った。それだけだ。そしてそれは徹も同じだった。
「やっぱ俺らはクソだな」
「そうだよ。頭の悪い不良と愛想の悪いサボり魔。どう考えたって先生からしたら社会の屑だ。ちょっと前にニュースですごい取り上げられていたあの事件。外野からわーわー言う奴くらいクズなんだろ」
「あーあの胸糞わりー事件か。あいつらと一緒にされんのは俺は御免だ。あそこまで愚図に成り下がった覚えはねーよ」
「そりゃそうだ。真実も現実も糞だよ。あいつらは愚図だ。だから僕たちは健全な愚図と言い換えるよ」
「はッ。傑作だな。クソがァ」
僕らはそういうとお互いに笑い合う。面白いほどに馬鹿馬鹿しく滑稽に情けなく。
まるで社会の屑と認めるかのように笑えていない自分で僕もきっと徹も笑うのだ。
上がらない口角と垂れない瞼と緩まない頬と、変わらない声音で。
「僕は生きてる」
「お得意の奴か?」
「なにそれ?」
「知るか。……あーオマエがよく言ってた理念みたいなもんだろ」
そうだったかもしれない。徹には言っていたかもしれない。
僕が社会の屑と罵られても誰からも必要とされなくてもそれでも生きている理由。単純明快にして至極真っ当。誰よりも単純でどこよりも近くて、きっと知らないもの。
何となく宣誓をしたくなって喉を鳴らし唾液の混ざりと胃液の暴走に変にアドレナリンラッシュが起こり口が勝手に開きかけたその時。
ブルブルと、徹のスマホに着信の知らせが舞い降りた。
「誰だ?」
僕に断わりもなく電話に出る様はやっぱり友達じゃないと思う。けれどこの変化した空気が僕を平常に戻していき、どうかしていたと息を吐いた。
「はぁ?ちょっと待て意味わかんねー!」
どこか慌てと苛立ちの声。徹は電話の先の人物から何か不利益になることを聞かされているのか、おい、待て、クソがァと吠えて立ち止まる。
「ちッ。切りやがった……」
「どうした?」
僕も立ち止まってそう訊ねると壮大なため息を吐いてから内容を告げた。
「今年も俺らの担任らしい花歌が俺らを待っているらしい」
「それは怒りだよな……」
「柊木によればな」
「うわぁー」
心当たりがない、とはさすがに言えず苦笑と顰めっ面の限り。
怒られるこは嫌いだ。自分の存在が否定されているようで嫌いだ。
別に怖いとかはない。適当に返事しとけばいいだけだから。だとわかっていても、一般常識を押し付けてくる社会性からのお叱りに自分の存在を否定されている気になって仕方がない。
社会が皆んなが常識的に将来を見据えて――そこのどこにも僕の感情の一つも考慮されていない。
お前の生き方は間違っている。今ここで更生しろ。それが堪らなく大っ嫌いだ。
感情表現が乏しい僕が唯一表に出してしまう耐え難い事象。
「俺らはやっぱ不自由だな」
そんな言葉、本当に身体のどこかを不自由にしている人に怒られるだろう。だけど、僕も頷かなくてはならない。
「そうだな。不自由だ」
不自由とは、存在意義を認められないことを言うんだと僕は思った。それは徹の感じているところも同じで、見上げ見下げるものが違っても僕たちはいつだって余命に抗っている。
自転車のベルが歪み出す頃にはその脚は自然に歩みを再開させていた。
どれだけ言葉にしたって意味理解したって意思を告げたって変わらない。僕も徹も社会性の呪縛と子供の監獄からは逃げ出せない。
この世は大人が正しく、子供が間違っているのだから。
「これ以上は迷惑かけられない」
あの日々を思い出して嫌になる。でも、二度と起こってはいけない事だから、僕は自分の無いような感情を切り離し仮面を被る。
「先生とスリーマウスツゥマウス」
「きめぇーこと言うな。クソッが。てかどこに人工呼吸の要素がある」
「連が言ってた。『キスとは己の心の内を相手に晒す行為さ。つまり、言葉にできない相手への感情を直接的に伝える最大の愛情表現なのさ』……って」
「色ボケの糞発言なんざい気にする方が負けだ」
「じゃあ徹は誰をご所望する?」
「……ちっ、決まってんだろ。巨乳で美人でカッコいい星乃先輩……と、去年までの俺なら思ってたが、あんだけしこたま怒られりゃ対象には今更って感じだな」
「文武両道の天才お姉さま…………叱られて気持ちい——」
「殴るぞ」
「……調子に乗りました」
こんなどうしようもないカラッカラの会話はなぜか心地よく、それを空虚と思いながらその口は滑る。
「恋バナなんて、柄じゃないけどネタにはなる」
「クソかよ。やっぱオマエ、イカれてんぜ」
ああそうだね。僕はイカている。穴の空いた心臓には虚無を詰め込んだまま。僕はイカれている。他者の気持ちがわからない僕は共鳴以外の何もできない。
「脅しってんのは焦りや不安に付け入るから成功すんだよ。常時に『オマエの好きな人を知っているぜ。さあバラされたくなかったらグラビアアイドル藍那ちゃんの写真集買ってこい』なんて言っても『はぁ?おまえ何言ってんの?俺好きな子とかいないし。てか、グラビアとか笑えるわー(笑)。頭湧いてんじゃねーの!(笑)』……ってなんのがオチだぜ」
「超具体的な説明をありがとう。徹がグラビアアイドル藍那ちゃんのことが好きなことしかわからなかったよ」
「ハァー!ちげぇーし!」
「次いでに経験だってことも」
「…………クソが!思い出しらた腹が立ってきた。あん野郎今から糞に流してやろうかァ!」
拳をポキポキと鳴らし戦意を燃やす徹を見た主婦さんがひぃーっと恐怖の声を上げて逃げていく。
そんな一日が僕たちの当たり前だった。
明日の12時頃に更新します。
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