愛悼
「え、亡くなったんですか?」
想像していたより若い声の店主は、そう言うと黙ってしまった。
驚いているというより、戸惑っている様子がその沈黙で伝わってくる。
「そんな訳で、来年からはケーキは送っていただかなくてもよろしいので」
「ああ、そうですね。あの、お幾つだったんですか?」
「九十歳のお誕生日が、先月でした」
「そうですか。長い間、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。ケーキ、職員でもいただいてました。美味しかったです。ありがとうございました」
受話器を置いてから、やはりなと記された三件の連絡先を見返した。
一件は生前仕事でお世話になったという呉服屋さん。一件は、電報でいいと記された男性。そして、最後が他県のケーキ屋。毎年、二月になるとチョコレートケーキを送ってくれるこのケーキ屋とも、彼女は疎遠だったようだ。
寝たきりになっても、訪れる人のない毎日を静かに凛として過ごしていた様子を思い出す。
ここでは死は日常のことなのに、涙がまたあふれそうになる。
カラカラと引き戸の音がして、所長が事務室に顔を出した。
「連絡、終わった?」
「はい。三件とも。誰も、こちらにはいらっしゃれない様子でした」
「そうか。お通夜も葬式も希望しなかった人だから、それでもいいのかな」
独り言のようにつぶやいて、所長は来客用のソファーに座り、タバコに火をつけた。
「火葬場、明日でもいいか。家族もいないし」
吐き出した煙が、ゆっくりと溶けて重く残った。
白い棺の中、白い彼女は静かに眠っているようだ。
荷物の中にあった、一緒に燃やしてほしいと書かれていた風呂敷包みを入れようとすると、塊のままでは駄目だと言われて、一つずつ周りに並べていった。
古い包装紙はあのケーキ屋のもので、もう四十年以上も前の配達日が書かれていた。
ケーキ屋と同じ県の病院で書かれた死亡診断書には、同じ名字の男性の名前。二十四歳で事故で亡くなっていた。
時刻表におそらく血で書かれた文字は、かろうじて「うまいよ」と読めた。
死亡診断書の亡くなった男性からの葉書には、仕事が長引きそうだからもう一カ月は帰れないことと、母親が探していたチョコレートのケーキに似たものがあったから送ること。親父が贈った味に似てるといいな、と書かれた部分が擦れていた。
茶色く変色した電報は、強く握られたのか紙が痛んでいた。
古い封筒には、戦地の地名と、彼女と同じ名字のさっきとは別の男性の名前が送り主として書かれていた。
三枚の写真は、学生服の青年と、赤ちゃんを抱いた若い女性と、軍服の男性と着物の女性だった。
最後は、油紙に包まれた黒い塊。それを、私は彼女の顔のそばにおいた。
ケーキが届くと、彼女はいつも三切れ分をお皿に載せて枕元にお願いしていた。それは、経口食が食べられなくなった、去年も変わらなかった。
今年、最後に彼女にケーキを食べさせたのは私だった。
三枚のお皿に一切れずつ乗せられたチョコレートケーキを目で追って、彼女とても嬉しそうだった。
小さく開けた口に、フォークの先に少し乗せたケーキを入れると、ゆっくり味わうように口を動かし、泣いていた。
彼女が泣くのを見たのはそれが最初で最後だった。
火葬場の煙が鈍色の空に消えていく。
二月十四日のはらはらと雪が舞う空を見上げて、最後の日の甘いチョコレートケーキの匂いを思い出していた。
《彼女》の夢をみました。
目覚めたとき泣きながら、これは何かに残そうと思い、プロットを書いてました。