1夜、『お前さぁ、もっとオシャレしようぜ?』
時は二年と経ち、ほとんどの者はこんな事件を忘れてしまうほど平和に過ごしていた。
曇りもない青空、私立和化村高等学校にお昼のチャイムが鳴り響く。
数百人が密集する食堂、賑やかな空間にある一つの金属音。かき消されはしたが気づいている者はいる、触れてはいけない地面に触れてしまったスプーンに一つの手が差し伸べられた。
「これ、僕が片づけておきますよ」
「あ、ありがとうございます……」
ここに、恋愛の神様が手を差し伸べてくれた。
スプーンを持った男子高校二年生、和泉晴祐はお相手の姿をまじまじと見続けてしまう。ひとつにまとめたシュシュが華やかさを象徴とし、手元を光らせる派手なネイルに若者特有の輝かしさを見せつけられる。耳や目が隠れない程度には伸ばしている黒髪だけ、中肉中背、特にアクセサリを所持しない晴祐とは輝きの差が違っていた。
そんな光景をテーブルから見ていたカップルがいた。
「ま~た出たわ、ハルの惚後硬直」
「コツゴコウチョク……? 何それ?」
「死後硬直の、死んだ後じゃなくて惚れた後ヴァージョン。あいつ、一目ぼれしやすくてその後何言えばいいかわからなくて、ああやって固まるの」
「惚れるって、スプーン拾っただけだろ? しかも普通逆じゃ……」
「それがあいつなのよ」
水入りコップをストローで飲み、晴祐の何たるかを雄弁に語る島村瑞希。髪染め、カラコン、ピアス、化粧に口紅、着崩した制服にネイルと女の魅力を最大限に活かした容姿を魅せる。
そんな女に釣り合う男は富士本龍紀。明るい茶髪にリングをちらつかせるアクセサリばかり、見た目だけでなく中身も負けていない、成績も運動も十二分に発揮しつつ誰にでも明るく気にかける優しい心を持っている。そんな完璧な男が定食を食べながら晴祐を観察する。瑞希の意見も聞き、晴祐のことを少しずつ知っていき、変だなと思いつつも面白い男だと評価していく。
「オムライス……、好きなんですか?」
「? えぇそうですけど」
ようやく晴祐が口を開いたが、返事からして相手はそれほど脈ありでない。
「かなでぇ、いつまで待たせんだよ早く行こうぜ」
「う、うん……」
「あ……、ごめんなさい」
交際相手に見える男がかなでという女を連れていき、二人とも晴祐から離れていく。『なんであいつ謝ってんだ?』『さあ……』と声が聞こえても、呆然としている晴祐の耳には届かなかった。恋愛の神様は晴祐を見捨てた。
その時後ろから誰かに押されて、晴祐が持っていたラーメンがひっくり返ってズボンにかかる。その光景を見ていた二人がフォローに入る。
「おい大丈夫か?」
「……」
未だに呆然が続く、こぼれた汁の熱さすら感じていない。
「始まってもない恋なんてすぐ忘れなさいよ」
何も言葉が出ない龍紀だった。
気を取り直して、食堂のおばちゃんが後片づけをしてくれている間にまた長蛇の列に並ぶ。ラーメンが売り切れたので晴祐はうどんを注文した。
濡れたところが気持ち悪い、そう感じてはいるがそれよりも始まっていない恋が終わったショックのほうが、晴祐にとって大きかった。
「どうして僕って恋がうまくいかないんだろう……」
瑞希と龍紀の席に交じり、食事と同時に晴祐のお悩み相談会が始まった。
「うーん、何なんだろうな。ハルは見た感じ特に悪い感じしないのになぁ」
「まあはっきり言って、ハルはターゲットにする相手のレベルが高いのよ」
「どういうこと?」
「一昨日はテニスの女王様、昨日は三年生のギャル嬢、そして今のは一年生のマドンナ、どれも見合った彼氏がいるに決まってるでしょ? 目が肥えてるって言えば聞こえはいいだろうけど、そもそも一日経ったらすぐ別の女って惚れっぽいにも程があるでしょ! ハルは面食いなのよ、いつも食べてるの麺類だし」
「最後関係ある……?」
性格診断のようなものをされ、最後に好きな食べ物まで指摘された晴祐は思わず箸を止めてしまう。
「た、確かに最初は顔で判断しちゃうけどさ……。でも、それだけで決めないよう接していこうって目標はあるわけで……」
「偉い! 偉いぞハル! そうだよ最初は顔でもいいじゃん面食いでもいいじゃん正直で良いことさ! 大事なのはその後どうするか、だよな?」
「ちなみに昔、幼馴染ってだけでハルが私に告白してきたよね」
「なんだとハルゥ!?」
「ご、ごめんなさい……!」
龍紀が晴祐の首を絞める。しかしじゃれる程度の手加減、晴祐もそれをわかっているため強く抵抗はしなかった。
「あ、あともう一つ見つけたぜ。ハルが上手くいかない原因」
「何?」
「お前さぁ、もっとオシャレしようぜ?」
「それ関係ある?」
「あるよ。ようは自分を磨けってことだ! 流行に乗って、制服でも上手く着飾って、ピアスつけたり髪を染めたり、お前はそういう磨きが一切ないんだよ。真面目で純粋かもしれないけど、正直古臭い」
「た、たとえそうだとしてもさ……。なんていうか、何も盛らないっていう意味の、自然のほうがいいんだと僕は思うんだよね。あんなふうに、チャラけるのは違うと思うんだよね……」
辺りを見回すと、ほとんどの生徒が耳に穴を開けてピアスをしたり、髪を染めて髪型を色々いじったり、制服を着崩したりネイルもしている。スマホやゲームで騒ぐならまだしも、食堂の場でボール投げをしている者など多彩である。
「あのな、あいつらは度が過ぎてるだけなの。ミズキみたいにネイルしたりピアスしたり髪を染めたり、休み時間にケータイ触るくらいは問題ないって時代になったの。ハル、もっと今を利用して楽しめよ? このままじゃ後悔すっぞ? 輝く自分に変わりたくないのか?」
「変わりたい……、絶対ってわけじゃないけどあることはあるよ。でもなんか……、そんなことをすると、昔の良いところまで変わってなくなるって感じがするんだよね。良さを決めるのは本人それぞれだから、変えようが本人の勝手って言われたら何も言えないけど……、消えてほしくないんだ」
スマホを触っている瑞希を時々見ながら、目が合う前に反らして自分の言葉に力を注ぐ。
「大丈夫だって、そんな簡単に変わって消えたりしねえよ。というかそんな簡単に変われないから、成長した姿は美しいんじゃないか!」
「そうだね。まぁ……、頑張ってみるよ」
「オシャレしたい時は言えよ、俺が色々教えてあげるからさぁ。自分を磨かない者は自分の最大の可能性に気づかない、俺はこうやって自分を磨いた結果、ミズキという素敵な女性に出会えたんだから!!」
「もうタツキったら……!」
お熱い惚気が混じったありがたい説教を、出汁と一緒に飲み込んだ晴祐。
その時上空からボールが落ちてきて、晴祐と容器の間に入る。衝撃で汁が顔にかかり、そのまま倒れこむ。そんな事件に周囲の者がびっくりして晴祐から距離を取る。
「おいハル、大丈夫か!?」
「大丈夫、もうお腹いっぱいだから」
「いやそうじゃなくて」
「あぁ、熱くないよ」
「それはよかったけど……」
晴祐は寛容というより、ただただ鈍い。
五時限終わりのチャイムが鳴り響き、退出する先生と入れ替わりで2‐3教室に入ってきた体操服姿の晴祐。帰ってきた晴祐に気づいた龍紀がかけつける。
「おうお疲れ」
「僕は何も疲れてないよ。一方的にボール遊びしてた人が叱られてただけ」
「てか五時限まるまる使うって何があった?」
「ボール遊びしてた人がなかなか謝ってくれなかったんだ。ボケッとしてるこいつが悪いって言われたよアハハハ」
「いや笑えねえよ。そんなことで非を認めないとか、相手大丈夫か」
「自己防衛が強すぎるだけなんだよ、それに彼が言ってたのも事実だし」
「いやいや言い訳してるんだよ、なめられてるってことにいい加減気づけよ。で、そいつの処分は? トイレ掃除? 停学?」
「反省文だって」
「生ぬるいと思う……」
しかし先生が決めたことであり、部外者である龍紀はこれ以上言うことはなかった。その時、一人の女子高生が龍紀の後ろから現れる。根元まで色が同じ栗毛、整った顔立ち、アクセサリも何も装飾していないはずなのにとても美しくて思わず息を呑む晴祐だった。
「すみません、次の移動教室の場所を教えてほしいんですけど……」
「タツキくん、この人は?」
「あぁ、昼から転校してきた天野恵さん」
「初めまして、天野恵です。よろしくお願いします」
「和泉晴祐です、昼から来たの?」
「道に迷ってしまったんです、エヘヘ……」
綺麗な容姿だけでない、ドジという点で問題はあるかもしれないが、それを昇華するかのように魅せる天然さは晴祐の心をわし掴みにした。
「それは大変だったね……」
緊張した声色に気づいた龍紀、ニヤリと口を引きつりながら行動に移る。
「ハルぅ、天野さんに次の教室教えてやれよ!」
晴祐の肩を掴んで手前に寄せ、恵に聞こえないよう小さな声で喋る。
「いや、この子タツキくんに声かけてたじゃん……」
「いやあの子、お前を狙ってるぞ?」
「え……」
さっきのこともあったので少し抵抗を持つ晴祐だったが、龍紀の少し真剣な声のせいで信じてしまう他なかった。
春が来たなぁ! と龍紀が笑いながら教室から出る。
二人きりになった晴祐と恵がお互い目を合わせる。
「お願いします……」
「あぁはいっ! お願いしましゅっ」
噛んだ晴祐に笑う恵、晴祐はその笑顔が素敵だと思い、また惚れてしまう。
六限後も、恵が消しゴムを持ってないことに気づいた晴祐が貸してあげたり、その偶然の出来事からある小説の内容と同じだという話題に意気投合した。授業に集中していなくて二人とも先生に注意されてしまったが、この短時間で二人の仲はギュッと縮まった。
授業が終わり、生徒たちが自由になれる放課後、龍紀と瑞希が乾いた制服を着た晴祐のところへ行く。
「天野さんとご執心レベルじゃんよぉハル、このままならうまくいくんじゃね?」
「ど、どうかな……。まだ趣味とか好きなものとか表面しか知らないし」
「今までのと比べたら大進歩だって! この調子でいけば、交際まっしぐらじゃん?」
「ど、どうだろ……」
悩んだ顔をしておきながら、心ではすごく喜んでいた。恋愛において百発百中な龍紀の意見なら間違いないかも……、と思ってしまうからだ。
「ハル、初デートはどこがいいんだ?」
「あ、相手に合わせるよ……。でも最終的には……、家デートにまで持って行きたい」
「やらしー」
男同士の会話に途中参戦する瑞希、女代表としての意見を述べる。
「ち、違うよそうじゃなくて……! 家の中で生活のシミュレーションをしてみたいってのが理由なだけで、決してやましいことは……」
「なるほど、家ん中で本心知れるようになりたいわけかぁ」
「けど私は彼女のこと苦手だなぁ、なんか猫被ってる感じするし」
「どうしてそう思うの?」
「女のカン」
「それだけ……?」
「し~ていうならあんたみたいな男と接してる時点で怪しいわ」
「ひどっ!」
真面目な答えが聞きたかったのだが、ただただ心をえぐられてしまうだけだった。
「お待たせしました~!」
「あ、天野さん!」
「え、何? ハルあんた、天野さんと帰るの?」
「うん、そういうことだから今日は一緒に帰れないんだ、ごめんね」
「べ、別に好きにしたら。というか毎回言ってるけど私はあんたと一緒に帰りたくなんかないから!」
幼馴染ゆえ、瑞希の家は晴祐の家の隣にある。瑞希と晴祐は小学校の時一緒に帰っていたのだが、中学生になった瑞希が突然一緒に帰ってくれなくなった。理由は多々あるが、瑞希の家が古い鍛冶屋だということが大きな原因だろう。
しかしなぜか今回、少し冷たくされた感じがした瑞希は、その腹立たしさの表しとして龍紀に軽く八つ当たりをしていた。
晴祐と恵で学校近くの建物、お店、晴祐のお気に入りスポットを回っていた。色んな説明をしても顔色ひとつ変えない恵、感心する顔、面白いと笑う顔と些細な違いはあれど『晴祐に対しての興味』という視線はいつまでも変えないでいた。その期待の眼差しを真に受けた晴祐は有頂天になる。
「あ、本屋さん! 寄ってもいいですか?」
本屋にさん付けしているところにグッと来てしまう晴祐、もはやどんな言動も可愛く見えてしまうのだろうか。自動ドアが開き、いらっしゃいませと店員の声が聞こえると、恵はすぐさま小説のコーナーへと歩いて行く。着いた途端、最新の本が並べられているところから一冊の本を取り出す。
「あ、ありました!」
恵が手に取った本を晴祐が見る。その本自体は最新ゆえ知らなかったが、作者の名前は聞いたことがあった。
「この本の作者、お姉ちゃんがすごく好きだったの」
「少ししか知らないけど僕も好き。天野さんは?」
「私はあんまり。でも今回の本は期待してる。あと、唯一好きな本があるの」
恵がかばんから小説を取り出した、作者は同じ織機良平、タイトルは『月光の夜』というものだ。
「ごめん、知らないや」
「謝ることないわよ。知名度低いし、作者自身が唯一好んでない本だから」
「好んでない……、自分で書いてて?」
「人が、いっぱい死ぬの」
「考えられないなぁ……、誰も死ぬことなく解決したミステリーとかあったのに」
「人の悪意を学んで自分なりに昇華した作品なんだって。これを書き上げた時、作者は達成感どころか、自分を嫌うようになったんだって。自分の醜い部分が初めて露見されたから。でも裏を返せば、作者の努力が一番良く描かれた作品でもあるの。だから私は、この本が好き。和泉くんも良かったら読んでみて」
そう言って恵が晴祐に本を渡す。
「ありがとう。天野さんがそんなに絶賛するってことは、お姉さんもこれ好きなの?」
「いいえ。お姉ちゃんは最後まで、その作品は好きになれなかった」
雰囲気が良くないまま本屋を出てしまった。理由がよくわからないとはいえ、恵を悲しい顔にさせた晴祐はどうしたらいいのか困っていた。どこか別の場所へ行こうか、しかし今は秋、もう暗いからそろそろ帰らないといけない。このまま真っすぐ帰るしかないという雰囲気を出した道で寄り道は不自然。そんな困った様子がそのまま顔に出ていたので、気づいた恵が姉のことについて話してくれた。
「優しくて、正義感が強くて、みんなから慕われて、本当に尊敬するお姉ちゃんだったの」
「今お姉さんは?」
「死んだの」
「あ……! ごめんなさい、不躾なこと聞いちゃって!!」
「そんなに謝ることないよ、もう昔のことだし」
「そ、それでも……」
「本当に、和泉くんはお姉ちゃんに似てる」
「え?」
「強気なとこまではちょっと違うけど。それは本人の心の強さ次第だし、和泉くんはどちらかというと、昔のお姉ちゃんに似てる」
「そ、そうなのかな?」
「だからかな……。だから和泉くんのことがとっても気になって……」
「天野さん……?」
恵が晴祐の顔に近づく。赤らめた顔をして、少しずつ顔と顔を近づける。
「お姉ちゃんみたいに……、喰べたくなったんだ」
恵と晴祐の唇が触れ、晴祐の口元から血が垂れる。
二人が離れた時、恵の口の中からもう一つの切断された舌が現れた。視覚ははっきりしていた晴祐はその事実による驚きと痛みのあまり悶絶するも、舌がないため声もあげられない。
「やっぱり美味しいぃぃ! 純粋で正直な人間のし・た! 二年ぶりだわ」
恵が口の周りの血を舐めると、チラリと突起した歯が見え、目の色が黄色くなっていた。
「本当に良い子なのねぇ和泉くん! お姉ちゃんがどうして死んだのか聞かないのね、でも残念なことに事故死なんてありきたりなことじゃないわ。私が喰ったのよ」
「ど……、して……? ね……ぇ……」
考えることができず、反射的に聞くことしかできなかった。
「私は……、優秀なお姉ちゃんがずっと憎かった!! その時にこの力を手に入れ、お姉ちゃんを喰った。意外と美味しくてたまらなかったわ、私の抜けている部分が埋まっていくような、そんな感覚だった……! でもまだ足りないっ! あんたを狙ったのも、お姉ちゃんと同じ純粋な人だったからよ」
しかし晴祐から反応の姿が見えない。
「あら、もしかして死んじゃった?」
倒れた晴祐を持ち上げ、笑顔で唱える。
「worphee!」
恵の全身が光る。服が破れ、身体中の毛が伸びる。魅力とされていた栗毛も、黒濃く染め上げ禍々しさが現れる。爪や牙までも鋭く変わり、まさにその姿は狼そのものだった。
地面が割れるほどの力で跳躍してある建物の屋上へ着地する。すっかり空が暗くなり、それとは正反対に輝く満月を見る恵、動かない晴祐の頭を撫でる。
「私が好きな『月光の夜』にはね、こんな言葉があったの。『正しい光を反射した紛いの光が月とあれば、それによって照らされる者はいったいどれだけ地に落ちた存在なのか。しかしその光はとても安心する、時に強すぎる光は眩しくて見ることができない。たとえ紛いの光であろうと、本物を知り、加減を理解して照らしてくれる月はとても素晴らしい。そして私は、そんな光に包まれる中で、あなたを喰らうのがとても清々しい』。感激だと今でも思うわ、だって今この状況がまさに、小説の内容とピッタリ、私とても感激だわ」
恵が晴祐の首元を噛もうとした、その途端。
ガッ!! と、顔を抑えられた。
「ど、どういうことよこれは……、なぜ動いてるの!? ……嘘でしょ、無くなったはずの舌が……」
開いていた晴祐の口の中が見える、喰われてなくなったはずの舌がそこにあった。
晴祐の瞼が開いて、目が黄色く光った。