0、プロローグ
「これより、人狼駆除を開始する!」
満月が眺められる夜、潔白なアパート内で争いが起こる。
202号室、ドア、玄関、廊下、リビングという一本道。玄関に隊員が二人、廊下に隊員一人と狼が一匹、その中央に血まみれの死体が一体、とても緊迫した空間になっていた。
人狼、それは倒すべき害獣。胸元から両腕にかけての肉体が膨らんだように強靭、全身を覆う茶毛がなびき、血で汚れた白い歯と爪が反射でキラリと光る。
「ガルッ!!」
先に動いたのは狼、鋭い爪をナイフの側面で受ける賀上一真。デザインによって作られた凹みが、うまく爪の先に嵌って動きを止める。
「危ないカズマ!!」
次に咬合力を誇る狼の大きな口が一真の首を狙う。しかし素早く後ろに下がることで噛まれることを免れた。仲間のいる玄関まで下がり、今度は一真が攻撃する。死体を跨いで狼に向かって突進、リビングに足を踏み入れた途端ナイフを振り回す。狭い廊下では一真の武器であるナイフが上手く使えない、外に出すわけにもいかない、だからリビングまで押し出した。だが動き易くなったのは狼も同じ。
「ぐっ!! 強ぇ……」
お互い機敏になったがその差は歴然、人間の一真が圧倒的に不利だった。
ナイフは先ほどから狼の身体に届かない、傷をつける前に避けられるか爪で受け止められる。また狼の爪も抜群の鋭利を誇るため攻撃が可能、対して一真はナイフで守ることしかできない。攻防の役割を担うナイフと爪、耐久力はナイフのほうが衰えている。
刃毀れを起こすという嫌な情報を得てしまい、狼の素早さも上がりついに受けきれなくなる。全指に備える爪が服を切り、肌を斬る。頬に切り傷をつけられ、一真は心なしか精神にまで傷を負った感覚になった。
「一旦下がれカズマ! 俺たちと交代しろ」
「カズマさん、このままだとやられちゃいますよ!?」
「大丈夫っすリーダー! ケンジ、今から良いもん見せてやるからよく観とけ!!」
廊下で大声を出すリーダーの睦月宗助と後輩の立花健司を無視して、一真はそのまま戦いを続ける。何の自信があったのか先ほどとは違って大きくて荒い『振り』、先読みした狼が一真の右手首を掴んだ。
「カズマさんっ!!」
「……待ってたぜ!」
途端に一真は狼から見て左に旋回、自分の右肘で狼の左肘に当て、そのまま力を加え一気に狼の腕を折る。
「ギャアッ!!」
肘寄せ、護身術の一つでありながらとても用意に習得できる技である。通常なら折れるほどの破壊力はない、しかし一真は独特の発想と特訓により一発逆転の技へと改良した。
「よっしゃ決まったぁ! ど~だ見たか俺の必殺技!!」
「すごい……」
「よそ見すんな、狼が外に逃げるぞ!!」
振り返った時にはすでに、怪我をしてない右手で窓を割ってベランダに足を踏み入れていた。
「まずい、逃げられる!!」
狼の視界には楽園しかない。二階とはいえ狼にとっては比較的低い位置と見なす、空には優しい月の光、この地獄さえ抜け出せれば……、しかしそれはある赤い光によって叶わなくなった。
バァン! ……ズドッ!!
「ギャアアァァ!!」
弾が左目に直撃した。その後二、三発音が聞こえてきたため狼は中に戻る。
正面、アパートと良い勝負をした高さを誇る一本の樹木。そこに登って待ち構えていた一人の隊員、スナイパーライフルを持ってこぼした標的を逃さず狙撃する、それが白滝一の仕事だ。
「ナイスフォローだハジメ! とぉりゃあ!!」
負傷した狼にすかさず攻撃する一真。左腕と左目を怪我した狼は右側だけで相手をしなければならない、とても不利な状態に陥った。
「カズマやハジメが狼を弱体化してくれた、お前も加勢しろケンジ」
「はい! この勝利を、必ずものにしてみせます!」
リーダーが健司にGOサインをかける。新人である健司の育成のため狼をまずは弱らせたかった、その計画が見事に叶い、健司も張り切っている。
「ケンジ、左に回れ! 死角を狙うんだ!」
「はい! うおぉぉぉ……、おっ!?」
狼を攻撃しようとしたその時、死体から流れ出た血だまりに足を踏み入れた健司はそのまま滑ってリビングの床に一本の赤い線を描いてしまった。
「あのバカ、律儀に靴を脱ぐから……」
「うわあぁぁ!!」
仰向けで倒れた隙だらけの健司を襲う狼、しかし一つの銃声と弾によって阻害された。
「こっちだ!!」
威嚇をしたのは睦月、そこに視点を変えた狼を見て健司は足払いをする。
「うぉりゃっ!」
しかし跳躍して避けた、今度は睦月を狙う。外から狙うレーザーの光を避け、手強い一真は健司と一緒、狙いやすい位置にいる睦月を襲うのは当然の行動だった。
「かかった!」
弧を描くように跳躍して天井スレスレに近づいた狼に突如電撃が走った。
「ギギギッッ……!?」
電気はつけていない、そもそも跳躍の頂上に電球はない。電撃の正体は一本の針金、いつの間にか天井に罠を張っていたのだ。
そのまま倒れた狼は少し焦げ、指先がピクピクとしか動いていなかった。
「おい大丈夫かケンジ?」
「はい、すみません俺のせいで……」
「死んでもおかしくなかったぞ、リーダーに感謝しないとな」
駆け付けた睦月と一真で健司を起き上がらせる。死ぬかと思った健司は少しだけ腰が抜けていた。
その時うなり声をあげ立ち上がった狼、そのまま油断した三人に襲い掛かる。が、
バンッ!!
弾が廊下の奥から放たれ、そのまま狼の頭を潰す。狼は血を流し、今度こそ倒された。
「駆除、完了」
ボルトアクションと同時に空薬莢が床にカランと落ちる。
「ハジメさん、樹の上にいたんじゃ……? 今もレーザーの光が」
「あぁ、置いてきた。設置するだけで『いる』と錯覚させられるだろ?」
「すごい……」
「まじかよトドメのボーナスはハジメのもんになったじゃねえか! 俺今月厳しいのに……、まあ全然トドメ刺せるチャンスなかったから仕方ないか」
「カズマ、ずっとあそこから見てたけどお前腕が鈍ったんじゃないのか?」
「んだとこのっ……!」
「そこまでにしとけ、それよりも遺体の検査、始めるぞ」
「「「は~い」」」
睦月の鶴の一声で喧嘩をやめた二人。全員で男と家の中を捜索する。
「ハジメ、被害者の名前と経歴、あとそうだな……、血縁者も教えろ」
「はい。名前は只野真28歳、静岡から上京、一流大学卒で大手会社の部長まであと一歩ってとこで襲われたのか。若いのにこのスピード出世、どーせ色々不正したんだろうなぁ」
「出たよハジメのひねくれタイム」
「黙れカスマ」
「あ!? 誰がカスマじゃカズマだ俺は!」
「まあまあカズマさん落ち着いて……!」
健司が止めに入り、話を戻させる。
「えーと家族は静岡にいて……、ごく普通の家庭ですね。両親日本人ですし離婚もないし兄弟も勘当とかされてないみたいだし」
「この男は家庭を持っているのか?」
「えーとなかったはずですよ。それどころか確か……、プッ!! この歳にもなって彼女作ったことないのかよ! ドーテイじゃん」
「食器や歯ブラシとか見たが全部一人用だ。誰かと同居ってこともない、仕事が恋人って感じのマジメ人間かあるいは……」
睦月が被害者の飾り気のない耳を凝視する。
「ちょっとリーダー……、死体をいじくり回さないでくださいよ趣味悪いなぁ」
「にわかに信じがたいが、どうやら仮設は正しかったようだぞ?」
「仮説って……、まさか!」
「あぁ。人狼が襲う人間の『共通点』、それは……」
バキッ! ガルルルルル……!!
扉が壊れる音と新たな人狼の襲来により、それ以降の会話は遮られてしまった。
これが二年前に起こったアパート内殺人事件。遺体は四体、内一体は人間でないということと現場である部屋の住人は行方不明ということが発表された。しかしその事件に、人狼の記事は一切書かれていなかった。