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漆黒の護衛騎士は今日も我が道を行く  作者: せつ
第二部 護衛騎士は公爵令嬢の好敵手
5/6

公爵令嬢は元気に迷走中

 去っていく後ろ姿も凛々しく美しい。ほうっと甘い溜め息を付きながら見守っていれば、同じようにルナエリーゼも見つめていた。ああ、いけない。姉妹揃って同じ人を好きになるなんて。恍惚とした気分はすぐに消え、ひやりとした冷たいものが心に残る。不安と怖れ。愛しい妹に抱えたくもない感情に、どうしていいのかわからない。


(そういえば、殿下はどうしてここにいらしたのかしら?)


 学園生活がある彼は、休日はほとんど執務に追われていると聞いたことがある。その為、視察を減らしているとも。それなのにギルバードも連れてお忍びで街にやってくるなんてそれほど外せない用事でもあったのだろうか。そんなことを考えていれば、その場に駆け込んできた女性がいた。短い赤茶の髪を振り回して何かを探しているようだ。


「あー、やっぱりもういないか。もう、レオンったら何処に行ったのかしら? 毎回来る日の指定もないからいつ会えるかわからないのに!」


「あ、あの、レオン様をご存じなのですか?」


 思いがけない名前を聞いて堪らず口を開いてしまった。彼女は驚いたようにカトリーヌを見やる。頭から足まで一瞬視線を流して、そのままの表情で口を開いた。


「ええ、まあ。何、レオンって貴方みたいなお嬢様を垂らし込んでるの? 流石ね。ものすごい綺麗な顔立ちしていると思ったけど」


「た、たらし……ッ、そんなんじゃありません!」


「じゃあ、何? 友人?」


 男女の仲で友人と言ってもいいのだろうか。悩むけれど、レオンハールはここでは平民と偽って動いているはずだ。それならば、余計なことを口にすべきではないだろう。


「はい。レオン様とはよく顔を合わせる仲です」


「本当? それならよかったわ! 実はあの人さっき来た時に忘れ物してきてね。いつ返せるかと思って困っていたのよ。あ、でも念のため確認するけど、いつもレオンの傍にいる男がいるんだけど、そいつの名前知ってる?」


 レオンという名前だけではお互いに同じ人物を口にしているとは限らない。もしこれで違う人物をさも同一人物のように語らい、忘れ物を預けてしまえば彼女の失態になるだろう。その為に、事実確認を行いたいのだろう。

 彼女の判断に感心しながら、カトリーヌは微笑んだ。


「ええ、ギル様ですね。あの方とももちろんよくお会いしますわ」


「そっか。じゃあ、貴方みたいなお嬢様にお願いするのは悪いんだけど、頼まれてくれるかしら?」


「ええ、もちろん。大切な物かもしれませんし、なるべく早くお返ししないとですね。あ、念のため、貴方のお名前をお伺いしても?」


 返す際に誰からと伝言しなければ今度は自分が怪しまれてしまう。そう思って問いかければ、彼女は気さくに笑って手に持っていた物をカトリーヌに渡しながら名前はマリーと答えた。渡されたものはロケットペンダントだった。純銀で作られているのだろう。磨かれたそれは白く輝き、そして小さいわりにずっしりと重い。手のひらにちょこんと乗るような小ささにも関わらず、精巧に模様が掘られていて、見ているだけで目が奪われてしまう。


「あの、で……レオン様は何をしに?」


「ん? あー、あの人結構前からよく来るのよ、教会に。最初は興味本位で来てるようだったんだけど、最近はシリーに会うために来てるわね」


「シリーさん?」


「そうそう、すっごい熱心に口説いてるの。そろそろ時間がないからって最近は必死ね。シリーも最初は胡散臭い表情で見てたんだけど、あまりのしつこさに絆され始めてるから、きっと最後はレオンの粘り勝ちになるわね」


 衝撃を受けた。レオンハールが平民の女性を熱心に口説いている。しかも、結構前から。浮ついた噂など何一つなく、カトリーヌでさえ真摯に、けれども婚約者としては距離を保った対応をしてきたあのレオンハールが、まさか平民の女性に熱を上げているなんて思いもしなかった。しかも、ギルバードを供に連れて。

 カトリーヌはレオンハールがルナエリーゼと顔を合わせるのが怖いとは考えていたが、それを含めても一番の好敵手はいつだって護衛騎士であるギルバードだと思っていた。誰よりもレオンハールのことを理解し、頼りにされている。更には、レオンハールが間違った道を行こうものなら躊躇いもなく諫めることができる人格者でもある。いつだって堅実に、誠実に、義理堅い。それを認めているからこそ、敵わないと思ってしまう人物だ。だから、カトリーヌも好敵手だと思うと同時に誰よりもレオンハールの側近として相応しい人物だと認めていたのだ。

 それなのに、だ。レオンハールと共に、カトリーヌに不誠実なことをしていたとは思いもしなかった。衝撃で脳が揺れるように痛んだ。


「どうしたの?」


「い、いえ……、それでは、こちらは、お渡ししておきますね」


 ここで動揺して彼女に不安をぶつけるのはお門違いだ。貴族としてどうにか表情を取り繕い、未だに茫然としていたルナエリーゼの手を引いてその場を離れた。もう、何をしたかったのか忘れてがむしゃらに歩いた。




 無事に邸に帰宅したカトリーヌは思わず深く息をついた。あれからどうにかオルゴールを扱っている雑貨屋とランチ、そしてお菓子屋に立ち寄って陽が沈む前に馬車に乗り込んだ。男に襲われて精神的にも疲労しているはずだが、その後巡ったお店でどうにか気分を持ち直したルナエリーゼは買ったお土産を早速使用人に渡している。どうにか楽しんでもらえたようでホッとした。

 むしろ、あの時のことを引きずっているのはカトリーヌの方だろう。ズキズキと未だに胸は痛んでいる。シリーとはどんな女性なのだろうか。教会と言っていたからもしかしたらシスターだろうか。それとも信仰心の厚い、女神のような美しい女性だろうか。考えたところで答えは出ないが、それでもふとした瞬間に思考を巡らせてしまう。


「お姉様、今日はすみませんでした」


 気付けばすぐ傍に近寄っていたルナエリーゼが神妙な面持ちで謝罪してきた。どうやらあの時のことを気に病んでいると思われたらしい。


「ルナは何も悪くないわ。それに、そのことを考えていたわけじゃないのよ」


「本当に?」


「ええ。今日は大変なことが起きてしまったけど、楽しめた?」


 それはもちろんと明るい声で彼女は頷く。初めての街デビューが怖いだけで終わってほしくはなかったので本人からそう言われてよかったと微笑んだ。すると、ルナエリーゼは何かを思い出したのか、唐突に頬を染めて小さな声で囁いた。


「あの、お姉様。今日の方に改めてお礼をしたいのですが、お会いする機会はありますでしょうか? 結局きちんとした挨拶もできませんでしたし」


 恋する乙女のように恥ずかしそうに訴える彼女に、カトリーヌは胸が痛んだ。嫌だなんて口にできるはずもなく、どうにか笑みを作る。


「大丈夫よ。近々殿下は貴方のお見舞いも兼ねて我が家に来てくれるとおっしゃってくれましたから。ギルバード様は常に共におられますし、改めてお二人に挨拶できますよ」


「本当ですか! 楽しみにしておりますわ」


「さあ、ルナ。たとえ今まだ元気に思えても、思った以上に疲れていると思いますわ。早々にベッドに入ってしまいなさい。きっと明日の朝は体が重くしんどいでしょうし」


 促せば察しのいい侍女がルナエリーゼの世話をする為に部屋に案内を始める。本来なら二人で夕飯を食べ、それぞれ寝支度を整えるのだが、きっとそれは難しいだろう。ルナエリーゼの分だけ軽食を用意するようにと伝える。彼女が入浴を済ませたあと、部屋で摂れるようにするためだ。きっと、その頃には疲労がどっと押し寄せてソファーに座るのも大変だろう。侍女達が上手くやってくれると信じて、カトリーヌも自室へと向かった。

 部屋着へと着替えを済ませ、食事ができるまでの間一人部屋に残る。今日渡されたロケットペンダントをじっと見つめて恐る恐る手に取った。本当はいけないと思いつつも、一目だけとその蓋を開ける。中には優しそうな女性の絵が描かれていた。

 カトリーヌはその人を見たことはない。だけど、わかってしまった。それが、レオンハールの母……レンテーナ王妃殿下だと。


「……こんなに大切な物を、殿下はシリーさんという方に預けたの?」


 何故、忘れて行ってしまったかはわからない。けれど、その場に置いていったということは、この絵を誰かに見せるために出したということだ。となれば、思いつくのはシリーという殿下が口説いている女性しかいない。あまりのショックにカトリーヌはその場に崩れ落ちた。

 レオンハールがその女性をどれほど愛しているのか。目にしてはいないけれど、少なくとも自分よりは好きなのだろう。

 だって、カトリーヌは一度だってレオンハールから母親のことを聞いたことがなかった。この絵も、見せてもらったことはないのだ。穏やかに、けれども決して親しいとは言えない距離を保ってきていた。それだけでしかない自分は、きっとレオンハールにとって取るに足らない存在だったに違いない。

 だから、あの誠実なレオンハールも婚約者がいるというのに、他の女性に目が向いてしまったのだろう。


 きっと、近い将来自分は婚約を解消されるのだ。


 その瞬間を想像して、カトリーヌは暫くその場所から動くことはできず、ただただ静かに涙を流し続けた。



◇◆



「カトリーヌ嬢、顔色が優れないが」


「あ、いえ……お恥ずかしいことに昨日の晩、本を夜更けまで読んでしまい寝不足なのです」


 休日を終え、授業のある生活に戻ったカトリーヌは、未だにレオンハールに対してぎこちない対応をしていた。真実を聞くことが怖く、三日も彼と顔を合わせているのに、未だにロケットペンダントを返せてもいない。


「自制もできないほど面白い本に出会えたのならいいことだ。今度その本を紹介してくれないか?」


「え?」


「君が面白いと思うものが何なのか知っておきたいんだ」


 少し照れているのか、恥ずかしそうに視線を外しながらも紡がれた言葉に胸が高鳴る。けれど同時に絶望を味わってしまう。こんなにも自分を思っているような態度を取るのに、彼には自分よりも優先したい女性がいるのだ。他の人に心を奪われてしまっているのだ。どう足掻いたところで、可愛げのない自分に振り向いてもらう術はないだろう。


「あの、殿下」


「そうだ、君に誤解されたくないから先に知っておいて欲しいんだが、来年からリンドー国の王女がこの学園に入学するそうだ」


 唐突な話題にカトリーヌは気まずさも忘れてまっすぐにレオンハールを見つめた。

 リンドー国は小さな国を挟んだ場所にある近隣国で、きちんと友好国として同盟を組んだわけではなく、いくつかの商品を流す貿易的な関わりしかない国だ。そんな国からわざわざこの学園に王女を入学させる意図がわからない。

 確か、あの国では王子が一人、王女が二人いた。下の王女が丁度ルナエリーゼと同い年だったので、おそらくその方がここにやって来るのだろう。


「それは、えっと、リリアント・ミリー・リンドー王女殿下のことでしょうか?」


「ああ、そうだ。流石よく覚えているな。彼女が自国ではなく他国の学園に入学するのは、建前的には国際的な交流と言われているんだが、父上が言うにはどうにも違うらしくてな」


「というと……」


「直接言われたわけじゃないから、断言はできないのだが……その、」


 歯切れの悪いレオンハールに目を瞬かせる。確証がなくともいつだって堂々と言葉にするレオンハールにしては珍しい姿だ。一体何を悩んでいるのかと首を傾げれば、いつものように後ろに控えていたギルバードが簡単に、けれども衝撃的な言葉を口にした。


「リリアント王女殿下とレオンハール王太子殿下の婚姻の打診をするためのきっかけ作り、と陛下はお考えのようです」


「え!」


「おい、ギル!」


「往生際が悪いです。話すと決めたならさっさと話さないと逆に後ろめたいことがあるのかと疑われますよ」


「ぐっ。つまり、そう考えられる、そうだ。けど、先方からそのようなことを言われたわけではないし、考え過ぎの可能性も十分ある。もちろん、そんなことこちらから伺うようなこともしないし、もし打診を受けたとしても、もう君との婚約を結んでいるんだ。受けることもない。だから、その、心配しないでほしいと伝えたくて」


 しどろもどろというように言葉を連ねる彼に、ようやく合点がいった。そのような可能性があると考えているということは、他の者も当然その可能性を見出すだろう。となれば、勝手に噂が流れ、カトリーヌ本人が耳にすることもあるだろう。その時、レオンハールがその気だったらと、カトリーヌが心配してしまうんじゃないかと懸念してくれたのだろう。

 その心遣いに素直に胸を温かくして、微笑んだ。しかし、すぐにあることを思い出す。


(そういえば、シリーさんを口説くのに、もう時間がないと言っていたわ)


 一体何を焦っているのだろうか。もしかして、王女殿下が入学することに関係しているのではないだろうか。

 本当に婚約の打診が来た際に、政略結婚を口にするのではなく、秘密裏に愛した存在がいると、シリーという女性を紹介するのではないか。いや、レオンハールはそんな愚かなことはしないだろう。ならば、紹介するのは王女殿下にではなく、自分だったら?


(政略結婚として私と結婚はするけれど、殿下自身が愛を注ぐのはその方だと、私に言うのでは?)


 グラグラと嫌な思考に支配されて目の前が暗くなった。怖くて怖くて仕方がない。こんなに悩むくらいなら直接聞けばいいのに。そう思うし、普段の自分だったら躊躇いなく聞いているはず。

 けれど、駄目なのだ。レオンハールを相手にした時にだけ、どうしようもない不安に駆られて口にはできなかった。


「カトリーヌ嬢? 大丈夫か?」


「あ、はい、大丈夫です、殿下」


 気付けば心配そうに自分の顔を覗き込むレオンハールの姿があった。ハッとして顔を上げたけれど、すぐに彼は複雑そうに眉を寄せる。


「殿下ではなく、できれば普段もレオンと呼んではくれないか?」


「え?」


「あの日、街では呼んでくれただろう? 嫌ではないと思ったのだが」


 嫌なはずがない。恐れ多いと思うと同時に、彼に少しでも近付けたのだと嬉しくなった。けれども、何でこのタイミングでそんなことを言うのだろう。

 婚約者なのだから、それくらいのことは許されるだろう。けれど、婚約者だからこそそう言ってくるのではないか? もし、自分が未だ婚約もしていないただの公爵令嬢だったら、レオンハールはきっとこんな風に構うこともなく、シリーという女性に愛を囁きに行くのではないだろうか。


(足枷だわ、私は)


 王族としての義務。身分差の壁。愛があったところで、レオンハールが抱く恋情は報われることはないだろう。けれども、婚約者がいなければ、それが決まるまでは自由な恋愛をしても許されたはず。

 きっと、自分と婚約してからそのシリーという女性と知り合ったのだろう。だから、義務感だけで自分を気にかけているに違いない。

 彼は優しいから。誠実だから。きっと、そうなのだ。


「……! カトリーヌ嬢! ど、え? 何で!」


 途端、狼狽え始めるレオンハールにカトリーヌは首を傾げた。何も答えないことで焦れたのだろうか。そう思っていれば、恐る恐ると彼から手を伸ばされて頬に触れられる。そこでようやく自分が涙を流していることに気付いた。


「あ、申し訳、ありませ……っ!」


 もう限界だった。これ以上彼と顔を合わせてはいられない。その思いからカトリーヌは教室から飛び出した。後ろで慌てた声が聞こえたけれど、そんなの気にしてはいられなかった。がむしゃらに走って走って走って。貴族令嬢が走るなんて許されないことは知っているのに、そんなことも忘れてただひたすらに廊下を走る。

 そうしてたどり着いた場所は普段なら少数でお茶会をする為のサロンだった。タイミングよく使用する人がいなかったようで、誰も見張りがいないことをいいことに飛び込んだ。フカフカなソファーの座面に顔を押し付けるように蹲って、息を殺して涙を流した。

 どれほどそうしていただろうか。未だに涙は止まらない。きっと化粧はボロボロだろう。こんな顔、レオンハールだけでなく誰にも見せることはできない。公爵令嬢としたら恥とも言われかねないだろう。どうにか感情を落ち着けようとするものの、どうしてもいろんな感情が渦巻いて治まりそうになかった。


「カトリーヌ嬢」


 低く、響きある声で名を呼ばれてビクリと肩を震わせた。この声の主はよく知っている。何度も耳にした人の声だ。自分が愛する人の傍に常にいるのだから。


「殿下が心配してましたよ」


「申し訳ありません。気分が悪いのです、今日はもう……」


「でしたら部屋へと戻りましょう。動けないようでしたら殿下にお願いして」


「駄目! 呼ばないで!」


 ギルバードの提案に首を振る。確かにこのサロンにずっと身を寄せるわけにはいかない。ギルバードがここに一人でいるということは、レオンハールとは別行動して自分を探してくれているのだろう。結局、時間が経てば見つかってしまう。その前に部屋には戻りたいが、こんな顔でまだ人が多く残っている校舎内を歩く勇気はない。

 けれど、彼を呼ばれてしまうのも困る。今は会いたくない。


「でしたら、私が貴方様を運ぶことになりますが」


「え?」


「殿下の婚約者である貴方に不用意に触れることは本来叶いません。ですが体調を悪くした貴方自身が許してくれるなら、一時のみ許されましょう。殿下をここに呼ぶか、私に運ばれるか、どちらがいいですか?」


 どちらも嫌だとは言えなかった。自分で動けない以上、誰かに運ばれるのは必須だ。他の男性を呼ぶのはもっといけない。殿下が信頼するギルバードだからこそ、疚しいことはないのだろうと周囲も理解してくれるはず。だからこその提案なのはカトリーヌもわかった。けれども、どっちも選べずに言葉を出せずにいた。


「……やはり殿下を呼びましょう」


「あ、待って……!」


 チャリン、と何かが音を立てて落ちた。ポケットにずっと入れっぱなしになっていたロケットペンダントだ。銀色に光るそれを目にしたギルバードは、僅かに驚いたように目を見開く。思いがけない展開に身動き取れずにいれば、ゆっくりと近付いてきた彼がその場に膝をついてペンダントを拾った。


「これは……どうして貴方が?」


「ま、マリーという方が、あの日、忘れ物だと言って私に預けてきました」


 ほとんど距離のない場所で視線を合わせたギルバードの迫力に負け、震える声で白状する。預かっておきながらどうして今まで渡さなかったのだと、問い詰める言葉はなく、ギルバードはただ淡々とそうですかとだけ囁いた。


「そこで何か聞いたのですか?」


「…………殿下が、ある女性を口説いてると」


「は?」


 か細い声で口にすれば、今まで見たこともないほど間抜けな表情で彼は見返してきた。唖然というべきなのだろうか。そんな顔にカトリーヌは言い知れぬ羞恥心に襲われる。


「何よ、その顔! 馬鹿にしてるわね!」


「あ、いえ、」


「もしかして私が何とも思わないとでも思っていたの? だから口止めもしなかったのかしら? ショックに決まっているじゃない! 殿下が、私に隠れて他の女性に懸想しているなんて思いもよらなかったし、貴方も一緒にいながらそれを止めることがないなんて思わなかったわ! 私はね! ずっとずっと、私が乗り越えなければならない最大の敵は貴方だと思っていたのよ! それなのに! 今さらどうしてルナでも貴方でもなく、見知らぬ女に殿下を取られないといけないのよ!」


 まだルナエリーゼに会う前にギルバードさえ超えることができれば、きっとレオンハールは自分に愛を向けてくれる。ずっとそう思っていた。気恥ずかしさでいつだって自分を半分もアピールできず、無難な言葉を口にして、女性らしさだけを晒して、結局のところ失敗続きだ。そんな自分に嫌気がさして、諦めかけていたのだ。ギルバードを追い越すのは。

 そんな時にルナエリーゼがレオンハールに恋をしてしまい、しかもレオンハールは他の女性に夢中ときた。もう頭はパンク状態だ。

 どうしてこうなってしまったのか。レオンハールの気持ちを射止めきれなかった自分のせいなのだろうか。考えてもわからず、考えたくもなく、頭はぐちゃぐちゃだ。顔を真っ赤にしてギルバードを睨みつければ、彼は暫く硬直した後、唐突に肩を震わせて顔を伏せた。


「……ギルバード様?」


「ふ、はは、し、失礼。あまりにも、可愛らしい嫉妬で」


「なっ!」


 何故彼にそんなことを言われなければならないのか。可愛いと思ってほしいのはレオンハールだ。ギルバードに言われたところで嫌味にしか聞こえない。


(しかも、彼が女性に対してそんな言葉言ってるところなんて噂でも直接でも聞いたことがないから余計に腹が立つわ!)


 彼は基本的に嘘をつかないし、貴族らしい回りくどい言い回しも駆け引きもしない。だからこそ困る。この言葉は〝本当にそう思って〟言っているのだと、カトリーヌでさえわかってしまうから。どう反応していいのかわからず、けれども怒りだけは沸々と湧いて出て、じとりと彼を睨みつけた。



 

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