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漆黒の護衛騎士は今日も我が道を行く  作者: せつ
第一部 寡黙な騎士は王太子殿下の大親友
2/6

王子殿下は初めての友人を得る

 それから一か月。時間はあっという間に過ぎた。レオンハールの表情は、その成果をもって苦々しいものに変わっている。結果を言うなら、レオンハールの惨敗と言えるだろうか。それは、勉学も稽古も後れを取っているわけではない。むしろその逆だ。つまり、勉強対策について、ギルバードの意見が正しいという成果が出てしまった。そういう意味での敗北だった。


「……どうした?」


 しかし、ギルバードはそのことについて何も言わない。あの日から一か月経ったことは気付いているはず。けれど、今の授業の組み方や自主勉額のやり方について、改めて聞いてこようとはしない。自分の行ったことが正しかっただろうと主張する気はないようだった。

 だから、もうレオンハールは認めるしかなかった。

 彼は、確かに自分を思って考え、発言し、そして付き合ってくれているのだと。

 あれから行っている方法は、レオンハールにとってとてもやりやすいものだった。授業や特訓はこれまで通りに受け、その後はギルバードと二人で一時間ずつ勉学と特訓を行って解散する。途中、何度か細かい休憩を徐々に増やされてはいるが、身につくものが著しく減ることはなかった。むしろ、一個のことに集中できるようになり、体も頭も軽い。休憩時間を増やすことでこんなにも効率的になるなんて思いもしなかった。

 そう、だから認める。何がどうあれ、結果は出た。そしてその結果に自分は満足したのだから、これ以上駄々を捏ねてギルバードに冷たい態度を取っても意味がない。


「殿下?」


 今は休憩中で、護衛と最低限の侍女以外は人がいない。実際、側近のような扱いをしているギルバードは、レオンハールが認めていなくても名目上は友人扱いだ。だから、休憩中は同じテーブルに着くことを許されている。それでも、その言葉遣いが崩れたことはほとんどなかった。


(いや、でも一度だけ、自分のことをオレと言っていたな……)


 あれは、確か寝込んで、運ばれた時のことだ。しかし、すぐにその一人称すらも戻っていたが。


「レオン」


「は……?」


「いつまでも殿下なんて堅苦しく言われると休憩している気も滅入る。レオンでいい。お前のことは、ギルと呼ぶ」


 ざわり、と周囲が珍しく表情を崩し、驚きを露わにした。それもそのはず。レオンハールが今まで同世代の子供に愛称は愚か、名前呼びすらも許したことは一度もない。いや、同世代だけの話じゃない。大人相手にも許すのは稀だ。

 王子としての立場を揺るがすことがないよう、自身の義務を誰よりも理解している彼は、それ故に自尊心が高かった。自分をも甘やかすことはできない彼が、今まで貴族の子供と関わる機会もほとんどなかったのだが、国王である父の紹介で何人かの子供とは顔を合わせている。しかし、その子供達とは挨拶程度のことしか言葉を交わさなかったし、それ以上の交流を拒んでもいた。

 そんな彼が初めて名前呼びを飛び越え愛称を許した相手が現れたのだ。誰であっても驚くだろう。

 ギルバードも予想していなかったのだろう。ポカンと間抜けに口を開けてレオンハールを見つめていたが、やがて少し目つきの悪いその深碧を細め、頬を緩めた。同時に、また周囲がざわつく。


「ありがとうございます、レオン」


「……っ!」


 今まで、驚く顔を見せたことはあっても、こんなにも朗らかに微笑む姿は見たことがなかった。笑うこともできたのか、と当たり前なことだが思ってしまい、そしてその笑顔がじわりと胸に熱を与える。

 何もかもくすぐったかった。ギルバードを友人と認めれば、こんなにも簡単に、そして単純に楽しいと、嬉しいという気持ちが味わえるのかと。

 こんな気持ちになれるのなら、もっと早く認めればよかったとレオンハールは思うのだった。



◇◆◇◆



 ギルバードと知り合い、共に過ごすようになって既に一年が経った。お互いに九歳になったが、日常に変化はあまりない。


「お久しぶりです、殿下」


「……ああ、モルトン侯爵の」


「はい。ドミニクです。今日は王城を見せて頂けると聞いて参りました。殿下とは会うのは一年ぶり、ですね。変わらず聡明であられると聞き及んでおります」


「王子として当然のことだからな、大したことではない。そなたもモルトン侯爵の令息として幅広い知識を詰め込んでいるとか」


「ええ、将来殿下の力になりたいと思っておりますので。となれば、殿下に敵わないのは仕方ないにしても、せめて後ろに並べる存在でなければ支えることが叶いませんでしょう? 父の意志も継いでこの国をよりよくしたいと思っていますので、これからも精進していきます」


「そうか。頼もしいな。では、私も将来この国の王として、皆にがっかりされぬよう気張らねばな」


 にこりと形良い笑みを浮かべてレオンハールはドミニクに別れの挨拶をしてその場を離れる。その間も後ろに控えていたギルバードは紹介することもなく。ドミニクは何度かギルバードに視線を向けており、もちろんレオンハールは気付いていたけれども。

 まだ社交界デビューを果たしていない彼らは、親の紹介がないとほとんど顔を合わせることはない。モルトン侯爵は現国王に仕える宰相で、ドミニクはその第一子になる。同世代の貴族の中で群を抜いて秀でた頭脳を持ち、時にして大人の口を負かせるほどの話術を持つという噂だ。

 レオンハールとはもちろんモルトン侯爵の紹介で一度顔は合わせている。はっきりと口にされたことはないが、将来レオンハールが王位を継いだ時には、ドミニクがレオンハールを支える宰相になるだろうと仄めかされたことだけは覚えていた。その言葉に全身に鳥肌が立つほどの拒否反応が出たせいで。

 そう、レオンハールはこのドミニクのことが好きではなかった。


「よくもまあ、あれだけ堂々と僕の側近確定とばかりに発言できるものだな」


「……やはりレオンは彼が嫌いなのか?」


「ああ。出会った時からあんな顔を常にしているんだ。いくら優秀でも、僕は腹の底が知れない男を信用はしない。もちろん、宰相となる男が腹の内を読まれてはやっていけないのだろうが、僕自身にまでうすら寒い笑みを浮かべる男を傍に置くつもりはない。大体、宰相は血で継ぐものではない。優秀で、僕が信頼できる人物じゃないと意味がないというのに。どうしてあんなに自信満々なんだ」


「レオンが即位する前に、次期宰相のポストを確実に掴もうと思っているのかもな。陛下がどういうお考えなのかはわからないが、レオンの即位前なら、モルトン侯爵に掛け合って陛下の口添えをもらいさえすれば、その地位は確実だと思っているんじゃないか?」


「冗談じゃない! 僕を支える人物くらい、僕が決める! いくら父上でも勝手なことをしないでほしい。……はあ、しかし、実際そんな風に父上に意見できるとは思えないな」


 ギルバードの言葉にそんな未来を考えてゾッとしたが、現実に起こらないとは言い切れない。実際、ドミニクの実力は確かで、社交界デビューもまだなのに、貴族会で彼のことを知らない者などいないほどだ。将来有望な彼の元には多数の婚約話が舞い込んでいるとか。

 となれば、陛下も将来の宰相として一番の候補はドミニクだと考えていることだろう。地位も実力も確かに納得はいく。レオンハールもそれだけを聞けば頷けるのだが、信頼関係が築けない者に大事な職を与えたくはない。宰相はいわば右腕だ。最終判断は国王がすることが多いが、基本的には宰相の采配で政策が決まる事も多い。


「せめて、あいつに対抗できるような存在がいればまだ交渉しようがあるのだが」


「どういう奴を望んでいるんだ?」


「実力は同等以上で、僕が信用できる相手だ」


「地位は?」


「別に、何でもいい。侯爵だからとか、男爵だからとかそういうことで判断するつもりはない。貴族が重要なポストを担いやすいのは、単純にそれだけ知識を得る環境が整っているからだ。そうでなければ将来領民を守ることなどできないのだから、貴族として学を得ることは義務であり当然だ。けれど、王城で仕える者は、貴族に限ってではいない。特にお前ならわかるだろう? 騎士は実力さえあれば庶民でも受け入れているし、功績があれば騎士爵や男爵位を与えているのだから。必要なのは熱意と実績。そこからもっと上にのし上がろうと思うなら、更にトップに立つ王族への敬意と忠誠心が必要になる。だから、あいつが宰相になっては困るんだ」


 レオンハールの言葉にギルバードは僅かに目元を緩める。明言は避けていたが、会話の流れからレオンハールが選民思考ではないことが伺えて嬉しいのだろう。レオンハールへの態度からもそうだが、ギルバードは地位で物事を考えていない。レオンハールと同じく、実力主義だ。


「しかし、あいつほどの名声は聞かないんだ。元より僕と顔を合わせる子供が少ないのもあるが。それなりの噂を聞けば、僕としても一度会ってみたいとは思うのだが、それすらないとなるとなかなかに難しい問題だ」


「そうだな……。宰相のポストもそうだが、それ以外でもレオンの周りを固める人間をレオン自身が見定めるために、もう少し顔合わせの場は必要じゃないか?」


「そうだな、そろそろそういうのも視野に入れないとな」


 しかし、女性とは違い、男性側は茶会等の場を開くことは少ない。全くないとは言わないが、開いても女性ほど会話を広げることはない。仕事として父親についていき、子供同士の縁を繋ぐことの方が多い。レオンハールも子供との縁を繋ぐなら王城で働く者の子供が多いだろう。

 それ以外ならば社交界デビュー後の夜会やダンスパーティーになる。どちらにしても、庶民の優秀な子供の存在は知る機会にならないだろう。


「庶民の子供も視野に入れるなら、学び舎を作るのはどうだ?」


「学び舎?」


「ああ。確かまだ歴史の浅い近くの国、リンドー国は実力主義で、貴族庶民関係なく実力さえあれば国の重要ポストに就けるような体制を取っていると聞いた。その国ではどんな地位の人間でも通うことができる学び舎というものを作り、そこで多くの子供が学を得ているらしい。同じような体制を今からでも作って、レオンも通える学び舎を作れば、庶民でも優秀な人材を見つけることができるし、貴族の中でも信用できる人を見つけられるんじゃないか?」


 思いがけない提案にレオンハールは驚きで立ち止まる。リンドー国の存在はもちろん知っている。隣国ではないが、小さな国を一つ挟んだ場所に位置している。海にも山にも面した国で、小さいながらもその地形を活かし、名産物をどんどん増やし貿易業に力を入れていると聞いた。この国にも貿易相手としての打算はもちろん来ていて、いくつか受け入れてはいる。しかし、そのような体制を取っていることをレオンハールは知らなかった。それなのに、普段そういう知識に疎いギルバードが知っている上に、提案してくるとは思わなかった。


「なるほど、興味深いな。庶民を受け入れるにしても、そう言う場所ではお金がかかるのでは?」


「貴族はどちらにしても家庭教師を家に呼んで個々で学を得ているからその分のお金を学び舎に入れればいいけど、庶民は難しいのは確かだ。貴族と庶民の立場による問題は一気に解決しようとしても難しいと思うから、徐々に詰めていくとして。庶民を受け入れる方法として案をあげるなら、奨学生として受け入れるのはどうだ? 一定条件を満たした優秀な庶民の学び舎での諸経費を特別に国が負担するんだ。生活を気にせずとも勉学に励める環境を整えなければ、庶民から優秀な人材を得るのは難しいだろう」


「ふむ。なるほどな。よし、少し案を詰めよう。提案したんだからお前も付き合えよ」


「そうだな、しばらく夕刻の自主勉学の時間はそれに充てよう。来週には陛下に提案できるように」


 この案をきちんと整えるために思案してくれているのだろう。ギルバードは少し目を細めて視線を下げている。その様子にレオンハールは頬を緩めた。

 正直な意見を言えば、宰相という重要なポストにギルバードがなってくれればと、レオンハールは思っていた。けれど、それと同時に騎士ではないギルバードは少し違うとも思う。八歳から常に傍にいるギルバードは、ただ勉学と訓練を共に受けているだけだ。その他は従者のように傍に控えていて、何をするわけでもないので護衛とも侍従とも言い難い存在だ。それでも、彼が第三騎士団長の息子ということもあり、騎士という役職が似合う気がした。実際彼自身も剣術を受ける時はより一層気合いを入れているように思う。だからこそ、彼は将来騎士としてこの国に仕えるのだろうとレオンハールは思っている。はっきりと本人の口から聞いたことはないが。

 だから、宰相として誰がいいかと聞かれた時、ギルバードの名前が頭に浮かんでも口にはしなかった。もし言葉にして聞いてしまったことで、断れるのも、断ることができずに頷かれるのも、どちらも嫌だったからだ。


(ギルが騎士の座を諦めるとは思えないし)


 第三騎士団長の息子。その肩書は既に過去のものだ。ギルバードと出会う一か月前に、彼の父は亡くなっている。その時点で男爵の息子を名乗ることはできないのだが、陛下が第三騎士団長を気に入っていたことと、ギルバードの母が王妃と繋がりがあることも関係して、そのまま名乗ることを許されているのだ。もちろん、ギルバードが今後男爵位を得られるほどの功績を残せる期待があるからこそだが。


「そういえば、ローウェイ男爵夫人は今もメリエラ様と仲がいいのか?」


 思わず口にしてから後悔する。今まで、あの方の交友関係を気にしないようにしてきたのに、と。

 レオンハールの質問にギルバードは僅かに眉を寄せた。少し機嫌を損ねたような仕種に首を傾げる。


「そうだな、未だに気にかけて頂いているらしい」


「不本意なようだな?」


「……正直、どうして王妃様が母上を気に入ってくださっているのか、オレには理解できないからな」


 ギルバードの疑問に、レオンハールも答えることはできない。メリエラは、レオンハールの実の母ではないのだ。王妃とは言うが、レオンハールが産まれた時の王妃は別にいた。それこそが、レオンハールの実母のレンテーナだ。けれど、体があまり丈夫ではなかった彼女は、出産の影響で体調を崩し、そのまま亡くなってしまった。それまで愛妾も側妃もいなかったレイトウェルは、今後のことを考えて新しい王妃としてメリエラを受け入れたのだ。

 だから、メリエラが何を考えているのかなんてレオンハールにはわからない。ほとんど話をすることもなく、それどころか顔を合わせることもないのだから。


「どうした?」


「……いや、何でもない」


 母がいないことで寂しいだなんて、思ったことはなかった。けれど、それでもたまにそう言った温もりに憧れを抱いてしまう。愛情を求めてしまう。そんなことを思ってしまい、レオンハールは苦笑する。どちらにしても、それを求めるのはメリエラに対してではない。それに、今はギルバードがいる。母としての温もりは知ることはないが、一生裏切らない友としての絆ができた。

 それだけでも、レオンハールは充分だと止めていた足を動かし始めた。



◇◆◇◆◇



「自分に関係することは自分で決めるようにしているんです。もちろん、まだ成人前の子供ではあります故、何もかも自分で決めることは許されてませんので、まずは自分が関わる友人関係くらいは自分で決めると進言して以降、人間関係だけは好きにさせて頂いてます」


 ニコニコと人好きのいい笑みを意識して浮かべつつ、レオンハールは目の前の男にそう述べた。相変わらず貴族の子供とは交流のないままではあったが、十歳になってから少しずつだが侯爵位以上の人間とはこうして顔を合わせることが増えた。次世代を担う予定の王子とあり、王宮に訪れる者は皆同じような笑みを浮かべて話しかけてくる。そして、揃って自分の子供の紹介をしようと窺い立てるのだ。

 それに煩わしさを感じるものの、それ自体を否定するつもりはない。中では本当に気の合う子供がいるだろうし、信用できる者もいるだろう。けれども、会う前に親の態度でふるいにかける為、こうして牽制の言葉をかけているのだ。


「ふむ、それはいい判断ですね。人の上に立つ者、殿下を心から敬い従う臣下をご自分で見極めるのは大事なことです。その為には、もっとより多くの人と触れ合う機会が必要ですね。ああ、もしかしてあの学園というのは殿下を思っての?」


「ああ、実はその案は私が陛下に提案させて頂いたのです。まだまだ詰めの甘い申請書を提出してしまったが、学園の必要性を陛下は理解してくださり、この度計画を進める運びになった。ルミエーレ公爵には今後学園についていろいろお力添えを頂くことになると思うが、よろしく頼む」


「なんと! あんな大胆な発案を殿下がなされたのですか! 確かに、まだ実現させるには詰める箇所が多数ありましたが、それでも実現可能と考えたからこそ、陛下も議題に上げたのでしょう。今後の国の発展に繋がりますし、殿下の為にも尽力致します。……ところで、実は前に顔を合わせた際も気になっていたのですが、常に傍に置いておられるそちらが、殿下が選んだ方ですか?」


 金がくすんだ麦色の髪を後ろに束ね、深い翡翠の瞳を細めて彼……サイモンド・ルミエーレがレオンハールの背後に静かに佇んでいたギルバードを見つめた。目尻を緩めて微笑ましいものを見つめるような表情に、レオンハールは思わず肩を揺らす。今まで、何度かギルバードの事を聞かれはしたが、こんな風に優しい目と声で紹介を促されたことはない。もちろん、いつもただの側近だと誤魔化してきちんと紹介することはしなかったのだが、彼のその視線に妙な羞恥心が込み上げて、考える前に口を開いてしまった。


「あ、ああ。前第三騎士団長、ローウェイ男爵の一人息子、ギルバードだ。二年前程から傍に置いている。友人であり、私の側近のようなものでもある。基本的に常に傍にいてもらっているだけだがな」


「何と、あのギスヴィン殿の。なるほど、確かに色合いもそうですが、顔立ちがよく似ていらっしゃる。彼を失ったことは、我が国にとって大きな損害でしたね。彼は打算も裏もなく、とても気持ちのいい人間でしたから。許されるなら一度酒を飲み交わしてみたいと思っていたのです。確か、今ローウェイ男爵は……」


「……はい、叔父が引き継いでます。しかし、叔父は騎士ではありませんが」


 自分の家の話であったので、一言も話さなかったギルバードが静かに口を開いた。ギルバードの父、ギスヴィンは男爵位を持っていたが、それは騎士団長になった功績に授かったもので、一代限りの爵位だった。息子ギルバードがそのまま引き継げるものでも、ギスヴィンの弟である叔父が引き継げるものではなかった。けれども、今後のギルバードが騎士として活躍する見込みがあるからと、少し無理やりではあったがギルバードに引き継ぐその時まで叔父に爵位を預ける形になった。異例ではあったが、ギルヴィンの活躍を考慮し、直前で国王陛下が引き継ぎ可能な爵位に変更したのだ。

 それほどまで、レイトウェルはギルヴィンを高く評価していた。


「なるほど。殿下はとてもいいご友人を得たのですね。貴方がそんな風に表情を変え、会話できるようになっているのですから」


「そ、れは……まあ、そうです」


「おっと、すみません。つい微笑ましく。長話に付き合っていただきありがとうございます。今日はこれで」


「ああ、こちらこそ有意義な時間だった」


 優しい眼差しで一礼し、サイモンドはその場を後にする。その後ろ姿を見送っていたレオンハールは居た堪れない気持ちに見舞われた。


「まだ、話し方がなってないな」


「う、うるさい! 大体、手本が少ないんだ! 周りは常に敬語なんだからな!」


 王子としての振る舞い方ももちろん指導されるのだが、王子としての自分にあまり自信のないレオンハールはなかなかそれが身につかない。自分より地位が下の者だとわかっていても、年上相手になってしまうと思わず臣下と同じ言葉遣いになりがちなのだ。それに気付く度にギルバードがこうして注意する流れができてしまった。


「一番の見本ならいるじゃないか」


「……っ、父上は忙しいんだ! 僕と過ごしている時間なんてない!」


「またそんなことを言って。いつまで逃げるんだ?」


「逃げてない! うるさいぞギル! 忙しいのは当たっているだろ! 大体、父上と話すこと自体練習が必要なくらいなんだ! 手本にする前に僕が死ぬ! 死んだらお前だって困るだろ! そうだろ!」


 どうしようもない理屈を主張するレオンハールにギルバードはわざとらしく溜め息をつく。王子相手に不敬でしかない態度で、知らない者が見たら蒼白ものなのだが、周囲には誰もいない。

 しかし、馬鹿にされたことだけはわかったのでレオンハールは顔を真っ赤にしてギルバードを睨みつけた。


「大体、どうしてお前の方が父上と会ってるんだ! 僕はそれが一番納得がいかない!」


「何故って、レオンのことを定期報告しているからに決まってるだろ。だから、それくらいの時間をオレに割く余裕はあるんだ。レオンだって素直に親子の話がしたいって言えばいくらでも時間なんて作ってくれると思うが。練習なんてしてないで、本番で慣れろ」


「な、む、無茶言うな! それができてたら苦労はしない!」


 他人事だと思って勝手なことを言う。苦々しく言い返すレオンハールに、ギルバードはもう一度溜め息をついた。


「……移動しよう。随分遅れてるな」


「ああ、そうだな。最近こんなことばかりだからお前との打ち合いしかさせてくれないのは本当に困る」


 次の時間は剣術の稽古だ。もう何年も同じことを続けてはいるが、遅れる度にギルバードと二人だけで打ち合いをさせて終わるのが日課になりつつあった。それだけで済むのなら、わざわざ訓練場まで向かう必要はない。せめてもう少しくらいきちんとした指導を頼みたいところだ。


「あの、ギルバード・ノルウェー様に伝言を承っております」


 移動しようとしたその時、メイドの一人がそう声をかけてきた。王子の前で声をかけるなど経験がないせいか、まるで子兎のように震える女性に、レオンハールは顔を引きつらせる。どうにか表情を和らげてギルバードに視線を送った。

 小さく頷いた彼はメイドの元へと歩み寄り、その伝言を聞く。すると無である表情が僅かに苦みに色を変えてメイドに頷いて下がらせた。


「どうした?」


「すみません、母にどうやら呼ばれているようです。と言っても、すぐに終わるそうなので、先に訓練場に行っていてください」


 自分のことでこれ以上王子を遅刻させるわけにはいかない。いくら気安い仲になったとはいえ、その程度の気遣いはするギルバードの言葉に、レオンハールは悩む素振りもなく頷いた。


「わかった。すぐに来るんだぞ」


「はい」


 いつも平然としているギルバードが、少しだけ瞳を揺らしてレオンハールの背中を見送っていたことに、この時レオンハールは気付いていなかった。


 広い廊下を渡り、訓練場に続く外廊へと出る。色とりどりの花を見ながらも進めば、どんどん風景は殺風景になる。更に足を進めていけばその先に訓練場がある。既に訓練している騎士の声がここまで聞こえてきていた。その声の大きさから近く感じられるが、実際はまだ結構な距離がある。熱の入った掛け声を聞くと、毎回身が引き締まる気持ちになる。気圧されないように気合いを入れ直し、速足で向かおうとしたその時だった。


「――ッ!」


 一瞬感じた殺気に後ろに飛び跳ねる。瞬間、今までいた場所に短剣が突き刺さった。城内で、しかもこんな日の高い時間に堂々とした攻撃に一瞬遅れて体が縮むような感覚に襲われる。ドッドッドッドッと心臓は暴れて、音が拾いにくくなる。視界が狭まるのを怖れ、意識して深い呼吸を繰り返して視線を巡らせた。けれど、隠れていたはずの刺客はこれまた堂々と姿を現した。


「……ッ!」


「一発で殺せないなんて、役立たずね」


 目の前に現れたのは見知った人間と数人の男達。中央に佇むその人間に、レオンハールは顔を強張らせた。


「何故、こんな馬鹿な真似を?」


「あら、ちゃんと計画は練ってるのよ? 場所も時間帯も。これ以上ないタイミングだわ」


 夜ではないけれど、人の死角になる場所で、しかも騎士団の訓練時間中なので物音や悲鳴が紛れやすい。こんな時間に堂々と暗殺を行うとは皆思っていないものだ。警戒心が薄れる時間なのは確かだろう。しかも、こんな見晴らしのいい場所で犯行に及ぶとは思いもしない。ヒヤリと冷たい汗が背中を伝う。


「ふふ、いい顔ですね、殿下」


「私を殺してどうする? この国には王太子になれるものはもういないんだぞ! それに、王族暗殺を企てた以上、お前はもう死刑確定だ!」


 それが失敗に終わろうとも、計画した時点で重罪になる。そんなこと庶民ですら知っていることだ。男爵夫人である彼女なら尚の事、知らないはずがない。けれども、彼女は小さなその口が裂けているのではないかと疑うほどニンマリと吊り上げて、心臓を鷲掴みするようなゾッとする笑みを浮かべた。


「嫌だわ、バレないければいいのよ! だって私は貴方の友人の母! それに、王妃様に仲良くしてもらっているのよ。バレるはずがないわ。それに、これは私が立てた計画ではないもの。貴方を殺して、私はただ、もっと暮らしのいい地位を頂くだけ。ただ、それだけよ」


 王族を殺しておきながら、どうしてそれが決定しているのか。レオンハールは納得できなかった。けれど、同時に理解してしまった。彼女にそんなことを約束できるのは一人だけ。彼女を懇意にしている……王妃殿下ただ一人。


「まさか……そんなっ!」


「安心して、王子殿下。一人で死んでいくのは寂しいでしょう? だから、貴方にピッタリの看取り役も用意しておいたのよ。ほら、いらっしゃい」


 彼女の声に誘われるようにして姿を現した人物に、レオンハールは目を見開いた。そこにいたのは見慣れた人物。毎日のように顔を合わせ、誰よりも一緒にいた。少し前までも顔を突き合わせていた、ギルバードだった。

 ここにいることに疑問はない。けれど、どうして自分の傍ではなく、彼女の背後から現れたのか。考えたくても考えられない。何の結論も出せていないのに、唇は勝手に嘘だと紡いでいた。


「誰よりも親しい友人の前で死ねるのですもの。殿下も寂しくないでしょう?」


「ギル、お前、何で……」


「決まってるじゃない! この子に貴方の友人になりなさいと命令したのは、本当は私なのよ?」


 つまり、二年前からこの計画は既に始まっていたのか。心が冷えていくのを感じた。徐々に徐々に体を蝕むその冷えに、レオンハールはガチガチと歯を鳴らす。

 自分が他人に心を開けない性格だと、自分で一番よく理解していた。それは、自分の立場と性格が関係している。どれだけ望んだところでその問題が簡単に解決するわけがないことも、わかっているつもりだった。

 それでも、彼だけは大丈夫だと。

 無表情しかないギルバードが、自分にだけ緩んだ表情を見せるようになったから、きっとそれが素で、心を開いている証拠なのだと思ったから。


 自分と同じように、お互いにだけに素を見せられるのだと、そう信じていたのに。


(裏切られたのか)


 目の前が真っ暗になった。国の為に王子として頑張ってきたつもりだった。必死に、血が滲むような努力をして踏ん張ってきた。ほとんど会えない父親に、王子としてだけでなく、レオンハールとしても認められたくて。いつか、父親に自分の存在自体許してもらいたくて頑張ってきた。


 そんなレオンハールを唯一支えてくれた友が、実は偽物だっただなんて。




 知りたくもなかった。




 

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