黒髪とコーヒーと香水と親指
「久しぶりだね」
「久しぶりだな」
「高校卒業以来じゃない?」
「あー、言われてみればそのぐらい会ってないかもな」
久しぶりに地元に帰ってきたら、幼馴染みである香織も帰省していて、偶然再会した。
二人ともこの後の予定がなかったから、喫茶店で話をすることになった。
「マスターも元気そうでよかった~。安心したよ~」
「もう歳なんですから、無茶だけはしないでくださいね」
大学のためにそれぞれ県外に引っ越す前、よく二人で通っていた喫茶店に行った。
久しぶりにもかかわらず、マスターはいつも通りの笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
そして俺たちの特等席である席に座る。
「それにしてもさぁ、高校まで野暮ったい眼鏡かけてたのに大学に進学したからってコンタクトにしちゃって。大学生デビューってやつ?」
「別にそんなんじゃないよ」
「ふーん。まぁ、眼鏡よりそっちの方がカッコよく見えていいんじゃない?」
「心にもない事言うなよ」
「ふふ、そんなことないよ」
香織は相変わらずの笑顔を浮かべて俺に話しかけてくる。たったそれだけのことが懐かしく感じる。
「それに大学デビューっていうなら、そっちこそ髪染めてるじゃん」
「あ、これ? 黒髪よりも似合ってるでしょ」
「ソウダネー」
「ちょっとは興味を示しなさいよ!」
俺はあっけらかんとしたような態度を繕った。
──嘘だ。
そのタイミングでマスターが注文を取りに来たので、メニュー表を見ることなく香織が確認してくる。
「カフェオレでいいよね?」
「あー、俺はコーヒーで」
「...コーヒー飲めるようになったんだ」
「まぁな」
「ふーん」
香織が煮え切らない態度を見せるから「なんだよ」 と問うと、「別に~」 とそっけない返事をされた。
そしてそのまま香織は注文を続ける。
「マスター、いつも通りコーヒーとカフェオレで」
「おいっ、だから俺はコーヒーだって」
「私がカフェオレ飲むのよ」
「...そっちこそカフェオレ飲めるようになったのかよ」
「まぁね」
「へぇ」
少しだけ自慢げに言う香織を見て、香織の言葉を流す。
──嘘だ。
注文を受け取ったマスターは戻っていく。そして再び俺たち二人だけになった。
少しの間、沈黙が続いたが香織が口を開く。
「大学生活楽しい?」
「まぁ、それなりかな」
「何よ、その反応は。ここよりも都会に引っ越したんだから楽しくないわけないでしょ?」
「都会に引っ越したって、あんまり変わらないぞ」
「アパートから最寄りのコンビニまで2キロ離れている私に対する挑発と受け取っても?」
「それはゴメン」
「謝らないで! 余計に惨めな思いになる!」
何が面白かったのか分からないが、二人して同時に笑いだす。
そしてそのタイミングで注文していたコーヒーとカフェオレが来た。
これまた二人同時にカップを手に取り、一口飲む。
「高校までは、ヒールなんか履きたくない! なんて言ってたのにさ」
「そうなんだけどね、大学生になったのを機に履いてみたら案外良かったんだよね」
おどけたようにそう言う香織の言葉に耳を貸しながら、静かにコーヒーを啜る。
──嘘だ。
「──って、ピアス開けてるじゃん! 驚きなんだけど!」
「そんなに騒ぐことか。俺だって大学生になったんだからピアスぐらい開けるわ」
「それもそっか」
香織は微笑みながら納得した表情を見せた。
そして俺はさっきから気になっていたことを口に出す。
「そういえば、さっきからなんか甘い匂いしないか?」
「それ、私の香水かも」
「えっ!? 香水つけるようになったのか、お前」
「何よ、悪い? 花の女子大生なんだからそれくらい当たり前でしょ」
「そうだな」
俺は納得したような表情を繕った。
──嘘だ。
「そのピアス誰にもらったの?」
「...自分で買ったんだよ」
「...そう」
俺の言葉に香織は納得した表情を見せた。
「香織こそ、その香水誰に選んでもらったんだ?」
「...自分で選んだよ」
「...そっか」
香織は右手の親指を握りこむように手を握りながらそう答えた。
──嘘だ。
その会話を最後に特に会話もなく、ただ時間が過ぎていく。
俺はチラッと目の前に座っている香織を盗み見る。
高校の時までとは違い、装いや言動に女の子らしさが増してきている。
香織は自分を過小評価する癖があり、あまり女の子らしさを出していなかった。それに比べて今の香織ならば男子たちが寄ってくるのも時間の問題だろう。...いや、違うか。
俺は心の奥底ではすでに答えを導きだしていた。
──香織はお母さん譲りの黒髪が大好きだって、だから髪は染めないって豪語してたのに。
──香織は甘いものが嫌いだから、あんたと違ってブラックコーヒーしか飲まないって自慢してたくせに。
──香織はあんまり香水は得意じゃないからつけないって言ってたよな。
──香織は嘘をつくとき、親指を握る癖があるんだよ。
俺は香織のことを誰よりも知ってる。だからどうしてこんな振る舞いをしてるのかだいたい予想はつくし、別に知りたくもなかった。
でも、本当のことは知りたいとは思わない。そんな危険なことはしない。
これは俺が選択し続けた結果だ。後悔する権利すら俺にはない。
──もうこの気持ちを上書きできると思ってたのに。
「お店も混んできたし、これ以上長居するのも迷惑だろうからそろそろ帰ろうか」
「そうだね」
二人して席から立ちあがる。
机を挟んだ向こう側は、隣を歩く彼女のそばにいることは『幼馴染み』の俺では届かない。