2
私は確認する。
「誰が八で、誰が二?」
「ううっ、先輩が八、俺が二です」
よろしい。
交渉成立だ。
と、丁度よく発注が終わったらしい店長が現れた。
この飲食店、雰囲気的には喫茶店なのだが出しているメニューがメニューなので私は勝手に飲食店と呼んでいる。
店名は【喫茶店・シリウス】だ。
元の世界でいうところのカツ丼とか、牛丼とかラーメンまであるのだ。
コーヒーや紅茶を出すイメージが強かっただけに喫茶店と呼称するには、ちょっと違和感があったのだ。
さて、そんなこの店の店長だが銀髪の妙齢の女性である。
名前はリオさんだ。
「なんか盛り上がってるね、面白いことでもあった?」
なんて聞いてきたので、今のやり取りを話して聞かせた。
リオさんが楽しそうに笑う。
そして、
「いいねぇ、もし解けてお金が入ったらご飯奢ってよ」
と言われてしまった。
社交辞令だとはわかっているが、リオさんには拾って働かせもらっている。
つまり、恩がある。
リオさんのために頑張ってみるのも悪くないかもしれない。
そして、数日後。
こちらの世界にもちゃんと労基法なるものがあり、休みを二日挟んで出勤した私は、夕方からシフトに入っていたルキウスさんへ、こう伝えた。
「解けましたよ。あの暗号」
ルキウスさんの目が、それこそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
正直、この数日のうちに他の誰かが解いてしまうんじゃないかと考えていたが、そんなことは無かった。
それとなく調べてみたら、やはり皆苦戦しているようだった。
その話が聞こえていたのだろう、この店の中でもコーヒー一杯で六時間粘ったこともある常連さんの一人が話しかけてきた。
さすがにリオさんがブチ切れて、一時出禁になった客である。
オーガの在宅ワークをしている男性客だ。
「何の話?」
ルキウスさんが説明する。
ただ、説明しつつもルキウスさんも、本当に解けたのか半信半疑のようだ。
私は、空いているテーブルを拭きながら説明した。
「まず、あの暗号ですけど確かに私のような勇者と同郷の人向けに作られたものでした」
ルキウスさんが、別のテーブルに備えられている塩や砂糖を補充しながら頷く。
「ですよね。
大学にいるその道の専門家先生も読めない字だったみたいですし」
常連さんも興味津々に、コーヒーに口をつけつつこちらの話に耳を傾けている。
「文字だけじゃなくて、その解き方というかヒントもそうだった」
「ヒント??」
常連さんが訊いてくる。
私は、縦書きで書かれていた文字というか文章の説明をした。
「はい。ヒントです。
さっきルキウスさんが話していたように、紙には二つの文章がありました。
一つは横書きの【かハ さイ ばイ なタ かイ がウ】。
もう一つは縦書きの【とかなくてしす】という文字、文章です。
この暗号全体を見ると二種類の文字がある、ということが私や、私のような転移者にはすぐ理解できます。
平仮名と片仮名、と呼ばれている文字です」
テーブルを拭き終わると、今度は椅子の拭き掃除だ。
中腰になってピカピカに拭き上げるよう、頑張る。
椅子を拭きながら、私は続けた。
「最初の【かハ さイ ばイ なタ かイ がウ】は平仮名と片仮名が混じった文章になり、それも、二文字で一組構成です。
これは、この二文字を何らかの方法で読み解いて一文字にしなければ読めない作り、暗号になってます。
一方、【とかなくてしす】は、平仮名オンリーで、変換すればちゃんとした文章になるんです」
私は言葉を切り、立ち上がって腰をトントン、と自分の拳で叩いた。
椅子の拭き掃除は中腰になるので、腰が痛くなってしまうのだ。
ちょっと腰を回したりして腰の血行を良くしながら、私は言葉を続けた。
「この【とかなくてしす】が、おそらくこの暗号を読み解くヒントだろうなぁと思って、私は解読表を作りました」
ルキウスさんが私の言葉を繰り返した。
「解読表??」
「ええ、こちらの世界でも子供向けのクイズとかで暗号を作ったりするための、そういう作り方の本とかあるでしょ?」
ルキウスさんが私の言葉に、困った顔をした。
腰がほぐれた私は椅子拭きを再開する。
「いや、そんな自信満々に『読んだことあるよね』みたいに言われても」
「あくまで一例だよ。
それくらい、解いてみたら簡単だったって話」
私が言うと、ルキウスさんがじれったそうに言ってくる。
「それで、この暗号にはなんて書いてあるんですか先輩?」
この後輩は、最初から答えだけを知りたいタイプらしい。
しかし、そんなルキウスさんに待ったをかけたのは、常連さんだった。
こういう謎解きが好きなのだろう、まるで夢見る少年のように目を輝かせて訊いてきた。
「そのヒントからどうやって答えにたどり着いたの?」
この目の輝き、そして好奇心、たぶんこの常連さんは私と同じタイプのようだ。
私は答えた。
「ヒントの【とかなくてしす】、これはいくつかの言葉、意味に変換できます。
たとえば、『解かなくて死す』とか『梳かなくて死す』とか、『説かなくて死す』とか。
出題者の意図にそった使い方を、変換をしなければ答えにたどりつくことはできません。
では、この場合の正解は何か? どんな言葉なのか?」
常連さんが訊ねる。
「どんな言葉が正解だったんだい?」
ルキウスさんも早く答えを知りたそうにうずうずしている。
私は答えた。
「【咎無くて死す】、が正解でした」
「咎無くて?
つまり、無実、えん罪によって死んだってメッセージが、ヒント?」
「まぁ、そうなりますね」
もう本来なら混む時間だというのに、いっこうにその波は訪れない。
まぁ、説明に邪魔がはいらなくていいや。
「もちろん、これだけじゃ暗号は解けません。
肝心の暗号には平仮名だけじゃなく、片仮名も含まれていますから。
私はこのヒントをもとに、最初の暗号表を作ってみました。
この暗号、それ自体は子供向けのものでした。
発想の方向も間違ってませんでした。
何よりも、これは同郷の者にしか解けないという前提で作られていましたから。
おそらく、五十音表は確実に必要だな、ということはわかりました」
ルキウスさんと、常連さんが首を傾げる。
「五十音表??」
「君の故郷の文字表のことかい?」
ルキウスさんに五十音表が何かを説明する前に、常連さんが答えを口にした。
私は頷いた。
「ええ、それです。
私の故郷では、子供が最初に覚える文字の表です。
これには、平仮名と片仮名の両方あります。
あ、今更な説明ですけど、平仮名と片仮名は、こちらの世界での文字の大文字小文字みたいな、そんなものだと考えてください」
この世界にはアルファベットが存在している。
そして、私が今言った大文字小文字というのは、Aもしくはaのことだ。
こちらの世界には、アルファベット以外の文字や文章、そして言語も、元の世界と同じく多種多様なものが存在している。
おそらく消えていったものも多いのだろうと思う。
それは、ともかく。
私の簡単どころか雑すぎる説明に、常連さんは適度に相槌を打ってくれた。
良い人だ。
元の世界なら、何かしらマウント取られて嫌みの一つでも言われそうな説明だったのに。
私は暗号を解くために手作りした解読用の表について話す。
「本来の五十音表は、縦に五字ずつ横に十字ずつ配置、いえ、配列した表のことです。
縦を行、横を段といいます。
細かく説明するのはめんどいので、そういうものだ、と思ってください。
さて、私はまずふつうに五十音表を作ってみました。
暗号の中に【ばイ】という組み合わせがあることから、濁音の表も追加したものをつくりました。なので、縦五文字、横十五文字の表になります。
その表のそれぞれの行に、先頭の文字を書きました、段の先頭には暗号の中でも縦書きで書かれてあった【とかなくてしす】を書いて、解読に挑みました」
私がそこまで言った時、ルキウスさんがレジ脇に移動したかなと思うとメモ用紙を引っ張り出してきて、アルファベットで簡単な表を描いた。
その表の行と段、それぞれの先頭には数字が振られていた。
「先輩が言っているのは、こんな感じの表で、この表だと縦の一と横の一が重なるのは【A】ですよね?
これと同じように、それぞれ重なる場所にある文字を、【かハ さイ ばイ なタ かイ がウ】は表している、ということでいいですか?」
常連さんが、「なるほど」と呟いた。
そして、こう続けた。
「文字の表での座標ってわけか」
私も常連さんの言葉に続く。
「そーそー、そういうことです。
段のところに【とかなくてしす】をあてがって解こうとしました」
と、そこで今しがた書いた文字表を眺めていたルキウスさんがあることに気づいた。
そして、気づいたことを口にした。
「あれ? でもこれだと段の文字数合わなくないですか、先輩?」
「お、いいところに気づいたね」
そうなのだ、ただ単に【とかなくてしす】をあてがっただけでは解けないのだ。
【とかなくてしす】は七文字、五文字で配列されている五十音表では二文字余ってしまうのだ。
加えて、暗号文の片仮名部分『イ、ハ、タ、ウ』の文字が無いのだ。
ここに、日本人、それもとある知識を得ている者でないと解けない仕掛けがあるのだ。
「これね、別の言葉へのヒントだったんだ。
要するに、【とかなくてしす】は別の文字へ変換しなければならなかったんだ」
ルキウスさんと常連さんが顔を見合わせた。
「えっと、つまり、暗号のヒントそれ自体が二段構えになってて。
さらに予備知識がないと変換できないってこと?」
常連さんが、言ってくる。
私は椅子を拭くのをやめて、立ち上がり、肯定した。
「そういうことです」
常連さんとルキウスさん、それぞれの表情が『なにそれ、難易度高くない?』もしくは『無理ゲーじゃん』と書かれている。
難易度が高いのは確かにそうだろう。
実際、【いろは歌】の最初の五文字【いろはにほ】を片仮名に変換して、また表を作り直したが、これでも解くことはできなかった。
そのことを伝えると、やはり二人は嫌そうな顔をした。
私はさらに説明する。
「暗号文の中に【なタ】の組み合わせがあることに気づき、さらに【いろは歌】、それ自体が平仮名、もしくは片仮名にすると五文字になるということに気づいて、私はさらにそれで表を作り直しました。
そうして、ようやく解けたんです」
私の解けた、という言葉にルキウスさんが、いよいよ答えが出てくるのか、と顔を輝かせる。
しかし、それに待ったを掛けた人物がいた。
常連さんである。
「答えも気になるんだけど、なんで【咎無くて死す】のヒントが、そのイロハウタ?になるの??
そもそも、イロハウタってなに?」
ルキウスさんが、早く答えを聞きたいのに、という不満そうな表情になる。
これは、簡潔に答えたほうがいいだろう。
だいぶ長話になってしまったし。
「いろは歌は、昔の言葉表なんです。
で、この歌の中に【とかなくてしす】という言葉が隠れているんです。
だから、いろは歌の製作者は不明なんですけど、おそらく作った人は無実の罪で死刑になった人なんじゃないかという怪談というか都市伝説が昔からあったんです」
そう、だからこそ、この暗号は都市伝説、もしくは雑学としてこのことを知らないと解けない作りになっていたのだ。
そして、雑学や都市伝説など普通に生きていたら話のタネに聞くことはあっても、覚えておくという、めんどくさいことを果たして現代日本人のどれくらいの人間ができるだろうか。
中には記憶力がよくて覚えておくことができる人もいるだろう。
でも、大多数の人が常日頃から頭の中にあるだろうそれを引き出せるとは思えない。
そして、こういった雑学というのは、生きていくうえで必要があるかといえば、無い、ものになる。
話のタネにちょっと話す程度の内容だ。
興味のない人に語っても、『だからなに?』と冷たい反応を返されることがほとんどだ。
「かなりマニアックな知識ってことか。
よく覚えていたねぇ」
常連さんが感心している。
まぁ、この後輩曰く『変なことを知っている』人間だからなぁ。