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「先輩、これわかります?」
そう言って、年上だがこのバイト先である喫茶店では後輩となる人間種族で金髪碧眼の男子大学生が、声を掛けてきた。
前に聞いた話では、ハイエルフの血がうっすらと入っているらしい。
そのためか、モデルかアイドルかと思うほど顔立ちが美しく整っている。
人間離れした美しさとはこういうのを言うのだろう。
休日だというのに今日は朝からバケツをひっくり返したような土砂降りで、客足は鈍いだろうと店長が苦笑しながら言っていた。
その店長だが、業者への発注作業で事務スペース兼休憩室に籠っている。
私は、後輩がエプロンのポケットから取り出した四つ折りに畳まれた、その紙に視線をやった。
どこにでも売っているだろうコピー用紙のように見える。
私は後輩からその用紙を受け取ると、開いてみる。
そこには、こちらの世界には無い文字で、そして私のような別の世界から来た人間、もっと言えば現代日本人なら確実に読める文字がプリントされていた。
【かハ さイ ばイ なタ かイ がウ】
意味不明な文字が横書きでかいてあり、私から見て用紙の向かって右端には、今度は縦書きで、
【とかなくてしす】
という、なんとも不吉な文字がプリントされていた。
私は五歳年上の後輩を見返す。
「なにこれ?」
「暗号ですよ、暗号」
後輩の説明はこうだった。
なんでも、これは伝説の勇者が使ったとされている聖剣の在処を示している暗号なのだという。
出所はどこかの博物館だか、研究施設らしい。
どういう経緯で見つかったとか、後輩が実に楽しそうに説明してくる。
ほとんど右から左へ流れていく。
まったく頭に入ってこない。
これは、彼の話し方が悪いとか伝え方が下手とかではなく、ただ単純に私が興味を持てないからだろう。
こういう時に限って、来客は無い。
いつもだったら、会話を遮るように常連さんがやってくるのに。
オーガ種族のサラリーマンも、エルフ種族の事務職さんの来店も今日は無かった。
もしかしたら、時間をずらしてくるのかもしれない。
私は厨房内の掛け時計を確認する。
それから、客には見えない位置に貼り付けられている、手が空いた時にやる作業リストを確認する。
後輩から渡された用紙は元通りに畳んでとりあえず、エプロンのポケットの中へ突っ込む。
それから、テーブル清掃用のダスターとアルコール消毒液の入ったスプレーを二人分、所定の場所から取り出した。
「ロマンチストなのもいいけど、まず仕事。
テーブル拭きに行くよ」
「うぇーい」
私の冷めた反応に、しょんぼりしながら後輩がダスターとスプレーを受け取った。
テーブルを拭きながら、それでも後輩は諦めていないようで、伝説の勇者と同じく異世界から転移してきた数少ない知り合いである私に、先ほどの暗号の話題を振ってきた。
そう、私はいわゆる異世界転移者である。
創作物のネタしては、九十年代、そして昨今も人気の衰えることのないジャンルのアレである。
転移者とは言っても、私は他の転移者とは違い転移早々に【役立たず】判定され放逐された口だが。
その経緯は思い出したくもない。
ただ、今こうしてなんとか食べていける程度の仕事にありつけて、生活できているだけマシというものだろう。
この店の店長の好意で住み込みだ。
なんでも、店長曰く私のような訳あり転移者は意外と多いらしい。
縁があれば、私のように保護してこうして働かせているのだとか。
常連さんの中には、こちらの世界の人と結婚して、家庭を持ち時折家族連れで食事に来てくれる元バイトさんもいるくらいだ。
この世界は転移者を特に秘匿などしないらしい。
だから、転移者が現地人に混ざって生きている。
「そういうのは、ルキウスさんのお友達にでも聞けばいいでしょ」
ルキウスというのは、この後輩の名前である。
ちなみに私の名前は、ヒカリである。
漢字で書くと『陽花里』だ。
「それはそうですけど~。
この字、これを読める人いないんですもん」
「読める人がいないって、大学でしょ?
研究室とか、勇者が活躍した時代の文字の研究をしてる人くらいいるんじゃないの?」
私は、後輩の言葉に驚いてテーブルを拭く手を止めてしまった。
この世界の常識やら歴史やらを、私はざっくりとしか知らない。
そして生活するのに必死で、今までそんなことを調べたり覚えたりする余裕というものが無かった。
「その時代の研究者は確かにいますよ。
でも、伝説の勇者が活躍した時代の書物ってほとんどがその後の戦争とか弾圧で燃やされてて残ってないんです。
たまに古い家や遺跡、ダンジョンなんかで発見されたりしますけど保存状態が壊滅で、修復魔法も再現魔法も効かないんですよ」
そういえば、歴史好きな常連さんにそんなこと聞いたことあるな。
「へぇ。でもあの暗号は無事だったじゃん」
「そうなんですよ!
だから、国で保護されてる現代の転移者も使って解読が進められてるんです」
なら、私が解読に挑戦しなくてもそのうち解かれるだろう。
そもそも、こんな風に広く解読者や挑戦者を募集するようなことしなくてもいいはずだ。
そのことを、後輩に伝えると彼は得意げに返してきた。
「その転移者ですら手こずっているって話です」
頭のいい優秀な集団が手こずるとは、こんな簡単そうな、それもヒント付きのクイズに。
ちょっと意外だ。
「現代の勇者達が持て余してる、ね。
なら、なおさら【役立たず転移者】の私が出る幕はないよ。
解けるとも思えない」
と言いつつ、暗号を返してない時点で我ながら説得力は皆無だ。
「え~、でも先輩変なこと知ってるじゃないですか。
こう、雑学っていうか」
それは、常連さんにそういうのが好きな人がいて、たまに聞き手に徹しているからだ。
まぁ、元の世界でも雑学とか好きだったけど。
この世界に残る宗教観とか、伝説とか、昔話、とくに中世の勇者や聖女が活躍した時代のものは、やはり同郷の者が多かったからか、元の世界の共通点や繋がりを見いだせて楽しい。
残念なのは、転移者としての先輩方が遺したもの、手記とか日記とか、そういうものが全くと言っていいほどないことだ。
後輩が今言ったように、そして常連さんから聞いたように長い歴史の中で戦乱や弾圧によって失われたり、焼失したりといったことがあったからだろう。
ただ、代わりとばかりに、現代日本の一部技術が遺されていて、さらに私のようにこちらの世界での中世後、現代に至るまでに転移者が細々と転移してきていて、物語の中でいう知識チートをしまくったようだ。
そのため、この世界では今現在、現代技術と魔法技術を融合させた技術が広まっている。
端的に言えば、インターネットがあるし携帯電話もあるしパソコンも存在するのだ。
転移魔法だか、転送魔法と配送業を組み合わせたサービスも存在している。
店の材料の発注なんかはこれを利用している。
「まぁ、昔からそういうの好きだったし」
「好きなら、解けません?
ちょっとは興味あるんでしょ? 先輩?」
見透かされてる。
私は、この新人バイトが苦手だった。
理由はいろいろあるが、まず顔。
このイケメン顔が非常にムカつくのだ。
次に、人生楽しんでそうなリア充というか、陽キャ属性のせいかもしれない。
まだ十五年しか生きていないが、こういう人種は必要以上に私のような陰キャに対してちょっかいを掛けてくることが多かった。
それも悪い意味で。
暗号を解いてみたいというのは、もちろんある。
でもそれ以上に、仕事以外でこういうタイプにはかかわりたくないというのが本音だった。
後輩は、ヘラヘラと笑っている。
「……」
私は黙り込んで、テーブルを拭く。
「雑誌にあるちょっとしたクイズみたいなもんですよ、やってみません?
もし解けて賞金が手に入ったら山分けってことでどうです?」
ほらきた。
少ない労力で大金を手に入れようということなのだろう。
私は大きくため息を吐き出して、ジト目でこう提案した。
「八対二」
「え?」
「だから、もし解けてお金が手に入ったら、私が八割もらう。残りの二割はルキウスさんの取り分、それでいいなら挑戦する」
「いやいや!!」
ルキウスさんが手をブンブン振って、交渉してきた。
「せめて六対四でしょ!
俺が六、先輩が四」
人に働かせようとしておいて、そうほざくか。
「なら他をあたって。
こっちが割を食うなんて、絶対嫌だから」
「仕方ない、先輩が六、俺が四ってことでどうです?」
「……プリントアウトした紙、今私の手の中にあるの忘れてない?」
正確にはエプロンのポケットの中だが。
後輩の無駄に整った顔が、嫌そうに歪んだ。
私はさらに続ける。
「別に返してもいいけど、それならそれでこの謎解きのことを検索して、私個人で挑戦するだけだし。
解けるとは思ってないけど、もし解けたら、その懸賞金は満額私のものってことになるのか。
あ、ちょっとやる気出てきたかも。
そしたら引っ越し費用に充てられるし、ずっと欲しかったブランド物の財布や靴も買えるし、なんなら定時制の学校に通って卒業資格も取れるだろうし」
私が自分一人で暗号を解いた場合の利益をつらつらと上げ連ねると、ますます後輩は嫌そうな顔をした。
「せ、せめて七対三で!
先輩が七、俺が三で!!」
それでも、少しでも彼も金が欲しいのだろう。
彼も苦学生だ。
両親もそうだが、家族もいないと聞いている。
死別したらしい。
今は、遠縁にあたる人の家でくらしているとか。
私の無反応を凝視して、苦し気にこう言葉を吐き出した。
「……八対二でいいです」