ゆうしゃちゃんはマイペース
ゆうしゃちゃんはとってもマイペースな女の子。王様から「魔王退治に行きなさい」と言われたけれど、少しも行きたくありません。今日はとってもいいお天気。ゆうしゃちゃんは町の近くの草原に寝転んで、気持ちよさそうに流れる雲を眺めています。
「ぷるぷるっ」
「こんにちは、スライムさん」
いつの間にか、ゆうしゃちゃんの隣には一匹のスライムがいて、ゆうしゃちゃんの顔を興味深そうに見ていました。スライムは半透明の蒼くて丸い身体に目と口が付いた、とても不思議な生き物です。ゆうしゃちゃんは顔だけをスライムさんに向けてごあいさつしました。
「いい天気だねぇ」
「ぷるぷるっ」
ゆうしゃちゃんは再び空を見上げます。つられたのか、スライムさんもゆうしゃちゃんと同じように、空に視線を向けました。真っ白な雲が、風に流れながらその形を変えていきます。どこかからかすかに花の香りが届きました。ゆうしゃちゃんは寝転がったまま、「うーん」と軽く伸びをしました。
「王様からね、魔王を退治してきなさいって言われちゃった」
「ぷるぷるっ」
ゆうしゃちゃんは空を見上げたまま、独り言のように言いました。スライムさんはゆうしゃちゃんの横顔を見つめます。
「だけどね、魔王はどんな悪いことをしたんですかって聞いても、答えてくれないの。魔王はとにかく悪い奴なんだからやっつけてきなさいって、そればっかり」
ゆうしゃちゃんは不満げに口を尖らせました。
「魔王はいったい何をしたの? 本当に悪い奴なの? 魔王っていう名前だけで、悪い奴って決めつけてない?」
ゆうしゃちゃんの瞳に、悲しそうな光が揺れています。
「何にも悪いことしてないのに退治するって、おっかしいよねぇ」
ため息のように、ゆうしゃちゃんはそう言葉を吐き出しました。スライムさんはじっとゆうしゃちゃんの横顔を見ていましたが、やがて「ぷるぷるっ」と答えを返しました。ゆうしゃちゃんはハッと何かに気付いた顔で上半身を起こすと、隣にいるスライムさんを見つめました。スライムさんもまた、ゆうしゃちゃんの目を見つめ返しています。
「……そっか。会えばいいんだ。会って、自分で考えればいいんだ。退治しに行くんじゃなくて、知るために会いに行けばいいんだ。退治するかどうかなんて、今決めなくたっていいんだ」
ゆうしゃちゃんはスライムさんの正面に回って正座すると、スライムさんを両手で持ち上げて視線の高さを合わせました。
「ありがとう、スライムさん。私、魔王に会いに行くよ」
スライムさんは蒼く透明に透ける身体をうれしそうに震わせると、ぴょんっと飛び上がり、ゆうしゃちゃんの頭の上に乗りました。
「ついてきてくれるの?」
「ぷるぷるっ」
ゆうしゃちゃんの頭の上で、スライムさんはうなずくように身体を波打たせます。ゆうしゃちゃんは大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべてお礼を言いました。
「ありがとう。よろしくね」
スライムさんはまかせておけとばかりにぷるんと身体を揺らしました。
――グオォォォォーーーーー!
不意に、辺りに大きな獣の唸り声が響き渡りました。ゆうしゃちゃんは立ち上がり、スライムさんを胸に抱えなおして周囲に目を走らせます。すると、少し離れた街道に止まる大きな荷車が目に付きました。荷車の上には何か大きな荷物が載せられているようですが、上から布で覆われていて中身が何なのか見ることはできません。荷車の周囲には筋肉ムキムキの屈強な男たちがおり、今は動揺した様子で武器を構え、荷車の荷を緊張した面持ちで注視しています。
「なんだろうね、スライムさん」
ゆうしゃちゃんは荷車の荷をじっとみつめました。スライムさんの目が鋭く荷を囲む男たちに注がれています。辺りには強く凶暴な気配が満ちていました。それは獣、いえ、力を持った魔獣の気配です。
――グオォォォォーーーーー!
再び大きな唸り声が聞こえ、そして、ガチャンっ! と金属のぶつかる音と共に荷車の荷が大きく揺れました。周囲にいた男たちが慌てて距離を取ります。バランスを失った荷車は横倒しになり、荷が地面に投げ出されました。荷に掛けられていた布が剥がれ、中身があらわになります。そこには巨大な鉄の檻があり、中にいたのは一頭のライオン、それも普通のライオンよりも何倍も大きく、足を八本も持った、立派なたてがみのライオンでした。やつざきアニマル。そう呼ばれる、とても恐ろしい魔獣です。
「おいっ! はやくどうにかしろ! 逃げられたら大損だぞ!」
「は、はいっ!」
屈強な男たちの中にひとり、妙に派手で軽薄な格好をした、どこか嫌味な細面の中年男が、神経質な声を上げて男たちを叱ります。はいと返事をしたものの、男たちは檻を囲んだまま近づくことができずにいました。やつざきアニマルは目を血走らせて、威嚇するような唸り声を上げています。
「クソっ、あの能無し魔法使いめ! 二、三日は起きねぇはずじゃなかったのか!」
派手男は親指の爪を噛みながら恨み言を叫びました。するとその声に反応したのか、やつざきアニマルは大きく口を開けて吠えると、その太くて大きな前足を檻に叩きつけました。鉄の格子がぐにゃりと歪み、やつざきアニマルが通れるほどに大きな隙間を作ります。派手男が「ひっ」と怯えた声を上げました。
「で、出るぞ!」
腰が引けた男たちの声を合図に、やつざきアニマルは檻の外へと飛び出しました。やつざきアニマルは草原をまっすぐに駆けていきます。その正面には、ゆうしゃちゃんたちの姿がありました。
――グオォォォォーーーーー!
大地を震わせるような咆哮と共に、やつざきアニマルはその大きな前足をゆうしゃちゃんに向かって振り上げました。その目はおびえ、怒り、戸惑い、苦しんでいました。ゆうしゃしゃんは静かにやつざきアニマルを見上げ、その瞳を見つめ返しました。怖れのない、湖面のようなゆうしゃちゃんの瞳は、やつざきアニマルを少しだけ落ち着かせたようでした。やつざきアニマルは前足を振り上げたまま、振り下ろすべきか迷うようにゆうしゃちゃんを見下ろしています。
「ケガをしているの?」
やつざきアニマルの足には、捕まえる時にできたであろう足枷の跡がありました。ゆうしゃちゃんはやつざきアニマルにそっと近づくと、傷痕に手をかざしました。緑色の光が柔らかく傷痕を包みます。光が消えた後、傷痕はきれいになくなっていました。やつざきアニマルはゆっくりと前足を降ろすと、ゆうしゃちゃんの鼻に自分の鼻をくっつけました。ゆうしゃちゃんがくすぐったそうに笑って、やつざきアニマルを撫でようと手を伸ばした、その時。
――ヒュッ
風を切る鋭い音がしたかと思うと、やつざきアニマルの背中に何本もの矢が突き刺さりました。やつざきアニマルは苦しげなうめき声を上げると、そのままどうっと地面に倒れました。
「毒は使いたくなかったんだが、仕方ねぇ。弱って死んだりしねぇだろうな。もしそうなったら大損だぜまったく」
派手男が屈強な男たちを連れて現れ、やつざきアニマルの足を蹴り上げました。屈強な男たちは太く大きな鎖を持ち、あっという間にやつざきアニマルを縛り上げてしまいました。
「やめて! ひどいことしないで!」
ゆうしゃちゃんはキッと派手男をにらんで強く抗議の声を上げます。
「あぁん?」
うっとおしそうに眉をひそめ、チッと舌打ちをして、派手男はゆうしゃちゃんに言いました。
「ガキが大人に口答えするんじゃねぇよ。これは、商売なの。オレは闘技場で興行やってんの。意味分かる? オレは興行主で、コレは商品」
「この子、苦しんでる!」
はぁ、とため息を吐いて、興行主を名乗る男は軽く首を振ると、まだにらみつけるのを止めないゆうしゃちゃんを見下すように諭しました。
「コレは俺が高い金を払って捕まえさせた、オレの魔獣だ。つまりオレはコレの正当な持ち主。コレをオレがどうしようが、それがオレに認められた正当な権利なんだよ。分かるかい? お嬢ちゃん」
興行主の言葉に、ゆうしゃちゃんの瞳が揺らぎました。彼の言うことは本当でしょうか? もしそれが『正しい』のだとすれば、ゆうしゃちゃんは『間違った』ことをしているのでしょうか? ゆうしゃちゃんは迷いの中で目を伏せ、小さくつぶやきました。
「正当な、権利……」
「そぉだ。正当な権利だ。理解したか? じゃあ話は終わりだ。捕まえるのを手伝ってくれたことにゃ感謝するよ。じゃあな、お嬢ちゃん」
ゆうしゃちゃんの迷いに付け込み、勢いで話を終わらせて、興行主は去って行きました。屈強な男たちは捕まえたやつざきアニマルを地面に引きずって、興行主の後を追います。ゆうしゃちゃんは後を追うこともできず、その後ろ姿をじっと見つめていました。
「ねぇ、スライムさん」
ゆうしゃちゃんは腕の中のスライムさんに問いかけます。
「私、間違ってるかな?」
お金を払ったから何をしても良いのだと、興行主の男は言いました。それは本当でしょうか? お金を払えば自由を奪う権利が生まれるのでしょうか? やつざきアニマルの心が黙って踏みにじられることが『正当』なのでしょうか? ゆうしゃちゃんには少しもそうだとは思えません。けれどもしかして、子供には分からない、大人にならなければ分からない『正しい』が、どこかにあるのかもしれません。ゆうしゃちゃんはまだ子供です。この世の全てを知っているわけではないのです。
ゆうしゃちゃんの問いを受けて、スライムさんは穏やかに、優しくそっと背に手を添えるように「ぷるぷるっ」と答えました。
「……うん、そうだよね」
迷った時はシンプルに。ゆうしゃちゃんは静かに目を閉じ、そして迷いを振り切ったように目を開けました。きっと『正しい』はいつだって、シンプルです。
「誰かを苦しめる正当な権利、なんて、おっかしいよねぇ」
ゆうしゃちゃんは腕の中のスライムさんをぎゅっと抱きしめると、厳しい表情で興行主たちが消えた先を見つめました。
「レディース、エーンド、ジェントルメン! さあお次はいよいよ、本日のメインイベントの登場だ!」
闘技場の中央席で、興行主が観客に向かって大きな声を上げています。観客は満員、人々が放つ熱気でうだるような暑さが充満しています。
「いつもならこのコロッセウムが誇る英雄と凶悪魔獣の手に汗握る一騎打ちをお楽しみいただくところだがっ! 本日はちょいと趣向が違う! 普段とは別の意味で、手に汗握ること請け合いだ! さぁ、登場してもらおう! 本日のメインイベンターは、こちらっ!」
興行主がさっと右手を東側ゲートに向けると、それに合わせてゲートを魔法の強い光が照らしました。ゲートの鉄柵がキリキリと音を立てて上がり、この戦いの一方の主役が姿を現します。その姿を見た観客たちが戸惑ったようにざわめきました。そこにいたのはまだ幼いと言っていい女の子――ゆうしゃちゃんです。
「驚いたかいオーディエンス! だが侮るなヒューマンカインド! 見た目はかわいい女の子、でもその実態は、この戦いに自ら志願したバトルマッスィーンだコレ!」
おお、と観客席からどよめきが上がります。興味半分、疑い半分というところでしょうか。興行主は口の端を上げると、今度は西側のゲートを指さします。
「そしてこの美少女に対するは、悪逆非道残酷無道、その圧倒的なパワーで数多の英雄を墓穴に叩き込んできた魔獣オブ魔獣!」
西側ゲートが開き、一匹の魔獣が台車に乗せられて場内に現れました。魔獣は鎖によって台車に縛り付けられています。興行主が高らかにその魔獣の名を呼びました。
「やぁつざきぃーーーー! アニマルっ!! カモンっ!!!」
観客席から歓声が上がります。それはまるで、血に飢えた獣が獲物を前にしたときの吠え声のようでした。
ゆうしゃちゃんは草原でやつざきアニマルが連れていかれた後、町に戻って興行主の居場所を探しました。興行主の居場所は簡単に分かりました。そこは、闘技場――歓楽街の真ん中にある、人と魔物を戦わせてその勝敗を賭け事にする場所でした。
ゆうしゃちゃんはこの町で生まれ育ったけれど、そんな場所がこの町にあるなんてまるで知りませんでした。歓楽街は怖い場所だから決して近づいてはいけないよと、お母さんに聞かされていたからです。でも、怖いなんて言っている場合ではありません。ゆうしゃちゃんは急いで闘技場に向かいました。ところが闘技場に入れるのは大人だけだと言って、入り口から中に入れてもらえません。ゆうしゃちゃんは一計を案じ、客ではなく、魔獣と戦う戦士として中に入れてもらうことにしたのでした。
屈強な数人の男たちが、台車に繋がっていた鎖を地面に埋め込まれた鉄塊に繋ぎ変えていきます。そしてすべての鎖をつなぎ変えると、台車を片づけ、今度は慎重にやつざきアニマルの上半身を抑えつけていた鎖を外していきます。鎖は最終的に、右足に繋がれた一本だけになりました。屈強な男たちは場外に退出し、西側ゲートに鞭を持った魔物使いだけが残ります。選手が逃げ出さないよう東西のゲートが同時に閉ざされました。
やつざきアニマルはのそりとその身体を起こしました。身体には無数の痛々しい傷があり、その瞳は抵抗する気力を失って鈍く淀んでいました。
「美少女に襲い掛かる邪悪なケダモノ! この戦いの結末は、奇跡か、悲劇か!? 今ここからの数分間、美少女に降りかかる過酷な運命に! 刮! 目! せよ! さあお待ちかね、このゲームのオッズはこちら!」
興行主のいる闘技場の中央席に、オッズの書かれたボードが掲げられます。オッズを見た観客の歓声がひときわ大きくなりました。オッズは圧倒的にやつざきアニマルの勝利を予測しています。
「さあ、それでは惨劇を始めよう。選手は前へ」
興行主は芝居がかった仕草で闘技場の中央を指し示します。ゆうしゃちゃんは無表情に前に進み出ると、腰の剣をすらりと抜きました。剣の刃は淡く蒼い光を放っています。かつて数々の勇者がこの剣を手に、たくさんの魔物と、そして魔王と戦ってきました。この剣はたくさんの命を奪ってきました。世界のために。平和のために。
「むかし、お父さんが言ってた。勇者は個人の利害なんて考えなくていいんだって。勇者はただ、あるべき世界の姿を想えばいいんだって」
ゆうしゃちゃんが初めてこの剣を手に取った時、ゆうしゃちゃんはこの剣が泣いている気がしました。静かに光る淡い蒼が、涙のように見えました。それはきっと、かつて勇者たちが心の奥に深く沈めた哀しみでした。勇者と呼ばれる人々は、たとえ世界のためであっても、平和のためであっても、殺し、壊すことを決して喜びはしないのです。
「私ね」
ゆうしゃちゃんはやつざきアニマルの大きな瞳を見上げて、穏やかに微笑みました。
「あなたたちがこんなふうに捕まって、望みもしないのに戦わされているのが、あるべき世界の姿だなんて思えないんだ」
興行主が場を支配するように右手を掲げます。観客たちはいっせいに口を閉ざし、興奮を抑え込んで始まりの合図を待っています。禍々しく高揚した沈黙が闘技場を包み込みました。興行主は焦らすように観客席をゆっくりと見渡すと、満足そうにうなずき、
「はじめっ!」
鋭く右手を振り下ろしました。魔物使いの鞭がやつざきアニマルを打ちすえ、やつざきアニマルは右の前足を大きく振り上げました。
――グオォォォォーーーーー!
やつざきアニマルが咆哮を上げます。戦いたくないと、こんなことはしたくないと、やつざきアニマルの瞳が泣いていました。やつざきアニマルはただ、帰りたいのです。故郷の草原を仲間と共に駆け回りたいだけなのです。けれどその悲痛な叫びは、闘技場の観客たちの歓声にかき消されてしまいました。ゆうしゃちゃんだけが、その声を聞いていました。
「だいじょうぶ」
ゆうしゃちゃんは怖がりもせず、やつざきアニマルをまっすぐに見つめて言いました。やつざきアニマルの大きな前足がゆうしゃちゃんの頭の上に振り下ろされます。残酷な運命を期待する悲鳴が観客席から上がりました。ドシン、と闘技場全体が揺れ、前足に抉られた地面から土煙が上がります。観客席から声が、消えました。誰もが固唾を飲み、結末を見守ります。すぐに土煙は晴れ、やがて観客の一人が叫びました。
「後ろだ!」
ゆうしゃちゃんの姿はいつの間にか、やつざきアニマルの後ろにありました。ゆうしゃちゃんの目の前には、やつざきアニマルを逃がさぬように用意された、地面に埋められた鉄塊に繋がる大きくて太い鉄の鎖がありました。ゆうしゃちゃんが剣を大きく振りかぶります。雷鳴のような歓声が闘技場を包み、そして、ゆうしゃちゃんは鋭く剣を振り下ろしました。
「あなたを囚える鉄の鎖は、もうないよ」
キィン、と澄んだ音を立て、鉄の鎖は真っ二つに割れて地面に転がりました。やつざきアニマルは後ろを振り返り、ゆうしゃちゃんの顔に鼻を近づけます。ゆうしゃちゃんはやつざきアニマルの顔を優しく撫でてあげました。予想していた展開とまるで違う光景に、観客たちは言葉を失ってゆうしゃちゃんたちを見下ろしています。
「て、てめぇ、なにやって――」
事態にようやく理解が追いついた興行主がそう叫ぶと同時に、
どかぁぁぁぁんっ!!!
闘技場の西側ゲートが爆発し、鉄格子が吹き飛んで、興行主のすぐ横をかすめて背後の壁に突き刺さりました。興行主の顔からみるみる血の気が引き、言葉を継ぐこともできずに地面にへたり込みました。爆発の煙を割って、入り口からは続々と魔物たちが姿を現します。その先頭には少し得意げな顔のスライムさんがいました。
「スライムさんは、つよいねぇ」
負けてらんないなぁ、とつぶやいて、ゆうしゃちゃんは闘技場の壁に向かって大きく剣を振りました。剣の蒼い光が衝撃波となって、分厚い石の壁に、やつざきアニマルでも通れるくらいの大きな穴を開けました。薄暗い闘技場に明るい太陽の光が射し込みます。ゆうしゃちゃんは剣を天に向かって掲げると、大きな声で言いました。
「みんな、にっげろーーーっ!!!」
ゆうしゃちゃんの声を合図に、魔物たちは石壁に穿たれた穴から外へと飛び出していきます。魔物たちが解き放たれたことをようやく理解し、観客たちが悲鳴を上げて出口に殺到していきました。ゆうしゃちゃんもやつざきアニマルと共に、太陽の下へと駆けだしていきました。
やがて闘技場からは魔物も、観客もいなくなりました。誰もいなくなった闘技場に、一人、興行主だけがぽつんと座り込んでいました。
「終わりだ……全部……」
興行主は放心したようにそうつぶやきました。その目は焦点が合わず、目を開いていても何も見てはいないようです。そんな興行主に、ゆっくりと近づく一つの影がありました。スライムさんです。興行主はスライムさんが近づいて来ることにもまるで気付いていません。スライムさんは興行主のかたわらに立つと、その前にそっと転職情報誌を置いて、そして静かに去って行きました。
逃げ出した魔物たちは、ゆうしゃちゃんに先導されて町の近くの草原に集められました。そしてそこで、後から来たスライムさんに指示を受け、いくつかのグループに分かれて各々の故郷に帰ることになりました。人間たちに仕返しすると息巻く魔物もいましたが、スライムさんに説得され、最終的にはギロリとにらまれて、しぶしぶ納得したようでした。各グループはそれぞれ最も強い力を持つ魔物がリーダーに任ぜられ、リーダーは責任をもってメンバーを故郷に帰すことになりました。魔物たちはゆうしゃちゃんたちにぺこりと頭を下げると、海へ、山へ、森へと、それぞれの故郷に向けて去って行きました。ゆうしゃちゃんは大きく手を振って、みんなの無事を祈りながら後ろ姿を見送りました。
「がう」
ゆうしゃちゃんの横では、やつざきアニマルが魔物たちに前足を振っています。やつざきアニマルは故郷に帰らなかったのです。
「本当にいいの?」
ゆうしゃちゃんはやつざきアニマルを見上げました。やつざきアニマルは大きくうなずくと、甘えるようにのどをゴロゴロと鳴らしました。どうやらやつざきアニマルは、ゆうしゃちゃんを好きになったようです。
「でも、私たち今から、魔王のお城に行くんだ。遠いし、きっと大変よ。それでもいい?」
やつざきアニマルは返事の代わりにゆうしゃちゃんのエリの後ろを噛むと、ひょいっと持ち上げて背中に乗せました。
「乗せてくれるの?」
やつざきアニマルは得意げに「がう」と返事をします。ゆうしゃちゃんはやつざきアニマルの首を撫でて言いました。
「ありがとう。やさしいね」
やつざきアニマルはうれしそうにゴロゴロとのどを鳴らしました。スライムさんがぴょんと飛び上がり、器用にやつざきアニマルの身体をよじ登って、ゆうしゃちゃんの頭の上に乗りました。どうやらスライムさんはゆうしゃちゃんの頭の上を定位置に決めたようです。
「ねぇ、スライムさん」
ゆうしゃちゃんは頭の上のスライムさんに声を掛けます。
「魔王って、どんな奴なのかなぁ?」
スライムさんは首をかしげるように身体を傾けました。
「もしね、もし、魔王が悪い奴じゃなかったら」
ゆうしゃちゃんは少し恥ずかしそうに顔を赤くして言いました。
「私、お友達になりたいな」
スライムさんは虚を突かれたように目を見開き、そしてふっと表情をゆるめると、「ぷるぷるっ」と答えを返しました。ホッとしたようにうなずき、ゆうしゃちゃんは背筋を伸ばすと、西の空を指さして元気よく叫びました。
「ようし! 魔王のお城に向かって、しゅっぱーつ!」
やつざきアニマルが「がうっ!」と応え、西に向かって駆けだしました。
こうしてゆうしゃちゃんは、スライムさんと、やつざきアニマルと共に、魔王の待つお城を目指して旅立ちました。退治するのではなく、お話をするために。空は快晴、風は穏やか。旅の成功を確信するように、ゆうしゃちゃんの頭の上でスライムさんがぷるぷると笑っていました。