第三話 駆け寄ってくる妹もかわいい
急ぎ足で、でも走らないで歩く。
歩道でも「道で走っちゃいけない」ってヒメに教えてるんだ、お兄ちゃんたるもの、自分も守らなきゃいけない。
バスを降りていくつかの交差点を早足で越えていくと、ようやく保育園が見えてきた。
長い学校生活だった……ようやく、ようやくヒメに会える。
はやる気持ちを抑えて、お迎えのブザーを押そうとして。
「あー! お兄ちゃんだー!」
「ヒメ!」
門を挟んで、玄関にヒメの姿が見えた。
新任のののか先生も一緒だ。
「わあ、ほんとにいた……」
「えへへ。ヒメね、お兄ちゃんがどこにいるかわかるんだよ!」
「そうなんだ、すごいねヒメちゃん」
小さいのに大きく見えるリュックを背負って、ヒメはニコニコしてる。天使かわいい。
しかもちゃんと飛び出さないで、俺が保育園の敷地に入るのを待ってる。ウチの妹が天才すぎてこわい。
「ただいま、ヒメ。迎えに来たぞー」
「おかえり、お兄ちゃん!」
ののか先生がオートロックを開けてくれて、俺は保育園の敷地に入った。
ヒメが駆け寄ってくる。
ヒザをついて両手を広げて受け止める。
やわらかい。あったかい。
ちょっと離れてヒメの全身をチェックする。
うん、怪我はないみたいだ。よかった、俺が一緒にいられない間に怪我でもしたら、お兄ちゃんはもうね……。後悔で高校なんて辞めちゃうところだよ……。
「お迎えなのに、ミコトさんが『ただいま』なんですか?」
「それはそうですよ、ヒメがいる場所が、俺の帰るところですから!」
「は、はあ。初日でもう、お兄さんのヒメちゃん愛に慣れてきました」
「あのね、ヒメね、お兄ちゃんがちかくにきたー!ってわかったんだよ! だからね、ののかせんせーにおねがいして、おむかえにきたの! そしたらお兄ちゃんがきてね、ののかせんせーがびっくりしてたの!」
「そっかそっかヒメはすごいなあ。俺もお兄ちゃんアンテナがあるんだ。ヒメがどこにいるかすぐわかるんだぞ? ほら、ここにいたー!」
「きゃー! えっと、じゃあヒメは、ヒメあんてな?」
「そっかあヒメはお兄ちゃんがわかるんだなあ。えらいえらい」
「へへー」
「けど、外で俺がいない時は一人で動きまわっちゃダメだよ。迷子になっちゃったら大変だから」
「はーい!」
「うん? 俺がヒメを探すんだから、俺がヒメアンテナで、ヒメがお兄ちゃんアンテナかな? どっちだろ」
「うーん、どっちどち?」
「どっちどちだろうなー」
俺が考えだすと、ヒメもこてんと首を傾けた。
舌ったらずな「どっちどち」がかわいいから今後どっちはどっちどち。
「ミコトさんとヒメちゃん、すっごく仲良しさんですね」
「それはもう! ヒメはどうだった、今日も仲良く遊んでたか?」
「うん! あのね、みんなであたらしいおゆーぎをやったんだよ!」
「おーそっかそっか。家に帰ったら見せてくれるかな?」
「えっとね、まだだめ!」
「うっ。そっか……」
「ほらほらミコトさん、いずれ見せてもらえるんだからいいじゃないですか」
「園長先生」
「そうですよミコトさん。ね、ヒメちゃん、上手にできるようになったらお兄ちゃんに見せてあげようね」
「うんっ!」
「ヒメちゃんはすごいんですよ、楽しそうにお遊戯を練習して、まわりのお友達もどんどん巻き込んでいくんです」
「さすがウチの姫! ヒメの魅力にみんなが夢中になっちゃったかー」
「いままた『ヒメ』ちゃんの発音がおかしかったような……最初だけ……」
「ふふ、ヒメちゃんはベテランですものね」
「……え? 園長先生、どういう意味ですか? まさか園長先生は気づいて」
「ヒメちゃんは年長さんで、ののか先生より保育園歴が長いものね」
「ああ、そういうことですか。それを言うなら園長先生が一番保育園歴が長い大ベテランじゃないですか」
「あら? 女性にそういうこと言うのね? あの頃のミコちゃんはかわいらしかったのに、時が流れるのは早いものねえ」
「みこちゃん? あのね、えんちょーせんせー。お兄ちゃんはみことっていうんだよ?」
「ふふ、知ってますよ、ヒメちゃん。でも、ミコトさんにもヒメちゃんみたいに小さな頃があったのです。この保育園に通ってた当時、ミコちゃんはいっつもチカちゃんと一緒で」
「やめてください園長先生……俺も千花もほんと園長先生にはお世話になりましたね……」
「わあ! お兄ちゃんはなにぐみさんだったの?」
「え? どうだったっけなあ……くっ、妹の質問に応えられないお兄ちゃんなんて! 思い出せ、思い出すんだ俺、あの頃は」
「ミコトさんはぞうさん組でしたね」
「わ、ヒメとおんなじだ!」
「園長先生に負けた……お兄ちゃんなのに……」
「ミコトさんの保育園時代ってことは、10年以上前? 園長先生の記憶力がすごい……私やっていけるかな……」
「うー。ヒメ、お兄ちゃんといっしょに、ほいくえん行きたかったなあ」
「くっ! 園長先生! 俺、明日から再入園します!」
「まあ。どうしようかしら」
「えっ、園長先生、考えちゃうんですか? ミコトさんは高校生でさすがに無理だと思うなあ……」
「そうねえ、ミコトさんが5歳のミコちゃんに戻れるなら再入園を認めますけど……」
「……諦めるしかない、か。ヒメ、お兄ちゃんとヒメが同じぞうさん組になったら、お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃなくなっちゃうぞ? 同い歳ってことだもんな」
「えー? お兄ちゃんはお兄ちゃんがいい! いっしょに行くよりお兄ちゃんがいい!」
「お兄ちゃんも、同じクラスよりヒメのお兄ちゃんでありたい!」
「お兄ちゃん!」
「ヒメ!」
しがみついてきたヒメを抱きしめる。
このぬくもりも小ささも、俺がお兄ちゃんだから感じられることだ。
同級生も魅力的だけど、どっちどちかというとお兄ちゃんは譲れない。
「これが毎日なのかな……私明日からやっていけるかな……ううん、兄妹仲良しなのはいいことだもの、そうよ、慣れるのよ私。がんばれ私」
「ほらほら、仲良し兄妹は早く帰りなさい。ヒメちゃん、また来週、待ってますからね」
「はーい! えんちょーせんせー、ののかせんせー、さようなら!」
園長先生に促されて、ののか先生からヒメの荷物と連絡ノートを受け取る。
ちゃんとお別れの挨拶ができる妹がお利口さんで姫かわいい。
ぶんぶん振られるちっちゃい手がもう愛しすぎてなんで俺の目はカメラじゃないのか。
「じゃあまた月曜日に。ありがとうございました」
ヒメの小さな手を握って頭を下げる。
今日で、長い長い平日が終わった。
明日は週末、つまりヒメと一日中一緒にいられる日だ。
「よし! ヒメ、スーパーに寄ってから帰ろうか。買い出ししておかないとね!」
「はーい!」
元気に手をあげて返事をする妹がかわいすぎて人生ハッピーです!