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豆腐メンタルに贈る、哲学のススメ

作者: Via

さて、理屈はいいからおすすめの哲学書を紹介しろよ、という人もいるかもしれない。せっかちさんのために、二冊ほど、豆腐メンタル向けの哲学書を紹介しておく。


『哲学の謎』野矢茂樹

『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル


これから私が書くことは、結局の所、「どうしてこれを読むと豆腐メンタルが強化されるのか」という仕組みだ。仕組みが分からなくても、効果はあるかもしれない。でも、仕組みを知っておいた方が、活かしやすいと思う。だから、読む気になるところまでは、読み進めてほしい。


1,自己紹介


興味のない人は読み飛ばしてくれてもかまわない。


何でこんな無駄な項目を用意したかと言えば、私が豆腐メンタルだったら、「これを読めば変わるよ」と言ったって信用してもらえなさそうだからだ。いくら「誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要なんだ」と言っても、じゃあ何でおまえは実現できてないんだよ、と言うツッコミがクリティカルになるケースもある。


だから私のメンタルが、豆腐ではないことを示そう。


私はこれまで同人ゲームを作ってきた。どれもこれもマニアックで、ちまたで話題になったことはない。ゲーム制作でも私はずっと底辺だった。ゲーム投稿サイトで付くレビューも、だいたいは厳しめのもの。さすがに悪意ある攻撃的なコメントをもらったことはないが、不満点を書かれることの方が多い。


しかし、2chのスレで公開したときには、こう書かれた記憶がある。


「こんなの誰もやらないよ」


どうだろうか? 豆腐メンタル諸君は、「こんなの誰も読まないよ」と言われたら、傷ついてしまうのではないだろうか? だが、私はなんとも思わなかった。そっかー、あんまりお気に召さなかったかー、と感じただけだった。


制作を後悔しただとか、公開を取りやめようと思っただとか、その言葉に憤慨しただとか、次のゲーム製作の意欲がなくなっただとか、そういうことは全くなかった。その言葉に対して、反論もしていない。一つの意見、率直な感想として、それはそれとしてありがたく頂いた。


私が豆腐メンタルではないことは、信じてもらえるだろうか?


2,哲学とは何か


哲学を人に勧めるとき、問題になることがある。そもそも、哲学って何なのか? だ。


難しくて一つの答えを出せない、解釈次第でなんとでも言える主題に対して、銘々に好き勝手なことをのたまったもの。酔っ払いの人生論。


そういうものも時には哲学と呼ばれることがある。そのため、哲学というのは筋道を通さない、勝手な思いつきのことをいうのだと考えている人も多い様子だ。


が、それは誤解だ。論理学は哲学の一分野とされている。論理学の本を探すなら、哲学コーナーを見に行く必要がある。だが、論理学は数学の兄弟分だ。記号論理学がやっていることは、数学とうり二つ。数学が緻密な学問であることを疑う者はいないだろう? 論理学もまた同じくらい緻密な学問ということだ。


私は哲学という言葉を、かなり原始的な意味で使っている。すなわち、その言葉の創始者、ソクラテスに倣っている。


ソクラテスが言った意味での哲学(ギリシア語でフィロソフィア)は、「知を愛する」ということだった。言い換えれば「真実を愛する」になる。もっと身近な表現にすれば、「本当のことを知ろうとすること」が哲学の大元の意味だ。


私はこの意味に従っているから、豆腐メンタルな人たちに、哲学書を読ませたいわけではない。確かに哲学書を紹介したが、それはたまたまだ。本当は何だっていい。本当のことを知ろうとして右往左往する本なら、何だっていい。


哲学の歴史を知ることや、哲学者に詳しくなることでメンタルが強化されるとは思っていない。私がおすすめしているのは哲学であって、哲学学ではない。


ではなぜ、本当のことを知ろうとすることがメンタルを強化するのか?


3,豚もおだてりゃ木に登る


ここでの前提は、豆腐メンタル諸君は罵倒されると傷つくということだ。


では、その人々は、おだてられたら木に登ってしまわないか? けなされれば傷つくが、褒められてもうれしくないという人はいるだろうか? いるだろうね。私の予想では少数だが、そういう人もいると思う。


残念ながら、その人々には本稿は無意味だ。その種の人々に対しては、私も言葉を持たない。申し訳ない。


さて、残りの大多数の人々は、たぶん褒められたら喜ぶだろう。それを戒めるのが哲学だ。


哲学は、すでに解説したとおり、「本当のことを知ろうとする」態度のことをいう。つまり、哲学的素養のある人間は、「あなたは天才だ。あなたの書いたものは素晴らしい。とても価値がある」と言われたときに、「それは本当だろうか?」と考える。


この人はそう言っているが、それはこの人が勝手にそう思っているだけで、本当は違うんじゃないか? そう疑ってかかるのが哲学者だ。そしてもし、その発言が事実であることが確認されたとき、やっと喜び、誇りに思う。


ならば当然、逆の場合でも同じように展開されるべきだ。「あなたは馬鹿だ。あなたの書いたものはゴミ屑だ。何の価値もない」と言われたときにも、「それは本当だろうか?」と考えねばならない。


その人はそう言っているが(以下略)。その発言が事実であることが確認されたとき、やっと嘆き、反省するべきだろう。それが事実なら、その事実を教えてくれた人間を恨むのではなく、感謝するべきだ。さもなければその人は、「本当のことを知ろうとしていない」ことになる。


このように、おだてられて木に登る人と、けなされて傷つく人の間には、「本当のことを知ろうとしていない」という共通点が見られる。それ故に、哲学的素養の差が、態度の差となって出てきているのではないかと思われたわけだ。


4,哲学を学ぶ意義


ではなぜ私が前述の二書をおすすめするかといえば、これは答えを教えてくれる本ではないからだ。問いを立て、さまよい歩く本(『哲学の謎』)と、哲学者の思索を追体験しながら紹介する本(『ソフィーの世界』)だ。しかも文章は平易で、子供でも読める。


それは本当なのか? 本当の答えを探すためには、どういう道のりを行けばいいのか? そういう例を見せてくれる本として紹介した。


世の中には様々な考え方、回答がある。どれも違ってどれもいい、というわけではない。あれは間違い、これも間違い。そうやって何本もの道にバッテンをつけて、それでもまだ可能性のある道が無数に残されている。


そうやっていくつもの考え方に触れ、考慮するに足る意見と足らない意見の見分け方にも慣れていけば、様々な評価に対して冷静に対処することが出来るようになるだろう。


ただの個人的見解など、いちいちムキになって相手する価値のないものだということが、身に染みついてしまえば。


論証という過程が省かれた全ての発言は、「そう考えている人がそこにいる」という表明程度のものでしかない。それにすら怒りを覚えるというのは、「自分と違う考え方が存在することが許せない」のと変わらない。


哲学的素養が身につけば、そういうことはなくなるはずだ。

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