逢魔が洞4(ナイト)
「やっと捕まえた……」
琥珀色の髪を持つ少年が、こぼれる様な笑みをこちらに向けた。
「ほんとうに、長い間探し続けた。ほんとうに……」
しかたなく眉間にしわをよせると相手は嬉しげに微笑う。
「観念しなよ、今日でお前もおしまいだ」
思わず肩をすくめる。
「そうできるものなら、とっくにそうしている」
この世から消えてなくなりたいと、ずっと願っていたのに果たせずにここにいる。まるで何かの呪いのように。
「俺は、どうあっても死ねぬ」
しかし、少年は優しい顔で首を振る。
「言ったはずだよ、僕がお前を殺すって」
「俺にできぬことが、お前にできるはずがあるまい」
「できるさ。一つだけ方法があるからね」
少し興味が出たので目で促すと、少年はほのかに微笑んだ。
「僕を食うのさ」
瞬時、喉が引きつるほどの渇きを感じ、ナイトは一歩後ろに下がる。
「……それはできない」
「なぜ?」
「俺はお前を殺さないと言ったはずだ」
「なぜ?」
答えを返すかわりに、背中を向ける。
「……もう、俺を追うな」
そっと肘に、白い手がかかる。
「また同じ事を繰り返すの?」
振り向くと、かつて惹かれた強い瞳。
(……いや)
今もなおずっと求めてやまない琥珀の光。
「ねえ、そろそろ終わりにしようよ」
ナイトはしばしその目を見つめ、やがて小さくうなずく。
「いいだろう。お前がそれを望むなら」
少年の方に近づくと、相手は毅然とこちらを見据える。
「目を閉じろ」
反論するかと思ったが、意外に素直にまぶたが閉じられた。
ナイトはぐいっと相手のあごをつかみ、そしてその唇を強く吸う。
「っ!」
驚愕したような表情がこちらを見る。
その唇から一筋垂れた紅い血を舐め、ナイトはゆっくりと笑う。
「これで思い残すことは何もない」
「馬鹿なっ!」
少年はいきり立つ。
「食えって言ってるだろ?」
「血を舐めただけでも毒は効く。そうだな?」
「骨までしゃぶらないと効かないよ!」
「確か、数日後に毒が回るのだったか。お前はどうする? ここで俺が自分のはらわたを引きずり出してのたうち回るのを見ているか?」
憎悪に満ちた瞳がこちらを見据えた。
「どうして僕を殺さない?」
「殺さないのではない。殺せないのだ」
「なぜ?」
「……わからない」
溜息がこぼれる。
「強いて言えば、どうしても引き抜けない一片の花のようなものだからか」
馬鹿げたことを言われたと思ったのか、少年は目を見開いたまま立ちつくした。
仕方なしにナイトはもう一度追い払う言葉をかける。
「わかったなら行け。俺を殺せてお前は満足だろう?」
「……だ」
「……なに?」
「どうしてお前には効かないんだ?」
ナイトは眉間にしわをよせる。
「何のことだ?」
少年は小さな黒い瓶をポケットから出した。
見覚えはある。
広場で子どもが飲んでいたものだ。
「お前を捜すための旅の途中で読んだ本に書いてあった。……この毒を飲んだ人間が傍にいると、吸血鬼は理性を奪われ血を吸わないではいられなくなる。そうして血を吸ったが最後、数日後には苦痛のあまり、自らその身体を引き裂いて死に至る、と」
だからあれほど善良で臆病だった彼らが、あんなにあっさりと子どもを食ったのだ。
「吐き気のする話だ」
「お前の鉄壁の自制心には効果はなかったようだけど」
「そうでもない、俺も弱い男の一人だ」
食いこそしなかったものの、その代わりに相手のプライドを砕くような真似をしたのは間違いない。
手放さずに済むよう拘束し……
(そうしなければ、自分を抑えることができなかった)
だが、少年は肩をすくめ、挑戦的な目でこちらを見る。
「ま、そういう訳だから、お前は僕をどうしても殺さなければならない」
ナイトは頷いた。
「贖罪……のつもりか?」
「そんなわけないだろう。吸血鬼と人は一緒の世界に生きられない。どちらかがどちらかを滅ぼさねばならない。お互いに相手を生かしておくわけにはいかないんだ」
「ならどうして、俺に食われようとした?」
少年は押し黙る。
それを見て、ナイトはさらに言葉を継ぐ。
「それともう一つ、その毒を飲もうが飲むまいが、我々が人を食う側だとお前は知っていた。なのに、どうして黙って村についてきた?」
「引き返せない事情があったんだ」
「では、お前を一人にして俺が出歩いていたときに逃げなかったのは何故だ?」
「……それは」
少年は沈黙したが、やがて意を決したように顔を上げる。
「お前は、話に聞いていた魔物とは違うと思ったからだ」
「……」
「町の大人たちなどより、よほど気高く見えた。いずれにせよ、全ての事情を知る僕は殺される運命にあったから、せめて、どうせ手をかけられるなら、あいつらよりお前の方がいいと思った」
眉をひそめると、相手はこちらを見据える。
「一目見たときから、惹かれてたんだ」
数歩歩き、少年はナイトの肩に手をかけると、背伸びして唇に自分のそれを当てる。
(……ああ、そうか)
ようやくナイトは気づく。
自分がどうして大地に溶けず、未だこの世にいるのかを。
少年の魂がどうして今までさまよわねばならなかったのかを。
ゆっくりとキスを引きはがし、ナイトは首を振る。
「人は死ねば天に召されるが、我々は大地と一つになる。それはどうしようもないことだ」
「それは問題ないと思う」
奇妙なほど澄んだ笑みがナイトに向けられた。
「もう、僕は君から離れないし……それに」
少しはにかんだ表情で少年はこちらを見上げる。
「大地への感謝をこめて肥料と化す雑草に、僕もちょっとなってみたい」
心は決まった。
「ならば一緒に行くか?」
「……うん」
相手の身体をわずかに持ち上げてから強く抱きしめる。
心臓がほとんど同じ位置になったのを確認してから、ナイトはゆっくりと片手で剣先を少年の背中に向け、一気に二つの心臓を突き刺した……
ガラスが澄んだ音を起てて砕けたような音がした。
ナイトは朦朧とする頭を一つ振り、それから腕の中にソーラがいることに気づいて跳び上がった。
「うわっ!」
しかし、相手を離したあと、以前と決定的に違う部分を発見して顔をしかめる。
足。
そこに彼の一部であるかのように存在していた銀の輪。それが消えてなくなっていたのだ。
だが、それ以外の事については……
「……ソ、ソラ」
まじまじと見た相手は、気恥ずかしそうにこちらを見上げる。
「なに?」
「お前、本当に男になったのか?」
「え?」
慌てたようにソーラは自分の手や足を見つめた。
「なんか全然変わったように思えないけど、顔、バドみたいに精悍な感じになってる?」
「……いや」
顔も姿も声も、昨日までの姫君と寸分違わない。
「でも、おかしいな。男になったら僕は君を見下ろすはずだったのに、どうして今でも見上げてるんだろ」
後ろから駆け寄る足音に振り向くと、エルデがナイトの側を通り過ぎてソーラの側に立ち、そして肩を揺すった。
「ソーラ、大丈夫か? 何ともないか、具合はどうだ? 気分は悪くないか?」
「別に……」
しかしソーラが言葉を発する前に、エルデが大きなうめき声を上げた。
「胸囲が、わずかだが胸囲が減ってる……」
「え?」
ひどく落ち込んだ声でエルデがうめいた。
「本当に、男になってしまったんだな」
ナイトは眉をひそめた。
「胸も含めて、前と何一つ変わらないように思うが……」
言いかけたナイトを鋭い視線で威嚇したソーラをよそに、老ウィザードが両腕を腰に当てて独りうなずいた。
「まあ、些末なことはさておいてください。呪いは解けました。二度とあの二人の魂がこの世に災いを引き起こすことはないでしょう」
そうして、さっきまでナイトたちが立っていた場所の側に立ち、両手を上にあげる。
「あ!」
まばゆい光がそこから煙のように立ち上り、老ウィザードの手の上に収束していく。
光は棒のような形を得て、最後は一振りの剣となった。
「黒い、剣?」
老ウィザードはそのまま剣をナイトに捧げた。
「恐らくこれを扱えるのは貴公だけ。さあ、今、ここで装備をしておくのです」
恐る恐る手を伸ばし、ナイトは剣を手に取った。
(……いつもと同じ、だ)
何百年もの間、己の掌にあったままの感触。
少し後ずさって魔法使いから距離を置き、そしてあの頃のように振ってみる。
「ナイト、それ……」
ソーラが目を見張った。
漆黒の剣は黄金の光をまとい、鋭く空気を切り裂く。
老ウィザードは再び頷く。
「これでよいでしょう。さあ」
彼は三人を見渡した。
「時間はさほど残されてはいません。邪魔の入らぬうちに紫竜に会いなさい」
エルデが嫌な顔をした。
「またあの洞窟をはいずり回らなきゃいけないのか」
「この逢魔が洞に来れたのなら、同じように空から行けば城にはすぐつきましょうぞ」
「そうか!」
エルデが手を打った。
「そうと決まればソーラ、すぐにダンジョンを抜けよう」
感慨にふける間もなく、ナイトは剣を鞘に納め、そうして三人そろって魔法で再び空の下に場所を移す。
そして、まばゆい日光を見た瞬間、ナイトは左目の視力が戻っていることに気がついた。