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【悲報】俺の神社、参拝客が全然来ない

 

 『あなたは神を信じますか』。


そんな質問をされて真剣に答える人間が、今の世の中にどれくらい居るのだろう。昔は良かった、などとぼやくつもりはないのだが、近頃我が社を訪れる者の数があまりにも目減りしているので、そんな事を考えてしまう。


 そもそも、この地球というものが誕生した時からふらふらと世界を漂い、大それた意味も理由もなく思うままに様々な事柄を繋いだり、作ったりしていた我々を、本来なら自然や偶然、はたまた運命などといった言葉で一くくりにされるべき我々を、『神』という個別の存在に仕分けたのは、他ならない人間であった。


 その知能により生ける物の頂点に立った人間は、彼らの力をもってしても自由に出来ない事象や存在を『神』と呼称し、拝み、敬い、奉ることで共存しようとした。

 形は違えど、世界のどこと言わず、人間たちがことごとくこれを行うのだから、驚いたものだ。何せこちら側の存在を認識し、接触を図るものが現れたのは、生命を作ってから数十億年で初めてのことだったのだから。

 彼らは我々の住居を用意し、苦労して手に入れた食物を捧げ、時には歌や踊りを創って披露し、それを引き換えとして様々な希望を訴えた。

 元来娯楽など持たなかった我々にはこれが大層面白く、とあるものが「そんなに言うなら叶えてやろうじゃないか」と気まぐれでその訴えを聞き入れた。確か、雨を降らせて欲しいという嘆願だったと思う。いや、日照りを止めるのだったかなぁ。まあそんなに差異は無いだろう。とにかくそいつが望み通りにしてやると、人間たちは予想以上に喜んだ。その時の事を、俺は今でも鮮明に覚えている。


 人々は喜びに泣き、手を取り合い、三日三晩も『神』に感謝した。飢餓だというのに酒宴を開き、誰もが口々に我々の名を呼んで、他の生き物では決して表せない、笑顔というものを見せてくれた。それを見た時、俺は心の底からこう思ったものだ。


 ―――なんと可愛らしく、面白い生き物なのだろう!


 恐らく、その場に居た大多数のもの達が同じ事を思ったことだろう。我々は人間を作ったものを褒め、気まぐれで願いを叶えたものの背を叩いた。それから各地に散らばると、それぞれが思い思いに人間と接し始めたのである。

 時に願いを叶え、時に無視し、姿を現すこともあれば、夢で語りかけることもあった。そうして過ごす数千年は、我々―――いや、神々にとって、最も有意義な時間となったのだ。


 しかし。人間とはいささか優れすぎていた。

 目覚しい勢いで発展を続け、科学とやらを手に入れた彼らは、神に祈らなくても大概の願いを叶えられるようになってしまったのだ。結果として、我々の需要は著しく減った。


 ああ、やっぱり言わせてもらう。昔は良かった。

 某県某市、穏やかな田舎町にある寂れた神社。今日も一日誰も訪れない現状と昔を鑑み、俺はそんな事を思ってため息を吐いた。

 

      ◇◇◇

 

 思うに、我が松川神社へ訪れる人間の数が減ったのは、その道のりに理由があるのではないだろうか。なにせ丘の麓に立てられた案内板から頂上にある境内までやってくるには、実に千段を超える階段を登らなければならないのだ。車や自転車を使えるような道もなく、無意味に丘の外形を三周してようやく辿り着くようなさ寂れた神社へ、わざわざ参拝に訪れるような者は、ひょっとしなくても物好きと呼ばれるのかもしれない。

 それでも、昔は絶えず人がやって来たのだがなぁ。などと考えていたのは、文月―――8月のある日の事だった。


「ちくしょぉぉーッ! なんでなの! あんなに勉強したのに!!」


 町の喧騒を丘の木々が吸収し、水を打ったような静寂に包まれているはずの境内に、『物好き』な人間の叫び声が反響する。

 背格好や声の調子からしてかなり成人に近い年齢の女性だ。恐らく18、9または20歳といった所だろう。恋の季節と謳われる夏だというのに、あまり色気の感じられないTシャツとジーンズ生地のハーフパンツで、傍らにこれまた洒落気の感じられないショルダーバックを置いている。しかし、そんな服装が野暮ったく見えない、不思議な容姿の娘だった。薄い唇と奥二重が印象的な細い輪郭。贅肉ではなく適度な筋肉のついた四肢と、後頭部で揺れるポニーテールが行動的な性格を現している。実際の身長のわりに背が高く見えるのは、等身が高いからだろう。きちんと化粧をすれば、充分美人と区分けされる女性だ。


「古文のっ、英語のバカー! あんたたちのせいで、せいでっ!」


 彼女は、そんな事を叫びながら手にしていた紙片を地面に叩きつけ、それを勢い良く踏み、踏む。

 土まみれになるその紙が何なのかを覗いてみれば、どうやら試験の答案らしい。模試や判定といった文字が見られるので、恐らく予備校のものだろう。そういえば、一昨年ぐらいに全国でも大手のものが、市の繁華街に出来ていた。勉強をするための場所だというのに、城のような外見なので目立っているのだ。

 

 どうやら、そこで行われた模擬試験の結果が芳しくなかったらしいその娘は、悪鬼のような表情で五教科への罵詈雑言を叫び、答案に怒りをぶつけ、境内の土を削り、賽銭箱に蹴りを入れた。週に一度やってくる宮司が見たらひっくり返りそうな光景だ。罰当たりここに極まれり、といった様子である。がしかし、当の神である俺はその程度で罰を与えるほど狭量ではない。というか彼女のそれは、子供が拙く演舞を舞う様に似ていて、微笑ましい限りだった。


 しかしこの娘、よく暴れる。

 疲れた様子もなくもう3分も丘中に響くような音量で叫んでいるのだ。よく息が続くものだと感心するばかりだが、逆に考えてこれほどやっても発散しきれないというのは、一体どれほどのストレスだというのだろうか。そして、彼女はたかだか模試の結果一つ程度で何故ここまで荒むのか。


 と、思った所で、俺は気がついた。

 そうか。彼女の年齢が俺の予想通りだったとする。現在8月で最低18歳。そんな娘が予備校に通っているということは、それはつまりいわゆる一つの、浪人生という奴ではないか。受験に失敗したというなら、荒んでいる理由になるだろう。

 だがしかし、この松川神社に住まうとされているのは縁結びの神だ。祀られる俺からしてみれば、学業だろうが縁結びだろうが、ようは人の願いを叶えるのだからどちらも同じことではあるのだが、とにかく人の間ではそういうことになっている。学業成就の願いであれば、市内にそう伝えられている有名な神社があるので、皆そちらに向かうはずだ。


「これで来年受からなかったら、英語を呪ってやる! 末代まで祟ってやる! 世界共通語の座をロシア語にでも奪われればいいんだわ!」


 もはや意味すら通っていない恨み言を英語の答案に浴びせる娘。

 そう言えば、彼女はストレスを発散するばかりで一向に参拝しようとしない。ということは、受験のために神頼みをしようというのではなく、本当にただストレスを発散するために、人気の無いところを求めてここに行き着いたということだろうか。ここまで追い詰められているというのに、神社を前にして鐘すら鳴らさないとは、驚くべき信心の無さである。今の日本では、神を信じていなくても神頼みだけはするというのが常識だったはずなのに、彼女はそれをしない。


 俺は、何だかこの娘に興味が沸いてきた。


 ゆえに少し、彼女の素性を覗いてみることにする。俺は、自分の体を娘の体に重ねた。と言っても、俺には物質界で通用する肉体が無いので、肌が接触するような事は無い。よって、娘の方は何も感じないはずだ。

 神というのはすべからず、生き物と体を重ねることで、その記憶を読み取ることが出来る。人間は生物の中でもとりわけ「個」が濃いので、どう接するにしろ、まずはこうやって素性を知らなければならない。悪逆無道の輩が人畜無害を装って懇願しているのかもしれないし、何より、質問攻めにするような神は疎まれるのだ。体験した俺が言うのだから間違いない。


 さて、それで得た情報によると、この娘の名前は上谷ミカと言うらしい。松川町に住む18歳の浪人生で、来月19歳になるようだ。家庭は平凡な4人家族。両親に中学3年の弟が1人。学校の成績は大別すれば優秀な部類に入る。運動も不得意ではないが、部活動などでこれといった華々しい経歴は無い。大きな事故や不幸も未だ経験していないようだ。

 ここまで見ると、神を毛嫌いするような体験をしたり、生来素行が悪かったりするような者ではないように思える。しかし、ならば何故彼女は賽銭箱を蹴飛ばしたりするのか。どうして神に祈らないのか。謎は深まるばかりである。これは素性だけでなく、彼女の内面まで覗かないことには、真相を解明できないようだ。

 そうでなくては張り合いが無い。久々に面白そうな人間を見つけた。そう胸を躍らせながら、娘の心に意識を向けた―――その時だった。


「だ、誰か、いるんですかー……!」


 風鈴が鳴るようにささやかな、しかしよく通る声が境内に響いた。人は居ないと信じ込み、夢中で暴れていた上谷ミカの耳にもそれは届き、「うひゃぁっ!」と上ずった悲鳴をあげて彼女は硬直する。

 人間の内面を覗くという作業には、体だけでなく俺の意識まで対象に同調させる必要がある。そして同調させたという事は、すなわち上谷ミカが仰天すると、同じように俺も驚くという図式が成り立つのだ。

 俺も「ひょぉっ!」という情けない声を出し、一瞬の硬直を経て上谷ミカの体から脱出する。驚くなど、いつぶりだろうか。以前、人間が飛行機を生み出した時には心底驚いたものだが、こんなに動揺したりはしなかった。俺はとりあえず、落ち着くために本殿の中へと逃げ込むことにした。


 そうして俺がうろたえている間にも、状況は進行する。


「いらっしゃるんですよねー? へ、返事をしてくださいー」


 聞こえる新たな人間の声は、こちらも若い女のものだ。恐らく少女と表現する年齢だろう。声色には怯えが伺える。それはそうだろう。上谷ミカの叫びは、遠めに聞けば呪いの呪文に聞こえたに違いない。


「どっどど、どうしよう! 隠れなきゃ……!」


 少女を恐怖させる張本人はといえば、こちらも狼狽していた。ああして暴れるのに人気の無いところを選んだからには、彼女にも人並みの羞恥心があるのだ。相手が誰であれ、自分の痴態を見られたくないという気持ちがあったのだろう。

 少女は、境内で呪言を吐く人物へ警戒心を顕わにしながらも、勇気を出して一歩一歩階段を上っている。上谷ミカは必死に隠れ場所を探しているが、ここは寂れた神社だ。物陰など殆どないので、右往左往しながらどうするかを考えている。


 普段は静寂が包むこの境内も、今日は2人の人間がいるので騒がしい。それは、実に喜ばしいことだ。一足先に落ち着きを取り戻した俺は、しばらくの間本殿の中に座して成り行きを見守ることにした。


「どうして、返事をしてくださらないのですかー」

 よっぽど怖いのだろう、泣きそうな声で少女は言う。そこまでなら、逃げれば良いものを。


「本殿の裏……はすぐ見つかるし、軒下……は入れないし。うわぁ、どうしよう!」

 諦めるほかないだろう。


「し、失礼しますねー……」

 ついに、少女の頭が階段の最上段に到達した。恐る恐る様子を伺おうとしている。上谷ミカはそれに気づくと、「い、一か八かっ!」と言って俺の座す本殿へ向かってきた。


 俺が宿にしている松川神社の本殿は、大きさ4畳ほど。神事の際に宮司と氏子総代とがぎりぎりは入れる程度の広さだ。無論、娘1人が隠れるのには十分である。上谷ミカが目をつけるのも無理はない。だが悲しいかな、本殿には鍵が掛かっているのだ。そしてそれは、神主らか氏子総代にしか解くことはできない。残念ながら彼女の賭けは失敗に終わる。


「あ、開いた。ラッキー!」


 どういうことだ。

 厳重に施錠されているはずの本殿扉は、何の労も無く上谷ミカに開かれた。なぜだ。いや、可能性は一つしかない。先週境内の掃除に来た神主が閉め忘れやがったのだ。奴め、人一倍信心深いくせにどうしてこう……。


「よし、これで!」


 などと思っている間に、上谷ミカは本殿の中へと入って来た。急いで扉を閉め、身を隠すことに成功する。が、しかし。


「ああっ、いけませんよ、本殿の中に入っては!」


 どう考えても時間的に間に合ったわけがない。彼女の不法侵入は少女に見咎められ、糾弾する声が本殿に届いた。境内の砂利を踏みながら、やはり怯えつつこちらに向かって来る少女。


「一難去ってって奴だわ……」

 まだ一つも去ってないだろ、お前の難は。

 頭を抱える上谷ミカ。絶体絶命とはこの事である。狭い本殿で、さらに隠れられる場所などあるはずもなく、できることはせいぜい上手い言い訳を考えることぐらいだろう。殆ど口から出任せを言うしかないだろうが、果たしてどんな事を喋るのか。

 そんな風に、期待していた時だった。


「ん、これって……」


 俺と、上谷ミカの目が合ったのは。


 そんなまさか。

 俺の周囲を見てみるが、彼女が注目しそうなものは見つからない。まさかこの状況で畳の荒れ具合を気にすることもないだろう。そうだったらよほどの阿呆か傑物だ。上谷ミカが俺の想像内に収まる人物なら、これはつまり、俺の存在に気づいているということになる。

 こちらから姿を見せるというなら、経験がある。だが、人間の方からというのは俺にとって初めての事だった。しかし考えてもみれば、その昔彼らが我々の存在に気づいたからこそ、俺はこの神社に住んでいられるのである。むしろ、今まで一度もそういった者に出会わなかったことの方が不思議なのかもしれない。

 とは言え、つい先ほどまで気づいていなかった人間が、なぜ突然見えるようになったのだろうか。不思議である。


 全く、この娘には驚かされてばかりだ。だが、人間とはこうでなくては。

 当の上谷ミカは、俺と目を合わせたまま何やら考え込んでいる。なるほど、彼女も神を見るのは初めてというわけだ。ならば取り急ぎ、俺の方から何か声を掛けてやらなければならないだろう。何せ俺は、神なのだから。

 大事なファーストコンタクトだ。偉そうにして嫌味になるといけない。俺は可能な限りフランクに喋りかけることにした。


「よぉ、上谷ミカ」

「……」


 あれ。


「なぁ、上谷ミカ?」

「……」


 無視である。びっくりだ。


 何故だ。そんなにおれが嫌いなのだろうか。それとも、音にしなかったからか? しかし、光を反射しない俺が見えるというのに、音は空気伝達でないと聞こえないなんて、理屈に合わないではないか。まさか、実は俺の姿が見えていないのというのか。この娘は本当に、畳の目が荒れているのを観察していたと言うのか?


 そうなのかと思いきや。


「うん、よし!」


 何と上谷ミカは、突然俺の衣装をむんずと掴んだではないか。いよいよ状況についていけない。しかも「あれ、何か重いなこれ」などと言いながら千切らんばかりに引っ張ってくる。何がどうして、こうなっているのだ。


「ど、どなたか存じませんが、こんなことはやめて下さい。不法侵入は……は、犯罪ですよ」


 混乱している間に、少女が本殿前へたどり着いていた。随分と時間が掛かっていたが、何とこの少女、この状況下で律儀に参拝の作法を守っていたのだ。鳥居を潜る際に礼をし、手水舎で身を清めてから、おっかなびっくり歩いてここまで来た。勇気があるのかないのか、この少女も中々見ていて退屈しない。


 いや、そんな事を思っている場合ではない。騒ぎの元凶たる変人が、俺の胸倉を掴みながら「やばいもう来た! ってかこの服、なんで袖に腕が通らないの!」と喚いているのだ。いつまでも意味が分からないと言っている訳にはいくまい。状況を整理しなければ。


 どうやら、上谷ミカに俺の姿そのものは見えていないらしい。

 が、俺の身に纏っている衣装だけは見えるし、触れるようだ。何故そうなったかは分からない。もしかすると、先ほど中途半端に意識を同調させたのが原因かもしれない。

 とにかく、彼女が衣装を見て、掴めているのは事実だ。そして俺の衣装というのは、神主が着る袴と同じような形をしている。それを彼女が着ようとしているということはつまり、神職者を装ってこの場をやり過ごそう、と考えたのではないだろうか。ここまで来たら観念するのが潔いと思うのだが、どうやら上谷ミカはかなり諦めの悪い性格らしい。


 しかし、我々が身に纏う衣装と人の衣服では、その在り方が根本から異なる。人間である上谷ミカが着るには、それなりの手順が必要であり、その過程を踏まないことには、いくら袖に手を入れても通るはずがないのだ。それに、よしんば着る事ができたとしても、物質として存在しているわけではないので、少女には見ることすらできない。

 ふむ。ここで、俺は1つ思いつきをした。と言っても、大層な事ではない。子供じみた、ほんの悪戯心である。なぜそんな事を思ったのかは、分からない。目の前の人間二人があまりに楽しそうなので、俺自身だんだんとこの騒ぎに一枚噛みたくなっていたのかもしれない。


 少しだけ、上谷ミカに手を貸してやろう。


「は、入りますよー」

 本殿の扉が、ギィと軋んだ。外から弱弱しく投降を呼びかけていた少女が、ついに強硬手段へ打って出たのだ。上谷ミカの表情が引きつる。まずい、早くしなければ。


 少女が扉を開け放つ寸前に、俺は衣装を脱いだ。そして上谷ミカの髪の毛を一本抜く。この行動が何を意味するかと言うと―――まあ、見ていれば分かるだろう。


 扉が、少女の手によって開かれた。


「ひゃっ」

「きゃあ!?」


 まず上谷ミカが驚き、次いで少女が悲鳴をあげる。それもそうだろう。彼女達からすれば何の前触れもなく、本殿の中から強い光が発して周囲を塗り潰し、木々が揺れる程の突風が吹き荒れたのだ。


 光と風は、ほんの数秒で収まった。しかしその間に境内は木の葉で散らかり、少女が尻もちをついてしまった。上谷ミカは「……え、えっ? 何?」と呆けながら辺りを見回し、何が起こったのかを必死で理解しようとしている。当然の反応ではあるが、いくら周囲を探っても分かるはずがない。

 なにせ、何かあったのは彼女の方なのだから。灯台下暗し、というやつだ。


 変化に気が付いたのは、尻もちをついた少女の方だった。

 突然の光で一時的に視力を失ったものの、昼間だったことも手伝ってそう時間をかけずに回復した彼女は、目をこすりながら立ち上がって「い、今のは……?」と首を動かす。が、その必要はほとんどなかった。少女の視線はすぐにある一点―――上谷ミカに釘づけとなる。

 少女は言った。


「かっ……」


 決して華美な装飾はなく、しかしそういった物よりも存在感と圧迫感を与える衣装。淡く発光しているように見えるのは、気のせいでも、日の光を反射してそう錯覚させているわけでもない。闇の中でネオンが輝くように、夜天に瞬く星々のように、陽光の中で衣装の放つ光が浮かび上がっているのだ。その不可思議さが、人の理解が及ばない不自然さが、この世とは別の理によって在る物なのだということを、言葉にしなくとも明瞭に語っている。


 そんな衣装を当然の如く纏う上谷ミカを見て、少女はこう言うしかなかった。


「神様ぁっ!?」


 そう。先ほど俺がとった行動は、おれの衣装を人間・上谷ミカに貸与するための手順だったのだ。あの光と風は、衣装が物質化した際に起きる影響である。神々しい衣装に光と風。それらを伴って神社の本殿から現れた上谷ミカは、少女からすれば確かに神が降臨したように見えるだろう。


「……?」


 しかし、神様と呼ばれた当人は相変わらず呆けた顔で、何事かと少女を見る。そして、少女の視線が自分の格好に向いていることに気づき、そこで初めて自分に起きた異常に気が付いた。しかし、それが分かったからといって、状況が理解できるはずもない。「うわっ!? いつの間に!?」と小声で驚き、再び混乱し始める。


「か、神様! 神様ですよね! そうなんですよね!」


 その上、少女が鼻息荒くまくしたてるので、上谷ミカはいよいよもって状況について行けなくなったようだ。「えっ、神様って、どういうこと?」と慌てた様子で、目の前の少女に問う。

 しかし。


「すごいっ、本当に神様に会えるなんて!」

「え、あれ。ねぇ」

「私、感激です! いえ、光栄です!」

「ちょっ」


 興奮気味の少女は上谷ミカの元へずいと近づくと、両手を包むように掴んで上下に振り、全身で喜びを表す。これは良いリアクションだ。ちょっと羨ましい。


「待って、待って! 一旦私の話を聞いて。落ち着いてよ、ね?」

「あ、はい。ごめんなさいっ」


 しかし、上谷ミカにそれを楽しむ余裕はないようだ。少女の様子で自分が神様と呼ばれていることを察したらしく、どうしたものかと冷や汗を額に浮かべている。


「あのさ、神様って、ひょっとして私の事を言ってる……?」

「え? それは、もちろんそうですけれど」

「あー、そう? やっぱり? ふぅん……」


 さあ、ここからが本番である。理解も納得も全く追いつかないであろうこの状況に、果たして上谷ミカは対応できるのだろうか。


 彼女には、2つの選択肢がある。まず1つは、当初の予定通り神主を名乗ることだ。今は女性神職というのも珍しくないし、ここは基本的に無人なので、神主の顔が知られているということも無い。「掃除に来た」など適当な理由さえ思い浮かべば、誤魔化すことはそう難しくないだろう。


 そしてもう1つは、このまま神を騙ってしまう、という選択肢。何しろ少女自身が上谷ミカを見て神だと言っているのだから、それに乗っかってしまうのも手だろう。一見正解に思えるが、演じる役柄として、神主と神では天地の差がある。当然、神の方が難しい。上谷ミカには、奇跡を起こすどころか、手品の1つも満足に出来ないのだから。


 しかしこのまま何もしなければ、彼女はコスプレ不審者として警察行きだ。俺がスッポンポンになってまで協力しているのだから、できればうまく切り抜けてほしいものである。

 さぁ、どちらを選ぶ、上谷ミカ。


「あの。あなたは神様、なんですよね?」

 

 唸っている間に、少女から追撃があった。


「へっ!?」

「……もしかして、私間違えてしまいましたか……?」

「いや、えーっと、私はね、この神社の……あれ、何て言うんだっけ、あの、アレよ」

「アレ?」


 少女が眉をひそめて問い返す。上谷ミカがやはりうろたえ、呟く。「えーっと、住職じゃなくて……っ」間違いない。彼女は、『神主』という単語をど忘れしているのだ。しかし、一体誰がそのことを責められるだろう。こんな訳のわからない状況に陥って、まともに思考回路を回せというほうが無茶だ。


「アレって、なんですか」


 少女が容赦なく問い詰める。『神主』という単語が出てこない以上、選択肢は1つしか残されていない。一瞬、恐らく本人にとっては長い時間を悩み、上谷ミカはゴクリと唾を飲み込んだ。どうやら決意が出来たらしい。腰に手を添え、慎ましい胸を張る。


「かっ、神様! 私、神様ですっ!」

「わぁ、やっぱり!」

 少女が破顔し、拍手する。


「あの、私、神様にお願いがあって来たんです! 聞いて頂けますか!」


 上谷ミカは、泣きそうな表情で「うん……」と答えた。もうどうにでもなれ、と思考を放棄したのが、表情からはっきりと読み取れる。どうやらまだまだ楽しませてくれるようなので、とりあえず俺は、スッポンポンのまま居住まいを正した。


     ◇◇◇


 時刻は16時を回ったが、夏の太陽はまだまだ沈む気配を見せない。木々に囲われているおかげでいくらか涼しい境内だが、それでも日差しを直接浴びれば肉体を持つ人間にとって耐え難いようだ。上谷ミカと少女は、唯一日陰のある本殿の階段に腰かけた。


 少女は、阪井ヨーコと名乗った。松川町内にある、市立中学の1年生らしい。

 落ち着いてから改めて観察すると、容姿に秀でているということが分かる。

 なにより印象的なのは目だ。瞳が大きく、ややたれ目で、穏やかな性格を予想させる。少し癖のある髪を襟まで伸ばし、身長が低い割に、恐らく同年代の異性を悩ませるだろう程度の肉付きが胸にある。全体的な雰囲気として、垢抜けた美少女というよりは、年齢相応の愛らしさを感じさせる。上谷ミカとは違い、化粧を最低限に留めた方が似合うだろう。


 普段なら、ここで彼女の素性を知るべく体を重ねるのだが、今回は見送ることにした。これという理由があったわけではなく、なんとなくその方がこの状況を楽しめるような気がしたからだ。

 さて。

 すったもんだの結果、上谷ミカは神を演じることになった。つい先ほどまで賽銭箱に蹴りを入れていた本人からすれば皮肉かもしれないが、眺めているこちらとしては面白い状況だ。

 果たして、神に祈らない彼女が、いたいけな女子中学生に『神頼み』をされた時、どのようなことが起こるのか。

 もちろん彼女には人知を超えた力も運命を操る能もない。神頼みをされても何もできず、口先だけ「承った」と言い、この場を誤魔化すのが普通だろう。しかし。俺は彼女がそんな普通の結末を迎えるとは思っていない。

 手前勝手ながら、この後の展開に期待しつつ、俺は二人の会話を拝聴する。


「―――それで、その方にお付き合いを申し込まれたのですが、その、私にそのつもりはなくって……。困っているんです」

  阪井ヨーコが話す悩みは、縁結びの神社ならではの、色恋に関するものだった。

 

「断ればいいんじゃないの?」

 上谷ミカが、もっともな答えを返す。しかし、少女は首を横に振った。


「一度、そうしたのですが、その翌日にまた告白されてしまって。その時もお断りしたのですが、諦めない、と言われてしまって……」

「うわ、なにそれ。私の弟みたいなヤツ」


 忌ま忌ましい、とでも言いたげに上谷ミカは眉を寄せる。そう言えば、彼女の弟が通う中学は阪井ヨーコが口にしたのと同じ学校だ。しかしまあ、小さな田舎町のことなので、とりわけて珍しいことではないだろう。


「神様、弟さんがいらっしゃるのですか」

 女子中学生は、神の家族構成に興味を示した。

 予想外の食いつきを受けた神様は、「あー……」と一瞬考え、「うん、まあね」と答えた。神に親姉弟が居るのは普通の事だ。


「もしかして、この神社に?」

「えっ? う、うーんと、この神社じゃないのよ。弟がいるのは、えーっと……そう、確か鶴岡八幡宮だったかな?」

「それって、鎌倉の!? すごいですね!」


 姉がここで弟が日本屈指の一宮とは、姉弟間で随分と扱いに差があるではないか。人間で例えれば、銀行員とフリーターぐらいの格差である。ひどい。しかしまあ恐らく、上谷ミカは神社の名前など有名所しか知らないのだろうし、寺の名前を挙げなかっただけよしとしよう。


「ま、まぁ、弟の事は関係ないから置いておいて……。今は、ヨーコちゃんの話でしょ?」

 これ以上続けるとボロが出ると判断したのだろう。上谷ミカは、話題を戻す。


「あっ、そうですね。えーと、どこまでお話したでしょうか」

「告白して来た先輩がしつこくて困ってるってところよ。それ、友達とかには相談しなかったの? もしくは、一言『嫌い!』って言って引っぱたくとかさ」

「いえ、その。あまり、事を荒立てたくなくて。お世話になっている先輩ですし……、角が立つと申し訳ないですから」

「ヨーコちゃんのそういう所に、ソイツが付け込んでるってわけだ」

「ごめんなさい。分かってはいるんですけれど」

「別に、ヨーコちゃんを責めてるわけじゃないよ。そういう風に出来るかどうかは性格だもん。良い悪いじゃないからね。それより、引き際をわきまえないやつの方が問題なのよ」


 よほどカンに触ったのか、上谷ミカは吐き捨てるように言った。

 その苛立ちが予想外だったのだろう。慌てて坂井ヨーコがフォローを入れる。


「いえっ、神様、上谷先輩が悪い人というわけではないんです。委員会はもちろん部活動でも頼りになると聞きますし、今回お断りしたのだって私の都合で……」


 ん? と思ったが、とりあえず聞く事を優先する。

 阪井ヨーコのフォローは逆効果だった。上谷ミカの弁に熱がこもる。


「でも、ヨーコちゃんは二回も断ってるんでしょ? しかも二日連続でさ。なのに諦めないって、そういうのはね、一途じゃなくて自己中って言うのよ。その―――」

 しかし、そこまで上谷ミカは言葉を詰まらせた。


「―――って、ちょっと待って。今、何先輩って言った?」

 どうやら、俺と同じところで引っかかったらしい。


「ああっ、すみません、神様は知らないですよね。上谷スグル(・・・・・)先輩は、私の通う学校の先輩で、空手部のエースなんです。私にとっては、美化委員会の委員長というイメージが強いんですけれど」


 名前と経歴を聞けば、自分の家族かどうかを判断するには充分すぎる。上谷ミカは「はぁああぁぁ……」とため息を吐きつつ頭を抱えた。彼女の弟は、この話に関係ないどろか、中心人物だったのだ。


「あのー、神様。どうかしましたか、頭痛ですか?」

「……ううん。大丈夫。神様ってこんなものよ」

「はぁ、そうなんですか?」


 よくわからない事を言って誤魔化す上谷ミカ。こんなものってどんなものだ。


「それより……まだ、具体的な事を聞いてなかったよね」

「具体的なこと、ですか?」

「私へのお願いだよ。ヨーコちゃんはどうしたい? その、スグルとかいうバカが言い寄って来ないようにすればいいの? それとも、一生女の子と話せなくしてやった方がいい?」


 完全に据わった目をしながら指でハサミを形作り、開いて閉じる。一体ナニを切ると言うのだろうか。乙女がしていい所作ではない。


「い、いえ。そういうことではなくて……。上谷先輩にいいお相手が見つかればいいな、と思ったんです。魅力的な女の子と恋に落ちれば、私のことはその、忘れてもらえるかと」

「……ふうん?」


 上谷ミカと共に、俺も感心した。他力本願ではあるものの、坂井ヨーコの考えは誰も傷つかないように、という点を中心に考えられている。神頼みとしては満点に近い願いだ。


「そんな事でいいの? 迷惑してるんでしょ、こらしめてやろうとか思わないの」

「でも、誰かに告白するのは自由です。確かに困りましたけれど、私だって嬉しくなかったわけではありませんから。懲らしめるとか、そういう事ではないと思うんです」

「なるほど。いいこと言うね、ヨーコちゃん」

 

 褒められると、坂井ヨーコは嬉しそうに「いえいえそんな」と謙遜した。それから姿勢を正し、見事な角度で一礼する。


「神様、改めてお願い致します。こちらの神社は、縁結びの神様を祀っているとおばあちゃんが教えてくれました。どうか、先輩にご縁を結んでいただけないでしょうか」


 それを受けて、上谷ミカは実に満足気な笑顔を浮かべる。どうやら、この少女の事を気に入ったようだ。言わずもがな、俺も同意である。

 彼女は、咳払いを1つしてから、言った。


「いいわ。ヨーコちゃんの願い、私が叶えてあげる」


    ◇◇◇

 

 俺が人間を面白い、と思うと所の1つが、個性の多様さだ。

 彼らには得手不得手がある。それまでの人生経験や身に着けた知識、習得した技術、生まれ持った才能によって、千差万別の適正を持つ。人間からすれば当たり前の事かもしれないが、俺にはそれが何とも愉快だった。

 今回の話も、そうだ。

 坂井ヨーコにとって、今自分の抱えている問題が望む形で解決するという事は、すなわち『神頼み』となる。運任せ、と言い換えてもいい。要は、彼女にとって都合よく、上谷スグルに運命の人が現れて欲しいなどいう願いは、偶然や奇跡でしか起こりえないだろう。そう思ったからこそ、彼女はこの神社にやって来たのだ。

 しかし。取り組む人間が変わることで、問題の難度というのは一変する。坂井ヨーコにとっては神頼みしかないと思える大望でも、上谷ミカからすれば赤子の手を捻るような些事となる。実際に、そんなことが起こり得る。これこそ、人間の持つ個性の多様さが成すことなのだ。


    ◇◇◇

 

 願いを叶える、と上谷ミカが言うと、阪井ヨーコは目を丸くした。


「本当ですか?」

「もちろん」

「ということは、私のお願い、聞いて下さるのですか!」

「だからそう言ってるじゃない。ちょちょいのチョイだよ?」

「うわぁ、やった! ありがとうございますー!」


 無邪気に抱き付いてきた少女の頭を、神様扮する娘が「うおっ、どうしたの急に」と言ってわしゃわしゃと撫でる。こうしてみると、じゃれ合う姉妹のようで、微笑ましい。


「じゃあ、ちょちょっとやって来るわね。少しの間、目を瞑って待っていてくれる?」

「はいっ!」

「いい返事。終わったら呼ぶから、待っててね」


 固く目を瞑った阪井ヨーコを階段に残し、上谷ミカは本殿の中へ入った。そこには、先ほど隠れる際に持ち込んだ私物のショルダーバックが置いてある。側面に付いた小さなポケットのチャックを開き、中に手を入れてあるものを取り出した。スマートフォンだ。何せ触ったことが無いので、俺はこの機械に詳しくないのだが、任意の人間と連絡を取るものだ、ということはおぼろげに理解している。


 誰に連絡しているのかは、言うまでもあるまい。


 上谷スグルについては、最初に上谷ミカの素性を覗いた時に、ある程度の情報は得ていた。とはいっても、直接覗いたわけではないので、あくまでも姉から見た弟、という多少偏った情報だ。

 ともかく、それによれば上谷スグルは現在中学3年生。その人物像を一言で説明するなら、『淫乱』と言えば相違なく伝わるだろう。

 彼は中学1年で精通を果たして以来、本能の隷属と化し、外見が良いことを武器として手当たり次第に異性を貪り、なんと実の姉にすら夜這いを仕掛けて家族会議を招集させたという経歴を持つ、好色の化身とも呼ぶべき少年なのである。

 当然のように上谷ミカは弟を危険視していたわけで、先ほど阪井ヨーコの話を聞いた時も真っ先に彼の事を思い浮かべたわけだが、しかし「関係ない話だ」と考えた。なぜ彼女がそんな事を思ったのか。その答えこそが、この問題を神に頼らず解決する糸口である。

 

 上谷ミカのスマートフォンに、上谷スグルとのチャット会話が表示される。


「阪井ヨーコちゃんにちょっかいを出すのをやめなさい」


 返事はすぐに来た。


「ミカちゃんって坂井さんと知り合いだったっけ?」


 文字だけの会話なので、感情が伝わりにくいのだろう。今の上谷ミカは断頭台の上に立つ処刑人のような表情だというのに、上谷スグルの文面からは危機感が感じられない。


「とぼけても無駄。それと、私のことは姉と呼びなさい」

「姉ちゃん、怒ってる?」

「答える義務は無いわ。とにかく、ヨーコちゃんにちょっかいを出すのはやめて」

「ごめん」

「私に謝られてもね。ミナミちゃんと別れたくなったなら、そう言えば?」 

「ごめんって」

「なんなら、色々と協力してあげようか。あんたにはもったいないもんね、あの子は」

「ごめんなさい 出来心でした ゆるしてください もうしません 本当に」

「許して欲しいなら、きちんと誠意をみせなさい」

「わかりました、お姉さま」

「……分かってると思うけど、私に媚びるってことじゃないからね。ミナミちゃんと、ヨーコちゃんに誠意を見せるのよ」


 最後にそう書き込んで、上谷ミカはスマートフォンをバックに戻した。今の会話に補足説明を加えると、次のようになる。


 中学1年から2年の間、性欲の操り人形に成り下がっていた上谷スグルは、同学年の転校生『ミナミちゃん』に恋をした。紆余曲折の後、2人は付き合う運びとなるが、ミナミちゃんは身持ちが固く、如何な上谷スグルとはいえどそれを崩すことが出来なかった。その影響で、少しずつ人間としての理性を取り戻していった上谷スグルだが、学期終わりにミナミちゃんが再び転校することになってしまう。遠距離恋愛をするにあたり、彼女は下半身に脳みそがある彼氏に気を配るよう、仲良くなった上谷ミカに依頼したのだ。上谷スグルもミナミちゃんにだけは本気だったようで、「浮気はしない」という彼女との約束を遵守するため、内に秘める淫獣を悶え苦しみながら制御し、約1年大人しくしていた。その成果が、上谷ミカに「弟は関係ない」と言わしめたのである。いや、結局は解き放たれているのだが。


 補足が長くなってしまったが、つまり。

 こと上谷スグルを対象にした場合、『縁結び』に最も適した人間こそが、姉であり監視役である上谷ミカなのである。


 これを運命と言わずになんと言うのだろう。

 断言しておくが、俺は衣装を貸す以外に一切手を加えていない。他の神が干渉してきたわけでもない。この、完成されたパズルのようにピタリとはまった状況は、神の思惑すら超えた偶然によって発生したのだ。

 俺は、久々に興奮を覚えていた。こんな事は、数百年に一度あるかないかである。

 役割を果たした上谷ミカが、坂井ヨーコの元へ向かう。もう目が離せない。


「終わったよ」


 そう言って、固く目を瞑っていた少女の肩を、神様が軽く叩く。「ど、どうでしたか」恐る恐る目を開ける彼女を安心させるように、肩を叩いた手が頭に移動し、優しく撫でた。


「上谷スグルには、きちんと縁結びをしておいたから。大丈夫、もうヨーコちゃんには言い寄って来ないよ」

「本当に……」


 阪井ヨーコは、未だ半信半疑といった様子だったが、「うん。神に誓って本当。なんてね」と上谷ミカがウインクして見せると、ようやく腹に落ちたらしい。深い溜息を吐きながら、液体にでもなったかのように脱力し、上谷ミカの膝へと崩れた。「よかったぁ」と声を漏らしつつ浮かべた表情は、疲労困憊のサラリーマンが名湯に浸かった時のような解放感で満たされていた。上谷スグルの告白は、よほど彼女を縛っていたらしい。そりゃそうか。


「よしよし。つらかったね。もう安心だよ」

「はい……」


 上谷ミカの膝の上に転がった阪井ヨーコは、傍から見ると人に慣れた動物を連想させた。俺の感覚的には、ヨーコという名前のせいか、子羊が最も近い。さきほどから突然抱き付かれたり膝枕にされたりと、やたらスキンシップを受ける自称神様だが、まんざらではないどころか嬉々とした様子で頭を撫でている。実際、彼女も動物に懐かれたような気分なのかもしれない。阪井ヨーコも心地よさそうだ。

 なんだかずっとそうしていそうな雰囲気が漂っていたのだが、それを打ち破るように、羊少女が「そうだ」とはっとして立ち上がった。


「私ったら、失礼をしました」

 阪井ヨーコは、スカートのポケットをまさぐると、そこから五円玉を取り出す。ここまで見れば、彼女が何をしたいかは単純明快だ。上谷ミカも、納得した表情を浮かべる。


「これ、お賽銭です。どうぞお納めください」

「やー、いいよ、そんなの。大したことしてないし」

 賽銭箱を蹴りつけた身としては、それは受け取りづらいだろうとも。


「いいえ、そうはいきません。ルールですから」

「うーん」

「何か、お礼がしたいんです。でも、今すぐに渡せるものはこれしかありません。お願いします、受け取ってください」

「……そこまで言うなら……まあ、じゃあ貰っておくね。ありがと」


 尻ごみしつつ、上谷ミカは五円玉を受け取った。さらに阪井ヨーコは、2回の礼と2回の柏手をきっちりこなすと、「神様……本当に、ありがとうございました!」と一礼する。面を上げると、実に晴れやかな笑顔を浮かべていた。うむ、眼福である。


「い、いいって、そんなにきっちりしなくても」

 上谷ミカが照れながら言う。

「それより、もう日も暮れるから、早く帰った方がいいよ。ほら、最近物騒だしさ」


 そう言われて、阪井ヨーコは腕にしていた時計を覗く。時間は17時40分。そろそろ、日光に茜色が混ざってくる時間帯だ。確かに、最近この町では痴漢などの犯罪が多いように思える。中学1年生の少女は、明るい内に家路へ着くべきだろう。


「そう、ですね……」

 晴れやかだった阪井ヨーコの笑顔が、わずかに曇る。彼女は少し考え込んでから、「あの、神様。またここに来たら、会ってもらえますか?」と小さな声で訊いた。


「……」

 恐らく、上谷ミカはこの質問を予想していたのだろう。黙っている時間は短かった。


「あなたが、本当に必要としているんだったら、私でよければ話を聞くよ」

少女の顔が、花が咲いたように明るくなる。しかし、「でもね」と彼女は続けた。


「その時は、きっとこうして話は出来ないと思う」

「え……?」

「今、私とヨーコちゃんが話をしているのは、本当に奇跡なの。私自身、どうしてこうなったか分からないくらい。……だからきっと、次も同じようにはいかないと思う」

「そう、なんですか。それは、とても……」

「でもね、絶対に会えないってわけじゃないよ。また、別な形で会うかもしれない。小さい町だから、そうなったとしても不思議じゃない」

「神様……」

「だから、そんな顔しないで。もし、神頼みが必要になるんなら、遠慮なくここに来て。神様がきっと叶えるから。ね」

「はいっ」


 上谷ミカは、「私が叶えてあげる」とは言わなかった。もしかすると、本心では神様を騙るのをやめて正体を明かし、人間『上谷ミカ』として阪井ヨーコと話をしたい、と思っているのかもしれない。仮にそうだとして、けれども本心のまま行動しないのは、何故だろう。保身のためだろうか。


 ……いや、止めよう。

 人間の考えることを完全に理解しようなど、おれにできるはずがない。これは邪推だ。それに、今ここで上谷ミカが正体を明かしたりしたら、無粋ではないか。だから、これでいいのだ。

 2人は、もう一度抱き合い、最後は笑顔で別れた。境内から見えなくなるまで阪井ヨーコは何度も振り返って手を振り、階段を下りて行く。それに応えながら、上谷ミカは少女を見送った。


     ◇◇◇


 1人減っただけだというのに、境内がやけに静かに感じる。日が暮れ始めているのも影響しているのかもしれない。


「うーん、良いことした、かな?」


 上谷ミカが、大きく伸びをしながらそう言った。

 ああ、したとも。あの状況でよくやったと思う。彼女の働きは、俺からすれば満点の評価を下せるものだった。

 満たされた表情を浮かべながら、上谷ミカは俺の居る本殿に向かってくる。先ほど彼女自身が言ったように、最近は物騒だ。遅くならない内に帰るつもりなのだろう。


 何だか、後ろ髪を引かれるような感覚があった。名残惜しい、と言い換えた方が正確かもしれない。これは、上谷ミカが去って行くことに対する寂しさだろうか。なぜそんな風に感じるのか、自分では今一つ理解できなかった。

 そんな事を考えている内に、上谷ミカが本殿に着き、衣装を脱いだ。洒落っ気のないTシャツとハーフパンツ。今の彼女を見れば、阪井ヨーコも人間だと思うだろう。脱ぐだけの着替えを終えると、部屋の隅に置いてある、参考書や筆記用具の詰まったショルダーバックを肩に掛ける。そういえば、彼女はそもそも模試のストレスを発散させるために、ここへ来たのだった。


 これで、帰り支度は終わりだ。後は家に向かうだけである。


「……っと、そうだ」


 しかし、彼女はそのまま出ていくのではなく、もう一度ショルダーバックを床に降ろした。何を始めるのかと思えば、先ほど脱いだ俺の衣装を折りたたみ始めたではないか。律儀というか、真面目というのか。化粧ひとつしていない所といい、年齢にしては珍しい性格の娘である。


 その様子を眺めていて、ふと思った。


 上谷ミカは、神を信じていなかった。しかし、今はどうなのだろう、と。俺の衣装を着て体験した今日の出来事は、神の存在を認知するきっかけとして十分ではないだろうか、と。


 そして気が付いた。さっき感じた名残惜しさの正体に。

 今の世の中、神を信じない者など山のように居る。それはいい。俺も、全人類に存在を認めさせようなどとは思っていない。神の醍醐味とは、物質界の裏側から人間にちょっかいを出して、その反応を観察できることにあるのだ。うやうやしく崇められることが重要なのではない。

 しかし。今、上谷ミカに対して俺はこう思う。

 俺の存在を認めて欲しいと。その上で、彼女と話をしてみたい、と。

 神を演じてどうだったか。衣装を着てみてどうだったか。阪井ヨーコをどう思ったか。今回の出来事で、神を信じることはできたのか。ぜひ、それを聞いてみたい。

 そんなことは、神の力を使って内面を覗けば分かることだ。何の労もなく、知る事ができる情報だ。しかし、俺は上谷ミカの口から聞くことそのものに価値があるのだと確信している。対話をしたくなる人間が現れるなど、数十年ぶりのことだった。


 袴をそうした経験が無かったのだろう。折り目に沿って畳んだというより、なんとなく小さくしたといった状態で俺の衣装を神棚の前に置いた上谷ミカは、今度こそショルダーバックを肩に掛け、本殿の扉に向かう。

 結局、俺は何もしなかった。

 彼女と話をしたいとは思っているのだが、どのように話しかけていいのか分からないのだ。何故そんな事を迷うのか、自分で自分が分からない。これでは、まるで人間ではないか。

 いっそ、姿を現してみようか。実際に目が合ってしまえば、この妙な迷いも吹っ切れるような気がする。しかし、俺自神が物質化すると、衣装の時とは比べ物にならない影響が出る。それはまずい。いや、一旦宇宙にでも行けばあるいは……。

 

 いよいよそんな事を考え始めた、


「あーあ」


 その時だった。


「なんだか、すっきりしたなぁ。あんなに叫んでも残ってたモヤモヤが、神様のフリをするだけでどこかにいっちゃうんだから、不思議だよね」

 

 唐突に語り始めたその言葉は、独り言のようにも、誰かに語りかけているようにも聞こえた。


「私は―――自分に見えないものは居ないと思うし、他人が見たって言っても、自分が信じられないものはやっぱり居ないんじゃないかな、と思う。だから、神様や仏様なんて雪男とかネッシーくらい信じてないし、お参りするのも馬鹿馬鹿しいって思ってた。でも」

 

 上谷ミカが振り返った。

 俺と目が合ったのが偶然なのか必然なのかは、分からない。


「一度でも私の目に見えて、居ると感じられたものは、居るんだって思う。それが、今まで全く信じられなかったものでも、信じてみていいんじゃないのかなって、思う」

 

 分からないが―――どうでもいい。そんな事を言うのは、やっぱり無粋だ。


「もしかすると、私は幻覚か何かを見ただけで、訳の分からない独り言を喋ってるだけなのかもしれないけど……、やっぱり、お礼は言わないとね。その服を貸してくれて、ありがとう」

 どういたしまして。


「それから、勝手に神様を名乗ってごめんなさい」

 構わないさ。


「あと、ヨーコちゃんに何かあったらここに来てって言っちゃったけど、それはいいよね?」

 それに関しては、俺からもありがとうと言いたいくらいだ。


「私も―――どうしようもなく困った時は、頼らせてもらってもいいかな?」

 もちろんだ。ああ、頼まれていなくても助けてやるとも。お前の信仰を得られるなら、お安い御用というやつだ。


 結局、俺は上谷ミカに信じてもらいたかっただけらしい。彼女から一方的に声を掛けられ、その言葉だけで、驚くほど満足してしまった自分が居る。

 姿を現すのも、話しかけるのもやめだ。見えない俺を信じてくれたなら、今は見えないままでいよう。本当の意味で目を見て話すのは、またの機会にしようではないか。何せ、彼女がまたここに来ると言っているのだから。


「―――ねえ。きっと、そこに居るんでしょう? 神様」


 そう決めたので、上谷ミカの問いに答える声は無い。

 彼女は、しんと静まっている四畳の部屋を一度ぐるりと見回し、「なんてね」と照れくさそうに頬を掻いた。今度こそ本殿の扉を開き、傾き始めた日の中を、階段に向かって歩き出す。


 姿を見せるのはやめたが、このまま別れるのも味気ない。

 俺は上谷ミカが鳥居を潜る前に、一つ偶然を起こした。

 ターゲットは、最近境内の木に出来たカラスの巣だ。この巣には材料として、小枝と一緒に人間の出した様々なゴミが利用されている。その内の一つを、落とさせてもらうことにした。それはカラスの巣から剥がれ、風に乗り、上谷ミカの頭上から目の前に落ちる。上手く気づいてくれたようで、彼女はその棒を拾った。


 それは、何でもないお菓子のゴミだ。駄菓子屋に売っている、100円もしない氷菓子の棒である。その表面には、メーカーが味の普及を目指して涙ぐましい努力をした結果が、3文字のひらがなで書かれている。


「あたり」


 俺の意図が伝わったかどうかは、やはり分からない。

 だが、それを見た上谷ミカはくすりと笑みをこぼしながら、ポケットに仕舞ってくれた。


 今日の所は、それで充分だろう。



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― 新着の感想 ―
[一言] 言葉にするには無粋ないい短編でした
2017/11/04 18:38 退会済み
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