魔王と勇者
そこは――
魔王城であった。
生きとし生けるものを未来永劫に恨み阻むような瘴気の森の一角にそびえ立つ禍々しいまでの城。血肉を啜る奇っ怪な植物が腐臭を放ち、ざわめく獣たちは異様な雄叫びを上げている。日中なのに薄暗いのは蛇の腹のような雲が天を覆い尽くしているからだ。風は常に錆びた血潮の匂いを運び、気の弱い者なら狂乱せしめるだけの幻霧が薄らと森の底に溜まっていた。
巡回にうろつく魔族の者達が警護するその城の最上部の魔王の間に、その主が髑髏であつらえた椅子に身を任せている。
巨躯。全長五メートルはあろうかという魔王はドラゴンの相貌で、体は鱗の生えた人間だ。魔王は鉛色の瞳で自らの部下の申告に耳を澄ませていた。
「ほう・・・勇者か」
地響きのようなが王の城を震わせた。低く覇者の言葉は重く部下の背中にのし掛かるようだった。
「はい。我が軍は確かに勇者の証を確認して参りました」
部下は魔王と同じ眷属のドラゴン属の魔人である。魔王の領土の制空権を管理し、偵察する部隊だ。
彼はその日、偵察任務で見た勇者一団と思わしきパーティーを魔王へと申告していた。
魔王はその報告を聞き終わった後、部下を下がらせコリコリと肩を揉んだ。
「陛下。このときがやって来たようですな」
魔王の横、影の様に控えていた魔王の宰相がホクホクと笑いながら呟く。宰相は魔王の領土に蔓延る魔植物たちの支配者。枯れ木のような小さな体はすべて瘴気に満ちた植物で構成されている。小さな体、といっても人の生き血を啜り無限に成長する魔植物の長。彼が力を解放すれば魔王城よりも巨大な吸血樹へと変わるだろう。
その宰相の言葉を聞き、魔王は僅かに目を細めてゆるりと息を吐いた。
「そのようだな。
時の移ろいとは早いものだ。前世紀末からもう1200年もたったか」
「ですな。我々も歳をとったものです」
「ふむ。お主は嬉しそうだな、宰相」
「ええ、嬉しいですとも。この時期はやはり各部署の成績がよくなりますからな。まぁ経理担当魔人達もこの百年は身を粉のしてますから次世紀はすこし休みをとらせなければなりませんが」
「因果なものである。我らが人間を滅ぼしてしまえば、糧を失い衰退する。拮抗した状況を作り続けるのも骨が折れるものだ」
「それはかれらも同じこと。我らがいなければ神の加護を得られず、彼らの作り上げてきた生活は無に返すでしょう。国は乱れ、貧困に喘ぐ民が大地を覆い尽くす。この世界の大地は人には住みにくい。これは理想的なシステムですよ。共存共栄といえます」
「だが、拮抗した状況を作るのは魔神様の怒りを買うであろう。多元世界魔王会議でいつも我は肩身の狭い思いをするのだぞ?」
「それは陛下が堂々となさればいいのですよ。私が作成した世紀末報告決算と事業計画書を読み上げるだけではありませんか」
「しかしだな・・・虚偽をしているようで胃が痛いのだ」
「なにを仰いますか。虚偽などは一切ありません。我らは売り上げではなく純利益で勝負しているのです。それに人間を滅ぼした魔王様がどうなるか。陛下も見てらっしゃいますよね。世界を独占した後の魔王様はただアンケートを採るだけのご隠居。我らの経営方針は常に進化する魔族集団ですぞ。陛下も常々魔神様の後塵を拝す存在になりたいと言っておりましたでしょう」
「それはそうだが・・・。そろそろ老後のことも考えてもいいのではないか?」
「不老である私たちに老後などございません」
「グッ・・・。しかしだな・・・。世代交代も視野にいれるべきであろう。我らもいい歳になってきたではないか。若い者に後は任せて新しい風を吹き込むとか・・・」
「それこそ愚問ですな。血の気の多い若い者などにこの重責を押し付けるなど倒産行為ですぞ。まだまだ私や陛下のような人材は育っておりません。第一、責務を放棄するような言葉は陛下らしくありま――ははん。なるほどまたあの病気が出てきましたな」
「び、病気とは心外な」
「いえ、病気ですぞ。陛下とあろうものが人間の街に遊びにいくなど。ドラゴン種は人間の作る財宝に目がないと申しますが、陛下は芸術家肌でございますからそれが悪い病気になっていらっしゃる。人が作った物を愛でるなど・・・しかも、城を抜け出した後に人間を妻にめとるなど言語道断です。それこそ魔神様の耳に触れれば――」
「わかったわかった。それ以上申すな。
いまは今世紀末の勇者の件であろう。ヤツはどれほど強いのだ?」
「――まあいいでしょう。営業部より集めた加護の予算残高より逆算して、前世紀とほぼかわりありません」
「なら我一人でどうにでもなるか」
「はい、問題ありません。人間は加護の予算を使い切り、我らは勇者の純度の高い魂を手に入れる。実に合理的ですな」
「その勇者が哀れだがな。いつものように我が眷属に迎えるがよいな?」
「いつものごとく承服しかねますが、新人研修の枠は用意しております。1000年も研修すれば見張りぐらいにはなるでしょう」
「それで良い。神輿に担ぎ上げられた勇敢な者たちを手厚くもてなしてやってくれ」
「畏まりました」
そうして、魔王と宰相の話が終わった。
◆
激戦だった。
いや、激戦と言うには語弊がある。魔王の城の最上部に到達し、その姿をひと目見たときから圧倒的な畏怖を感じ、全身全霊をかけて戦ったが、完膚なき敗北だった。
「おい、新人!」
体を揺すられて勇者は微睡みの中から目が覚めた。
暗い森の中で、誰かが自分の体を揺すっている。
「――ん?」
うわずった声を上げつつも勇者は自分を起こした人物――顔が死人のように青白く、そこに真っ赤な唇から牙が覗く吸血鬼の青年に驚いた。
精悍な顔で悪戯っぽく笑う人類の敵を勇者はどこかで見たことがあるような気がした。
「ようやく起きたか。俺の名はロイ・スティーバーン。今日からお前たちをビシバシ鍛える鬼教官だ」
一瞬、何を言われたか分からなかったが、その名前と顔が記憶の中で一致し勇者は思わず衝撃を受けた。
「まさかっ! 魔王と相打ちになったというあの勇者ロイなのか!?」
飛び起きるように上半身を地面から起こし、驚きの声を上げる勇者に吸血鬼ロイは気まずげに頬を掻く。
「そんな話になってるのか。それは間違いだぜ。俺もお前と魔王様の戦いを見ていたが、人間が勝てると思うか?」
勇者が混乱する頭に元勇者の吸血鬼ロイは問いかける。
その意味を時間をかけて飲み込んだ勇者は、脱力して首を振った。
「無理だ・・・。どうやったって勝てない」
勇者の陰る表情を見て、吸血鬼ロイは場を和ませるように笑うと彼の肩を叩いた。
「だろ? まっ、気に病むことはない。色々と裏事情を知ればお前もはらわた煮えくりかえって、人間だろうが魔族だろうがどうでもよくなるしな。まずは百年かけて色々頭の中を整理して、その体になれろ」
「――体? ん? これは・・・吸血鬼の体か・・・」
勇者は自分がロイと同じく青白くて冷たい体になっていた。そして尖った犬歯にふれて諦めたように呟いた。
まだ混乱しているが、様々な窮地をくぐり抜けてきた勇者には自分がどんな状況かを把握しつつある。魔王に殺され、魂を弄ばれて、人間から魔族にされたことを。
彼はそれを嘆く暇もなく、ハッと顔を強ばらせる。
「俺の・・・俺の仲間はどうなった?」
ロイはなんとも言えない複雑な顔で苦笑する。
「あー、あれだよな。俺も人のこと言えないが、なんで勇者のパーティーって女ばっかなんだろな? 他の仲間も無事だ。男はお前だけしかいないから俺だが、女の方はカーミラたちが面倒見てるぞ」
「そうか・・・よかった・・・」
勇者はほっと胸をなで下ろす。魔王を滅ぼすと神に誓ったとしても、仲間の無事は嬉しいことだ。たとえ、魔族に身をやつしてもそれは安心であった。
ロイが見守る中で自分を落ち着かせながら一息入れて、勇者は怪訝な顔で彼に尋ねる。
「で、俺をどうするんだ? 魔王と同じように人間を殺すなんて俺はしないぞ」
勇者は鋭い目つきで問うた。魔族になったとしても魂までは勇者のままだと言いたげに。
ロイはそれを昔の自分と重ねるように目を細める。
「肩肘を張るなよ新人。人間との戦いは魔王陛下に忠誠を誓い、自ら望まない限りかり出されねぇよ。お前はもう勇者なんかじゃねぇ。ここでのお前は最底辺のクソ新人。せいぜい無駄飯喰らいにならないよう、気張れ」
荒々しいロイの言葉になぜか勇者は肩の荷が下りたような気がした。
それが自分でもうまく整理できずに納得のいかない顔をする。
「なんだよ・・・それ」
勇者が聞いていた魔族とはまったく違った。彼らはすべて血に飢えた魔物であり、悪意と敵意に満ちて人間を殺す。そんな魔族を殺すために勇者は望まぬ戦いをしていたというのに、吸血鬼ロイの言葉で勇者はどう解釈すればいいか迷っている。
その迷いに沈む勇者にロイは難しい顔をして困った声を上げる。
「納得できねーよな。こんな状態で研修したって逃げ出すのがオチだし・・・しょうがねぇ。カウンセリングでも受けるか?」
「カウンセリング? なんだそれは?」
「悩みを聞いてくれる部署だよ。職種適正診断もしてくれるから役に立つぞ。基本的に魔王陛下は希望した部署に入れてくださる。今から考えとくのもありだ。後で場所を教えてやるから行ってみろ」
「・・・もしかして、魔王軍では職業が選べるのか?」
勇者は目を見開き、ロイに聞く。
身分制度で成り立つ勇者の国では職業を自由に選ぶことができない。むしろ、選べるという考えさえ思いつかないのだ。勇者は生まれたときから神の啓示を受けて、勇者なったのだから。
ロイは楽しそうに頷いた。
「ああ。何でも選べるぞ。お前は生まれ変わったんだ。好きなことをして生きろ。で、そう聞くってことはなんかしたいことあったんだろ?」
ロイの質問に勇者は長く長く考えた後に、頷いてぽつりと言った。
「俺は絵描きになりたかった」
◆
六百年後。
魔王の城の謁見の間で、魔王が一流の画家が描いた絵を楽しそうに眺める光景がよく目撃されるようになった。
その絵を献上した一人の吸血鬼は、ときおり自分が描いた絵を人間の街に贈り、人々に感動と安らぎを与えたという。
彼の名を人間達が知ることはない。
終わり。