決断
涙などとっくに枯れ果てていた。心を支配するのは、灰色の絶望感だけ。
……二度と故郷へは戻れないのだと、そう言われてしまった。
この世界で生きるしかないのだと……。
戦って生きるか。逃げて生きるか。諦めて死ぬか。
戦うとしても、敵は何なのかはまだ分からない。暮らしを脅かす全てなのかも知れないし、悪魔や魔物なのかも知れない。
どれかを選ばなくてはならない。ただ、まだ逃げる選択肢は残されている。
元の世界では……なんだか逃げてばかりいた気がする。
嫌なこと、苦しいこと、辛いこと。全てから逃げてきていた。そんな負け犬の人生を歩んで来ている。
そして、逃げに逃げてたどり着いたのが、VRゲームという仮想現実の世界。この世界では、何者にも屈せず、何からも逃げず、果敢に困難へと立ち向かうえた自分がいた。
そんな理想とするような自分が存在していた。……いや、存在している気がしていた。ゲームの中でだけ。
ここはゲームの世界ではない。だが、もう逃げたくはない。
生きてみようか……。戦って? でも、どうやって?
過去の自分は前の世界にしかいない。ここにいるのは、新たな世界の自分。
逃げてもいい。ガロンはその選択肢もあると話していた。
でも、足掻いてみたい。もういちど、この世界では。
何が出来るかなんて何も分からないが、何か出来ることがあるかも知れない。
英雄にはなれなくても、何かは守れるかも知れない。
小さな決意を固め、窓から夜空を見上げてみる。
そこにある赤い月を見つめて、思う。
大きな不安を感じつつも、前に進もうとする背を押してくれている気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝も早いので静かに部屋を出て、ガロンの部屋の前に立つ。
泣きはらした顔を見せるためではない。
小さく弱いが、固めた決意を伝えるためだ。
――コンコン
「どうぞ、開いていますよ」
朝早いにもかかわらず、ガロンは部屋へと招き入れてくれた。
自分が来ることを予測していたのか、もしくは把握出来ていたのだろうか。
扉を叩いたのが誰であるかが、分かっていたような口調だった。
「朝早くから、失礼致します」
「いえいえ。大丈夫ですよ。我々は日の出と共に眼が覚めますもので、朝は早いのです」
一応の社交辞令を済ませる。
そして単刀直入に切り出す。
「戦って生きる……。私には何が出来るのでしょうか」
ガロンは暫し目を瞑る。
そして、目を開き真っ直ぐに自分と視線を合わせる。
獰猛そうな猛獣の目の奥に、理性の炎が見える。
この人も様々な困難を乗り越えて、この場所にいるのだと思われた。
「……分かりました。貴方様の決意、受け取りました」
そう言い、右手を差し出すガロン。表情には人を引き付ける笑顔が作られている。
差し出された右手には指は五指あり人の手の形であるが、手の甲まで毛皮に覆われている。
鋭い爪は見えないが、恐らく出し入れ可能なのであろう。
重厚な右手と華奢な右手同士が固く握られ、決意は形になった。
「召喚師ギルド、フェアリーの休み処は貴方様を歓迎致します」
握手した手にもう一つの手を重ね、お互いが両手で握手をする形になっていた。
「ミニア、此処に」
そうガロンが声を上げると、直ぐ傍らにいつの間にかミニアの姿があった。
足音のしない給仕係とは、問題があるようにも感じたが…。あえて口には出さなかった。
「旅人様の鑑定を実施する。鑑定士の用意を」
「畏まりました」
そう返事をし、部屋から退出していった。
鑑定とは何か。そう聞くつもりであったが、思案を巡らせ何となく理解した。
異世界召喚されたにも関わらず、今こうして言語が理解出来る。
おそらくこれも「ギフト」と呼ばれるスキルの一環であろうと思われた。
それらスキルの鑑定を行うというのだろう。
楽しみな部分もあるが、怖い部分もある。
返却されるテストの答案を待つような感覚に襲われていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ここは「フェアリーの休み処」の一階部分。
召喚師ギルドであるのは間違いない様子だが、一階部分で酒場を。
二階部分で宿屋も営業しており、それぞれはそれなりに盛況である。
事実、日が高いまだ午前中といった時間であっても、それなりに客は入っていた。
10人が座れる位のテーブルにウサギの耳を生やした『ワーラビット』の鑑定士と向き合って座る。
潜在意識にまで潜り、自身でも認識出来ていないスキルまでも確認出来るとのことであった。
これがギルドに登録する最低条件なのであるとの事。
もちろん、鑑定後にギルド加入を断る事も自由であると説明を受けた。
目を瞑り意識を自分自身の内側に集中するように言われる。
鑑定師と左右の手をつなぐ。重厚な掌からは、温もりが伝わってくる。
ちなみに、鑑定士の『ワーラビット』は、『ワータイガー』のガロンにも引けを取らないほどの逞しい肉体をもった男性である。
兎の耳が生えていたとしても、バニーガールの印象とは対極といって良いほど遠い。
その姿には、愛くるしさの欠片も存在していない、残念なコスプレだった。
呪文などはなく、ただ触れているだけ。
時折耳が動き、何かを感じているのだろうか。
「…ふむ。解析は終わりました。見えない部分もありますが……」
前置きを説明し、鑑定士は続ける。
「召喚時に付与されたスキルとしては、『自動翻訳』がございました。それから……」
自動翻訳?なるほど。完全に異文化であるこの世界で、不自由なく言葉が通じていた理由が理解出来た。
鑑定士の説明に、少しだけ躊躇が見られた。
「魔法の…。耐性を持っていらっしゃいます……」
周囲からもれる、残念そうな声とため息。
魔法の耐性ということは、魔法効果に対し抵抗しうる能力で間違いないのだろうか。
なぜそれが残念な声となるのか。まだ理由が理解出来ない。
「魔法の耐性とはな……」
野太い声が、背後から響く。ガロンの声である。
「あらゆる魔法に対して効果減少を引き起こすスキルである。ただし、問題になるのはあらゆる魔法という部分なのだ」
ガロンは少しだけ困ったような顔で話ている。
「自身が発動する魔法に対しても、この耐性は効果を発揮する。自身の精霊魔法でも、召喚魔法でもあらゆる魔法に対してだ。つまり、魔法を発動させにくい体質という事になる」
ガロンは、治癒魔法の効果も減退すると補足説明している。
召喚師ギルドに登録するという事は、当然召喚師としてだと思っていた。
この考えに間違いはないはず。
精霊魔法に対し効果減少は、大きなメリットであろうと感じる。
精霊魔法が効かない戦士が、魔法使いに突撃した場合には、足止めする手段がない。
ただ、召喚師で魔法が発動しにくいという事では、全く条件が違いすぎる。
……デメリットしか感じられない。
――なるほど。これがため息の原因か。
折れそうになる心を支え、『ワーラビット』の鑑定士に質問した。
「この耐性とは、どこまでの物なのか。完全耐性なのか、そうでは無いのか。そうで無いのであれば、どの程度の抵抗耐性なのか教えて欲しい」
鑑定士の赤い目を真っすぐと見据え、質問をした。
「完全耐性ではありません。中レベルの耐性とでも申しましょうか。耐性の無い者との比較で、だいたい3割増しでの抵抗力や魔力消費に補正が掛かると思われます」
中途半端なスキルとは感じた。しかし、これが現実。理想とは違う。
ゲームの中での耐性は、有利な影響しか受けなかった。今更ながら、ご都合な設定だったと思う。
今現状の自分で、出来る事を模索するしかない。
戦って生きて行くと決めたのだから。
目を閉じ、少し思案する。
「鑑定、ありがとうございます」
鑑定士に御礼の言葉の述べ、ガロンに向き直る。
「ガロンさん。今の自分でも、このギルドで召喚師として出来る事をやってみたいと思います。どうしたら良いでしょうか」
少しだけ驚いた表情を浮かべたギルド長ガロンであったが、直ぐに真剣な表情に戻る。
「ここは召喚師ギルドです。私が補助しますので、まずは召喚術を実行してみましょう。それと、私の事はガロンとお呼びください」
人生初の魔法発動となる。
期待と不安と…。そして、楽しみに似た感情があった。