残酷な現実
眩い光が瞼を通過し、赤い光として瞳に入り込んでくる。
薄目を開くと窓があり、遥か遠くに見える山の稜線から朝日が差し込んで来ていた。
意識を眠りの彼方から、現実へと手繰り寄せる。
「……ここは? いったい」
見覚えのない部屋だった。
この部屋にいる理由がわからず、どうやってこの部屋に来たのかという記憶が何もない。
突然にこの部屋にいた。そんな感覚だった。
質素な布の服を着ており、見慣れない服であった。
頭の中にあるはずの記憶の糸を手繰るようにそれらの欠片を探してみるが、どうにもはっきりしない。記憶の欠片すら見当たらないのだ。
ただ感じるのは、目に入る光景、肌に触れる服、木の香り。あらゆる物が異質に感じられ、初めて見て触れて感じている。まるでそんな感覚だった。
寝起きだからしょうがない。
異質感という違和感を強引な理由でまるめ込み、周囲を見渡す。
ここは、朝日の昇る東側に窓がある質素な部屋だった。
室内にはベッドしかなく、家具は他に何も置かれていない。
床も壁も天井も全てが板張りとなっており、木の匂いが強い。
日本の街中ではなかなか見ない、ログハウスのような作りになっている様子だった。
窓の外に視界を移すと、朝日に照らされた家々が並ぶ街の風景が広がる。
「!!」
しかしその建物は、無機質な雰囲気の漂わせている見慣れた現代建築の物とは大きく異なっていた。
石造りの建物や木造の建物が立ち並び、現代日本とは全く違った街並みがを構成している。
建築様式が根本から異なり、ヨーロッパ……。いや、中世のような雰囲気の街並みが広がっている。
窓を押し開け、身を乗り出して街並みを見渡してみる。
朝日に照らされる街並みは、朝露がその光を反射し輝きを放っていた。
道は小さな石畳で舗装され、しっかりと維持管理もされているようだった。軽いめまいを覚え、まるでテーマパークの一角として作られた街並みであるようにさえ感じられた。
しかし、ガス灯のように街路灯には明かりが灯されており、単純に中世というには時代錯誤な感じもしている。
「少なくとも現代日本ではない……。では一体ここは? 映画のセットにしては生活感が溢れているし、大掛り過ぎるだろう……」
何気なく空を仰ぎ見た。
濃紺から爽やかな青色に変わりつつある明け方の空には、青と赤の二つの月が輝いていた。
「あははっ……」
乾いた笑いしか出てこない。
ここは間違いなく日本ではないだろう。タイムリープやタイムトラベルといった、過去や未来でもないだろう。先ほどから感じていた異質感はこれが原因だったのか?
赤と青の月がある世界……。
そんな世界は知らない。つまりここは自分の知る世界ではない。というのが自身が導き出した結論。
当然に信じ難く、納得出来る結論ではないのはあるが……。
異世界……。
本や漫画でしかありえない、空想の世界。そんな言葉が心の中で生まれた。
そんな混乱する自身とは裏腹に、開け放った窓から吹き込む冷たい朝の風が、夢ではないと肌を刺激する。思わぬ寒さに震え、窓を閉めた。
すると不意に部屋の扉がノックされる。
扉はゆっくりと開き、そこには一人の小さな女性が立っていた。
赤茶色の癖っ毛をセミロングで揃え、そばかすが目立つが愛くるしさを感じさせる女性。
視線が合うとその顔には、人懐っこい笑顔が作られその愛くるしさが強調される。
上半身は白いブラウスを着、その上に黒いベストを重ねて来ている。
スカートはかなり丈の長いロングスカートを見に付けており、何かの資料で見た中世ヨーロッパ時代の女性の服装に似た印象を受けた。
容貌からすると明らかに外国人ではあったが、普通に日本語で声を掛けてしまっていた。
「あの、ここはいったい何処なのでしょう?」
一瞬、きょとんとした表情をする彼女。だが、直ぐに表情に笑顔を戻しこう言った。
「ようこそ、旅人様。ここは召喚師ギルド『フェアリーの休み処』です。ここは安全ですので、ゆっくりお休みください。
大変な思いをされたようですからね」
驚いたことに見るからに外国人である彼女が、訛りのない完璧な日本語の発音をしている。
言葉が通じた事で安心したと同時に、様々な不安が鎌首を上げて来る。
「えっと、召喚師ギルドってなんですか? それに私は一体……。
そもそも、ここはどこなのでしょうか?」
「ちょっ、ちょっと待ってください。あたしにはそんなにいっぺんに答えられないです~」
背の低い彼女に対して、被さるように質問を捲し立てていた。
そう言い、彼女は小さく「ゴメンなさいね」と軽く舌を出して呟く。
その仕草は、何となく猫を想像させるものだった。
「ギルド長であれば貴方のご質問に答えられると思います。
体がもう大丈夫なのであれば、ギルド長の所にお連れしますけよ。いかがしますか?」
ベッドから立ち上がり、自身の体を確認してみる。
足や手には痛みもなく、何も問題がない。
体のあちこちに乾いた血痕が付いていたが、自身が怪我した出血ではない様子。
「はい。……大丈夫そうです」
そう答え、彼女を見下ろす。彼女は笑顔での返事を返してくれた。
改めて彼女を見ると、彼女の身長は150センチにも満たずかなり小柄だった。
また、上から見下ろして初めて気が付いたが、彼女の頭には猫のような耳が付いている。
時折動いてもいるので飾り物では無さそうだ。と、すると、正確に言うと生えているという事になるのか。
表情や仕草、耳以外の見た目は人間との差異は感じられない。
……やはりここは、異世界という事か。
最初に目にしたのが、彼女のような人間に近い見た目で良かった。
「じゃあ、ついて来てください。長の所へお連れします」
覚悟を決め、小柄な彼女の後を追い部屋の外へと一歩を踏み出す。
部屋の外廊下は左右に広がり、左の方からは明かりが漏れ賑やかな声が聞こえてくる。
彼女は右側へと進み、突き当たりの部屋のドアをノックする。
「失礼します。旅人様が目を覚まされましたので、お連れしました」
そう言い、彼女は大きな扉を両手で押し開けた。
室内は窓が多いため、朝日が差し込んで来ている。
中世ヨーロッパといった雰囲気の家具や家財でまとめられており、綺麗に整理整頓されている。
足元には大きなカーペットも敷かれ、交差された二本の剣が描かれていた。
中央に置かれた机の向こう側の椅子には、一人の人物がこちらに背を向けて腰掛けている。
この場所からは、顔を窺い知る事は出来ない。
「おお!そうか。目覚められたのか」
こちらに振り向いた彼の顔は……。虎の顔、そのものであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自身はソファーに通され、テーブルのカップには三人分のお茶が用意されている。
ソーサーに置かれたカップからは、柔らかな湯気があがっている。
「なるほど。事情は大方分かりました。大変な思いをされましたな」
そう自分に労いの言葉を掛けたのは、向かい側のソファーに座る虎の顔に人の体をしている『ワータイガー』のガロン氏である。
その隣には、この部屋まで案内してくれたネコ耳の女性『ワーキャット』のミニアさんがお茶を啜っている。なぜ同席?との疑問はあったが、気にしない様にした。
「恐らく貴方様は、召喚魔法の暴走から事故的に巻き込まれ、この世界に呼び寄せられたというのが実情でしょう。心中お察しします」
ガロン氏は見た目とは異なり、非常に丁寧な言葉遣いと心遣いを見せてくれる。
長として上に立つ者としての姿勢としては、間違っていないと思う。
ただ、自分にはそれほど冷静に話を聞けるほど、心穏やかではない。
「それでは!私を元の世界に戻してください!!」
素直に一番の希望を口にした。今の望みはその一点だけであるのは本心からである。
「非常に残念ですが、そのご要望を叶える事は出来ないと思われます……」
ガロン氏の歯切れの悪い言葉が気になる。
――何なのだ。その、思われる。とは!なぜなのか!
「何故帰れないのです!!まだ、何もしていないではないですか!!それで無理とは…。どうして……こんな事に……」
最後は言葉になっていなかった。理由もなく無理と言われても諦められる訳が無い。
――勝手に呼び出しておいて、帰れませんで済んでたまるものか。何が何でも帰ってやる。何としてでも。
「お帰りになる事が出来ない理由と、ここに召喚された理由が重なるのですが……」
そう前置きし、ガロン氏は続ける。
「貴方様を召喚した召喚師は…。恐らく既に命を落としています。貴方様を巻き込んでしまった召喚魔法の暴走についても、その召喚師の死と魔法の発動が重なった際に発生した事象だと思われます。召喚した者が死亡した場合、何をもってしても元の場所に戻る事は叶わないのです。要するに、貴方様がお帰り頂くべき世界の座標が永久に失われ、帰るべき世界が既に分からないのです。……本当に申し訳ございません」
そう言い、ガロン氏は頭を下げた。
ガロン氏が悪い訳ではない。
それは理解出来ている。
そもそも、誰かが悪い訳ではないのであろう。
だが、戻る手段がない言われた事へのショックがそれを素直に認めようとしない。
どうしても、出来ない。
ついさっきまでいた日本の街並み、喧騒、文化、情報。その全てが鮮明に自分の中にあるのに、どうやっても戻る事は叶わない。
直前までプレイしていた「Master And Creature」での記憶も、しっかりある。
俺は最終ゲームでSSランクを取り、称賛されていたのだ。
あの場所に。あそこに戻れない事が、どうしても信じられない。
「くそっ!くそっ!!くそぉぉーー!!!」
テーブルに両拳を打ち付けながら叫んでいた。
遠くまで来た記憶はないが、二度と戻れなくなってしまった故郷。
どんなに声を出しても叶わない。それでも声に出さずにはいられなかった。
故郷へ戻れなくなる辛さが、これ程までに胸を締め付けるとは……。
考えたことすら一度もなかった……。
――桜の花は、もう見れないのか…。
そんな思いが不意に心を巡っていた。