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番外編・届かぬ楽園はまぶしくて

「彼」が何者なのか、どこへ行くのか。

それは、時の流れだけが知っているものだと言えない事もない。

はるかな過去に思いを馳せた時、それは明らかになるのだろうか?

人々が、残された軌跡が、語らぬ限り神ならぬ人の身の上に知らされる事はあるのだろうか?

何故、どうして、そう上がる声は。


この後。

 かつて、ある家には女の子しか生まれなかった。

 当時は婿入りしたら家を継ぐと言う形で、女には直接の継承権が無かったのだ。

 ただ、私財は認められていたので場合によっては爵位を返上すると言う女性もわずかながら存在していた。大多数の女性は、入り婿に爵位を貸与させる事で裏から操っているに等しい状態にさせていた。


 所で、その家は時の王の従姉妹の家だった。

 ある意味、時の王である権力者とさえ繋がってさえいなければ「よくある話」で済んだのかも知れない。

 そうならなかったのは、様々な要因が絡んでいたからだと後の研究者は口にしていた。


 「彼」は、言った。

 それはあまりにも良いタイミングと言えたのだろう、彼にしてみれば先行きが見えていたとしか言いようがない。それでも、彼にしてみれば助言めいた事を口にする事が無かったと言うのは……つまり「そう言う事」だったのだろう。


「私は、隣国へ婿入りしようと思う」


 時期としては不自然では無かった、のかも知れない。

 彼ら……上位貴族の家に厚顔無恥にも愛人と子供達が入り込んだのは、先代にして正当なる血筋の姫君が亡くなられてからしばらくの事。それは子供達の一人である兄が10を超えていたと言う事実がある……正当なる血筋を持つか、正妻以外から生まれた子供であろうと跡取り候補である場合は子供達の社交の場へとお披露目をされる事がある。

 正妻と愛人を合わせても、唯一の男子である兄はされていなかった。

 つまり、彼は正当なる後継者と見られていない事になる。

 これには一部の事情がある。


 まず、彼らの父親と血縁者である愛人の母親は正当に認められた夫婦では無かった。それは、後に上位貴族の家に婿入りを果たした父親から見ても明らかだ……つまり、元々の順番から考えると父親と愛人は最初から付き合いがあって、後から姫君の家が捻じり込んできたと言う見方が出来る。実際、そうとも言い切れない部分があるのだが、愛人の家が没落した貴族の家柄である犯罪貴族の家系だった事も理由の一つだろう。

 母親の実家では、かつて貴族の家系だったが犯罪者を出してしまった。その家は犯罪貴族として財産を没収されて貴族名鑑から消されるが、それでも犯罪者を輩出した家として扱われる……この規模が大きくなると一族郎党皆殺しになるので、犯罪の規模としては小さかったと言う事なのだろう。

 最初、父親は愛した女が犯罪貴族の家系だとは知らなかった。父親も貴族だと名乗ったりはしなかったが、人と言うのは人となりを見るとある程度は判明してしまうもので、ましてや慣れぬ常識の中にあってそうそうに興味を持たれないとか言う限りで無ければ「ああ、こいつは違うな」と違和感を感じるものである。

 父親と愛人が、どこでどんな風に出会ったのか。それは本人達が口にしない限りは判らないだろう、ただ犯罪貴族として知られている愛人がどんな仕事をしていたのだとしても、愛人は後ろめたい気持ちなど欠片も無かったに違いない。

 そんな事情がある二人のうち、父親が上位貴族に見初められて婿入りを命じられた以上は断る事など出来るものではない。身分差を思えば、婚姻に逆らう事で処罰をされる事はないかも知れないが、結果として処分される可能性はあるのだ、それを思えばどうして逆らう事など出来るだろう?


 父親には、すでに生まれていた男の子の事を思うと迎え入れる事が出来ない事が悲しくて申し訳なくて仕方がなかったのだろう。十分な金を与えて別れる決心までしていたが、そこに待ったをかけたのは愛人だ。自分達を愛人として養う事で捨てる事を許そうではないかと言いだしたのだ。

 愛人を妻として迎え入れる事が出来ない事、息子を我が子と呼べない後ろめたさからうなずいてしまった事から、父親は相当に優柔不断な人物だったのだろうと思われる。


 しばらくの後、父親と姫君の間には一人の女の子が生まれる。世継ぎの姫君の誕生に沸く貴族の家々を見ていたからなのか、それとも他に思惑があったのかはさて置き、愛人の方も時を置いて腹が膨れる事となった。

 妻が子供を産み体が弱くなると、父親は愛人の家から足を遠のかせる事となった。息子の事を持ち出しても、体を弱らせた妻や生まれたばかりの娘の可愛さにより愛人への興味が少なくなった事を感じたから……もしかしたら、愛人はそこを見越していたのかも知れない。果たして、その息子も愛人の元で育っただけあって愛人によく似た性格に育ちつつあった。

 無邪気で奔放、怖いもの知らず、計算高い所と少し間の抜けた所があるのが愛嬌と言えば愛嬌かも知れない。

 それでも、時に垣間見せる優しさと我が子可愛いさフィルターのおかげで興味がないと言うわけではない程度には興味を持っていたのだろう。愛人は、父親と息子の関係をそう見越していた。

 だからこそ、もう一人必要だったのかも知れない。出来れば、女の子が。

 野心、と言うべき思い込みがどう作用したのかはさて置き、そろそろ愛人との関係を清算して息子を引き取り妻の元で腰を据えようと言う考えを持ち始めた頃。父親は愛人の二度目の妊娠を知る事となる。

 妻の子供が生まれて一年もたたずに生まれたのは、愛人によく似た顔だちをした可愛らしい顔だちの女の子だった事もあるのだろう。愛人として潤沢に受け取っている費用から乳母を雇う事もあるが、正妻と違って昼も夜もと言うわけではなく愛人が自分で世話をする事もなくはない。

 父親が、結局は愛人を捨てられなかったのはそこも理由の一つだった様だ。

 血筋から立派な家で育ったお姫様と、身内から犯罪者が出たと言う理由で不遇の目にあっていた愛人と。

 どちらか片方ではなく、両方いたからこそ長続きしたのだ。

 もし、性格がどちらも同じならば愛人はほとんどの確率で捨てられていただろう。その点に関してだけは、愛人は正妻の姫君に感謝するべきだった。


 一度だけ、息子が言った事は非常に珍しく「どっちを選ぶの?」と言う言葉だった。

 流石に優柔不断の塊とも言える父親ではあったが、かと言って子供達には自分達が愛人の子供で貴族の父親と平民になった母親との間に生まれたのだと言う話は出来る限り聞かせない様にしていた……けれど口さがない者がある事は確かで、母親の出自の為に自分達の傍に父親が常にあるわけではないと言う風に聞いていたのかも知れないと思い罪悪感に心が押しつぶされそうになった。

 答えに悩んでいる間に、息子はしれっと何事も無かったかの様に立ち去った。

 もし、そんな事が何度も続けば違和感は大きくなり「考える」と言う事をしたのかも知れない。しかし、息子が聞いたのはその一度だけだった。

 成長を重ねて大きくなった息子は幼い頃より無口になり、その頃には母親によく似た成長を始めた妹がお姫様よろしく丁重に扱わなければ気難しいと言う存在になり始めていた為に気にしていられなかった、と言うのもあるのだろう。


 愛人は、欲しい物を強請る時に限って自分達のあり方に不遇だと嘆く事はあったが。それ以外の時ならばそうそう生活に不満は無かった様だ……「親切にしてくれる人達がいる」とも常々言っていた事もあり、馬車馬のように働く必要がない事もあったからだろう。実際、もし愛人が貴族の正妻となっていたら半年もたたずに逃げ出していた可能性は高い。

 流石に、息子を貴族のお披露目に出されなかった事については不満がある様だったが。正妻に愛人と子供達がある事も口に出来ないのだ、うっすらと外に女がいる事くらいは知られていても不思議ではないが、体が弱くなったと市井にも流れてくる噂を考えると愛人どころか結婚前から生まれていた子供の存在など耳にした日には儚い夜露の様に消え去ってしまうかも知れない……愛人からしてみれば想像するだけで割と心躍る事ではあるが、そんな事になって自分達に面倒が降りかかるのは冗談では無かった。

 愛人にしてみれば、自分の子供(・・・・・)だと判っているだけで子供達は十分な価値がある。父親が引き取ると言い出す可能性を考慮して断るセリフさえ考えていたと言うのに妻に愛人の存在さえ言えないのだから楽なものだとさえ思っていた。

 幼い頃は愛人によく似た性格だった息子も、ある程度の成長で近所の子供達と出会った事で価値観が左右されたのか愛人からしてみれば可愛げが無くなって行ってしまった。男の子だから外に出たがるのは仕方がないし、赤ん坊がいる中で暴れられても困ると言うのもあったからだ。それで今の様に成長してしまうのならば、妹の方は絶対に外の影響など受けさせない様にしなければならない。

 そう思って、注意深く育てたのである。

 例え、妹を育てている事に夢中になっている自分達の姿を見た息子がどんな目で見ていたのかを知らなくても。


 優柔不断な父親、妹を完璧に育てる事に夢中な愛人、己のナニモノにも疑問を抱かぬ妹、そして何を考えているのか判らないと言われる様になった兄。

 そんな彼らの誰一人として望んでいたなかった現実……あくまでも、その時点まで誰一人として望んでいなかった事態が起きたのは、妹があと何年かで10歳になる頃だった。

 正妻が、亡くなったのだ。


 とりあえず言える事は、正妻の死は誰かの関与など欠片も無かった。

 殺されたわけではない、ただ……もしかしたら、自殺に近かったのかも知れない。

 何故なら、後に発見された日記帳にはこう記してある。


『私は、恐らくは長くはないだろう。

 貴族の令嬢である以上は、政略結婚も覚悟はしていた。けれど、これは政略結婚ではない。

 かと言って、恋愛結婚ではない。私と夫との間に恋愛感情はない。

 夫が私をどう見ているのか、どう見ても妻ではない。お姫様だ。

 幸いにも私との間に子供が生まれるのに一度で済んだが、その一度を私がどれだけの苦行に耐える覚悟を必要としていたのか夫には計り知れない事だろう。何故なら、夫の方とて死地に赴く亡霊の様な顔をしていたのだから。

 私に気遣う事も、私に気付く事も無い。

 今更ではあるが、何故に両親は私の夫としてあの人を選んだのか疑問に思う。下町に出向く事が多く情報に聡いと言う評判ではあるが、かと言って政治的に明るいかと言えばそうでもない。王家に連なる我が家にあって野心家では困るが、今や体を壊した私では夫を抑えて家を切り盛りするのは難しい。

 心配なのは、私の可愛い娘。

 顔を合わせる事も抱きしめる事もほとんど出来ないけれど、この家の唯一の正当なる血筋の娘。王家にだって嫁ごうと思えば嫁げる、場合によっては他国への外交条件として使われる可能性とて捨てきれない。

 そうだ、今の状況とこれからの予測。それと、私がいなくなった後での保険として他国へ嫁いだ親族へと手紙を書こう。今すぐにはどうこう出来るものではないけれど、万が一にも夫が相手にしている女や子供達が出てきたら幼い今では我が子がどんな目に合わされるか判らない。

 きっと、誰か一人くらいは様子を伺って下さる筈……夫が何を言った所で聞き入れなくても構わない立場の方々ばかりだもの、皆様とてあの子の愛らしさをご覧になれば必ず助けて下さる筈だわ。

 貴族として生まれ、当然の生活をしてきた以上。私には貴族としての義務がある。

 けれど、本当は思っていた。幼い頃に唯一出向いた他国において、貴族の世界がどれだけ狭いのかを思い知った。貴族、と言うと語弊があるかも知れないけれど私の世界は貴族の世界だけだから仕方がない。貴族の世界で平然と傲慢に生きたいと願う人達の気が知れない、このまま潰えてしまえば逃れる事は出来るかしら?

 叶うならば、どうか我が子には外の世界で自由に生きる権利が与えられます様に』


 長らく、没後に閉じられていた正妻の間と呼ばれる部屋の。書机の上に、長い間置かれていたケースに入った日記帳は、後に国王に献上されたと言われている。


 正妻が亡くなったと聞いた愛人は、驚いて口を開けたり閉めたりしてから落ち着いたのか大慌てで荷造りを始めた。状況に着いていけない父親が戸惑っていると、愛人は気が触れたのかと言いたくなるほどに亡き正妻の姫を罵りつつ自分達を迎えに来たのならばもっと早く言ってくれれば、いえ荷物なんて全部捨てても良いとか、狂喜乱舞を絵に描いたかの様な叫び声を上げながら子供達にも荷造りをさせて忙しそうにし始めたのである。

 これに驚いたのは父親で、別に彼はそんなつもりは無かった。その瞬間まで。

 まず、考えが付かなかったからである。前の妻が亡くなったからと言って、離婚も許されない法律が一年間喪に付すのが当然の国法からしてみれば数か月もたたずに愛人と子供を連れ込むなどと言う常識は国中のどこを探しても無かったからである。

 法律で認められない関係であるからこそ、求められる規律と言うのものが存在するのだ。

 もし、妻と婚姻する前から関係を持っているのならば妻の許可をとって夫は愛人を家の中ので使用人として使う。ただし、生まれる子供は状況によって異なるが大多数が家から出されて孤児院や他所の家に実子として届けだされる事になる。妊娠段階で真面目に働かず家の主人とケダモノの様に妻の慈悲を無下に扱った、正妻を蔑ろにしたとして追い出されるより非常に善意的だろう。何しろ、妊娠すると言う事は同じ敷地や屋根の下に本来の妻がある事を承知の上で行うのだから馬鹿にしていると言われても否定は出来ないだろう。しかも使用人の仕事と言うのは片手間に出来るものではないし子作りをしたいのならば愛人を止めるか家を辞めるかして他の人を探せば済む話である。稀に、正妻との間で子供が出来ずに愛人の子供を引き取る事もあるが、その場合は母と名乗る事も許されずに他家の使用人と強制的に家を持たされて住み込む事は許されなくなる。

 これには、お家問題が絡んでくる。別に爵位を継承するにあたってきちんと教育さえされていれば愛人の子供であろうと寛容ではあるが、血縁上の母親と書類上の母親、どちらも「本当の母」である為に子供が混乱したり腹を痛めた事を盾にして家の利権にまで踏み込んでくる場合もある。離婚や再婚が認められなくなった理由と言うのは、そのあたりにある。

 もしくは、この愛人の様に最初から家に入っていないままで終わると言うのもある。

 少なくとも、「法律によって認められていない主人の所有物」が正妻が失われたからと言って大手を振って乗り込んでくるなんて言う事は「非常識極まりない」事でしかない。

 しかし……そこは、これまでの関係がモノを言うと言う事なのだろう。

 愛人は言った所で止めるわけがないし、父親は優柔不断なあまり悩んでいたらすべての支度が整えられて目の前にあるのは家の使用人達がずらりと並んで出迎える姿だったのだ。


 当然とばかりに、愛人と娘は自分達が女王であるかの様に振る舞い。自分達に逆らう者は次々に首にすると宣言した。愛人本人に人事権があるわけでもなければ、その家にだって使用人頭があるので父親にだって使用人の采配など出来るものではない……奥向きと言われる家の采配は、妻と妻の認めた者にこそ権利があるのであって日常的に家にいない男には何一つ権利などないのだ。家によっては、妻の許しが無ければ使用人に茶の一杯も入れて貰えない所があるとかないとか言う話まである。

 すでに女主人が失われている以上、家の中を左右するのは使用人頭であるものの。かと言って使用人頭を排除するなんて事をしたらどうなるか優柔不断な父親であっても想像は着いた。場合によっては親子より使用人との方が距離は近いのだ。

 しかし、愛人は止まらなかった。ヒステリーを起こしたと言うか被っていたいた猫を排除したと言うか、化けの皮が剥がれたと言うか、情け容赦がないと言うか。平気で物を投げつけ、使用人を殴りつけたり罵倒したりし、最悪だったのが正妻の娘である正当なる血統の姫君を盾にし始めたのが動けなくなった理由だ。本人は正妻の忘れ形見を守る為に「あらゆる外敵から守る為」と平然と言い切っていたが、それが監禁だと言う事くらい判らぬ者は無かった。加えて、姫君の自室を取り上げて離れの物置にしていた部屋に押し込めたのだから非道にもほどがある……使用人達は逆らいたくても、正当なる血筋の姫君を人質に取られている以上は正面切って逆らうわけにはいかない。故に、彼らは一人。また一人と少しずつ消えてゆくことになる……そんな彼らの大半は、己の力不足を嘆き。けれど、上流貴族の家にいたと言うプライドがある為に仕えていた家の実態について口を割る事も出来なかった。

 残念ながら、姫君が発見された時にろくに世話をされず食べる事さえも怠っていた為に死にかけていたと言う事実があったのは、このあたりが理由だ。


 話を戻そう。

 入り込んできた「高貴な血を引かぬ女と兄妹」と密かに揶揄される様になった頃、それは姫君と妹が扱い的には同じ年齢である為にお披露目をする話が出始めた頃の事だった。

 兄の年齢は13……若いと言えば若いけれど、働き始めると言う意味からすると決して早いとも言い切れない。

 ある意味で、栄華を極めた愛人が有頂天だった頃。夫から息子の事を聞いても「あら、そう」としか言わなかった。

 愛人にしてみれば、全く可愛さを感じられなくなった息子への興味は全くなく。己によく似た顔だちと好みと性格の妹への関心の方が、非常に高かった。単にそれ以外の何物も与えられなかった妹には他に選択肢などなく、人形同然の扱いをされていたからこその事実ではあるとしても愛人にとってはどうでも良い事なのだ。思う通りにさえ育てば。

 正直、すでに何日も息子と顔を合わせる事が無くなっても「継ぐ勉強をしているのです」と言う言葉でかけるべき興味を持たなくなったとも言う。己の身の回りを、古くから居るものを力づくで追い出して、策略に陥れ、追い出して何も知らないものばかりで取り揃えていた。

 妹の方も、愛人に育てられた影響は如実に表れて選民主義となり派手なドレスや流行に興味を示し、愛人の言葉を絶対として使用人達の上に君臨するのが正しい事なのだと思い込んでいた。彼らは自身にとって気に入らない事があれば平気で暴力さえふるう様になったのである。

 いかに優柔不断の代名詞な父親であっても、流石にこの愛人と子供を社交界に出す事に不安を覚えて可能な限り愛人とその娘を外に出そうとはしなかった。愛人は外に出られない事に不満を覚えたりもしたが、貴族の夫人と元貴族とは言っても幼い頃にはすでに犯罪貴族として平民な扱いをされていた事で常識が異なる事や、屋敷の中を手中に収める事はそうそう上手くいっていないと言う事なのだろう。加えて、貴族の御夫人特有のお遊びと言うか病気めいたものに興味を示し始めたと言うのもまた頭の痛い所である……。


「家を守る為、すでに決まった事です」


 兄の瞳は、とても落ち着いていた。

 13歳程度の息子がする様なものではなく、まるで何十年も年を重ねた老人の様な凪いだ海の様な瞳だった。

 興味を失った愛人と、愛人の複製品の様な妹は……少なくとも、妹の方はいまいち事情が分かっていない様だった。教育など欠片もされていないのだから、当然と言うものだろう。

 唯一、父親は何度も事前に話し合って納得をしたはずなのに「いや」とか「でも」とか言っているあたり威厳と言うものはこれまでも今後も降臨する事はないだろう。


「つきましては、出立の挨拶を姫君にしたくお願いします」

「ひ、姫君って……」


 姫君、それは正当なる血を受け継いだこの家の「たった一人の娘」以外に他ならない。

 妹は即座には判らなかった様だが、愛人の方は途端に機嫌の悪い顔になった。愛人にしてみれば、使用人達からも「姫様」と呼ばれるのは気に入らないのだ。この家の姫たる存在は、自分が腹を痛めて産んだ妹ただ一人だと言いたいのだ、けれど使用人頭の「では、姫君の母親である貴方は何とお呼びするのです?」と言う言葉に沈黙した。

 確かに、愛人にとって妹は可愛い。自分の思い通りに事を動かす為に重要なのだ、とは言うものの娘より下に置かれるのは我慢がならないと言う事なのだろう。かと言って、女王様とか陛下などと呼ばれている事が万が一外に漏れだしてしまえば、それが現実の王家や連なる人々の耳にうっかり入ってしまったら、最悪反逆罪として再び犯罪者として扱われてしまう事は想像出来た……しかも、今度は自分自身が対象だ。それは本気で遠慮したい。

 非常に、己に素直な人物である。


「何か問題でもありますか?」


 兄は、愛人を見なかった。

 己を、腹を痛めて産んだ唯一の母親を。

 もう、兄の中には母親に対する感情が消え失せているのだと言う事を。


「も、問題って……でも、お前はあの子とろくに会話もした事がないだろう?」

「この家の正当な主に、家を守る為に勝手に婿入りをする事を決めたお詫びを申し上げるのは当然の事ではありませんか」


 淡々とした物言いではあるが、言葉の内容は物騒とも言えた。


「せ、正当な主って……」

「お父様に向かって何てことを言うの!」

「当然でしょう、彼はこの家の入り婿であって正当な継承権を持たない人物です。すでに正妻である夫人はお隠れになりましたが、その爵位は夫人が亡くなられると同時に一人娘である姫君へと移られた……つまり、貴方は姫君の持つものを借り受けている。

 そうして、その後で入り込んだ貴女方……まあ、私もですが。

 我々は姫君と言う正当な主の言葉を聞くこともなく勝手に振る舞っている。本来ならば、この事で貴族院から罰を食らっても当然と言う悪逆非道な出来事です。

 だから、私は家を守る為に婿入りを果たすのです」


 こんな事も判らないんですか?


 兄の、淡々とした言葉と半目が物語りたいのは恐らくこちらだろう。

 激昂して立ち上がる愛人と、何が起きているのか判らずにきょとんとする妹、おろおろする父親を前に。


「この……!」


 がしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!


 ぴたりと、世界が静止した。

 兄が、どこに仕込んでいたのか薄いガラスを何層にも重ねた置物を床に叩き付けたからである。


「そ、それは……」


 置物であり需要がまだ見つからない程度ではあるが。その美しさから美術品として愛好家が増えていると評判のガラス素材……それを薄くする事も、透明度を上げる事も至難の業とされ、その壊れやすさから値段が天井知らずとも言われている素材だ。近年にこの国に台頭を始めたガラスが、しかもこんな薄いものを幾重にも複雑に絡まるドーム状の物質として作られたものが、大人の手にすっぽりと入る程度の大きさと言えど価格にすればいかほどになるかなど。


「が、ガラス……!」

「ご安心ください、この家の財産ではありません。私の私物です……とは言っても、所詮はガラス。何度でも形成すれば良いだけですから貴方達が何かを思う必要などはありません」

「何を、言ってるの……!」


 ため息を吐く姿は、すらりとした体躯の少年だ。

 ふと、愛人は思い出す。

 まだこの家の正当なる主が生きていた頃。この子供が幼かった頃、彼の世界が母親と家の中だけだった頃。

 兄となる前の彼は、今と変わらぬ同じ姿だっただろうか?

 この家に入り込んで、そこまで時間がたったかと言われたら数年と言う所だ。貴族の奥方として正式な場に出た事は無いに等しいし、茶会に呼ばれる事もない。貴族としてのマナーもまともに出来ない状態では恥をかく……流石に、家の家格と爵位がもっと上の家はあるのだ、いかに夫が優柔不断で愛人を守ろうとしても当の守られる本人が自由奔放では守り切れぬと説得した事も理由の一つだ。

 他にも、正式な貴族として貴族年鑑に載ることも無く王家からも「認識」されていないからだと言うのも理由ではあるが。


「何なのよ……お前は、一体何なのよ……」

「お母さま?」

「お前?」


 ため息をついていた兄を見て、愛人はふと気づいた。

 気づいたと言うより、何故に今まで気が付かなかったのかと言う感じだ。


「お前は何よ、何なのよ!」

「何、と言われても……貴女の息子ですよ。そして彼女の兄だ」


 小ばかにするような、ニヒルな笑い方だった。

 しかし、頭に血が上った愛人は混乱をし始めて訳が判らなくなっている。

 妹は母親の変貌についていくことが出来なくなっており、父親も似たような感じだ。


「違うわ! お前など私の息子じゃない!」

「止めなさい!」

「きゃぁっ!」


 立ち上がって振り上げた手を、兄は避けなかった。

 片側だけを赤くした頬をして、返した眼差しは冷たかった。


「何てことをするんだ!」

「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

「貴方達、ご婦人と娘を部屋へ。落ち着くまで(・・・・・・)外には出さぬ様に……この家の正当な主がそうである様に、彼女達も同じようにして差し上げてください」


 大泣きをした妹と、兄の頬を叩いた事で我に返ったらしい愛人と。未だに愛人を止めようとしている父親を見て頬を腫らし始めた兄は片方の顔だけ笑みを浮かべる。


「どちらにせよ、これで家にはいられなくなりました。

 この家に入り込んだどこの者とも知れぬ……正確には、貴族年鑑から削り落とされた女により虐待を受けて来た証拠がまた一つ(・・・・)増えた事になります。

 ありがとう、犯罪貴族。最近はもっぱら捨て置かれるだけで証拠としては弱くなってきていたので調度よかった。年齢だけが問題ではあったけれど、こんな理由であるならば婚姻を前提とした移住も認められます」

「ど、どう言う事だ……?」


 妹を部屋に連れていくのは、簡単だった。泣いている女の子に優しくしてあげれば、それだけで連れていかれる事に文句はないだろう……将来が心配だと言えば心配かもしれないが、そんなのは自己責任だ。すでに家を出て関係も繋がりも断ち切る事が決まっている「彼」が考え悩み、対処するべき事ではない……そんなものは、望んだ「本人」が行えば良いのだ、例えどの様な事が起きたとしても望まないものであったとしても「結果」に興味はない。

 放たれた言葉に茫然とした愛人は、虐待の言葉で一気に我に返ったのだろうが使用人達に抑え込まれている……がなり声を上げようとしたが、父親が顔をそらしている間に口にものを詰め込まれてしまい声も出せない状態になっていた。

 基本的に、愛人は愛人であって女主人ではないのだ。「亡き主人の連れ合い」は何かを言いたそうにしている所をみれば使用人達の行いを止める気がないと言う事なのだろう……小さな姫君は未だに取り戻せてはいないが、愛人と娘が隔離されてしまえば少しは時間稼ぎが出来る筈だと言う事を使用人達は「知らされていた」のだから。


「私の体には、貴方の愛人により無数の傷がつけられていると言う事です。

 欲しかったのが女の子だったからなのか、扱いは粗雑にしてぞんざいと言う所でしょうか……雇っていた使用人が私に構おうとする度に放って置けと言い放ち、流石に死なれては困るから寸前になると洗脳するかの様に世話をしていましたが……お陰で一時期は本気で逆らえませんでした。子供だから仕方がない、とも言いますが……内心では忸怩たる思いがありましたよ。

 人としての尊厳まで捨てなければ生きていけない、そう思うだけで何度逃げ出したいと思った事か……」

「え……えぇっ?」


 まさに寝耳に水な話だった、しかし振り向けば愛人はぴくりとも動かずに兄を凝視している……実際には、どう言った関係なのか押さえつけている使用人の一人が何かをしているのだが。父親の位置からでは、その事は視界に入る事もない。

 見える範囲……顔と、服には隠されていない両手だけが外気に晒されていた。


「幼い子供である事もそうだけれど、手放せば生活を維持できないと判っていたのでしょうね。

 ……ねえ、意地悪な質問でしょうけれど最後だから言っておきますね。

 聞いてみましたか? 私達が誰の子供なのか」

かつて、とある国であった「醜聞」は。

時の王の怒りを買った。

従妹の姫君を湾曲的に失わせる事になったと、公言した。

後に、助け出された小さな姫君は口にしている。

「わたくしは、一人で生まれ一人で生きてあの家にいました。

 もし、わたくしが生き延びた事に理由があるとしたら、見知らぬ誰かのおかげなのでしょう」

公的な記録では、王に保護された後で幸せな人生を生きたと言われている小さな姫君ではあるが。その胸の内に関してはどこにも残っていない。

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