終わらせ屋。。。
「いぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁぁっ! ギャアアアアァァァァァァァッ!!」
くっそ五月蝿い悲鳴が上がる。俺は片耳に指を突っ込みながら騒音発生器を小脇に抱え、ビルの屋上から飛び降りた。
「うぉうぎぃやぁぁああああああ!! し、死ぬぅ~~っ!!」
人は本当の恐怖を感じたときには声が出なくなるものらしい。ということは、コイツはギャーギャー騒ぎながらも心の内では楽しんでいるのだろう。そう判断し、叫び声には耳を貸さない。背負っていたリュックのボタンを押すと、しゅぱっという空気の圧縮音を発して四本のケーブルが射出された。それは自分が今飛び降りたビルと隣のビルの屋上に引っかかり、簡易ロープウェーを形成する。
「いおぅ、ううっあ、ふぅっああぁぁぁぁっ?!」
落下の衝撃で多少たわんだロープウェイを、いよんいよん跳ねながらリュックについた滑車で滑り降りる。確か三八階建てのビルと三二階建てのビルだったか。その高低差はギャギャッと滑車から火花が出るほどの速度を生み出した。
「イ゛ヤァぁぁぁああああッ!! おっ、おがあ゛ざぁぁぁぁぁんっ!!」
ビルの壁が近づくにつれ、騒音発生器の声が聞き苦しいものに変化する。イケメン俳優として売り出していたはずだが、この取り乱しようはまずくはないだろうか。万が一撮影でもされたら一気にファンをなくすこと間違いなしだ。まあ、俺たちがそんなミスを犯すことはないのだけれども。
レバーを引き上げ、滑車をリュックから切り離す。支えを失った体は、隣のビルに近づきながらまた自由落下を始めた。
小さなパラシュートを開き、落ちる速度をわずかに緩める。体がビルと触れそうになると腕に仕込んでいた鉤爪をビルの側面に当て、落ちる速度の微調整をした。ギャリギャリギャリ、と外壁が引っ掛けた爪によって削られていく。少し早かったか? ……いや、ちょうどだ。
ビルを足で蹴り、動く的に向かって一直線に飛び込む。ぼふっと俺の体を受け止めたそれは空気をたくさん含んでおり、落下の衝撃を余すところなく受け止めてくれた。飛び降りたビルが次第に遠ざかっていく。その屋上には豆粒ほどにしか見えないが、数人の人影を確認することができた。ざまあみろ。
トラックの荷台に設置された特大バルーンは、俺の着地を確認するや否や物凄い勢いで空気が抜かれていく。走行中ということもあり、俺は流れる景色を見ながらおとなしくバルーンが潰れて行くのを待った。
荷台に背中がついた頃、小脇に抱えていた騒音発生器がぐずぐずと鼻を鳴らしていることに気がつく。突然黒服の男たちに囲まれ怖かったのだろう。安心させてやろうと、できるだけ穏やかな声音で頭をぽんと撫でてやった。
「そら、逃げ切れたぞ」
「も゛う二度と頼まねぇぇぇぇ!!」
涙だけでなく鼻水まで垂れ流した顔はテレビでよく見るイケメンからは程遠くて。
映像や写真などある程度加工されているといううわさは本当だったのだなぁと、芸能界の汚い部分を見た気がしてため息をついた。
***――***――***――***――***――***――***――***――***
「『。。。』句点を三つ付けてつぶやけば、逃がし屋があなたを逃がしてくれる」
その都市伝説を聞いたのはいつだったか、確かには覚えていなかった。怪奇特番の収録中だっけか、と青空颯太はふわふわとした記憶を手繰り寄せる。
注目の実力派イケメン俳優として人気を得ていた彼は、「逃がし屋なんておもしろいね」とその場をそつなくこなしたものの、ひとかけらも信じては居なかった。『。。。』なんて、女子高生が三点リーダー代わりに使っているのをよく見かける。それをいちいち相手にしていたらキリがないだろう。人好きのする笑顔の裏で、バカみたいな話もあるもんだと、その話題を振った人物を見下していた。
まさか数日後、藁にも縋る気持ちで逃がし屋を望むことになるとは思わずに。
「颯太ちゃーん、カネはいいから一度試してみろよ。かわいい後輩がこんなに勧めてるんだからサァ」
マルチ講やウリ斡旋など、きな臭い話なんかどこにでもある。芸能界も一般企業も変わらない。当人が関わろうとしなければいくらでも避けられるものだ。
そう思っていた颯太の楽観的思考は、明らかにカタギじゃない黒服の男たちに囲まれ打ち砕かれる事となった。
「颯太さん、最近忙しくてやつれてるじゃないですか。パウダー吸えば一発で元気になるんですから、ね?」
善意しかない、といった目でキラキラと後輩が見つめてくる。「パウダー」を最新の栄養剤だと信じきっている事務所の後輩は、麻薬密売人に騙され彼らを収録現場まで連れてきてしまった。休日のオフィスを貸しきったドラマ撮影。スーツを身にまとった密売人は、ターゲットを人知れず屋上で追い詰める。
パウダーという単語を発したときに「僕はやらない。キミもやめておいたほうがいいよ」と危険を察知し、やんわりと警告をしたのだが。こんな不可避イベント想定してなかったぜド畜生、と己の不運を脳裏で嘆く。
「パウダーキメるか押し人やるか、どっちかに決めちゃくれねぇか」
ニヤニヤと、取り囲むように黒服の男ふたりが距離を詰める。覚せい剤に手を出させるのが無理ならば売人として抱え込もうという魂胆か、黒服の男はとても不条理な二択を颯太に迫っていた。
多忙な芸能人ほどアッパー系の覚せい剤は売りつけやすい。交友関係も広く、温和な青空颯太は格好の餌食だと見込まれたのだろう。誰からも愛されるさわやか俳優を仕事のみでなく私生活でまで演じきっていた颯太は、こんなことならもっと素の自分を出して後輩を殴っておけばよかったと後悔する。
芸能界を生き抜くため、自分を押し殺してまで「好青年」を演じていた。おそらく最初に話を持ちかけられたときに「バカじゃねーの」と素直に自分の感情を伝えていたのなら、後輩も諦め、密売人に目を付けられる事もなかっただろう。
密売人と接触してしまった以上、断っても知名度を盾に脅される可能性がある。写真の一枚でもあれば、マスコミは芸能人のスキャンダルを面白おかしく書き立てるのだ。限界まで自分を繕い、徹底的に周りを欺き続けて。ようやっと手に入れた名声だというのに。
誰からも愛される好青年、「青空颯太」の姿と名前を、もう少しで「知らない人が居ない」というほどまでに広められるところだったのに。悪名では意味がないのだ。会いたい、と思ってもらえるような。そんな人物でなければ。
小細工が裏目に出た形になり、今までの努力は何だったのだ、と颯太は自分を呪いたくなった。これが絶体絶命という奴か。逃げ場のなくなったフェンスに背を預け、空を仰ぐ。
残ったわずかな希望として、ポケットに入れた携帯を服の上から握り締める。
ちょうど後輩にパウダーの話を持ちかけられた三日前。偽りだらけの芸能生活に嫌気が差し、叶わない望みを嘆きながらヤケ酒を煽っていた。
そのとき「逃がし屋」の話を思い出し、三点リーダーの代わりとして不自然にならない程度に『。。。』とSNSにつぶやいていたのだ。
くだらない都市伝説だ。けれども、もし本当に逃がし屋が居るのだとしたら……
逃がして欲しい。この、窮屈でしょうがない『青空颯太』の世界から。
「――斉木颯太か?」
突如、背中から一般には公開していない颯太の本名を呼ばれた。
振り返るが、そこにはフェンスと空があるだけで。人影などもちろんない。
絶望的状況ゆえにとうとう空耳まで聞こえるようになったか。自分の精神状態を悲観し始めると、否定するかのように続いて声がかけられた。
「終わらせるか?」
それは都市伝説として聞いた、逃がし屋と交わす合言葉だった。
ドクリと胸が高鳴る。
まさか、本当に? こんな絶対的ピンチに都合よく現れるもんなのか?
疑問は残ったが、もし本当に居るならばこんなチャンスを逃すわけにはいかない。ドクドクと勢いを増す心臓を押さえながら、背中に触れるフェンスをぎゅうと握り締める。
つばを飲み込み、一つ息を吸うと、
縋るような気持ちで腹の底から大声を上げた。
「終わらせたい……!」
「給水塔へ登れ」
颯太の叫びに答えるように、ばしゅ、とビルの谷間に破裂音が響く。青空に向かってひとつのケーブルが撃ちあがり、続いてビルの下から奇妙な機械を背負った男が現れた。その男は手すりに引っかかったケーブルを腕についた機械で巻き上げ、まるでスーパーマンのように落下防止のフェンスを飛び越える。
「なっ、何だお前?!」
後輩と売人が突如現れた男に動揺し、数歩後ろへたたらを踏んだ。その隙に間を縫って、颯太が正面にある給水塔へ向けて一直線に走る。
はしごを上りきると同時に、男が恐るべき跳躍力で五メートルはある給水塔の上へと飛びあがった。危うげなく着地をすると、走りながら颯太の腰に手を回し、ひょいと小脇に抱える。
一般的な成人男性の体重を持っている自分を抱えあげるなんて。その怪力に驚くのもつかの間。続いて迫る光景に、颯太は身も世も振らず悲痛な叫び声を上げた。
あろうことか男は、颯太を抱えたまま給水塔の上を駆け……跳んだのだ。ビルの屋上、三八階から。
***
「……あとはお前も知っての通り、地獄のフリーフォールだよ。ありえなくね? 命綱もなしにビルから飛び降りるってどんなアトラクションだよ。ビル三八階だぜ。紐なしバンジーとかただの自殺行為だろ。逃げるにしてももっとこう、ヘリコプターとか。グライダーとか。もっとスマートな方法あっただろ。依頼人がおばあちゃんだったらショック死するだろどーすんだよ、少しは逃げかた考えろよぉぉぉ!」
バン、と部屋の中央に置かれたテーブルを力任せにたたきつける。黒服に囲まれてから俺が救出するまでを、半泣きになりながら感情豊かに騒音発生器が説明してみせた。
確かに役者としての才能はあるのだろう。死ぬかと思ったなど、実に鬼気迫った様子で身ぶり手ぶりを交えて演じて見せた。物事を大げさに言うのは彼らの性分なのだろうな。そうか、と軽く相槌を打つたびに逆上したかのように言葉を並び立ててくる。
「大体なんなんだよアンタ! 五メートル以上飛び上がったり、成人男性を小脇に抱えたり。バケモノかよ?!」
「バケモノではない。人が普段の生活で使っている筋肉は全力の三〇パーセント程だ。俺はそれをちょっとだけ制御できるというだけで。他の人間とさほど変わりはない」
「さほどぉ?! あれのどこがさほどだよ!」
バンバンと腹立ち紛れにテーブルを叩き続ける。正直言って、うるさい。役者というのは常に演技練習を欠かさない分、声や動作が大きくなりやすいのだろうな。
言うなればそれは個性だ。うるさいなどと文句を言わず、聞き流すのが優しさというものだろう。
「おっつかれー! いやぁ、今日もいいスリルだったねェ。鉤爪で落下速度調整するところなんかしびれちゃった! トラック間に合わないかと思ったわよぉ~」
打ちっぱなしコンクリートの殺風景なアジトで、唯一生活感をかもし出しているふたつのソファーとサイドテーブル。そこでまったりとくつろぐ俺たちのもとに、インスタントコーヒーを人数分持ちながらテンション高く浅葱が会話に割り込んできた。
「私はアサギ。アサギャンって呼んでくれていいからねー」
「すさまじくゴロの悪いネーミングっスね」
半眼になりながら斉木が呻く。テレビや雑誌なんかではもっと愛想のいい穏やかな青年だったはずだが。
ずずず、と薄いコーヒーを啜ると、目の前の巨乳女が気になるのか。斉木はちらちらと視線をそこかしこに向けた。
「……アンタら、一体何者なんスか……?」
じとりと。不信感に満ちた目で俺たちを睨めつけてくる。
「自分で呼んでおきながらずいぶんな言い草だな」
「いや、あんなふざけた記号で呼べるなんて、フツー思わないでしょ!」
ぱたぱたと手を左右に振りながら勢い良く反論する。そのしゃべりっぷりは、とてもキャッチコピーとして使われている「儚げ男子」からは程遠かった。一体何枚の猫を被っていたのだろう。妖怪猫かぶりか。なにそれかわいい。
「まさか丸みっつ打ち込んだ人、全部調べてんの?」
頭に思い浮かべた着ぐるみ猫の映像をかき消すかのように、斉木が野良猫並みの警戒心を込めて問いかける。
「いやいや。素性を調べるのは主に政治家や経営者。お金持ちで危険度が高い人しか相手にしないわよー」
カラカラと笑いながら、座るのには適していないソファーの背もたれ部分へと浅葱が腰かけた。バランスを崩しかけて手元のコーヒーがぴちゃんと波打てば、その危険度さえ楽しむかのようにワザと片足を宙へ浮かせる。
「若手だからあんまり期待してなかったけど、なっかなかのスリルね! スキャンダル間違い無しの麻薬! 屋上からのダイブ! 楽しませてもらったわー♪」
こっちは全然楽しくねーんスけど、と呻く斉木の前に勢い良くコーヒーカップを打ちつける。硬いクリの木でできたテーブルにびちゃりと黒い雫が舞った。傷がつくから辞めて欲しいのだが。
「楽しむべきよ! こんなスリルなかなか味わえないわよ? 死ぬか生きるか、デッドオアルァーイブ! 間違えたら命がない一触即発の危険ッ。あぁん、もぅゾクゾクしちゃうっ!」
体を抱きしめ、はぁはぁと息を荒げながら陶然と語る。俺には見慣れた光景だったが、やはり一般的には受け入れられるものではないらしい。斉木は眉間にしわを寄せ、うわぁと唇をだらしなく歪めた。
「え、なに。逃がし屋って頭イカれた危険大好き集団なわけ?」
「その性癖は浅葱だけだ。それに俺たちは逃がし屋じゃ……」
「青空颯太! 本名、斉木颯太くん! とりあえず助けたけれど、我々はキミの本当の願いをまだ聞いていない! これからどーしたいのか、簡潔に詳しく140文字以内で教えて欲しい!」
バン、と浅葱がコンクリートの壁をたたくと、いたるところからモニターが現れ、斉木颯太のプロフィールが表示される。卒業アルバムの写真から、歴代のドラマ、最近のモデル出演まで。ネットに上がっているものはすべて網羅していた。
「なんだコレ?!」
次々と表示される情報に、叫びながら勢い良く立ち上がる。本当、いちいち騒がしい奴だ。
「浅葱は機械に詳しいからな。大量のビッグデータから必要な情報を漏らさず抜き出すことができる」
「いや、詳しいってレベル軽く超えてるだろ!」
俺たちを取り囲む勢いで現れたモニターが、斉木の今までの仕事を次々に映し出す。売れる前のエキストラの映像から、出待ちのファンと撮った記念写真まで。メディア露出が多い分、その量は膨大だった。そのすべての情報を浅葱は自由自在に操り、取り出す。
ネットで普通に『。』を入力しても、検索対象文字から外れている為検索できない。『。。。』は浅葱だからこそ使える依頼暗号だった。
「まるで別人ねぇ」
しみじみと、再生した動画をみてつぶやく。画面では今より少し若い斉木が、『僕、孤児なんです。十五歳までずっと施設にお世話になってて。母親を探すために芸能界に入りました』と儚げな笑顔を浮かべ、光のあふれる窓辺で白いレースのカーテンを背に語っていた。まじまじと目の前に居る彼を見比べてみたが、長いまつげ以外共通点を見出せない。間違っても画面の彼は、眉間にしわを寄せはしなかった。
彼をホワイト颯太とするならば、ここにいるのはダークサイドか。「言っとくけど、しゃべってる内容は本当だからな」と黒空颯太はソファーに足を組んで座り直す。妖怪化け猫被り。ここまで違う人物を作り上げる映像技術が恐ろしい。
「ガキの頃に離婚して、親父に引き取られて。酒や博打で帰ってこない日が続いたと思ったら野垂れ死んでやがった。母親は生きているはずだから、俺が芸能人になればそのうち会えるんじゃないかと。そー思ったんだ」
ぎし、と。ソファーの肘置きに寄りかかり、ほおづえをつく。ひらひらと手を振りながら軽く話す割には、彼の目は暗く淀んで見えた。
「演技自体はガキの頃からやってたようなもんだからな。親父の機嫌取りや施設での振る舞い。芸能界で仕事するのに困んなかったけど、演じれば演じるほど回りはいい子ちゃんの青空颯太を求めてきて……素の俺は誰も望まない。やってらんねーよ」
親という無条件で自分の世話をしてくれる人が居ない以上、生き抜くためには誰かに面倒を見てもらわなければならない。好かれるため、生き抜くために皆の望む人物を演じ続けてきたのだろう。
一度演じてしまったら、もうその役を降りることができない。それがどんなに苦痛であろうとも。
「ここまで売れちまったら、今更全部演技でしたなんて言えねぇ。……青空颯太なんて、消えちまえばいいのに」
今にも泣きそうな顔でつぶやく。騒がしい浅葱も流石に口を噤んだ。
テレビに出る事も多く、ちやほやと華やかな生活を送っているように見えたが……人間。傍から見ただけではその幸せの尺度など測れないものだな。
ゆっくりと立ち上がり、斉木の目の前に立つ。彼は条件反射なのか、俺に気付くとぎこちなく笑って見せた。
――そんなにつらいというのなら、望みどおり消してやるのが得策だろう。
「句点がどんなときに付けられるか、知っているか」
問いかけると、眉の強張りは解けぬまま、首をわずかに傾けて俺を仰ぎ見る。
「句点って文の最後に付いてる丸だろ。文の終わりじゃねぇの?」
必死に目を細めて笑顔を作ろうとしているが、笑えてない。役者である彼が笑えていないとなると、やはり内奥深くまで蔓延った重い悩みなのだろう。
「そうだ、終わりだ。句点三つ。俺たちは『逃がし屋』じゃなく、『終わらせ屋』なんだ」
浅葱が俺を見つめた後、静かに席を立つ。彼女も俺と同じ考えに至ったのだろう。察しがいい彼女は、準備を整えるべく動いてくれるはずだ。
淡々と。落ち着いて彼に俺たちの行動理念を伝えていく。
「今回の件は一度逃げただけじゃ解決はしない。生きている限り追われる事になる。それでは終わったことにならないだろう」
逆に一度逃げた分、下手に通報されないよう全力で籠絡に回るだろう。人当たりのいい青空颯太。彼が生きている限り、今回の依頼は終わらない。
「だが、青空颯太が死ねば……すべて解決すると思わないか?」
告げた途端。彼の顔が一瞬で強張った。
「まっ、待ってくれよ……ちょっと……」
ずりずりと。ソファーの上を往生際悪く後ずさる。だが、ふたり掛けのソファーはすぐに彼の逃げ場を失なわせた。カリリ、と短く切りそろえた爪がソファーの表面をむなしく引っかく。
「――終わらせてやる」
依頼はこれからも続くのだ。端的に言えば忙しい。ひとつのことに多くの時間を割くことはできない。
ゆっくりと。彼との距離を詰めていく。
――人は本当の恐怖を感じたときは、声が出なくなるものらしい。
騒音発生器であったはずの彼は、目を見開いたまま。
一言も発することができずに俺を見つめていた。
***
「俳優『青空颯太』突然死! 心筋梗塞か?!」
マスコミは青空颯太死亡のニュースで持ちきりだった。それも当然だろう。今をときめく人気の俳優だったのだから。
謎の突然死に街中がざわついたが、仕事が忙しくひとり暮らしなことから、健康に気をつけられなかったのだろうと推測される。「儚げ男子」と呼ばれていたこともあり、その死因に疑問を抱く奴も少なかった。好都合だ。
麻薬を勧めてきた後輩や密売人も、標的が死んだのなら次のターゲットを探すだろう。俺が逃がしたときの話も、下手にマスコミに伝えると麻薬のことがバレかねないからな。彼が「終わらせ屋」に接触した事を知る人物は誰もいない。
近くのコインパーキングに駐車し、彼が住んでいたアパートの様子を伺う。しばらくすると、ひとりの中年男性が業者を連れてやってきた。乱暴にドアや窓を開け放つと、持ち主がいなくなった家具が次々と運び出されていく。不用品回収。でかでかと文字が書かれたトラックに、家具から服まですべてのものが運び込まれた。
大家らしき人物と会話を交わしながら、男がときたま、めぼしいものをカバンに詰め込んでいる姿が見えた。もともと青空颯太は施設出身の孤児だ。形見分けを、と咎める奴も居ないのだろう。人目を気にせずどんどんカバンに物を詰め込んでいく。
しばらくその様子を観察していると、隣の部屋から青年が様子を伺いに外に出てきた。たしか、隣には同じく役者として頑張っている仲間が暮らしているのだったか。いくつか会話を交わすと、青年は顔を覆い部屋へと戻ってしまう。身をすり減らすまで外面を繕っていたのだ。彼を慕う者も多かったのだろう。
業者が入れ替わり立ち替わり行き来し、あっという間に部屋が空になる。大家と共に部屋を改めると、二、三あいさつを交わしそのまま別方向へと歩き始めた。立ち退きはこれで終了らしい。
男は特に嘆く様子もなく、軽い足取りで部屋を後にする。
ひとりの人生が終わりを告げたというのに、何の感傷も抱かないのだろうか。パンパンになったカバンを肩にかけ、一度だけアパートを振り返る。小さく何かをつぶやくと、その後は一度も振り返らずまっすぐその場を後にした。
――そして俺が運転する車に近づき、窓をたたいて声をかけてくる。
「おっまたせー」
その声を聞いて、俺はようやく男の正体に確信を持てた。あまりにも見た目が違いすぎて、浅葱から連絡を受けていたとはいえ、にわかには信じ切れなかったのだ。パワーウィンドウを操作し、髭面中年男性の顔をまじまじと見つめる。
「たいした演技力だな。かつての仲間まで騙し通すなんて」
そう褒めると、彼はニッと人好きのする笑顔を返してきた。
「なんせガキの頃から演技だけは得意だったからなぁ。年季が違ェよ、年季が」
後部座席に乗り込むと口に詰めていた脱脂綿を吐き出し、付け髭の感触を楽しむかのように指先で撫で回す。そしていくつかのヘアピンを抜き取り、ネットごと黒髪を外して見せた。中からは斉木颯太本来の髪の色が現れる。
「これで全部終了か?」
「後は業者に買い取りと不用品を相殺した金額を払えばオッケー。あのガラステーブル気に入ってたんだけどなー。リサイクルショップ行けば売ってっかな」
剥離剤がないとつらいのか、髭を外そうと少し端を引っ張ってから諦める。俺は彼の手がシートベルトに伸びた事を確認してから、車を発車させた。
「そーいえば俺の死体ってどーやったわけ? なんか葬儀までやるって言ってたけど」
「お前と体格が似た仏さんを借りた。葬儀は一応家族葬で、遠い親戚に扮したお前が喪主だからな。棺を開けられないよう、お前の正体がばれないよう気合を入れろよ」
終わらせ屋の成功報酬として、金か今後の協力か、どちらかをお願いしていた。医者と葬儀屋と区役所員。三名の協力を得て、偽装死亡診断書と青空颯太の遺体、新しい戸籍を用意する。マスコミの元依頼者も率先して偽装記事を書いてくれた。当人は当人で誰よりも先にすっぱ抜けて金になったと喜んでいたが。
ポケットに入れていた携帯が震える。俺は車を走らせながらイヤホンについた通話ボタンを押した。テンションの高い浅葱が、いつも以上に興奮して俺に朗報を伝えてくる。
「見つけたようだぞ」
「え、何を?」
伝えれば、ごそごそと胸元を探りながら間の抜けた声で聞き返してくる。俺の発言を「殺される」と勘違いしただけあって、本当にコイツは察しが悪いな。
「お前の母親だ。言っただろう? 終わらせる、と」
体形を変えるためジャケットに仕込んでいた詰め物がバサバサと下に落ちる。彼は動きを止め、ルームミラー越しに俺の目を呆然と見返してきた。
「母親を見つけるために芸能界に入ったと言っていたろ。青空颯太を終わらせるのならば、母親まで見つけ出して『終了』だ」
浅葱に指示をして、カーナビに母親の情報を出してもらう。こいつとはあまり似ていない、地味な格好をした中年女性だった。
「神奈川在住の四五歳で、青空颯太の大ファンだ。同僚が握手会に誘ったが、会わせる顔がないと断ったらしい。別に年を取っていようと、ファンならば気にせず握手してもらえばいいと思うんだが」
必要以上に年齢を気にする、あの女性心理が理解できなかった。おばさんがアイドルに熱を上げたっていいじゃないか。派手な服装やミニスカートだって、好きなように履けばいい。自分で自分にリミットをかけるなんて、もったいない事をするもんだ。
「まだ会わせることはできないがな。住所を書いた紙を渡すから、騒ぎが収まった頃に会いに行くといい」
母親に会うとなれば、変装後の姿ではなくありのままの斉木の姿で会いに行ったほうがいいだろう。そうなるとマスコミが騒いでいる間は動くことができない。人のうわさは七十五日というから、それを過ぎた辺りが安全か。死んだといわれた人間が会いに行くのだ。ショック死しないようあらかじめこちらから連絡を取ってやるべきかもな。まぁ、面倒くさいことはすべて浅葱に任せよう。
「そっか……見つかった……生きてたんだ」
うつむき、顔を片手で覆う。なおも腹に仕込んでいた詰め物がバサリと落ちた。
変装したのは中肉中背の男だったはずだが、詰めすぎではないだろうか。どれだけ細いんだ。ガリガリか。ガリガリ君か。そういえば新作の塩辛味が出ていたから帰りにでも買いに行かないと。
頑張った自分へのご褒美に思考をめぐらせていると、助手席のシートに手をかけて斉木が身を乗り出してくる。
「なぁ、俺にもこの仕事手伝わしてくんない? 役者以外、仕事見つけんのキツそーだし」
確かにコイツは顔だけがとりえで、頭がいいようにはとても思えない。
依頼人には金、もしくは協力という形で報酬をもらっている。たまには常に行動を共にする仲間が増えてもいいだろう。身近であった人間を騙すほどの演技力というのは「買い」だ。
句点の数も三つ。人数的にもちょうどいい。
「浅葱。斉木も俺たちの仲間になるそうだぞ」
仲間になるのならば作戦の内容を隠す必要もない。耳にかけていたイヤホンを引っこ抜き、ハンズフリー通話に切り替える。
『やったぁ! 人が増えればもっとゾクゾクするような危険に立ち会えるわよね。早速だけど緊急依頼よ。とある銀行職員が犯行グループに脅されて銀行強盗の手引きをしなきゃいけないみたい。利用客に紛れ込んで侵入するのがサイッコーにスリリングだと思うんだけど、どーお?』
ぱっぱと画面が切り替わり、カーナビに該当の銀行までの道筋と依頼者が映し出される。銀行強盗か。今回の依頼は楽そうだ。
「早速俺に行かせて! 利用客でいいんだったら老人から女子高生まで化けられる自信あるぜ!」
身を乗り出しながら斉木が名乗り出れば、すぐさま今回の作戦が浅葱によって立てられた。浅葱の望むスリルからは少し離れているが、未知数である斉木が居るだけで彼女にとってスリルの条件を満たすのだろう。
「初めての仕事だ。無理は禁物だからな」
同じ人間を二度も終わらせるなんてごめんだぞ、と人気のないビル裏に車を止める。斉木は勢い良くドアを閉め、ダッシュボードに入れっぱなしになっていた伊達めがねを装着した。服装は先ほどとそんなに変わりがないのに、地毛をくしゃくしゃにし、ジャケットにしわを付けただけでまるで別人だ。
「任せとけって! 終わらせ屋新人、斉木颯太!」
気合を入れるかのように、ぱぁんとこぶしを打ち鳴らす。
浅葱。斉木。俺。
新生 「。。。」 の初仕事だ。
「――いっちょ派手に終わらせようか!」
END