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六話

 階上が騒がしい。

 アステルとリクは同時に、読んでいた本から顔を上げた。

 異常事態であった。特にアステルは、このような種類の物音を今までに聞いた覚えがない。眉を顰めて、リクを見る。奇妙に不安を煽る音だった。

 リクは本を閉じた。

「上に行こう」

 二人は完成したばかりの自分の法器ブルームと共に、階段を上る。階上に近付くにつれ、喧騒は大きくなった。人の声のようなものが聞こえてくる。

 地下図書室から出ると、そこは一階、エントランスホールだ。外の世界に通ずる出口がある、大きな広間。普段そこから外に出てゆくのは、レンだけだった。リクとアステルは外に出ることを禁じられていた。

 二人は、その扉が開いているところを見たことがなかった。

 だが、今はどうだろう。

 人だ。人がいる。外に通じる大扉は開け放され、そこには大勢の人間たちがひしめいている。そのほとんどは、大人の男たちだ。彼らはみな屈強な体つきをしているが、身につけているものはただ布に穴を空けただけのような、極めて粗末なものだった。

 そしてその手には、鍬や鋤、鎌といった農具が握られている。

 男たちは、口々に叫んでいた。

 魔女はどこだ。魔女よ、出てこい。

 好意的な調子ではなかった。恨みのこもった、負の感情溢れる声だった。そして彼らは、奇妙に必死な様子だった。

 何故こんなところに? この人たちは一体、どうやって扉を開けて?

 リクの頭が疑問に支配される。彼らの住む塔に普通の人間が、しかもこのように大挙して押し寄せるなど、今までにないことだった。

 男たちの一人が、リクたちに気付いた。

「――子どもがいるぞ!」

 彼らの視線が、一斉にリクたちを射抜く。何故か怖ろしくなった。

「魔女め。あんな子どもを攫うなど」

「やはり、野放しにはしておけない」

「許せん」

「狩らねば」

「そうだ」

「狩れ!」

「魔女を狩れ!」

 リクは無意識に一歩、後ずさった。

 彼らは、なんと、魔女を狩りに来たのだ。

「……アステル。マザーに知らせよう」

「うん」

 緊張した面持ちで、二人頷く。

 そのとき、とつぜん男たちの喧騒が止まった。

 彼らは二階に向かう階段を見つめている。

 そこには、マザー・タタリと、レンの姿があった。

「はいはい、皆さん、落ち着いてくださいね」

 レンはいっそ場違いな、いつもの笑顔を浮かべて階下にやって来た。

「魔女……!」

「使い魔も一緒だ!」

 男たちの声が再び、高まる。

「そんなに大勢で押し寄せて。皆さん、何の御用です?」

「何の用だと!」

 陽気なレンの声が癇に障るのか、男たちの幾人かが声を荒げた。

「貴様ら魔女のお陰で、ここ最近は凶作続きだ!」

「それだけではない、十年ぶりの流行り病で、大勢の者が死んでいる」

「口減らしのために我が子を殺さねばならなかった者もいるのだぞ!」

「全て、貴様ら魔女のせいだ!」

「お前たちの怪しい行いのせいで、おれ達が不幸になっているんだ!」

 何を言っているのか、とアステルは思った。マザーが凶作を引き起こしている? そんなことは有り得ない。マザーが外界の俗事にかかずらうなど。

 八つ当たりだ。

 彼らはきっと、愚かな迷信によって、魔女が天災の元凶であると思い込んでいるだけなのだ。

 アステルの考えを裏付けるように、レンが彼らの前に進み出る。

「わたしたちは関係ありませんよ。ただあなたがたの運が悪かっただけです。愚かですね。八つ当たりする労力を、他のことに費やしたほうがいくらか建設的だと思いますが?」

「何だと!」

 激昂した一人の男が、手にした鍬をレンに向かって突き出した。

 レンは避けもしない。

 鍬は吸い込まれるように、彼女の首を捕えた。

 すると、当たり所が悪かったのか、

 レンの首が、飛んだ。

 どん、ど、と重い音を撒き散らし、首が転がる。

 あまりにも簡単に首が飛んだことに驚いたのか、男たちは誰一人、一言も発しなかった。

「まったく」転げたレンの首が口を開く。「短絡的ですね。本当に愚かです。わたしが魔法人形でなかったら、どうするつもりだったんですか」

 残った体は首を拾い上げると、あるべき場所にそれを収めて二、三度、調子を確認するようにひねった。

 すっかり元通り、笑顔を浮かべるレンがそこに居た。

「やはり……化物だ!」

 男たちが叫ぶ。

「化物だ! 魔女は、化物だ!」

 恐怖に駆られた叫びだった。

 化物とは何事だ、とアステルは思う。

 とりわけ男たちは、マザーの容姿に恐れをなしているように見えたのだ。

 確かにマザーの姿は、彼らと違う。アステルたちとさえ、異なっている。

 マザーの皮膚は人の肌の色をしていない。漆黒だ。

 その皮膚はひび割れ、ささくれ立ち、まるで枯れ木のように細りきっている。

 ところどころは裂け、そこから白い線のようなものが延び、べつの裂け目から伸びた線と複雑に絡み合っている。

 片目はなく、残ったもう一つにも黒目はない。

 容姿だけを取るならば、なるほど人外と言えなくもないだろう。だがマザーは化物などではない。ずっと共に暮らしてきたアステルは、それをよく知っている。

 化物と言うなら、いきなりレンの首を飛ばすような彼らこそ、まるで悪鬼のようではないか。

「なんと怖ろしい姿だ!」

「妖しい行い、魔の薬によって、肉体を弄んだに違いない!」

「神を恐れぬ化物に死を!」

「化物を殺せ!」

「魔女を狩れ!」

「殺せ!」「狩れ!」「殺せ!!」

 男たちが鬨の声を上げる。恐れを叫びで吹き払おうとするかのようだった。

 誰かが、やがて、マザーに向かって走り出した。他の者達もそれに続く。突き飛ばされたレンが転がり、彼らの向うに消えていった。

 危ない、とは思わなかった。

 彼らにどうにかされるようなマザーではない。

 だが、不吉な予感があった。

 マザーは、自らの死を、予言した。

 それはあるいは、今このときのことを言っていたのではないだろうか――。

 マザーは動かなかった。

 先頭の男が突き出した鋤の先が、マザーの身体を貫いたのが、はっきりと見えた。

 アステルは目を見開く。リクもはっきりと、その瞬間を見た。

 続く男の鍬が、マザーの頭に振り下ろされた。あっさりと、マザーの頭が割れた。

 三番目の男が到達すると、マザーの姿は、男たちの影に隠れて見えなくなった。ただ最後に一瞬だけ、倒れ伏すマザーの身体が垣間見えた。

 男たちは狂ったように叫びながら、それぞれ手にした武器を、マザーの躯に突き立て、振り下ろし、抉って、薙いだ。

 マザーが殺される。身体が、どこの誰とも知れぬ男たちの手に、蹂躙されている。

 偉大で高貴な、魔女の身体が――。

 アステルはその光景に耐えられなかった。

「やめなさい!」

 叫んで、男たちの間を割り進み、マザーの前に進み出る。

 マザーの躯は、既に原型をとどめていなかった。粉々の、炭の塊が散らばっているだけのようだった――それは奇妙に乾燥していて、人の骸のようには見えなかった。

「……マザー」

 アステルは呆然と呟いた。明らかに死んでいる。マザーは、死んだのだ。

 この男たちが殺したのだ。

「……お前たち」憎しみ、怒り、が湧いてくる。マザーを殺した男たちに対する、あらぶる感情が心を満たす。

 怒りに任せるまま、アステルは彼女のブルーム、<終の機神(デウスエクスマキナ)> を起動しようとした。

 だが、急に聞きなれない声に名を呼ばれて、アステルは一旦思い止まった。

「もしかして……アステル? アステルなの?」

 女性の声だ。知らない声。声のするほうを見る。いた。男たちの合間に、一人の女がいる。当然だが、記憶にない人物だった。

 その女性はべつの方向を見て、驚くべきことに、リクの名を呼んだ。

「……リク。リクなのね?」

 何故わたしたちの名を知っている? 当然の疑問が湧いてくる。

 問い質す前に、女性は自ら答えらしきものを示した。

「覚えてる? リク。アステル。お母さんよ。あなたたちの、母親よ」

 母親。

 なるほど、もしかしてあれがわたしの生みの親なのかと、アステルは思った。

 マザー・タタリが自分たちの生みの親ではないだろうことは、はっきり聞いたわけではなかったが、察しがついていた。生みの親は、べつに居るのだと。

 同じく声をかけられた、リクを見る。彼と目が合った。

 リクは、ゆっくりと、頷いた。

 リクは覚えているのだ。生みの母の顔を。アステルは二歳のときに塔に連れて来られたから全く覚えていないが、当時リクは五歳だ。覚えていてもおかしくはない。

「ねえ、リク。アステル。帰りましょう? まだ間に合うわ。早くこんなところから出て、私と一緒に家に帰りましょう? そして、また四人で、一緒に――」

「黙れ」

 アステルはその女の言葉を、一言で切り捨てる。

「わたしのマザーは、ひとりだけ。お前じゃない」

 この女は、マザーを殺した奴等の仲間だ。今更母親面して一緒に暮らそう? 笑わせるにも程がある。

 アステルにとって、母とは、マザー・タタリただ一人。

 顔も知らぬ生みの親など、ましてや大切なマザーを殺した者どもの仲間など、いかほどの価値があるだろうか。

 アステルの言葉に衝撃を受けたのか、女性は二の句が次げないでいる。

 するとやがて、細波のように、男たちの囁きが広がっていった。

「リクとアステルとは、ガトーの子か」

「十年前に神隠しにあった」

「魔女に攫われていたとは」

「しかし、確か……」

 ある男の言葉を契機として、彼らの感情は一方向に、大きく傾く。

「ガトーの子らは、流行り病に侵されていたはずでは?」

 それは、排斥。流行り病への恐れだ。

「……生きているとは!」

 アステルの前から、男たちが一斉に引いた。

「あの怖ろしい死病にかかっていた子が!」

「魔女の業だ」

「魔女の魔薬のせいで、生き永らえている」

「――感染るぞ!」

「病が、感染るぞ!」

 我先にアステルから離れようとする男たち。足をもつれさせ、他人を押し、階段から転げ落ちる者まで現れた。

 あさましい姿。

 愚か者どもめ、とアステルは心中で毒づいた。

 だが、そんな中、流れに逆らい彼女に向かって来る者がいる。

 先ほどの女性だ。

「アステル!」

 濁声で、名を呼ぶな。自分の名を示す音の連なりがこれほど醜く聞こえるのは、アステルには初めての経験だった。

「帰りましょう? ねえ、アステ――」

 あまつさえ手を取り、引いていこうとする。

 アステルはその手を力の限り、振り払った。離れたところで倒れこむ女。

「醜いのよ」

 憎い。マザーを殺した癖に、一緒に暮らそうなどと言うのはどの口か。

 暗い感情がアステルの心を塗りつぶす。今度こそ、止めるものはいなかった。

 アステルは <終の機神(デウスエクスマキナ)> を起動する。

 彼女の額が緋色に煌く。不可視の魔力が <終の機神(デウスエクスマキナ)> に流れ込む。歯車が軋む。軸が回り擦れ合う。潤滑油が全身を巡り、発条が撓んで力を込める。空の骸に血たる魔力が浸み通り、機械仕掛けの歪な人型が動き出す。

<終の機神(デウスエクスマキナ)> の右腕が、人の身には視認できない速度で伸びた。

 その行く先にあるのは、女の頭。

 砕け。砕いてしまえ。

 攻撃は、しかし、横合いから伸びてきた何かによって阻まれた。

 跳ねる金属音――緋色の火花に、桜色の火花が混じって散った。

「――何のつもり。リク」

 リクのブルーム、<星守(プロステラ)> が骨格を大きく展開して、<終の機神(デウスエクスマキナ)> の動きを阻害したのだ。

「だめだ、アステル。殺しちゃいけない」

「どうして」

「その人に罪はない」

「なんですって?」

 リクの言葉に、怒りが湧く。マザーを殺したのに?

「何を言っているの、リク。こいつはマザーを殺した奴等の仲間なのよ」

「違う。その人は何もしていない」

「同じことじゃない」

「違う」

 頑なだ。アステルは苛立ちが膨れ上がるのを感じる。

「邪魔するの?」

「アステルが、やめないなら」

 緋色の輝きが、強まる。広間全体を煌々と照らし出す。

「……力尽くでいくしか、ないわけね」

「……残念だよ。それしか方法が、ないなんて」

<星守(プロステラ)> を包む桜色の光もまた、その強さを増した。

「……ブルーム壊されても文句言わないでよね!!」

 アステルは全魔力を <終の機神(デウスエクスマキナ)> に流し込む。複雑に計算されたブルームの魔力回路を通して、アステルの魔力が増幅される。それに呼応して、<終の機神(デウスエクスマキナ)> の左腕――その五指が開きゆく。

 そこから、巨大な緋色の光柱ビームが発射された。

 純粋な破壊の力を宿した、魔力の光線だ。それは <終の機神(デウスエクスマキナ)> の右手を押える、リクのブルームに向かっていった。

 リクはブルームの骨格を精密制御。アステルの放った光線の角度、魔力密度分布、それらを瞬時に分析し、回避のための最適解を弾き出す。

 結果、リクが骨格周辺に展開した魔力盾は、アステルの攻撃をほぼ完璧に受け流した。上方に弾かれ、目標を見失った光線は霧散する。

「やってくれるじゃない」

 アステルは笑みつつ、毒づく。口元に反して瞳は笑っていない。

 リクは答えない。そんな余裕はなかった。

 アステルの攻撃は大雑把だ。魔力分布も計算されていない、単純な大魔力をぶつける攻撃。だから読みやすいし、回避も容易だ。

 だがそれは、アステルが組し易い相手であることを意味しない。

 彼女の真骨頂は、その超大魔力にある。ろくな制御もなしに放たれるそれは、確かに容易に回避できる。だが、回避したとて、全ての魔力を逸らせるわけではないのだ。魔力で受け止め逸らしている以上、ある程度はこちらの魔力も削り取られる。

「――当たれっ!」

 アステルはブルームの両腕を使って、魔力光線を乱射する。一撃目で、リクは押えていた <終の機神(デウスエクスマキナ)> の片腕を放してしまっていたのだ。

 今のところ直撃は免れているが、回避するだけでもダメージは受ける。何度も攻撃を受けると危険だった。

「そんな適当な攻撃じゃ、ぼくには当たらないよ」

 軽口を叩きながら、リクは反撃を試みる。光線の合間を縫って <星守(プロステラ)> の骨格を伸ばし、 <終の機神(デウスエクスマキナ)> に攻撃を加えようとするが、いずれも迎撃され、撃ち落されている。

 リクの心に、焦りが生まれる。

 それは禁物だ、と分かっていても止められない。

 焦りは魔力制御の乱れに繋がる。そして、魔力制御を誤れば、直撃を被ることになる。アステルの魔力量からすれば、一発でも直撃を受けたらそれで終わりだ。魔力制御に気を遣わず戦えるアステルに比べると、リクの精神的抑圧(プレッシャー)は相当に大きなものと言えた。

(早く、終わらせないと)

 リクは、 <星守(プロステラ)> に命令を送る。リクの身体を格子状に囲っていたブルームが解け、骨格の一つ一つが広く、長い形態に再構成される。すこしでも多くの空間を覆うように、それは広がっていった。

「何をするつもり?」

 アステルは周囲を見回しながら、眉をひそめた。不安の翳りがその表情に現れる。

 リクはブルームを、広間全体を覆うように展開したのだ。今やアステルの全周は、リクのブルームに囲まれている。広範囲への展開を旨とする、リクの設計思想の賜物だった。

「無駄口叩いている暇があったら、ぼくの攻撃に備えなよ。どこから来るかわからないよ?」

 言葉が終わるか終わらないか、アステルの背後にリクのブルームが伸びた。魔力に駆動されたそれは、常人ならば反応不能な速度だったが、アステルのブルームはこれを難なく受け止めた。

「こんなヤワい攻撃で、わたしのブルームが壊せると思うの?」

「まあね」

 余裕の軽口を叩くリク。皮肉な笑みさえ浮かべて見せる。

 その実、彼には余裕がないのだが。

 ブルームを広範囲に展開した今、彼自身の防御は限りなく薄い。ここを攻撃されることを思うと、恐怖に身が竦むようだった。

 そして、アステルも愚かではない。

「――言ったわね」

 熱しやすい性格と言えど、こうも分かりやすい弱点を見逃す程、不明ではないのだ。

「もう、ブルーム壊すだけじゃ済まさない! 怪我したって知らないからね!!」

 アステルは <終の機神(デウスエクスマキナ)> の両手をリクに向けると、そこから最大出力の魔力光線を放った。煌々と輝く緋色の怒涛。純粋な破壊の顕現。人の身に余る速度で、それはリクに迫りゆく。

 それこそが、リクの狙いだ。

 いま、アステルの注意は全て、リクに向いている――その隙を突く。

 リクは <星守(プロステラ)> を駆動した。

 展開していた骨格を束ね、ひとつにする。魔力を集中し、槍とする。狙うは <終の機神(デウスエクスマキナ)> の左腕、その付け根。桜色の光を曳いて、それは一直線に突進した。

 光の槍が、ブルームを穿つ――しかし。

「甘いっ!」

 アステルの絶叫一下、<終の機神(デウスエクスマキナ)> の頭部がぐるりと回転した。その眼球に当たる部分が緋色に光り、細い光線を発射する。桜色の槍はそれに弾かれ、軌道を僅かに逸らされた。それだけで槍は致命傷を与える力を奪われ、空しくかすり傷をつけるに留まる。

 リクは攻撃の失敗を感じつつも、自らを飲み込む大魔力の奔流を逸らすのに精一杯だ。ほぼ全神経を集中して、刻一刻と変化する魔力分布を解析し、防御効率が最大となるように魔力盾を張り直す。そこまでしてなお、全力のアステルの攻撃はリクに大きなダメージを与えている。

「ふん」アステルは鼻息荒く、緋色の魔力に抗うリクを見た。「いつまでも成長しないでいると思ったら、大間違いなんだからね」

 驚いたことに、リクは口を開いた。

「――そうだね。ぼくも、同感だ」

「なっ。どういう――」

 その瞬間、リクを飲み込む魔力の奔流が、半分以下の太さになった。

「えっ」

 アステルは驚愕して、自らのブルームを見た。

 そこには、左腕を失った、大切な人形の姿があった。

 もと左腕があった位置に、<星守(プロステラ)> の骨格のうち、たった一本が伸びている。まさかと思うが、そうとしか考えられない。あれが、<終の機神(デウスエクスマキナ)> の左腕を断ったのだ。

「……どうして」

 有り得ない。たった一本では、込められる魔力量にも限界があるはず。金剛アダマン鋼で作った腕がこんなに簡単に、折れるはずはない。

 理解不能の現象だった。

「勝負ありだ」

 威力が半減した攻撃をすぐさま無効化し切ったリクは、静かに宣言した。

「まだよ! まだ片腕は残ってる」

「聞くんだ、アステル」有無を言わさぬ調子で、リクは叫んだ。

「このまま続ければ、お互いにただじゃ済まない。どちらかのブルームが完全に壊れるまで終わらないし、勝ったほうだって無事じゃ済まない」

「そんなの関係――」

「それにね」

 聞き分けのない子どもに言い聞かせるような調子が、癇に障る。しかしどうしてか、それは耳を傾けずにはいられない口調だった。

「……ぼくは、きみの弱いところは知り尽くしているんだ」

 それを聞いて、ようやくアステルは理解した。

 なぜ、弱々しいブルームの欠片程度で、屈強な金剛鋼を砕くことが出来たのか。

「そうよね。リク……わたしのブルームの設計、よく手伝ってくれたもんね」

 唇を噛む。

 悔しかった。

 二人は確かに、自分たちの手で、ブルームを完成させた。

 だが、アステルもリクも、まだ未熟者なのだ。完璧なブルームを作り上げたとは言い難い。完璧でないということは、何処かに不備がある。外部から受けた力が過度に集中し、折れやすくなる箇所――弱点がある。

 そこを、リクは突いたのだ。

 リクはまだ、アステルのブルームの弱点箇所を知っているだろう。

 対してアステルは、リクのブルームのどこに不備があるのか、ほとんど知らない。そもそも、仮に知っていたとしても、アステルの制御力では弱点を突くなど出来はしない。

 認めざるを、得なかった。

「分かった。……わたしの負け。降参する」

 敵わないのだ。リクには。


 広間を煌々と照らしていた、緋と桜色の光が消える。二人のブルームが待機状態に戻る。

 もう既に、押しかけていた外の民は、ほとんど全員が逃げ去っていた。広間は、静かだ。

 リクはひとつ、息をついた。そして自分の行いの結果を見る。

 アステルのブルーム。片腕を失った姿。

 アステル自身。大切なブルームを傷つけられ、意気消沈した姿。

 ぼくは何をしているのだろう、と暗い気持ちになる。アステルを守るために作ったはずのブルームで、アステルを傷つけてしまった。

 リクは沈んだ気持ちのままに、そもそもの原因――自分たちの生みの母を見た。

 彼女は腰を抜かして、未だにその場にへたりこんでいる。

 アステルが彼女を殺そうとするのを、どうしても見過ごせなかった。

 アステルの気持ちは分かる。マザーの躯を蹂躙されたのは、確かに気分のいいことではない。いかにマザーが自身の死を予言していたとしても、感情的には受け容れがたい。

 だが、あの女性は、自分たちの肉親。生みの母なのだ。

 アステルと違って、リクはよく覚えている。魔女の塔に来る前の、父と、母がいた生活を。

 貧しくとも、自分たちを育ててくれた肉親を、リクはどうしても見殺しには出来なかった。

 あの女性は、また一緒に暮らそう、と言った。

 マザーはもういない。これからどう生きるかは、リクたち自身の手に委ねられている。

 だから確かに、女性の言う通り、また母と子に戻って共に生きることもできるのだ。

 リクは、あるいはそれでもいいだろう。

 だが、アステルは。

 アステルは、憎しみの篭った目で女性を見ている。ブルームを壊された元凶が、あの女性にあるのだと思っているようだった。

 彼女は生みの母のことを何も覚えていない。今この瞬間も、目の前で座りこんでいる女性を、母ではなくただの敵と認識している。そんな状態で、一緒に暮らすなど、できるはずがない。

 とすれば、リクにとって、選び得る選択肢はただ一つだった。

「アステル。まだ、そのひとが憎い?」

「当然よ。こいつらが来たせいで、マザーは死んだ。わたしのブルームだって、こいつらが来なければ壊れることなんてなかった」

 射殺さんばかりの視線を、アステルは女性に投げている。女性は怯えて、肘だけであとずさった。

「殺してやりたい。今すぐにね」

 リクはため息をついた。女性には、死んで欲しくないと思う。

 だが、女性の言うように、また共に暮らすことなど、できはしない。

 リクにとっては、アステルが一番大切なひとなのだ。

「アステル」

 だから、彼は告げる。今言える最良だと、彼自身が信じる言葉を。

「ぼくらは、魔女だ。偉大な高みを目指す、愚昧な民衆には及びもつかない探求の徒。だけど、ぼくらの持つ時間は有限だ。当然だ、人の肉体はいずれ滅びるのだから――マザーと同じようにね。だから」

 最後に、一度だけ、リクは母の姿を見た。

「下らない俗事なんかに、関わっている暇はないはずだ」

 そして、背を向ける。

「――女。ぼくたちは魔女だ。お前たちの言う化物だ。だから、お前と共に暮らすことなど、できはしない。

 ……去れ。今すぐに」

 言い終えると、リクは階段を上り始めた。

 リクの心中に、かつてマザーが告げた言葉が蘇る。

 ――魔女に情は要らぬ。感傷に流され、高みへの歩みを止めてはならぬ。探求の邪魔になるものを捨てよ。歩むために必要なものだけを抱け。常に高みを目指して歩む、それこそが魔女の矜持と知るのだ――

 彼は今、魔女として生きることを選び取り、不要なものを捨てたのだ。

 自分が壊した <終の機神(デウスエクスマキナ)> の腕を拾い、アステルの手を取って、自室へ戻る道を往く。


「ごめんね、リク。けがない?」

「大丈夫。ぼくこそ、ごめん。あとでデウスエクスマキナの修理、手伝うから」


 彼は一度たりとも、振り返りはしなかった。

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