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三話

 ブルーム創りと魔法の修行に明け暮れる、二人の小さな魔女の卵。その道は険しいもので、何度もつまづき、挫けそうになったこともある。だが、彼らは一人ではなかったし、何より支えとなってくれる師匠がいる。

 言葉少なで、けして優しいとは言えないが、常に的確に二人を導く偉大な魔女。

 マザー・タタリさえいれば、二人はいずれ卵から孵り、一人前の魔女になれると信じている。


       +


「リクさん。アステルさん。マザーがお呼びですよ」

 何故だかその日、二人を呼びに来たレンの態度は、いつもと違って見えた。

「レン、何かあった?」

 アステルの問いに、レンは不思議そうに首を傾げる。

「いいえ?」

「そう?」

 気のせいだろうか。

 どことなく不安なものを感じはしたが、二人はすぐに違和感を忘れてしまった。

 ブルーム創作の途中だったが、マザーの召集のほうが優先事項だ。二人とも、進行中だった作業を中断してマザーの下へ向かう。

「マザー。リクとアステル、参りました」

 リクは面会部屋への扉を開けて、そう報告した。

 マザーがリクたちと話すための部屋だ。机と椅子があるだけの、簡素な部屋。しかし魔女の塔らしく、部屋の四方を構成する石材には耐魔力性の呪句がしっかりと刻み込まれている。

 マザーは奥の椅子にかけていた。極めて静かに、まるで死んでいるかのように。しかし、静謐でありながら、そこには異様な迫力が同居している。静と動。死と生。相反するものを共存共栄させるような、一種矛盾した空気が漂っている。

 それはマザーの、矛盾さえ捻じ伏せる強大な魔力に由来するものであった。

 リクもアステルも、恐るべき存在を前に、体が緊張するのを押えられない。マザーを前にするといつもこうだ。魔女の、魔女たる所以を、彼らは頭ではなく身体で理解する。

「かけるがいい」

 その声に逆らうことはできない。リクたちは椅子を引き、腰を下ろした。

「今日は、お前たちに告げねばならぬことがある」

「……何でしょうか」

 マザーはかすかに、頷いた。

「私はもうじき、身罷る」


 聞き間違いかと思った。

「――今、何と?」

 だから、リクは聞き返した。

「私はもうじき、死ぬのだ」

「……そんな」

 アステルが掠れた声で呟いた。

 マザーは確かに、死ぬ、と言った。聞き間違いではない。マザーが冗談を言うなど有り得ない。だから、それは本当のことなのだ――

 しかし、二人にとって、即座に受け入れられることではない。

「なぜですか? なぜ、マザーが」

 うろたえる心のまま、リクは問うた。

 マザーの答えは簡潔極まりなかった。

「時が来たのだ」

 分からなかった。それでは何も分からない。

「どういう意味でしょうか。時が来た、とは」

「私の研究が、完成した。それは、我が肉体の滅びを意味している。近い将来、私は死ぬ。これは既に、確定した未来なのだ」

 リクもアステルも、衝撃の余り言葉を失った。

 マザーはそんな二人に構わず、言葉を続ける。

「お前たちは、一人で立たねばならぬ。私が亡き後、お前たちは自ら学び、自ら試行錯誤し、自ら高みへの道を歩まねばならぬ。だが、お前たちは未だひとつのブルームも完成させておらぬ身だ」

 マザーの放つ気配が、すこし和らいだような気がした。

「急ぐのだ。私が生きている内に、ブルームを完成させるのだ」

 リクもアステルも、はっとしてマザーの瞳を見た。

 師の瞳は、いつものように、怖ろしくも強い光を宿している。

 だが、今はそこに、大きな優しさもが宿っているように見えた。

「私は、お前たち自身の創り上げた、ブルームが見たい」

「マザー」

 アステルは、思わず椅子から腰を浮かせた。

「わたしは、まだまだ未熟者です。まだマザーの導きが必要なんです。まだ――」

「アステル」

 リクはたまらず、アステルを制止しようとした。

 だが、リクよりもマザーが口を開くほうが早かった。

「アステル。私たちは、何だ?」

 アステルは、ぎくりとして答える。

「はい。わたしたちは…… <魔女> です」

「その通り」

 それは、よくマザーが投げかける問いだった。

 マザーは、続ける。諭すように、重く、静かに。

 そしてリクもアステルも、その言葉一言たりとも聞き逃すまいと、全霊を集中させた。

「ブルームと共に生き、ブルームと共に在る者。魔力を操り、妖しの奇跡を起す者。俗世の民の及びもつかぬ、遥かな高みを臨む探求者。

 私たちは <魔女> だ。

 魔女に情は要らぬ。私たちは、その本質において孤独でなければならぬ。師弟など、形だけのものだ。かような感傷に流され、高みへの歩みを止めてはならぬ。探求の邪魔になるものを捨てよ。歩むために必要なものだけを抱け。常に高みを目指して歩め。それこそが魔女の矜持と知るのだ」

 マザーは、穏やかな、しかし断固とした口調で二人を諭す。

 リクも、アステルも、反論の言葉など持ち合わせていなかった。


       +


 リクは目を閉じ、あぐらをかいて、両手を胸の前に突き出している。十指は複雑なかたちの印を結んでおり、それは時折すばやく、組み替えられていた。

 魔力制御の修行だ。

 額の第三眼サードアイが、煌と輝く。人の身に宿る、現実の理を歪めて支配下に置く力――魔力を練り、流れを制御し導いて、サードアイから外界へと顕現させる。

 魔力は、誰にでも存在しているという。

 だが、通常は個人の内部を巡るだけで、外界へは影響を及ぼせない。

 魔力を外界へ干渉させる――つまり、魔法を行使するためには、内から外へと通ずる  <パス> を開けねばならない。

 それが、額のサードアイである。魔女と通常の人との最大の違いは、このサードアイにあるとも言えた。

 リクのサードアイが、桜色に輝く。そこから光の線が伸びる。輝線はリクが指を組みかえるに従い、折れ、曲がり、中空に複雑な紋様を描いていく。

 あらかじめ決められた図形を、魔力で紡いだ輝線でなぞる修行だ。図形は複雑であり、繊細な魔力制御が求められる。

 リクの描く魔力線は、極めて精確かつ高速に、定められた図形を描く――はずだった。

(――だめだ)

 わずかに、輝線がぶれる。定められた軌道から外れ、揺れる。

 図形が乱れ、消えてしまった。

 それほど難易度の高くない図形だった。彼はこれまでに何度も描画を成功させている。なのに、今はそれが、できない。

「リク。調子、悪いね」

 声が聞こえて、目を開く。

 アステルがいて、顔を覗き込んでいた。

「……まあ、ね」

「やっぱり、マザーのこと?」

「うん」

「……本当なのかな。ううん、本当だよね。マザーが冗談とか嘘とかで、あんなこと言うわけないもんね」

「……うん」

「どうしよう」

 アステルは、リクの隣に、膝を抱えて座りこんだ。

 とても不安そうに、床に視線を落としている。

「マザーが、いなくなっちゃうなんて、わたし……」

 ここまで元気をなくしたアステルを、リクはほとんど見たことがなかった。ただ、彼女の気持ちはよく分かる。マザーはアステルにとって、唯一の親のような存在だから。

「ぼくだって、不安だよ」

 リクはそう言った。紛れもない本心だった。

 まさに晴天の霹靂、天地が崩れるかのような大事件なのだ。

 未だに信じられない。だが、アステルが言う通り、嘘や冗談では有り得ない。マザーが言うことに誤りはない。マザーが死ぬというなら、それは本当のことに違いない。

「……早く、一人前になろうよ」

 そう、マザーがいなくなるならば、リクたちにできることは一つしかない。

 一刻も早くブルームを完成させて、マザーに一人前と認めてもらう。

「うん。そうだね。それしかないんだよね、結局。わたしたちは……魔女の卵なんだから」

 アステルは拳を握り締めて、決意を固めるようにそう言った。

 一方でリクは、焦りが募るのを感じる。これまでとは比べ物にならない焦りだ。

 早く、どんなブルームを創るか、決めなければならない。

 ここに至って、初めて気付く。もしかして、自分には甘えがあったのだろうかと。マザーがいなくなるなど有り得ないと、それこそ有り得ない幻想に縋って研鑽を怠っていたのではないかと。

(いや)

 リクは首を振る。後悔している場合ではない。今までが駄目だったなら、これから直していけばいい。というより、直さなければならないのだ。

「アステル。ごめん、修行の途中だったから」

 まずは心を落ち着けなければ。魔力制御の修行は、うってつけの方法だ。

「うん。分かった。頑張ろうね、お互いに」

 リクは頷く。再び十指を組み直し、彼は自己の内部、魔力の流れに集中した。

 今度こそ、彼の描く魔力輝線は、精確な図形を描き出した。


 アステルはその様子を、憧憬と、一抹の嫉妬を交えて眺めている。

 リクよりも、もっとマザーに認められたい。そんな想いが、アステルにはある。これまでずっとそうだった。 

 しかし、マザーはどうも、魔力の絶対量そのものよりも、魔力制御の精確さをこそ重視しているように思えるのだ。

 これは由々しき事態である。魔力制御においてはリクに長がある。マザーは二人を比較して優劣をつけることなどしないが、アステルにとっては兄弟子に当たるリクの評価は、極めて重大な関心ごとなのだ。

 いま、リクは美しい立体魔法陣を描いている。

 桜色の綺麗な立体図形が、闇の只中に浮かんでいる。

 自分には、絶対に描けない精確さだった。

 言い訳ならいくらでも思いつく。リクのほうが年上。男の子のほうが細かい作業は得意な傾向にある。性格的な問題。

 でも、だから何だというのかと、アステルは思う。自分よりもリクのほうがマザーに認められているというのが問題なのであって、何故そうなのかというのはどうでもいいことだ。分かっている。このもやもやした気持ちを払うには、自分がリクよりもうまく魔力を扱えるようになるしかないことは。

 そしてそれができないから、こんなにくるしい。

 しかも、マザーはもうすぐ、いなくなってしまう。もうチャンスは、あまりない。

 アステルは目を閉じ印を組んだ。

 リクに出来るんだから、自分にだって出来るはずだ。

 そう信じて、サードアイに集中する。自らの内に、荒々しい流れを感じる。力強くうねる、緋色の洪水。それを額のパスに導くと、いつも激しく溢れ出す。

 勢いのある流れは、制御が難しい。

 リクよりも強く輝く緋色の輝線は、定められた線分の長さを越えて、直線に走った。いや、直線でさえない。わずかではあるが、ぶれていた。

「……できない」

 口の中だけで呟き、中断。再開する。今度はすこし、うまく行った。いや、これまでで一番出来がいいかもしれない。機嫌を直して、魔力の描画を続ける。

 完了し、アステルは目を開けた。

 いま、部屋には、アステルの描いた立体図形と、リクの描いたそれが両方、浮かんでいる。緋色と桜色の立体図形。色こそ違えど、形はそれぞれ、同じものだ。

 同じもののはずだった。

 注意散漫な者が見たなら、それらは同じものに見えたかもしれない。だが、アステルたち魔女の卵にとっては、まさに一目瞭然の違いであった。

「……」

 アステルは唇をぐっと引き結ぶ。

 リクには敵わない。

 修行する度に湧いてくるその気持ちを、今もまた、抑えないといけなかった。

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