二話
リクたちは修練のための広間を出て、生活部屋へと向かう。石造りの階段を上り始めると、壁にしつらえられた魔力灯が一斉に灯る。階段の隅、段と段の狭間には、灯りに照らされない暗闇がわだかまっている。
木製の扉を開けて、二人は自室に入った。蝶番が軋みを上げる。開閉時にうるさいので、油を注ささないといけないなとリクは思うのだが、日々の色々なことに流されていつも忘れてしまう。
部屋の中にはいい匂いが満ちていた。
「今日は白雪うさぎが獲れたので、兎まるごとスープです」
レンが長い髪を揺らしながら、嬉しそうな声でそう言った。
「わあ、白雪うさぎ! よく獲れたね」
「ええ、たまたま寂し死にするところに出くわしまして。運がよかったです」
ぐうと、誰かのお腹が鳴る。アステルがすこし、顔を赤くした。
リクは聞こえないふりをしながら卓につく。
「アステルさん、すこしはしたないですよ」
笑顔で言い放つレンの頭を、アステルは軽く引っぱたきながら卓についた。
「仕方ないでしょ。修行がきびしいんだから」
アステルはパンをちぎってスープに浸してからかじりつく。おいしい。
「アステルはいつも、全力だよね」
「リクは全力じゃないの?」
リクはスープだけをすくって口に入れた。お腹が温かさに包まれる。
「いや、全力だけど……何というか、遠慮なしというか」
「リクはわたしに遠慮してるの?」
アステルの眉がひそめられる。その視線は、遠慮なんかしたら許さないわよ、そう言っているように見えた。
「そういうわけじゃないよ。ただ、その……」
伝わらないなあ、とリクは思う。でも、アステルの懸念も理解できる。リクだって修行のときにアステルに手加減されたら、嫌だ。しているようには全然見えないけれど。
だけど、それとこれとは別の問題だ。魔法の修行は全力でやりたいけれど、アステルのことも心配なのだ。
「はっきりしないわね。いつものことだけど」
アステルは、余り深く追求しない。
しばらく話しながら夕食を採っていると、
「あーあ、もう練習用のブルーム使うのも飽きてきちゃったわ」
アステルが最近定番となりつつあるぼやきを放った。
「そうだね」
リクは簡単に同意する。
二人は、部屋の隅にある作業場に目を向けた。
魔力仕掛けの旋盤、フライス等の工作機械に囲まれて、二人それぞれの作りかけのブルームが置いてある。
<法器> とは、魔女が魔法を行使する際に使用する道具のことだ。
一人前の魔女は、それぞれが専用のブルームを持っている。
ブルームがなくても、魔法は顕せる。だがブルームを使うことで、より複雑・高度な魔法の行使が可能となる。ブルームは魔力の増幅器であり、変換器。ブルームを通じて魔力を増幅し、思う通りに変化させ、魔女たちは自分だけの魔法を操るのだ。
いかに魔力を増幅・変化させるかは、ブルームごとに――つまり、魔女ごとに異なる。ブルームの性能及び特性が魔女の大部分を特徴付けるので、名のある魔女の通り名にはブルームの名が冠されることが少なくない。
二人はまだ、自分だけのブルームを持っていなかった。
目下、製作中である。
しかしブルームの扱いそのものには慣れておく必要があるため、今はマザーが作った練習用のブルームで修行している。
「早く欲しいよね。自分だけのブルーム」
「うん」
まだ全工程の半分も踏破していない作りかけのブルームは、現時点では何の機能も発揮しない。がらくたと変わりないのだ。
「でも適当に作って、だめなものが出来てもいやだしなあ……悩みどころだわ」
「難しいね。だめなもの作ったら、マザーも哀しむだろうしね」
「うん……」
答えつつ、リクは気分が沈んでくるのを感じる。
リクには、悩みがあるのだ。
ブルーム創作に関する、大きな悩み。
「よし、こうしちゃいれないわ。ご飯終わったら、ブルーム創りましょ」
「うん、そうだね」
悩みはあれども、手を動かさないことには始まらない。リクはそう思っているから、アステルの提案には賛成だった。
しばらく話していると、食事が始まると同時に出て行ったレンが戻ってくる。
「食事はお済みですか?」
レンはいつも、測ったように食事が終わるタイミングで帰ってくる。
「では、こちらを」
そう言って彼女が差し出したのは、奇妙な色をした薬剤。黒ずんだ丸薬が三種六個と、色とりどりの粉薬が四種。中には奇妙な光を放つものもあり、またあるものは強烈な臭気を放っていた。
二人は当然のようにそれを受け取り、口に運ぶ。
マザーから処方される、魔女のための薬だ。
「……ふう」
水の入った杯を置き、薬を飲み終えた二人は息をつく。
レンはその様子を確認すると、笑顔で二人に挨拶する。
「では、おやすみなさいませ……ブルーム創りも結構ですが、夜更かししすぎて寝坊などなさらぬよう」
まるで子ども扱いのレンに、アステルがふくれて反論する。
「しないわよ! 寝坊なんか」
リクはその様子を見て、苦笑いを浮かべた。
+
夜になると痛みが襲ってくる。
薬の副作用だ。
体中が痛む。骨が軋むような音がする。体の表面を無数の蛆蟲が這いまわる感じがする。皮膚が剥離して血が滲むような気がする。目を閉じると、そんなふうに悪夢が現実に染み出すように思えてくる。
だが、目を開ければ、体には何の変化も起きていない。
それでも痛みだけは本物だ。彼らの覚えている限り、この痛みが訪れなかった夜はない。
分かっている。魔女には魔力が必要だ。そして、痛みが魔力を強めてくれる。だから二人は、魔女にとってこの痛みは普通のことなのだと思っている。排泄欲求のような、誰にでも訪れる生理現象に近いもの。偉大な魔女になるには避けられない道なのだと、とうの昔に受け容れている。
ときどき、耐え切れなくなることはある。
だけど、彼らは一人ではないから、そんなときは手を取り合って夜を越えるのだ。
朝になれば、嘘のように痛みは引くから。
+
二人の朝は、レンと顔を合わせるところから始まる。
「おはようございます!」
いつもそう言って、レンは油の差されていない扉を盛大に軋ませ、部屋に入ってくる。相当にうるさいのだが、それで目を覚ますのはアステルだけだ。リクは寝起きがとても悪い。
だから、アステルが目を覚まして初めにすることは、リクを起すことだ。
「リク、起きて。朝よ」
たいてい揺すった程度では起きないので、何らかの対策を講じることになる。
最近の定番は、耳元での囁きだ。
アステルは右耳、レンは左耳につき、二人でタイミングを合わせて「起きなさい」と囁く。叫ぶのではない。あくまで囁きだ。
これをやると、なぜかリクは飛び起きる。叫ぶよりも効果が高いことは、実証済みだ。
今日もまた、リクは一瞬で目を覚ました。耳を押さえて、体を微妙にくねらせながら
「もう、やめてよ」
という。
アステルは「すぐ起きないのが悪いんじゃない。自業自得」などと返すものの、正直リクが何をそんなに嫌がっているのか分からなかった。
レンだけが、分かっているのかいないのか、代わらない微笑を浮かべて佇んでいる。
そして身支度、朝食を採り、二人の修行が始まるのだ。
+
とくべつに修行がないとき、二人の日常はほとんど法器創りに費やされる。
「あーっ! また折れた!」
アステルの悲鳴は、だから、日常茶飯事だ。
「なっ、なんでーっ……」
両手を床に突き、壊れた部品を前にして、いつものように嘆くアステルである。
マザーが部品を拾い上げ、点検する。
「この軸受部分の強度が足りぬ」
一瞬で問題箇所を特定、指摘。
「で、ですがマザー」
自分の間違いを認めたくないアステルは、何とか反論を試みる。
「そこを強化すると、軸とこちらの外装がぶつかってしまいます。強度は、魔力を流せば補えるかと……」
無謀な試みだった。
「機械設計で十分補償できる。不要な部分に魔力を割くのは、愚かなことだ」
「はぅっ」
撃沈。
一刀両断である。
こうして彼らは、マザーの指導を受けながら、自分のためのブルームを一から創ってゆくのだ。
ブルームの創作は、一筋縄ではいかない。
高度な魔法を実現するには、注いだ魔力を効率よく増幅・変化させる必要がある。ブルームの出来が悪いと、想定外の場所で魔力の流れが阻害され、思うように魔法が扱えないのだ。
また、仮に効率よく魔力を流せたとしても、ブルーム自体の物理的・魔法的な強度が低いと発動した魔法に耐えられず、自壊してしまう。
高性能なブルームを創造するには、「高効率魔力伝導」と「物理的・魔法的強度」を兼ね備えなければならない。これら二つを両立するには、軸・歯車・蝶番などの機械要素への精通、金剛鋼や真銀、とねりこの木といった材料についての知見、魔法工具の扱いに関する熟練、またそれらを包括する魔法工学の修得――広範囲に渡る高度な知識・技能が不可欠だ。
「うう、難しい」
アステルは頭を抱えた。また、設計のやり直しだ。
偉大な魔女への道は、まだまだ遠いようだ。
一方、リクは魔力駆動の工作機械にとりつき、部品の作製を行っている。ブルームは螺子や発条などの機械要素の組み合わせだが、その機械要素自体も自ら作り出さねばならない。一説によれば、そうして作り出す過程において製作者の魔力が部品に染み込み、ブルームと術者の結びつきを強めるのだとも言われている。
リクの目は真剣そのものだ。
工作機に固定され、高速で回転するエニシダの木に、ゆっくりと切削刃を近づけていく。切削刃も工作機に固定され、工作対象――この場合はエニシダの木――との相対位置は、高精度に制御が可能だ。
刃が木材の表面をなぞり、思う通りの形を切り出してゆく。
「……ふう」
やがて加工が完了し、リクは出来上がった部品を点検した。ノギスを当てて、正しい寸法が守られているかをチェックする。
「あれ」
一箇所、ミスが見つかった。これでは所定の強度が出ずに、ブルームが壊れてしまうだろう。
いつもは失敗しないような作業だった。どうも最近、調子がよくない。悩みのせいだろうか、と思う。
「……はぁ」
リクは、ちいさくため息をついた。貴重な材料と創作時間を無駄にしてしまった|。
|「ごめん、レン」
「いいですよ。材料は、また採ってくればいいですし」
ブルーム創作に必要なあらゆる材料は、レンが外から採ってきている。レンが居るから、リクたちは部品の加工や構想設計といった、より核心に近い作業に集中できるのだ。
身の回りの世話をしてくれていることも含め、リクもアステルも、このちいさな援助者に頭が上がらないのだった。
(それにしても、どうしよう)
失敗した部品を眺めながら、リクはそんなことを思う。
もうすこし創作が進む前に、悩みを解決しなければならない。
いまリクとアステルが創っているのは、全てのブルームに共通する <核> の部分だ。核の構造はほぼ決まっていて、あまり魔女ごとの個性は出てこない。ブルームの歴史の積み重ねそのままに、あらかた決まった手順に従って創作していけば完成する。だから、難しくはあっても、いずれ完成するだろうという見通しはついている。
問題は、その先にある。
核が完成した後に待っているのは、ブルームの個性を決める部分の創作である。いかに魔力を増幅し、変化させて、望み通りの魔法を発現させるか。ここにおいて、魔女の創意工夫は最大限に発揮されるのだ。
魔法の可能性は無限だから、その創作方法に決まった手順はない。
だからこそ、悩ましい。
そう、どんなブルームを創るか――
それこそが、リクの悩みだった。
今はまだいいが、核が完成するまでには決めないと、ブルームの創作が頓挫してしまう。
レンの言うとおり、材料は集めてくればいいし、失敗してもやり直せばいいのかもしれない。だが、どう創ればいいか決めていないのでは、完成などするはずがない。
リクは人知れず、ため息をついた。
しばらく折れた材木を手に呆然としていると、アステルに声をかけられた。
「ねえリク。これ、どうかな」
どうやらマザーは、自室に戻ったようだった。
アステルの手には、組み上げられた機械の腕のようなものが握られている。
「仮組みしてみたんだけど」
そう言うと、アステルは魔力を流し込んだ。彼女の額が緋色に光る。呼応して機械の腕が動いた。歯車が擦れ、発条が伸縮するかすかな動作音が、リクたちの耳朶をうつ。
「うわあ、ちゃんと動いてる。すごい」
「ふふ」
「あれ、ここちょっとぎこちなくないかな?」
「え、どこ――」がぎん。「あ」「あ」
また、折れた。どうやら、可動範囲が限界以上に広く取られていたらしい。
「……」涙目のアステル。
「……また、頑張ろう?」
苦労して組み上げた機械が壊れたときの気持ちは痛いほど良く分かるのだが、リクにはうまい言葉が見つからなかった。
「一緒に原因と、対策を考えよう。次はきっとうまく行くよ」
「……うん」
ようやく頷いてくれたアステルに、リクはすこし安心する。
ブルーム創作に必要な魔法工学には、リクのほうが深く通じている。だから、こんなときはリクが主導権を持つのが常だ。
アステルは行動派であって、余り学問は得意ではなかった。逆にリクはどちらかというと学者肌である。
また、リクはアステルよりも三歳年上だ。リクのほうが魔法工学に関する理解が深いのも、その意味では当然のことかもしれなかった。
「ここに載ってる強度計算はした?」
「……ううん」
二人でひとつの教科書を見ながら、ブルームの完成を目指して歩いていく。こんなとき、リクはすこしだけ悩む辛さを忘れられる。アステルを助けることは、彼の心を満たしてくれるのだった。