雨
私は今、ゆったりとロッキングチェアに座りながら厚ぼったいファンタジー小説を読んでいる。はたいても落としきれなかった埃がうっすらと表紙の文字の凹みに積もっているその本は、長い間放置されていたと、司書から聞いた。そんな本を膝の上に置いて、独特の埃っぽさを楽しみながら雨のザアザアという音まで楽しんでいる私は、今だけは世界一の贅沢者だ。
本来ならばロッキングチェアというものは庭で使用されるのが一般的ではあるのだが、室内で本を読みたいという私の意向を汲んでくれた父によって私の部屋へと置いてくれたのだった。ギイギイと音を立てるロッキングチェアは私の慰め相手であり、静かな空間に音と愉しさをもたらす存在でもある。
ページを捲る度にムッとする匂いとページを捲る感覚を味わう。それが本を読む醍醐味だとすら言える程に、私はそれらを愛おしいと感じていた。
私は本が好きだ。本があれば生きていける...というと少し大袈裟だけれど、言ってしまえばそれほど本というものを愛しているのには変わりない。
私の部屋の窓からは王宮が見える。はっきり言って、石造りのこの国の王宮は、他国の宝石が散りばめられたものと比べれば質素ではあるし、馬鹿にされることも多い。だが私は、あの質素さから溢れ出る隠しきれない品格の良さというものが王宮を素晴らしいものに魅せていると思うのだ。
丁度今の章がおわり、次章に移るときだ。ドン、と盛大な爆発音が聞こえた。一瞬、雨の音すらも霞むほどの大きな音。
私は栞を挟み、本を閉じて外を見た。ロッキングチェアがギギッと音を立てる。いつもは鳥と子供の遊ぶ声しか聞こえない静かなこの住宅街も、今は鳥の声など聞こえるはずのない喧騒に包まれていた。
今から半年ほど前だった。不運な事に、王の妻である、セリーヌ王妃が不治の病を患いご逝去なされたのだ。
元々彼女は病弱だった。だが、他の諸国との外交、経済政策などもそうだが、公共施設の見廻りなどを王と共に徹底的に行なっていた。王妃自らそんな事をなさらなくても、と言う者達が過半数を占めていたのも束の間、彼女自身の言葉でこう言われては仕方があるまい。
「わたくしは皆と直接の会話をし、国の状況というものを改善したいのです。この国も以前と比べれば豊かになりました、えぇ、ほんとうに。ですが、それと同時にまだ飢えに苦しむ者達がいるのも事実です。『王妃自らそのような事を...』と言ってくださった方もいました。貴方のお気遣いはわたくしの心にきちんと届いています。あの時はありがとう。それでもわたくしは、皆と目を合わせて話し合わないと駄目なようです。」
年に一度の王宮から行われるスピーチに、民衆の一部は涙したという。ふらりと行く宛もなく立ち寄った旅人は、ここまで民衆のことを想う王妃は始めて見た!と言ったし、またある国の王は、素晴らしい演説だ。各国はこれを見習うべきである、と言った。
そんな王妃のご逝去から半年ばかり経った。王は嘆き悲しみ、途方に暮れ、そしてとうとう、王宮の破壊という暴挙に至った。妻と暮らしたこの王宮を破壊してしまおう、そう思われたのかもしれない。
なんにせよ私には何も分からないけれど、雨音を背に王宮が崩れていく様は、なんとも言い難い悲壮感と微かな喜びが混じり合ったような匂いがした。
それが雨の匂いだと気づくのはこれから何年も先の話である。
私は静かに本を開ける。
そして、崩れ落ちた、無様で気品ある王宮の姿を目に焼き付けたのだった。