わたしだけのはなし
異世界だとか前世だとか。そんなものは所詮、想像の中でのできごとだと思ってた。
「どうして、こんなことをしたの。」
ぽつりと呟いた言葉が静かな空気に溶けて消えた。
私の幼馴染は近所で有名な“変わった子”だった。私が幼馴染と出会ったのがいつだかはっきりとは覚えてないが、出会った時から変だった。幼馴染は自らを“騎士の生まれ変わり”だと言った。日本に、地球にないどこか知らない世界のことを語った。魔法と剣と、仲間たちとの旅のおとぎ話を、まるで自らが体験したことのように。もちろん大人たちは幼馴染のそんな言葉を本気にしなかったし、子どもたちは幼馴染を変なやつだと呼んだ。変なやつ呼ばわりされた幼馴染は当然のように友達ができなかった。後から聞いた話だけれど、幼馴染の母親は当時とても心配したそうだ。そんなことは終ぞ知らず、幼馴染は相も変わらず不思議な話をして周りから浮いていた。
可哀そうだと思ったのだ。私は一人ぼっちの幼馴染を見て、哀れんだ。だから友達になってあげたのだ。幼馴染のことが好きでとか、仲間に入れてあげようという責任感とか、そんなものは一切なかった。私よりも幼馴染の方がダメで、だから私ぐらいは友達になってあげようという傲慢さが私の行動理由だった。だから幼馴染に懐かれて、いつしか親友と呼ばれるようになっても、決して私と幼馴染は対等ではなかった。少なくとも、私の中ではそうだった。例え幼馴染の方が頭が良くて、運動ができて、私以外の友人ができたとしても。いつだって私にとって幼馴染は可哀そうなやつだったのだ。だから、まさか、幼馴染の話が本当だなんて、誰が信じただろう。
「まさしくこの魂は我が友の輝き。懐かしいな、レイゼン。」
「ああ、久しぶりだねヨルハエ。ちゃんと約束を守ってくれたようでよかったよ。」
ほんの一瞬の間に、私は見たことのない場所にいた。円形をした空間のちょうど中心部に私と幼馴染がいて、その周りを良く見えないが、何人かの人が囲んでいた。
最初に私たちにむけて言葉を投げたのは、不思議な装いをした男だった。年のころは三十代後半くらいで、きらきら光る桃色の髪も奇妙だったが何より目を引いたのはその服装だった。男は夏の空のような爽やかな青色から青が濃くなり黒色へと変化している一枚の大きな布で体全体、それこそ頭の天辺からつま先まで覆っていた。青い男に対して言葉を返したのは、私のそばにいた幼馴染だった。しかも、信じられないことに、幼馴染は平然と言葉を返したのだ。まるで、知っていたかのように。
「この私がお前との約束を違えるものか。ああ、だがしかし、レイゼン。お前が連れてきたその娘は誰だ?」
声と同時に私に視線が向けられたことがわかった。思わず息をつめて、自らの体を抱きしめた。抱きしめて、体か震えていることに気付いた。震えて、できるだけ小さくなろうと身を縮める私の背中に幼馴染の手が当てられた。
「彼女は、」
それから幼馴染が私のことを何と説明したかはわからない。ただ、幼馴染の言葉をすべて聞く前に私の視界は暗転した。
そうして目が覚めたら、再び知らない場所にいた。真っ白なシーツのベットに寝かされていた私のそばに、小さな椅子に座った幼馴染がいた。
夢じゃなかったのだ。
夢だと思いたかった。
恐怖と不安と、訳が分からない感情が濁流のように押し寄せてきて、勢いのまま私は幼馴染に詰め寄って、矢継ぎ早に質問を浴びせた。
ここはどこ、さっきのひとはだれ、あんたはいったいなんなの、どうして、どうして。
今にも死にそうなほど悪い顔色をした幼馴染は質問に一つ一つ答えて、それから口を閉じた。しばらくしても口を開く気配がないので、仕方ないから私から口を開いた。
「つまり、ここは、あんたがよく話していた前世の世界なの?」
「…うん。」
あまりにも信じられない話を聞いたせいだろうか、頭が重い。ズキズキと痛む頭に手を当て、深呼吸をした。信じられない思いでいっぱいだった。幼馴染が語っていた前世が、世界が、実在して、しかも異世界だなんて誰が信じられるだろう。少なくとも私にとって、あまりにも非現実すぎる話だった。
「信じる、信じないは別として。あんたは前世で、自分が生まれ変わって18歳になったらこっちに呼び戻してもらうように、約束をしてたのね。」
「そう。」
「じゃあ、私は?」
幼馴染が、わけもわからないはずなのに、あの男と親しげに会話を交わして、焦った様子がなかったことに、とりあえず理由がついた。ならば私はなぜここにいるのだろうという疑問をぶつけると、ぴくりと幼馴染の体が揺れた。それまで上げていた顔をうつむかせて、掌をぎゅっと握りしめた幼馴染の様子を見て、嫌な予感がした。
頭痛がさらに酷くなったように感じる。
「…おれのせいだよ。」
がつんと頭を殴られた気分だった。
「おれが、そう望んだんだ。」
「…かえれる、よね?」
「ごめん。」
その言葉を聞いたとき、思ったのだ。
どうして、こんなことをしたの、って。
「…って。でていって、出てけ!」
ごめん、ごめんなさいと謝り続ける幼馴染を部屋から追い出して、私は茫然とベッドに倒れ込んだ。それから何をする気力もなくただただ時間を過ごした。
漠然と朝を迎え、ぼんやりとしているうちに昼が過ぎ、夜になり、気が付けば眠ってまた朝を迎えるという毎日を過ごしていた。時間になれば、知らない女性が食事のようなものを置いて行ったが、手を付ける気にもなれなかった。そんなことを繰り返していくうちに、食事を運んでくる女性から嫌な目で見られて、時たま呟くように嫌味を言われたが、それすらもどうでもよかった。
ただ、帰りたかった。
最近は起き上がる気力すらなく、横たわりながら窓の外を眺めていると、コンコンと軽いノックの後に、幼馴染の声が聞こえた。
「入るよ。」
幼馴染が部屋に入ってきたことがわかったけれど、そちらを向く気にもなれなかった。
「また、ご飯食べなかったんだね。」
悲しそうに呟いた幼馴染の呟きが聞こえたが、何も返してはやらなかった。あの日以来、私は幼馴染とまったく言葉を交わしていなかった。いや、幼馴染だけではなく、この世界の誰とも、会話をしていなかった。
あの日から幼馴染はレイゼンと呼ばれ、レイゼンとしてこの世界に溶け込んだ。まるで飼い犬に噛まれたように、酷い裏切りを受けたような気分だった。一人ぼっちだった幼馴染の手を引いてあげたのは私だった。周りに溶け込むきっかけを与えたのは私だった。おばさんに頼まれて、面倒を見てあげたのは私だった。
「今日はソワラレの花をもってきたんだ。」
確かに、私は幼馴染を見下して、哀れんでいた。幼馴染は可哀そうな奴で、どうしようもないから、だから私は一緒にいてやるのだと。学校の友達は知らない、優秀な幼馴染の奇妙さを知り、それを受けいれる自分の心の広さに酔った。そうして優越感に浸り、ちっぽけな自尊心をどうにかこうにか守っていた。
私は良い人ではない。けれど、それは、こんな目に合わなければならないほどのものなのだろうか。
「失礼いたします、レイゼン様。殿下がお呼びです。」
「…すぐ、行く。」
背を向けたその先で、幼馴染が誰かと短い会話を交わした声が聞こえた。
「ごめん、また、来るね。」
幼馴染のものであろう、足音が遠ざかり、私は再びぼんやりと壁を見つめた。それから、少しの間をおいて、ドアが軋む音が聞こえた。とても驚いたけれど、ああ、そういえば幼馴染を呼びに来た人がいたっけ。
「なんでこんな女が。」
それはとても小さな声で、多分相手も私に聞かせるつもりはなかったのだろう、と思う。けれど部屋はとても静かで、相手の声はよく通った。そしてその声は、まぎれもなく相手の、この場所の人の思いなのだろう。
私だって、好きでこんな場所に来たわけじゃない。そうして少しずつ、悪意が増えていった。食事の(どうせ食べないのだけれど)量が減り、日に三度から二度か一度になった。偶にこの部屋を訪れる人から、悪口を言われるようになった。そうして、どうしようもなく流されるまま過ごしていたある朝、とうとう言われた。
「貴女なんて、死んでしまえばいいのに。」
それを聞いたとき、言葉がすっと胸の中に入り込んできた。まるで難しい数学の問題の解を自力で求めることができたかのように、それしかないと思った。
そうしたら、帰れるかもしれない。
この世界から、逃げ出せるかもしれない。
誰かが見たら笑うだろう、それくらい私らしかぬ行動力だったのではないかと思う。思い立ったが吉日とばかりに久しぶりにベットから抜け出して、初めて部屋から飛び出した。初めて飛び出した場所の道なんて、わからないのが当然だった。けれど、とにかく上を目指した。上に行けば、いつか建物の屋上に辿り着くだろうと思って、そしてそれは外れなかった。建物の屋上から見上げた空は青くて、雲は白く、太陽が眩しくて、たまに鳥が飛ぶ。
何も変わらない空だった。
記憶と変わらない、空。
あとはここに飛行機を足せば完璧、と考えて笑った。上だけを見ていれば記憶と何も変わらないのに、僅かに視線を下げればそこにあるのはコンクリートジャングルではなく、お伽噺に出てきそうな煉瓦の町並みだ。
だから上だけを見て歩いた。久しぶりに起き上り、歩いた体はとても重くて、一歩踏み出すことさえ辛かった。ほとんど地面を這うように進んで、ようやく端に辿り着いたときは、掌も膝も擦り傷ができていた。ごろりと仰向けに寝転んで、大きく呼吸を整える。
おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。
そのまま体を横に傾けた。