第五話 悔恨
忠義にあつい武将、周泰は命を懸けて主君を守り続ける。その論功行賞に一部の武将からは不満が出てくるが…。中国の三国時代を舞台に、熱き男達の物語が紡がれる!
本小説は、三国志を題材としたオンラインゲームをネタにした筆者のブログ「今日も二泉に月は映えて」にかつて掲載したものを再編集したものです。
周瑜は涼やかな顔を浮かべていた。
「なに、今日は無礼講ですから、遠慮なくどうぞ。」
朱然は周瑜に視線を移した。
「ならば申し上げます。烏林にて敗走の曹操軍を待ち構えていた周泰殿は、紡錘の陣形にて突撃したと聞いております。しかしながら、あの局面では鶴翼の陣形にて曹操軍を完全に包囲し、退路を断ち、完全に殲滅すべきだったのではありませぬか?なまじ退路を残したが故、曹操に逃げられたのではありませぬか!?」
周瑜は爽やかな笑みを浮かべた。
「なるほど。貴殿の言うとおり、赤壁を背にした曹操軍を包囲することもできたでしょう。では、反対にお尋ねしますが、燃え盛る船団を背に、自軍が完全に包囲され、退路を断たれたとき、朱然殿、あなたならどうなされますか?」
朱然は当然のことを聞くな、と言わんばかりに目を吊り上げた。
「論ずるまでもない。退路が無くば、最後の一兵になるまで敵を切り続け、玉砕いたす。」
周瑜は満足したような顔を浮かべた。
「そうでしょうな。さすがは忠義に厚い朱然殿。わかりませぬか?」
「何がですか!?」
「周泰殿がもし、鶴翼の陣形にて曹操軍を完全に包囲すれば、曹操軍は退路を失い、一か八かの突撃に転ずる恐れがあったのですよ。聞くところによると、周泰殿は紡錘の陣形にて四方八方から突撃したとのこと。なまじ退路が見えるが故、曹操軍は我先に逃げようと戦意を喪失したままでした。加えて曹操軍は、退路が右に左に変わるように見えたでしょうから、ひとたまりもなかったのですよ。」
「あ…。」
「あの乱戦、数十万の大軍の中から曹操を見つけ出すのは至極困難。逃がしたのは残念ですが、それよりも最小の犠牲で最大の功績をあげた周泰殿は賞賛に値するでしょう。」
おぉー…と幕僚たちから驚きと賛嘆の声があがった。
「な、ならば、その後の曹仁軍への攻撃は!?状況も把握せずに戦うなど、早急すぎたのではありませんか!?結果的には勝ったとはいえ…。」
徐盛が食い下がった。
「それについては、わしが答えようかの?」
程普は周泰がいかに的確に判断して曹仁軍と戦ったかを説明した。
「むむう…ならば!山越の淋の部族との戦のときは!?孫権様を危険な目にあわせ、周泰殿自身は気絶するというお粗末さだったではありませぬか!」
徐盛の表情に少し焦りの色が見え始めた。
不意に、黙していた孫権が立ち上がった。
む、無礼講とはいえ、言い過ぎたか…
孫権が動いたことで、徐盛と朱然は焦り、周囲に緊張が走った。
「徐盛、朱然よ。」
「は、ははっ!」
「山越との合戦については、私から話しておかねばならぬことがある。」
「殿…!」
周泰は言葉をさえぎろうとした。しかし、周泰を慈愛に満ちた目で見ながら孫権が言った。
「よいのだ、周泰。今こそ話そうぞ。」
一呼吸の間の後、孫権は語りだした。
「皆も覚えておろう?我が身が窮地に陥り、徐盛の加勢の後、山越を壊滅させたあの戦を…。」
「あの頃、我は駆け出しの君主であった。若さゆえ、山越との戦では功を焦り、敵兵の少なさを侮り、大半の味方を置き去りにして突撃した。あれは周泰の責ではない。我が周泰の制止も聞かず、突撃したのだ。」
幕僚たちはざわめいた。周泰はこの一件について、非は自分にあると言っていた。多くの者は「孫権様が窮地に陥ったのは、周泰の責任だ」と思っていたのだ。
「結果、山越の土俵である森に誘い込まれ、罠に落ち、手勢を大半失った。死を覚悟したとき、助けてくれたのが周泰であった。」
孫権は、また一呼吸整えた。
「大切な兵を失い呆然とする我に、周泰は提案した。今回の一件は、自分が責を負うと…。君主になりたての我は敗北により皆の信頼を失うことを恐れた。また、先代の君主である兄、孫策の偉大さに負けたくないというのもあった。そこで、我は命の恩人である周泰に罪を着せるという暴挙に出た…。なんとも愚かなことよ。」
孫権の目に悲しい色が浮かんだ。
周泰は目を閉じたまま黙っていた。
「のぅ、周泰。上衣を脱いではくれまいか?」
「御意。」
周泰が上衣を脱ぐと、見事に鍛錬された鋼のような筋肉があらわれた。
その鍛え上げられた筋肉の美しさに感嘆の声があがったが、すぐに皆、声をつまらせた。
周泰の体は、そこかしこに切り傷や矢傷があり、ところによっては肉がえぐられ、目を覆いたくなるような傷のあともあった。
孫権が周泰に近づいた。
「この矢傷…。そしてこことこれも…。あの山越との戦のとき、我をかばって受けた十二の矢傷だ。並の者であれば即死であったろう。しかし、周泰は徐盛が加勢に駆けつけるまで、これだけの矢を受けていながら、我を守ろうと奮戦したのだ。」
孫権は周泰の体に刻まれた傷の一つ一つを指し、それらが全て自分をかばうために負った傷だと説明した。
「深い傷もある。だが、致命傷にならずにすんだのは、周泰の武技とこの鋼の筋肉によるものだったのであろう。我はこの傷の数だけ周泰に命を助けられたのだ。」
「周泰よ、我が今日、生きていられるのは、そなたのおかげだ。ありがとうの一言では言い尽くせぬほどだ。」
そう言った孫権の頬を涙がつたった。
「そんな、もったいないお言葉…。」
幕僚たちはみな、眩いばかりの主従関係にもらい泣きした。
徐盛と朱然は愕然とした。
なんという忠義、なんという献身、なんという覚悟であろうか。
どれをとっても目の前の恩賞だけにしかこだわっていなかった自分とは将器が違いすぎる。
「周泰殿!!」
徐盛と朱然が叫んだ。
「いままでの非礼、なんとお詫びしてよいやら…。あなたこそ、まことに忠君にございます!私は、自分が恥ずかしくてなりませぬ!」
そう言うと二人は孫権のほうに体を向けた。
「殿、私のような器の小さい者では、到底、周泰殿の補佐は勤まりませぬ。どうか、どうか、辞退させてください!」
孫権は涙をぬぐい、微笑みながら言った。
「それは、困ったのう、周泰。濡須の督に赴任するにあたって、同行の将は徐盛と朱然がよいと言ったのは、ほかならぬ周泰なのだ。」
これには、徐盛と朱然をはじめ、幕僚たちも驚いた。
「自分は完璧な人間ではない。時には誤ったことをするかもしれない。そのようなとき、上官でも間違いは指摘し、国を思って行動できる徐盛や朱然のような忠義に厚い武将がよいとな。」
この言葉は徐盛と朱然の胸を打つには十分すぎた。
悪口雑言を繰り返してきたのに、まさか忠臣と言われるとは思わなかった。
「われら両名、これ以上望みようも無い上官に巡り合えました。周泰殿、よろしく、よろしくお願いいたします…。」
最後のほうは言葉にならなかった。
徐盛と朱然の二人は人目もはばからず涙した。男泣きであった。