第一話 戦傷
本小説は、三国時代に実在したと言われている武将やそのエピソードをもとに書き起こしたフィクションです。
人物の性格設定なども含めて、史実とは全く異なりますので、あらかじめご了承ください。
漆黒の闇の中…。
身分の高そうな人物を囲むように
森の中を5騎、騎兵が早足で駆けていく。
木々はざわめき、蹄の音が響く。
追手の雄叫びが森のあちこちから聞こえてくる。
「怯むな!孫呉の誇りにかけて、殿をお守りするのだ!!」
柄にもなく大声を出した。
追手はすぐそこまで迫っている。
残された僅かな味方を鼓舞し、何としてでも殿をお守りせねばならない。
「ぐあぁっ!!!」
傍らを駆けていた僚騎、張瑛の背に深々と矢が刺さった。
「周泰様!殿を…殿を…っ!」
グラリと張瑛の体が崩れる。
また一騎失った…。
「振り返るな!前だけを見ろ!」
「味方の陣は、すぐそこぞ!!!」
確証はない。
何せ森の中を迷っているのだから…。
次の瞬間、視界が開けた。
森を出たのだ。
太陽とは、かくも眩しく有難い物であったか…
目を細めながら周泰は思った。
森さえ出れば、騎馬の速さに追手はついてこれまい。
しかし、希望が絶望へとかわるのに時間はかからなかった。
目の前には断渓。
これを飛び越えねば、活路はない。
「殿!この断渓を飛び越えますぞ!」
「周泰!無茶を言うでない!かような断渓、飛び越えられるわけがない!」
「殿、ここで追手に囲まれ殺されるか、断渓を飛び越えるか、二つに一つしか道はございませぬ!」
「しかし…」
殿と呼ばれた者は当惑した。
「殿!それでは、先に某がこの断渓を飛び越えまする。殿は某に続いてくだされい!」
言うが早いか手綱を取って返し、勢いをつける。
「はぁっっ!!!!」
気合一声、周泰の駆る栗毛色の騎馬は背に主を乗せたまま、大きな弧を描いた。
そして対岸に見事、着地した。
「さぁ!殿!!」
「う、うむっ」
殿と呼ばれた者が駆る白馬も大きな弧を描き、対岸に着地した。
「お見事!」
「さぁ、甘衝殿、陸庚殿もこちらへ!」
周泰が残る2騎を促す。
「周泰、それには、及ばぬよ。」
「我ら、ここにて追手を食い止める故、周泰は殿をお味方の陣へ!」
2人の武将は、涼やかな顔で周泰を見た。
「っく…かたじけない!」
彼らはまず助かるまい。
多勢に無勢…死ぬ気だ。
周泰は、胃にドロリと溶けた鉛が流れ込むかのような感覚に襲われた。
「殿!急ぎ、味方の陣に戻りましょう!」
苦渋の表情を浮かべながら周泰が言った。
断渓に添って馬を走らせる。
「殿、まもなく、味方の陣ですぞ!」
なんとか殿を無事、守りきれそうだ、と周泰は思った。
突然、銅鑼が鳴り響く。
「周泰、これは…!?」
なんということだ、と周泰は思った。
土煙をあげて我々に迫ってきたのは、追手の兵ではないか。
それも、千騎はいるであろう。
「殿、伏兵にしては数が多すぎまする。あれが奴らの本隊かと…。全速で逃げますぞ!」
鞭を入れる。
しかし、騎速が上がらない。
先ほどから鞭を入れすぎたようだ。
栗毛の馬は全身から大粒の汗を噴き出し、ゼイゼイと苦しそうに息をしている。
見る間に追手が迫る。
追手の騎馬弩兵は矢を構えた。
「放てい!」
2人を狙う矢が雨のように降り注ぐ。
周泰は刀を抜き、次々に自らと主君を狙う矢を打ち落とした。
しかし、馬までは守りきれない。
栗毛馬の後ろ足に矢が刺さった。
嘶きとともに馬は二本足で立ち上がったかと思うと、地面に倒れ込んだ。
周泰は咄嗟に飛び、軽やかに地面に着地したが、一瞬の隙ができた。
「いかん!殿!!!!!!!」
この体勢では、剣で矢を払えない。
それならば、と迷うことなく周泰は身を挺して主君をかばった。
体中から鈍い音がする。
十二本もの矢が周泰の体に刺さった。
「う、ぐ!」
「周泰!!!!!!」
全身を強烈な火傷のような痛みが襲う。
矢を抜くこともせず、周泰は追手に一喝した。
「我は呉の周泰!何者にも負けぬ、屈せぬ!!!」
そのすさまじい覇気に追手は一瞬、怯んだ。
再び銅鑼が鳴り響く。
今度は、追手本隊と逆のほうからだ。
「挟み撃ちか…!?」
周泰は死を覚悟した。
否、もとより死は覚悟の上だ。
しかし、何としてでも殿だけは守らねば…。
全身から噴き出す出血で意識が薄れる。
迫るもう一隊の旗印が見えてきた。
「徐の字…徐盛か!殿!!!お味方ですぞ!!!!」
徐盛軍が瞬く間に追手を蹴散らす。
殿を守りきった…。
そして、周泰は安堵の表情を浮かべ、その場に倒れた。




