留年主義?
大学時代松村とマホーンは一緒にバンドを組んでいた。松村はボーカル、マホーンはベース。その他2名はバンドサークルのメンバーだった。曲は主に松村とマホーンが作っていた。ブルーハーツのコピーっぽい曲から始めた。
バンド名はダブリスト。直訳すると「留年主義」。卒業して人として何かを失うくらいなら、留年してやると言った由来だ。大人が敷いたレールには乗らないといった意味にも取れる。
結局マホーンはレールに乗ってしまったわけだが、理由はバンド名のもう一つの由来に有る。ダブリストのメンバーは全員高学歴だった。
特にマホーンは小学生の頃より塾に通い、成績は全国トップクラス。そのまま私立中学に進学した。課題を与えてもらえれば、良い成績を残すことが出来る典型的な人生を歩んできた。大衆とは違う生き方が出来なくなってしまっていた。そもそも自分の考えなんて持つ必要もきっかけなどなかった。
留年主義を歌に乗せ唱えることは出来たが、結局普通に留年することも無く就職してしまった。今までの自分の人生を否定することが出来なかったのだ。
松村は繰り返す。
「俺はマホーンには感謝してるんだよ。パチスロばっかりやってた時にパスタ屋のバイト誘ってくれたりさ。そのせいで俺はバイトから抜け出せないでだらだら今に至るわけだけどさ。」
松村とマホーンは笑う。というか笑うしかなかった。
「しかもその後もお前はバンド続けてくれたじゃん。就職した後もさ。普通は仕事始めたらこんなことしないぜ。お前は本当にバカだよな。」
ダブリストの歌にこういう一節がある。
バカは最高の褒め言葉。
「働きながらプロのロックバンド目指すって、ありえないし、中途半端だってそんなの誰だってわかってんだよ。ロックと就職ってそもそも正反対じゃんか。けどだから悪いってことじゃないだろ。これも一つの生き方である意味ロックなんだよ。」
マホーンは後悔していたあの時が正当化されていくような、不思議な嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
松村はこう続けた。
「けどなんか可笑しいよな、普通ロックって言ったら反社会じゃないけど、自分の生きたいように生きるって感じだろ。俺達は自分の生きたいように生きられないもどかしさみたいなのがあってさ、だから中途半端なロックだったんだよ。歴史上にダブリストみたいなバンドがないのはそういう訳なんだよ、きっとよ。そんでろくに活動もしなくなって、マホーンが中国行くってなって活動休止。
俺はバイトを続けて、バイト先の子と付き合って、子どもが出来て結婚して、派遣社員になって、社員になって、店長になって、会議に遅刻して社員に降格して、今に至る。休みの日は家族サービス。」
マホーンは暗い気持ちになってくる自分を感じつつこう言った。
「なんか俺達将来決まっちゃってますよね。」
「子どもの成長を楽しみに、働く。そして死ぬ。これだろ?」と松村。
「松村さんさぁ、前にロックスターと松村さんは27歳で死ぬって言ってましたよね。」
「俺はロックスターじゃなかったってことだよな。けど俺の子どもはヒロト。きっとやってくれるさ、ブルーハーツのように、けど相棒の昌利君を見つけなきゃな。」
「俺達もうステージの上から歌えないんすかね。今でも良く想うんですよベース弾きながら、目の前にすげー客がいてみんな俺達が作った曲に乗りのりでダイブとかしてる姿。」
松村はビールを飲み干した。マホーンも合わせて急いで飲み干しもう一杯頼んだ。
松村は言った。
「ライブは出来んだろーよ。けど、家族がいるからな。趣味みたいな感じになるかもな。」