レメゲトン第四話 天神の翁
十助が幽霊となって禿鬢長屋に現れてから数日が経った。この騒ぎで太助は周りを誤魔化すのに骨を折った。幽霊が出て長屋に憑りついた、などと噂が立ったら清太たち兄妹が長屋を追い出されかねない。幽霊姿の十助を最初に目撃した甚五郎にも--------あぁン~、お化けが出たって、見間違いだ、勘違い、幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってな、部屋に干してた褌が揺れたンじゃねぇの、全く図体はデカイのに肝っ玉は小せぇな、--------と言って取り繕ったが、甚五郎は自分の家に寄り付かず、左官の長吉の所へ転がり込んだままだ。清太たちは甚五郎の家へ居候の様な形で世話になっていたが、この為、甚五郎の家は子供たちだけになってしまった。
「でも逃げ出してくれたんなら都合がいいや、当分ここにゃ帰ってこねぇだろ。」
「でも大丈夫かな?俺がいる時にひょっこり戻って来てまた騒がれたら・・・」
「当分の間は寄り付かねぇと思うけど、ガタガタ音がして帰ってきた、と思ったら直ぐに姿を消すことだね。あのハゲ(大家)の耳に入るとまた面倒だから。」
「ここの差配はハゲか・・・あ、いやそれよりどんな人だ、子供たちに優しくしてくれてんのかな?・・・コソコソ隠れているより俺が挨拶に行った方が良かぁねぇか?」
「幽霊が住み着いた、なんて知ったらそれこそ騒ぎ出すぜ、面倒な事になるから止めときなよ。大丈夫さ、根はいい人だから、行き場のない子供たちを追い出す様な真似はしないよ。」
「いや、それよりも心配なのはお前さんの方だよ。自分の商売もあるだろうに、
・・・この子たちの為にお前さん自身が無理をしてるンじゃないかと思ってな。」
太助は明け六つには日本橋の河岸への仕入に向かい、その後清太を連れて八ッ茶場の青物市場へと急ぐ。それから各町々へ清太を伴い得意先へと廻るのだ。十助は今更ながら、この少年に対して頭が下がる想いで一杯になった。
「親父さん、そんなに心配してくれなくても大丈夫さ、こう見えても俺はそんなにヤワじゃねぇ、魚屋と八百屋が一緒に回ると便利だって言われて結構重宝されてんのさ。それに親父さんが残してくれた銭もあるから暫くは何とかなりそうだ。」
十助は自分が付いて行ってやれば、この子(太助)の負担も少しは減らせるのではないかと思ったが如何せん、幽霊の身ではそれも叶わず・・・
「何から何まで世話になるな、清太・・・お前この兄さんの言うことを聞いてチャンとやっていけるか?」
「他人行儀な言い方だ、親父さん俺のことは太助って呼んでおくれよ。」
「うん、だいじょうぶ、いまはまだたー兄ィについていくのがやっとだけど、いろいろおしえてもらってるから。」
明るく答える清太だが、心を痛めている事がある。あの日、自分が拾ってきた猫の事だ。その猫を殺す為、呪術者の様な男が現れてその戦いの中で清太たち家族を巻き込んで馬喰町一帯を火の海にした。その前は駿河台の武家屋敷と神田の西半分を火の海にした、という事実も聞こえていた。その化け猫こそ、今江戸を震撼させている魔物騒動の元凶だ、と太助は言った。--------その元凶を自分が拾わなければ、こんな騒ぎは起きなかったと思うのだ。しかし太助は・・・
「それはお前の所為じゃねぇ、お前は何にも悪くねぇ。」と言って慰めてくれた。
太助に自らを千里と名乗ったその化け猫は------まだ此処(江戸)でやらなきゃならない事がある------と告げた。
「何がやらなきゃならねぇ事があるだ、・・・これ以上まだ騒ぎを起こす気か。」
「あいつ、そんなにわるいやつだったのかな?」
「ま、いい奴じゃぁねぇな、お前が気にすることはねぇんだよ、俺たちは巻き込まれた被害者なんだから、なーんも悪くねぇ、だよね、親父さん。」
「そうだな、被害者だ、こっちは・・・」
そんな慰めの言葉で清太の気持ちは晴れるだろうか、あの時、百本杭で、------猫を助けろ、と耳に届いた声は何だったのか、その不思議な声が清太の心を支配していた。------もう一度会いたい、会って確かめたい、------拾ってきた時、菜助とおみつに介抱されていた猫は毛並みを撫でまわされながらもそれを迷惑がる様子もなく、されるがままにさせていた。子供の手が前脚の肉球に触れたとき、猫はその小さな手を舐め返した。------清太には凶暴な獣には見えなかった。
(た―兄ィはああいうけど、あれがそんなにわるいやつにみえなかったなぁ)
この家を表の腰高障子の破れ穴から覗いている者がいた。長屋の奥に住む戯作者の女だ。
(甚五郎の奴、お化けが出たなんて騒いでいたけど、あれかな?)
甚五郎と違ってこの女は怖がる様子もなく中を覗き込んでいる。人の形をした蒼白い影が子供たちの前にいる。この女にもそれが幽霊だと直感的に見て取れた。子供たちは怯える様子もなく影に抱かれている様だった。
(お化けってあれかい、あの子等の父親が子供たちを心配して幽霊になって現れたってところかな、それも悪くないけどね、あたしが書きたい物とはチョット毛並が違うかな)
そうして覗き込んでいたところへ甚五郎と長介が帰ってきた。
(おっと、あの馬鹿二人が帰ってきたよ)------女はそう呟いて自分の家に戻って行った。
「おめぇ、いつまで俺の所へ居るつもりだ、いい加減に自分の家に戻れよ。」
「邪険にすんなよ、俺とお前の仲じゃねぇか、友達甲斐のねぇやつだぜ、まったく・・・」
「何が悲しくて男同士で引っ付いて寝なきゃならねぇ・・・怖がりにも程があるぜ。多分太助が言った通りお前の見間違いだよ、昨夜も俺の布団に潜り込んで来やがって、もう今日はてめぇのところで寝ろ!」
この夜、とうとう甚五郎は長吉に突き放されて自分の家に無理矢理放り込まれた形になった。長吉が清太たちのいる家の中へいきなり戸を開けて甚五郎を突き飛ばしたのだ。十助が姿を消すタイミングが、僅かに・・遅れた。------目と目が合った。
「あ、・・・あわわぁ~~~! 」どっちが発した声か判らない。
「何が見間違いだ、やっぱり居るじゃねぇか!」
こりゃやべぇ、と言ったのは太助か、------十助もパニックに陥った。
「え~と、あ、あの・・こんちは、じゃなくて、今晩は・・・子供たちがお世話になってるお人ですよね。私がこの子等の父親で・・・」
姿を消すどころか挨拶をしてしまった。甚五郎はもう外へ飛び出していた。
何の騒ぎだ、と他の住人たちも飛び出してきた。この時慌てた十助の白い影が長屋の屋根の上に登っていく姿を住人が目撃した。
「あぁ、~~ありゃ何だ、」
「あ~~~ばれちゃった、どうしようもねぇな、っと・・・ごまかせねぇから大家に訳を話すしかねぇか。」落ち着いているのは太助だけだ。
「こりゃ何の騒ぎだ、説明せい。」大家に言われて太助が説明を始めた。
「その子等の親父さんだと?」
「人に祟るわけじゃないから、こいつら(清太たち)を心配して出て来ただけだよ。大家さんもあんまり目くじら立てないでくれよ。」
「甚五郎が騒いでいたのはホントだったのか。」
長屋の住人たちが口々に騒ぎ出す。
「それにしちゃ姿が見えねぇな。」「どこに居るんだよ、そのお化け・・?」
「屋根の上に消えてったみたいだけど・・・」
十助は既に姿を消して、屋根の上に逃れている。今自分が出ていったら益々騒ぎが大きくなりそうだ。
「しかしなぁ・・・」
幽霊が居ついた、となれば大家としても放ってはおけない。
「冗談じゃねぇぞ、俺の家に出てるんだ、今すぐ拝み屋呼んでお祓いしてもらえ、悪霊退散だ~~~!」 これには清太たちも怒った。
「とうちゃんはあくりょうなんかじゃないやい!」
「そんことしたら、とうちゃんでてこれなくなっちゃうよ。」
「出て来なくていいんだよ・・・大体な、お化けなんてのは出て来るんなら柳の下とか沼とか川ッぺりのジメジメした所へ出てこなきゃならねぇ。人ンちへ出るもんじゃねぇ。」
「なんだとコノヤロー、やい甚の字、てめぇ災難にあった親子が巡り合ったってのに、それを引き裂こうってのか、あんまりひでぇ事言うとただじゃおかねぇぞ、仏さんが許しても俺が許さねぇ。」
「何言いやがる、大体このガキどもを俺ンとこへ押しつけてこなけりゃこんな騒ぎになってねぇ。」
「二人とも止めろ。」
ハゲ・・・ではなく大家の徳八が間に入って二人を割いた。
「こんなに騒いでいたら幽霊の親父さんも出てこれないだろう、上の方からこの騒ぎを覗いているかもな・・・」
「だから出て来なくていいって・・・おい、まさか幽霊を居つかせるつもりじゃねぇだろうな?」
大家の言葉を補う様に誰かが言った。
「幽霊になっても親が子を思う気持ちに変わりはないか。」
「禿鬢長屋が幽霊長屋になっちまったぜ。」
住人たちが口々に勝手な事を言い出すとそのうちの一人が、・・・
「あ、いい事思いついたかも・・・」「何だよ・・・」
「これから暑くなるだろ、ンだから此処で木戸銭取ってな、お化け見物で夕涼みってのは、どうだ?」そう言ったのは桶屋だ。
「はぁ~・・・?」 一同があきれ返って桶屋を見た。
「いいと思うんだけど。」
「チョット待て、こら・・・」「とうちゃんをみせものにするの?」
清太にしても桶屋の思いつきには賛同しかねる、父親を見世物にするのはいたたまれないだろう。
「いい加減にせんか。こんな裏長屋で木戸銭取って見世物小屋みたいなものが出来るか、お前ら全員しょっ引かれるぞ。」
「無尽講ってことで誤魔化せば、バレねぇんじゃねぇの。」
「バレるに決まってるだろうが。」
寄席、芝居、見世物小屋、の営業は昼間に限り許可されている。夜は蝋燭等の灯りを使うので火事を怖れてお上では営業は許可しない。それを裏長屋でコッソリやっても評判になって人の口に立てばバレない訳がない。
「木戸銭は差配さんが懐に入れてもいいと思ったんだけど・・・」
「その代わり今までの溜まった店賃を目溢ししろ、って腹だろう、全く、ここにはロクな者がおらんわい。大森の化け物茶屋じゃあるまいし、親を見せ物にされたらどう思う、この子等(清太たち)が可哀想だと思わんのか。」
「やっぱり大家さんはいい事いうぜ、親父さんは別に人に祟る為に出て来たわけじゃないんだ。こいつら(清太たち)を心配してあの世から戻ってきただけなんだ、誰にも迷惑かけてねぇ、皆も何も心配するこたぁねぇさ。」
「いや、俺が迷惑してるけど・・・」
「そんなにお怖っかねぇならずっと長さんのとこで寝泊まりすりゃいいじゃん。」
「冗談じゃねぇ、いつまでもこんなの(甚五郎)置いておけるか。」
「えぇ~、つれないこと言うなよ。」
「いま、空いてる所が無いからなぁ、長吉、済まんがもう少し甚五郎の面倒見てくれ。」
二人はぐずりながら長吉の家に引き上げた。
「ありがとね、さすが大家さんだ、あとで清太の親父さんが挨拶に行きたいって言ってたぜ。」
「ゆ、幽霊が挨拶に、・・・いや来なくていいと言っといてくれ。それより太助、後でおまえに話しがある。」
大家の神妙な顔つきで太助は少し不安な気持ちになった。
(まさか清太たちを追い出す気じゃあるめぇな)
だが大家が言わんとすることはそれとは別のことであった。その説明を受けたとき、太助の心も複雑に揺れ動いた。ともあれ、今日のところはひと先ず騒ぎは収まった。徳八は今日の幽霊騒ぎは口外するな、と口止めしたが・・・
(まぁ、無理だろうね、人の口には戸が立てられないからね。・・・正蔵の人情噺しのネタにするならいいかもしれないけど)
片隅でこの騒ぎを覗き込んでいた戯作者の女は太助と大家のやり取りを伺っていたが話し声は聞き取れなかった。
(う~ん、あのハゲ、太助に何言ってんだろ?説教・・・じゃないな、人の説教聞くタマじゃないからね、あのガキは、・・・それがいつになく神妙な顔つきで聞いているけど・・・ま、どうでもいいか、こっちにゃ関係ないやッと・・・)
脳天気女はそう呟きながら奥の家に下がって行った。
次の日、多町からの仕入れの帰り、鍋町の通りを行く太助と清太、空は初夏の陽射しの中にあったが、太助の心はそれとは裏腹に曇りがちであった。
「ゆうべはたいへんだったけど、おおやさんがなんとかしてくれたよね。父ちゃんもあのあと出てきてひとあんしんだっていってた。おいらたちも出ていかなくていいんだろ。」
「あぁ、それは心配しなくていい・・・ずっと居ていいさ。」
昨夜、大家に言われたことが太助の耳に残っていた。
------あの子等は幽霊になった父親とこのまま一緒に居られると思っているが、それ
は無理というものだ。人の霊というのは成仏しなけりゃならんのだよ。長く居ついたら地縛霊になって禍をもたらすことになるかもしれんのだ------
------清太の親父はそんな悪霊にはならねぇよ------
------そうかもしれん・・・が、いつか別れる刻が来るかもしれんぞ、まぁ、まだ先の話かもしれんが------
------まだ先だよな、・・・せめて清太が一人前になるまで居てくれたらありがてぇけどな------
------子供のお前がよく言うわい、お前自身もまだまだ一人前には程遠いくせにな、暫くはこのままいい、と思うが------
そうまだ先の話だ、と太助は思うことにした。いつかは親子がまた別れる日が来るかもしれない、それに十助が必ずしも地縛霊の様なものになるとは限らない・・・
太助はそう考えた。
------今すぐ、ってわけじゃねぇだろ、そんときはそんときだ、その頃には清太も弟妹も少しは大人になってるかもしれねぇ・・・でもそんときゃ、やっぱり泣くだろうなあ------
気を取り直して大通りを歩いていると、バッタリ、納豆売りの留吉と出会った。
「ありゃ、太―ちゃんじゃねぇか。今日も弟分の世話焼きかい、相変わらず面倒見のいいこった、今日は六軒堀にゃ行かねぇのか。」
「バカヤロ、毎度毎度行ってられっか。あの姉さん、俺の顔見るたんび小言言ってくるんだ、この頃説教が長くてよ・・・お得意さんだから無碍にもできねぇけど・・・」
「でもこの前はあのおねぇさんにたすけられたじゃん。あのおおかじのとき、おいらたちをひとごみからまもって、ふかがわまでつれていってくれたよ。」
「ま、そうだけどよ・・・頭が上がらねぇんだよな、あの姉さんにゃ・・・」
清太は留吉の方へ向き直って挨拶をした。
「こんちわ、お兄ぃちゃん、おいら清太っていうんだ、た―兄ぃのおとうとぶんだよ。」
「おぅ、よろしくな、でもお前まだ手習いも終わってない歳だろ、チャンと行ってるか?」
「うん、た―兄ぃにいっしょに(商売を)まわってもらって、そのあと四ツまでにもどっててならいにもチャンといってるよ。」
「そうだ、手習いは大事だぞ。お前は素直そうだからお師匠さんに怒られることはないだろう。真面目なことはいい事だ。太―ちゃんなんか「師匠」の言うこと聞かねぇからよく水桶持たされて机の上に座らせられてたっけな。」
「バカヤロ、水桶持たされてべそ?いてたのはお前だろ、俺は一回だけだけど、お前は片手じゃきけねぇぞ。」
「え~~、それ逆じゃねぇか・・・?」「俺の記憶に間違いはねぇ。」
そうじゃない、いや、そうだ、・・・と両方とも相手のほうが馬鹿だった、という始末だ。
「う~ん、つまりりょうほうともせんせいをこまらせていたってわけだね。」
「それはこいつだ!」------となじりあっても仕方ないのだが、
留吉が思い出した様に・・・
「いや、どっちが馬鹿とか、そんなこと言いに来たんじゃねぇんだ。今、太―ちゃんを見かけたから耳に入れようと思ってよ。」
「何だよ。」
「このあいだの馬喰町の火事の時、俺、浅草御門の屋根の上に変な爺さんが突っ立ってたのを見たんだ。」
留吉の話しによれば、御門の屋根の上の老人は何やら大きな扇を拡げて二度三度、振り回した瞬間、空に黒曇が湧き、降り出した雨が馬喰町一帯の火の手を鎮めた、というのだ。他の場所では星空が見えていたのにである。
「そりゃただの火事場見物の野次馬じゃねぇよな。まさかその爺さんがあの大雨を降らせた、って言うんじゃねぇだろな?」
「野次馬が御門の屋根の上に登るかい、俺はあの爺さんが雨を降らせたって思ってるんだ。」
「ンなわけあるか、馬鹿馬鹿しい。」
「間違いないねぇ、ありゃ天狗だ。きっと神通力ってやつだぜ、俺は昨日その爺さんわ見たんだよ。その爺さん壺の中へ入って空へ飛んでったんだ。」
「はあ~~?」太助も清太も信じられないといった感じで口をあんぐりとさせた。
おじいさんがつぼにはいってとんでったの?・・人が入れはるものなの?」
「うんにゃ、梅干しを入れとく様な普通の小さい壺だよ。」
「おい、清太が本気にしてるだろ、おめぇ、真っ昼間から寝ぼけて夢みたんじゃねぇの?大体いくら天狗でも人が壺の中へ入って空へ飛んでくか、全く。」
「太―ちゃんとこの長屋の住人じゃあるまいし、長さんや甚五郎と一緒にするなよ。目はチャンと開いてたぜ。」
「んで、何処で見たって?」 「五条天神だよ。」
「下谷まで(商売の)足を延ばしてんのか、守備範囲広いな、お前は。」
「な~に、足が自慢のこの俺さ、お得意さんの新規開拓は常日頃からってね。」
「ごじょうてんじんって、どこ?」
「上野の不忍池のとこさ。」
「今から行ってみねぇか、今日もいるかもしれねぇ、見たら多分ビックリするぜ。」
そう誘われたが清太も太助もまだ商売の途中だ。清太に至ってはまだ手習いも終了していない、この後、商売を終えたら少し遅れるが寺子屋にも行かねばならない。
鍋町の通りから不忍池まで二十町以上ある。
------清太の足じゃ負担が大きいぜ、------じゃ日を改めて俺たちだけで行ってみるか、------ということに落ち着いた。これを傍で聞いていた清太は・・・
(もしかして、おいらをほっぽって二人だけでてんぐさがしにいくのかな、ズルい
や、おいてけぼりはいやだな、おいらもいきたいや)
家に帰ってその話しを十助にすると、
「天狗だと?」
「た―兄ぃのともだちがみたんだって、でもばしょがとおいからって、おいらつれてってもらえないんだ。」
「そんなものに付いて行ったら手習いに行く時間が無くなるぞ。いいか、今はお前も菜助も手習いで覚えなきゃならない事が沢山あるんだ。」
菜助もおみつも自分たちも天狗が見たいと言い出した。
「バカ、ホントにいたら大変だ、天狗は恐ろしい生き物だ、お前たちなんかあっという間に頭から食われるぞ。」
これには菜助もおみつもかなりビヒッたようだ。
「おれたち、いかなくて、いい・・・」
寺子屋の始業時間は朝五つから始まる。菜助は禿鬢長屋に移ってから手習いに通うようになった。おみつは長屋の手隙のお内儀さんたちが見てくれている。清太は少し遅れるが四つ迄には戻って寺子屋へ行く様にしている。帰りは菜助と一緒だ。
いろはから始めて百千万億の数を覚え「江戸方角」「国尽くし」「名頭」、「苗字尽くし」、「商売往来」「庭訓往来」と、覚えなければならない事が山とあるのだ。
太助や留吉も一通り習ったが江戸方角は寺子屋より商売周りの実地で自然に身に付いた。------その清太が、次の日から暫く、寺子屋に姿を見せていない。青物売りを終わらせて毎日四つ迄には寺子屋へ行く筈なのだが、・・・
腹でも壊しているのか、と師匠が菜助に尋ねたが・・・
「菜助・・・お前の兄さん、どうした、この頃顔を見せてないが?」
「に、にぃちゃんは・・・はらこわして、ねてる・・・」
やはり、清太の小さな冒険心は抑えられなかった様だ。------菜助を言い包めて、おれははらこわしてねてるって、せんせいに言っとけ、あと、父ちゃんにもないしょにしとけよ、------にいちゃんばっかり、ずるいや、じぶんひとりで、みにいくなんて、おいらもみたいのに------
かくして清太は太助たちの後をつけ、手習い怠けて冒険に------天狗はいるかな、いないかな、ホントにいたらどうしよう、まぁいいや、そんときゃあにきがたすけてくれるさ、------てなことを考えてるうちはこの子の一人立ちはまだ先の様だ。
昼近くになるというのにハゲ長屋の太助の家では今日も息子が帰って来ないので平助もおつたも心配している。
「もう昼だってのにあの馬鹿、何処をほっつき歩ってんだ。このところ毎日だ。」
「心配し過ぎだよ。鉄砲玉みたいな性格は昔から変わらないけど四つ五つの子供じゃあるまいし、腹が減ったら帰って来るだろ。それよりも清ちゃんだよ。いつもなら、朝の青物売りが終わったら真っ直ぐ帰って来てそこから手習いに行くはずなのに、帰ってきてる様子がないよ・・・。」
おつたは太助より清太の方を心配しているようだ。
「まさか太助が連れ廻しているんじゃねぇだろうな?」
そうではなく、清太が太助の後をつけているのだ。
「やっぱりいねぇじゃねぇか。」
「ここら辺りにいなけりゃ、今日は場所替えしたか・・・」
最初、二人は留吉が目撃した寛永寺辺りを探したが見つからず、その次の日は浅草の方まで足を延ばした。二人は今日再び下谷広小路、五条天神へ戻りその界隈を探したが・・・
「俺はその爺さん見てねぇけど、どんな爺さんだ?(まぁ、化け猫がいるくらいだし、それにそいつを殺しに来た得体の知れない男が妖術を使って町一つぶっ壊したからな。天狗がいても不思議じゃねぇか。実際、俺はそれを見てるしな。)」
「烏帽子被って白い髭が胸のあたりまで垂れてたな。見りゃぁ一発でわかるぜ。」
「明神、天神、お稲荷さんに寺の門前、と商売する所は山ほどあるぜ。何処を探しゃいいんだ。」
「(浅草の方)奥山の方へ廻ってみようか?」
「たぶん、見つからねぇぞ、もう止めだ、俺はこのあと雑魚場の夕市に行かなきゃならねぇンだから。」
二人は浅草の方へは行かず帰りながら湯島天神を廻って神田の明神様の方へ廻ってみようか、ということに落ち着いた。太助は、やっぱり留吉の見間違い、じゃない
のか、とボヤキながら帰路に着いた。・・・その後を清太がコッソリつけていた。
結構バテているが、それでも置いて行かれない様、見失わない様に必死について行く。
(あぁしんど、二人とも足がたっしゃだなぁ、ついて行くのがやっとだよ)
と思った矢先、・・・湯島天神の辺りで二人を見失った。
------あ、あれ、たー兄ぃたちみうしなっちゃった。ここどこだろ?ひとがおおぜいいるな。ゆしまてんじん、ってここかな?------
湯島台地の突端に位置する太田道灌の創建になるこの神社は梅樹数百株と眺望景観が相俟って参詣人は引きも切らず水茶屋、料理茶屋、小屋掛け芝居、見世物、揚弓の店、露天商い、大道芸がひしめき合う場所だ。・・・だが、そこに隠れた名物がもう一つ・・・悪名高い陰間茶屋、料理茶屋が別棟に設えた男色を売る店だ。------
そこの手代か、番頭の三下の様な男たちが清太を目に止めた。
------おい、見ろ、ガキが一人でこんなとこをうろついてるぜ------
------親にはぐれたか、歳もそんなにいってねぇ、可愛い顔で見栄えも悪くねぇ、
(店に)ずり込むか------
------それに、今江戸じゃガキが神隠しに遭う事件が頻発している。ここで一人消えても誰も気に留めねぇしな------
狼が兎に目を付けた。
「迷子になったか、坊主、・・・親か、友達か・・・」
「一緒に探してやるぞ。」
「え、・・・おいら、ともだちとはぐれて・・・おじさんたちは・・・?」
------俺たちはそこの料理茶屋の番頭さ、友達はそこにいるから一緒においで、と、言葉巧みに清太をある料理屋の離れに連れ込んだ。男が今呼んできてやるよ・・・と言ったが・・・
清太はこれはおかしい、と気付いた(うそだ・・・)
太助も留吉も子供だけでこんな料理屋へ入るはずがない。急ぎその場を離れようとした。
「あ、あの・・・おいらともだちはじぶんでさがすよ。だって、こんなたかそうなりょうりやにおいらのともだちがくるはずないもん。(だってびんぼうにんだもん。)」
「いいからここで待っていな、今お前の相手をしてくれるお客が来るからな。」
「え・・・何んのこと?」
「ずっと此処に居ろってことだ。」 「え、えぇ~~っ」
清太は自分が悪人に攫われてここに連れ込まれたことを理解した。男が清太に脅しをかけたとき、・・・何処からか、(部屋の片隅からか?)低い、ドスの効いた声が部屋に響いた!
「誰の相手をさせるって・・・?」
何処から声がしたのか、人は他には誰もいない。ただ部屋の片隅に一匹の猫が居ただけだ。それがのっそりと起き上がり、男たちを睨んだ。
「この猫が喋った・・・」
銀色のキジトラ猫が放った強い視線が男たちを突き刺した。猛獣が獲物を捕らえる時の眼だ。
「相手をさせる客は、寺の坊主か・・・後家の婆ァか。」
一瞬男たちの目に猫の影が虎に見えた。開いた口から牙が見える。この小さな獣が今にも自分たちの喉笛を咬み切るのではないかと錯覚させるに十分な威圧感を放っている。が・・・相手は小さな猫なのだ、これにビビッていたらヤクザ紛いの稼業に付いている者の度量が問われる。
「見間違いだ、・・・ただの猫だ。」
「そ、そうだ、化け猫みてぇだが、な~に、頭をぶっ叩いてぶっ殺してやる。」
「出来るかな・・・?」
化け猫の言葉には相手を小馬鹿にした空気を含んでいた。清太の目に飛び込んできたその猫の姿、紛れもない、大火事の日、自分が百本杭から拾いあげてきた猫だった。色、模様も見紛う事無きキジトラ猫だ。
(あれ、おいらがたすけた猫だ、たー兄ィが言ってた、化け猫・・・なんでここに・・・)
二人の男が棍棒で猫を打ち据えようとするより速く化け猫の尻尾は男二人を叩きのめし、天井、壁、襖も障子も吹き飛ばして離れを破壊した。
「うわぁあぁぁあぁぁぁ!」
叫び声を上げる間もなく、清太の体は化け猫に抱えられて外に出ていた。
言うまでもなく化け猫は千里である。
「大丈夫か、ぼうず・・・怪我はねぇか。」
「う、うん、・・・おまえ、おいらがまえにたすけた猫だよね。たしか、たー兄ィがおまえのことをせんり、とか言ってた。」
「あのいきり立ってた兄ちゃんから俺の名前を聞いてたか、あぁ、俺は千里っていうんだ。・・・あの時は助けてもらった礼も言わず、お前ら家族をとんでもねぇ災難に合わせちまって、済まなかったな。」
「あのさわぎで父ちゃん死んじゃったんだよ。」
「・・・済まなかったな・・申し訳ない・・・」
「でも、ゆうれいになってもどってきたけど、・・・それでおいらにわるいとおもってたすけてくれたの?」
「それもあるが・・・たまたまこの近くでお前の姿を見かけてな、陰間茶屋に引っ張り込まれたのを見て、こりゃ危ねぇ、と思ってあとをつけたのさ。それより何で子供一人でこんなところをうろついていた? 危ねぇぞ。」
千里に問われて清太は仔細を話した。太助たちが天狗らしき爺さんを探しに行くのを後をつけていたのだ。
「なるほど、お前はまだ小さいからダメだって言われたんだな。連れていってもらえないから後をつけて迷子になったって訳だ。」
「ズルいよね、おいらだっててんぐ見たいのに。」
「フフッ、そうだよな、俺みたいな化け猫がいるくらいだから、天狗もいるだろうな。扨て、お前の友達を探しに行こうか、何処で見失った?」
「う~んと、さっきのてんじんさまのあたり、あそこ人がおおかったから・・」
「じゃ行くか、匂いを辿りゃ探すのは造作もねぇだろ。」
「せんりはなんであそこにいたの?」
「聖堂に行く途中だったんだよ。」「せいどうってどこ、なにするところ?」
「大人が手習いする所だ。」「おとなもてならいするの?」
「そりゃそうさ、人間一生勉強だからな、それに・・馬鹿を役職に付ける訳にはいかないからな。」
などという会話を交わしながら一人と一匹は湯島天神から南へ太助たちの匂いを追った。と、その時・・・
「止まれ、隠れろ!」 「えっ・・なに・・・?」
突然、千里が危険を察知したかの様に語気を強め、清太を物陰に引っ張り込んだ。
「どうしたの?」
千里の体が、猫の置物の様に変化した。気配を消す為だ。そのまま清太に語りかけた。
「向こうを見るなよ、そのままでいろ。」「だれかいるの?」
「お前の長屋を襲撃して俺を殺しに来た奴が向こうに居る。」
「ええ~っ」
建ち並ぶ料理屋の一つから出て来たのは姉川黒有理であった。それが後から出て来た旗本に見送られてその場を後にした。旗本は五十搦の大身の身分であると見受けられるがそれが禄高二百俵余りの学問所勤番の儒者に遜っている。
黒有理の方は彼我にもかけぬ、当然という様子でその場を去った。
「行ったようだな。」
「あの男の人、おいらのながやめちゃめちゃにした人だよね。」
「長屋だけじゃなくて町一つな、その前は神田の西半分を火の海にしやがった。
それにしても、・・・三千石が二百俵に傅くか、笑い話だぜ。」
その頃太助と留吉は湯島天神から南へ真っ直ぐ、妻慈稲荷を左に折れて明神下へ出た。
「明神下だぜ、平次親分はいるかな?」
「誰だよ?・・・それ。」「お約束だよ。」「馬鹿か・・・」
なんていう、おバカなやり取りは放っといて、二人は神田明神の境内へ・・・ここも人が多い。茶店、露天が軒を連ねている。留吉が辺りをキョロキョロ
見回していた時、神田明神の入口、湯島聖堂の裏通りで太助が一人の男を見つけて低い声で唸った。
「いたぜ・・・」
「えっ・・・爺さんいたか?」
「そっちじゃねぇ、あの火事の日、俺を清太の長屋に案内させた男だ。」
「どいつだい?」
「今歩って行った、長い髪で十徳羽織を着ている奴だ。あの羽織の紋は見覚えあるぜ。何かの建物の裏門の様なとこから中に入っていった。生きていやがったぜ、あの野郎。」
太助がその顔を見忘れるはずはない。目撃した男は紛れもなく黒有理である。
「あれ聖堂じゃねぇかな、あそこ多分聖堂の裏門だぜ。学者か?」
「学者か、儒者か、どっちにしろ、あいつが得体の知れない妖術を使って化け猫殺すために馬喰町一帯を火の海にしやがった。」
「あぶねぇや、そんなのに係わらねぇほうがいいや。」
「そうはいくか、大勢の人を巻き込みやがって、何人死んだと思ってんだ。一発ぶん殴らねぇと気がすまねぇ。」
「アホかいな・・・。」
怪しげな妖術を使う大人に子供が適うはずはない。太助が黒有理の後を追って中に入ろうとするのを留吉が必死に止めた。
------そんなら尚更天狗様を探そうぜ、ホントに天狗がいたらそんな奴を退治してくれるかもしれねぇ、------同じ穴の狢じゃなけりゃいいけどな------
太助は留吉に引っ張られる様に神田明神の境内へ入って行った。・・・と、その目に飛び込んできたのは清太の姿だ。傍に、あの化け猫がいる。
「あ~~、清太、お前何で此処にいる、手習いどうした?・・・それに化け猫、何でてめぇまで一緒に居るんだよ。」
「チャンと名前呼んでくれるかな・・この前教えたろ。」
「うっせぇ、バカやろ。」
清太は太助の姿を見て涙目で安堵の表情を浮かべた。
「たー兄ィ、おいらこわかったよ~、しらない人にへんなりょうりやへつれてかれて、こわいことされそうになったとき、こいつがたすけてくれたんだ。」
「仲間はずれにしないで連れて来てやれば良かったじゃねぇか、そうすりゃこいつも怖い目に合わずに済んだんだぜ。」
「清太はまだ手習いが終わってねぇんだよ、天狗探しより手習いの方が大事だろ。」
「そうそう、手習い疎かにすると太―ちゃんみたいになるからな。」
「あぁ・・・バカになるってわけだな。」
「なんだと、コノヤロー」
三人と一匹は連れ立って神田明神の境内へ入って行った。
「あの夜、お前を殺しに来た男が先刻デッカイ建物の中へ入って行ったぜ。あそこが聖堂って所だろ。アイツは一体何者だ、何か因縁がある相手か?」
「アイツはな、蛇野郎の使いッ走りよ、蛇に命令されて俺を殺しに来たんだ、返り討ちには出来なかったがな。」
「蛇~~~ッ?」「蛇が何でお前を殺しに来るんだよ?」
「へびって・・・どこにいるへびなの?」
「ただの蛇じゃねぇ、悪魔の力を持つ大蛇が城の地下に居る、あの姉川黒有理という学者は、その蛇の手下だ。」
「城って、まさか・・・」 三人は揃ってその方向を向いた。
「そう、千代田のお城さ、余り人に吹聴すると、頭がおかしいと言われるから、大きい声で言わねぇ方がいい。城にいる侍たちも自分たちの足元に化け物がいるなんて何も知らねぇからな。」
「お前が、やらなきゃならない事がある、って言ったのは、その蛇退治ってわけか。」
「あまり不安にさせたくなかったんでな。」
「そんなおっ怖っねぇ化け物がお江戸の町にいるのかよ。今まで町中を騒がせてた魔物騒動はそいつが原因かよ。」
「こ、こわい・・・」
「そいつが夜な夜な出て来て暴れているってわけか。」
「いや、奴は穴蔵から出てこれねぇ、・・・蛇野郎の本体はあの穴蔵の中で鎖に繋がれて雁字搦めで外に出ることができねぇんだ。その為手足になる手下が必要でな、あの儒学者はその一人さ。」
「出られねぇって・・・何で?」
千里が昔を思い出す様に話し始めた。------百八十年程前、一人の侍がその大蛇退治に立ち向かった。悪魔の力を持つ大蛇と、それを葬る為の神力を帯びた太刀を携えた侍の死闘は激烈を極め、このまま果てしなく続くと思われた。侍がいよいよ大蛇を追い詰めた、と思われた時、大蛇は残る力を必死の逃走に振り向けた。その時、それを逃すまいとする侍の太刀が大蛇の首を貫くか、という刹那、僅かの差で蛇は巣穴に逃れて侍の太刀は轟音と雷鳴を轟かせ地面に突き刺さった。
その時に太刀から放射された光の束が鎖の様に変化し地面を貫いて絡みつき大蛇を雁字搦めに縛り付けた。以来、太刀はその場所に突き刺さったままである。
「その時に大蛇は封印されたんだ、倒すことは出来なかったが・・・封印するのがやっとの事だったんだ。」
「まるで見ていたような口振りだ、お前そこに居たんじゃねぇか?」
「ふふっ・・・あの太刀には魔物を封じ込める力があったらしい、それで蛇は穴から出られなくなっちまったって訳だ。・・・奴の手下か、仲間が大蛇を守る為に結界を張って他のものが入れなくした、って訳だ。俺も入れねぇ。」
「地面に突き刺さった刀って、その場所どこなんだ、まだそこにあんのい?」
「あぁ、まだそこに刺さったまんまさ。」
「どこだ?」
「天守閣のあった場所・・・江戸城天守台だ、奴はその地下に居る。」
「てんしゅだい・・・」
「俺、聞いたことがある、昔千代田のお城には日本で一番大きな天守閣があったって、江戸の町どこからでも見えたらしい、でも昔の大火事で焼けちまったって・」
「え~~もうないの、おいらもそれ見たかったな。」
「仕方ねぇさ、俺らが生まれるずっと前の話しだからな、でも・・・そこに魔物が棲みついてるなんて、信じられねぇ。」
千里の話しはそこまでだった。大蛇羅睺の餌は人間の魂魄であるという事は伏せたままにした。それ以上の事はこの子等を更に不安にさせるだけだ。
「やっぱり天狗探してそいつに退治してもらおうぜ。なー太―ちゃん。」
「そんなの上手くいくわけねーよ。もしそいつが化け物(蛇)の手下だったらどうすんだ。」
「俺の知る限りじゃ、手下に天狗はいないはずだ、しかし、探し出しても、役に立つかどうか、わかんねーぞ、その天狗・・・。」
清太は先程怖い目にあったことも忘れて太助と千里を急かして早く天狗探しに行こう、とせっついている。さっきは大分怖い思いをしたが、今度は守ってくれる兄貴分がいるし不思議な力を持つ猫もいる、怖いもの無しだ。心はウキウキで遠足にでも来た気分で周りの賑やかな光景に目を奪われている。
この時・・・留吉がそれらしい老人を見つけた。
「あれだ、いたぜ。」「どこ、・・・どの人?」
雑踏の中に居並ぶ露店と大道芸、その風景に溶け込む様に老人が商いをしている。だが、もう店仕舞いをする様だ。前に並べた薬を壺の中へしまい込んでいる。
「あぁ~もう帰っちゃうぜ、急がねぇと見失っちまう。」
「あの爺ぃで間違いねぇか?後をつけろ。」
老人は店仕舞いをしたあと壺を抱えて社殿の裏に回ろうとしている。三人はその後を追った。千里は------まぁ、しょうがねぇ付き合ってやるか、という感じで後に続いた。(あの爺ィを見るのは久し振りだ、まだ生きてやがったか・・・)
「お~い!爺さん、おじいさん、チョット待っておくれな。」
「なんじゃい、誰じゃ、ワシを呼ぶのは・・・ワシの薬を求めておるのか?ちょっと待っておれ。」
そう言って老人は壺の中を覗き込んだ。
「赤玉、一粒金丹、金竜丸、・・・あ、まだ残っとる、他は守宮酒と王光散もあるぞ・・・使うか?安くしとくぞ。」
「おうこうさんって・・・何だ?」 「いや、知らね。・・・」
千里が呆れた様に老人に怒声を浴びせた。
「バカか、てめぇ、こいつらに(子供たち)そんなもん必要あるか!何処から仕入れて来た。大方、本所の吉岡町辺りだろ、そんなもん子供に売りつけるなんざ、ろくでもねぇ天狗だな。」
それは媚薬に性病の薬だ。千里が怒るのも無理はない。化け猫の聲にも臆する事無く老人は意外と冷めた感じで千里に視線を向けた。
「こりゃすまん、子供には要らんかったな。それにしても子供たちと一緒にいるのが化け猫とはな・・・どんな因縁じゃ。」
「俺を見ても驚きもしねぇか・・・腹が座った爺ィだな。」
「お前みたいな物の怪にいちいち驚いていたら天狗は務まらん。ま、子供たちと仲がいいのは何よりだが・・・ワシ、お前をず~~っと前に・・見た様な気がするんだが・・・記憶違いかな・・・」
千「いつの事だ?俺はお前なんか知らねぇがな、それよりこの子等がお前を探していたぜ。」
「ワシを?・・・何の用じゃい。」------留吉が恐る恐る尋ねた。
「あのさ・・・お爺さん、この前の馬喰町の火事の時、浅草御門の屋根の上に登ってなかったかい?そん時デッカイ団扇みたいなやつを振り回して雨降らせてなかったかい?・・それが凄い気になっててさ。」
「よく見ていたな、確かに雨をふらせて火事消したのはこのワシだ。」
「すごいや、どうやって雨ふらせたの?」
「今見せてやる、小僧、あの時お前が見たのは・・・」
と、壺の中へ手をいれると、中から引っ張り出したのは・・・
「これじゃろ。」
なんと六尺の棒が二本出て来た。その棒を見て千里は・・・
(宝戟じゃねぇな、修験道が使う錫杖のようだが、黒檀で作られてるのか。)
老人は一本の輪飾りの一つを外すともう一本をそれに繋げた。すると、繋がれた上部の一本が、扇状に開いたのだ。繋げられた錫杖は二間を超える大きさになった。
「あーこれだ、このでっかい団扇、あの時振り回してたのはこれだ。」
「たー兄ィ、てんぐのうちわって、こんなでかいの?」
「普通は柏じゃねぇのか。・・・」
「ワシのはこれじゃ。」と言って錫杖扇を地面に突き立てた。子供たちの度肝を抜いたのは老人がこの二間の大きさの扇を片手で振り回して見せた事だ。
幾ら大きくても薄っぺらい竹と紙で出来た祭りで使用する団扇が巻き起こす風ではない。それは人をも吹き飛ばす小さな竜巻の様な烈風を生み出して、子供たちの体を宙に浮かせた。
「あ、あわわぁぁぁ~~~!」
老人、つまり天狗がが錫杖扇を地面に突き立てるとズシンと重い音をたてて地面に横たわった。同時に子供たちも地面に尻餅をつく格好になった。
(だが、千里は一切微動だにせず地に脚を着いたままである。)
このあとは老人を天狗と表す事にする。
「どうだ、驚いたか、これが天狗の法力だ。」
「爺さん何だよ、それ?・・・祭りで使う団扇じゃねぇな。」
「そんな重そうなもん軽々振り回して、まるで剛力無双の弁慶だな。まぁ、天狗なら不思議はねぇか。」
「いや、たかが十貫じゃ、そんなに重くないぞ。」
「そんなの普通の人間が持てるか!それになんでそんな小さな壺から六尺の棒が出て来るんだよ。」
子供たちが錫杖扇を持ち上げようとしたが、とても持ち上がるシロモノではない。
「この錫杖扇はな、持ち手を認識する能力があるんじゃ、こいつは今このワシを持ち手だと認識しているからワシにしか持てん。」
「こんな大きなものがこんな小さなつぼにはいってるなんて・・・とめちゃん、まえに、このおじいさん、つぼにはいってとんでった、っていったよね。」
「あぁ、人が入れるなら、六尺の棒も入るよな。」
「ハハッ・・この壺に入っているのは薬や錫杖扇だけではないぞ。お前らが驚く様な物も入っとる。」と言って壺の中を覗き込んだ。
「打ち出の小槌・・みたいなモンに・・・天狗の隠れ蓑、っと、」
「みたいなモンって、何だそりゃ?」
「銭とか米が出てくんのかな?だったら欲しいけど・・・」
「バカ、出て来たモンが後から葉っぱに変わるに決まってるじゃねぇか。」
「(狸じゃないわい)他には・・・琴、三味線、提灯、薬屋、味噌屋の屋根看板、一本下駄に・・・あ、こりゃ春画じゃ・・・」
慌てて自分の懐へ入れた。
「あ、ハゲの頭に付ける付け鬢もあるな、誰か使うやついるか?」
「ロクなのねぇじゃねぇか。」「付け鬢でも貰ってくか?大家が喜ぶぜ。」
「あぁ、お前ンとこの差配はハゲか、可哀想に、気苦労が多いんじゃな。それよりお前たち、ワシの弟子にならんか、この中の好きなものやるぞ。」
「あぁ~~弟子だァ~~?」
「あぁ、弟子になれば好きな所へ連れてってやる。日の本六十四州だけではない、この壺に入れば唐天竺まで一っ飛びじゃぁ。」
「わぁ~~~すごい!行きたい。」清太も留吉も目を輝かせて、本気にした。
「俺、打ち出の小槌が欲しい!」
が、太助と千里は呆れた様な口振りで天狗に言い放った。
「チョット待て、こら、爺ぃ・・・」
「お前、子供を勾引かして何処かへ連れてこう、ってんじゃあるまいな。」
「清太、お前こんな変な爺さんにくっついて歩いて商売や手習いどうするつもりだ、手習いだってまだ途中だぞ。お前一人ならいいけどな。」
(世間ってモンが分かってるな、この歳で、相当苦労したようだ・・・)
千里は改めて太助の心情を見直した。
「菜助とおみつはどうする、飢え死にさせる気か?」
「・・・・・・ごめん、たー兄ィ・・」
「いや、・・一日中引っ張り回すわけじゃ、ないから・・・」
「今のこいつにゃ天狗の修行よりやる事が山とあるんだ。」
「太―ちゃん、そんなことでこの爺さんを探していたんじゃねぇだろ。お爺さん天狗なんだろ・・?さっきこの化け猫に聞いたけど、お城の中にとんでもない化け物がいるって・・・そいつが江戸の町の魔物騒動を引き起こしてるって、神田や博労町の火事もそいつが原因だろ。爺さんが天狗ならそんな化け物を退治する力も持ってるよな?」
「そうだ、おじいさんてんぐさまだよね、てんぐのほうりきってやつでおしろのばけものをやっつけてよ。」
「え、ワ、ワシが・・・あの化け物を、いや、それは・・・」
「なんだ、結局何も出来ねぇのか、役に立たねぇ天狗だな。」
「期待外れだな。」
「ば、馬鹿にするなぁ、この無礼者ども!」
子供に天狗が馬鹿にされたら怒り心頭でキレるしかない。(このガキ共、目に物見せてくれる。壺の中へ閉じ込めてやる。泣いて謝ったら許してやる。)
「おいお前、チョット壺を覗いてみんか。いいもんがあるぞ。」
そう言って太助に壺の中を覗かせた。
「え?他に何があんだよ。」と覗き込んだ瞬間・・・
「あぁ~~!」太助の体が壺の中へ引きずり込まれ清太と留吉の視界から消えた、かに見えた。「太―ちゃん!「たー兄ィ!」
だが千里の尻尾はその前に太助の足を掴んでいた。飲み込まれる寸前で太助の体を引っ張り上げていたのだ。千里の尻尾のもう一本は天狗の首に巻き付いて締め上げていた。太助は目を回しながら壺から出て来た。
「太―ちゃん、大丈夫か?一瞬姿が消えたからビックリしたぜ。」
電光石火の早業だった。千里のもう一本の尻尾は天狗の首を容赦なく締め上げていた。
「げ、・・ゲホ、ゲホ、チョット待って・・・そんな締めたら・・ワシ、死ぬ。」
「悪ふざけが過ぎるぜ、クソ天狗。」
千里はようやく首を締めていた尻尾を緩めた。
「ワシのことを役立たずなどと馬鹿にするからチョット脅してやろうと思っただけじゃ。」
「だとよ。お前らももうチョット年寄りに敬意を払え。」
「分かったよ。」
「あのなぁ、幾ら天狗でも、出来る事と出来ん事がある。・・・天狗の宝力でもあの化け物は・・・倒せぬ・・」
「そんな恐ろしい化け物なのか?」
「そこの化け猫ならどうか知らんがな・・・」
「えっ?・・・こいつなら、倒せるって?」
「ワシはこいつの姿をず~~っと前に見た記憶があるんじゃ。」
「ほう、いつのことだ。何処で俺を見た?」
「大分前・・・いつだったっけ?・・・歳とるとなぁ、昔の事がなかなか、何年前だ?」
「年寄りは昔の事は鮮明に思い出すンじゃねぇのか。」
「バカヤロ・・・と、そうあの大火事、いやあれは大火事なんてものじゃなかったな、大災害じゃ。」
「大災害って・・・何だ?」
「明暦の大火じゃ、あれ何年前だ?」「昔の大火事って、それか・・・」
「ま、百八十年位前だな、お前の歳ならつい最近じゃねえのかい。」
「そう、最近の事が思い出せん、じゃなくて・・・そうだ、その後、慶安事変がその三年後だった。」
「逆だ・・・慶安と明暦が反対になってる、あの大災害は慶安事変の四年後だ、ボケてんな。」
「え?、ぎゃ、逆・・・そう、ワシ、ボケてる?いやそうじゃなくて、あの大災害の後、再建されたばかりの天守台の石垣で・・・そこであの悪魔と対決したのが、一人の侍と、その傍に虎がいた。あの虎こそ、お前の真の姿、本性じゃろ?」
「え、ええええええっ!」これには子供たちも驚いた。
「こいつ虎になるの?・・・」「人食ったりしねぇよな?」
「ワシの記憶に間違いなければな・・・」
「・・・扨て、どっちが本当の俺なのか、自分でも・・・判らなくなったが、それより子供たちを脅かした罰だ、こいつらに何か呉れてやれよ。」
天狗はそれは自分の弟子になった場合だ、と言ったが千里に脅されて渋々承諾した。
「しょうがない、好きなの持ってけ。」
「そう言うけど、ロクなのないじゃん。」
二人は(ロクな物がない)こんなの貰っても、という感じで興味を示さなかったが、清太は錫杖扇に強い興味を示した。
「そいつが欲しいか?しかし無理だな。」
天狗は扇を再び二本の錫杖に戻し、更に術をかけると、二本の棒は五寸程の大きさの二個の杵に変化した。子供たちは二度驚いた。
「三鈷杵という物じゃ、これを手に持ち真言を唱えるとそれが持ち手として相応しいかどうか、三鈷杵が判断する。持ってみろ。」
太助と清太がそれぞれ手に持ってみると、ズン、という重みが手のひらに乗った。
「このさんこしょ?・・・ってなんだ。」
「仏像が持ってる法具だ、元はヴァジラという武器だがな。これが持ち手を認識するというわけか、どうするんだ?」
「それを手に持って真言を唱えるンじゃ、我が手に来たれ、我を認めよ、我が下僕となり我に仕えよ、とな。」
清太は教えられた真言を唱えた。
「なむさばてい、なこさたら・・・ン~~とそわか、だっけ?」
「そうだ、風の神、雨の神我が手に来たれ、我は汝の主なり、だ、余計な言葉を挟むなよ、念を強く持て。」
「覚えられたかな?(俺が教えてやってもいいが・・・ま、アイツらに任せてみるか。)太助も一緒に唱えてやれよ、二人なら効き目あるかもな。」
「しょうがねぇ、一緒にやってやる。」太助も一緒になって天狗に教えられた真言を唱えた。
「あの法具があの子等を認めたら呉れてやるんだよな。後からダメだ、なんてのは無しだぜ。」
この時迄は天狗も高を括っていた。どうせ子供に法具を扱えるわけがない、と・・
呉れてやると言ったのは冗談なのだ。
「フン、バカめ、そんな簡単に神の力が手に入るもんかい、ワシでさえ手に入れるのに一年かかったんじゃ。」
「ほう、随分時間がかかったな・・・」
「神の力は邪な心を持つ者には応えぬ、ワシは試されて試練を乗り越えて手に入れる事ができた。」
「こきやがれ!あの子等はお前よりよっぽど素直だぜ。もしかすると奇跡が起きるかもな。」
その千里の言葉通り奇跡が起きた、清太の法具が光を放ち重い法具が頭上に掲げられる軽さになった。
太助が持つ三鈷杵も重さを感じられなくなり手に吸い付く感触を得た。
三鈷杵は六尺の錫杖へと変化した。これには天狗も呆気にとられるしかなかった。開いた口が塞がらなかった。
「う、・・・ウソじゃぁ・・・こんなバカな事があるはずない。ワシでも物にするのに一年以上かかったのに。」
二人が二本の錫杖を繋げると上の一本が巨大な扇となって開いた。二人が支えても倒れない。重い黒檀の錫杖扇が竹の様な軽さになった。
「すげぇ軽い、竹の団扇と変わらねぇ軽さだ。」
「おいらたちでもふりまわせるよ。」
「だとよ、持っていっても文句はねぇな。」
これには天狗も動揺した。渠は別の恐れを抱いた。二人に向かって止めろ、と叫ぶ間もなく、子どもらが扇を振り回した瞬間・・・
「あッ!止めろ、バカ・・・」
二人が振り上げた錫杖扇は巨大な竜巻を起こし千里をも驚かせた。
(なんだ、さっきと威力が違う・・・)
大木の根が浮き上がり、社殿裏に並ぶ小さな社が吹き飛ばされた。それどころではない。太助と清太まで竜巻に巻き込まれた。二人が飛ばされると思った時、千里は
虎の姿に変身していた。この姿に子供たちは驚愕し、天狗は感嘆の声を挙げた。
留吉を前脚で飛ばされぬ様に押さえつけ、太助と清太を尻尾で巻き取った。
「ハハッ、それじゃ、それ、その姿を見るのは何年振りかいの?」
「ホントに虎になった・・・」太助と清太は唖然とするばかり、更に前脚で押さえつけられている留吉は恐怖で顔が引きつっている。
「く、・・・食わねぇよな?」
「安心しろ食ったりしねぇよ、だが・・・その法具は一体何んなんだ?さっきとまるっきり威力が違ったぜ。」
「これはな、風神と雷神を呼び出し使役する為の法具じゃ。だがお前が考えているより危険な物だぞ。簡単には扱えん代物よ。制御出来なければ大災害を引き起こすんだ。」
「使いこなすにはコツがいるって訳だな。」
「今ので人が来る、ずらかるぞ。」
千里は、この状況に驚いている子供等を背中に乗せて宙を飛んだ。天狗もその後に続いた。一足飛びに向かった先は護持院ヶ原であった。
「スゲー、空飛んでる」「とらってそらとべるの?」
「こいつだけに決まっとるだろ。」天狗も呆れた様に言い放つ。
太助は錫杖扇を落とさないように必死に抱えて千里にしがみついている。
実際に飛んでいる訳ではない。建物の屋根を足場にして一足飛びに飛んでいるのだ。それが子供たちには遊具に乗せられて空を飛ぶ感覚になっていた。この時代に
ジェットコースターがあれば正にそんな感じだろう。
護持院ヶ原の草むらに着地したがその時に子供たちが固まって投げ出された格好になった。
「痛ててて、もうチョット優しく着地できねぇのかよ。」
「あ~~びっくらこいたぁ、虎の背中に乗ったのは初めてだ。自慢できるかな、でも誰も信じないだろうけど。」「ここどこ?」
「火除け地の護持院ヶ原じゃ、・・それより・・・」と千里の姿に目をやった。
「お前のその姿は百八十年前と変わらんな、・・昔のままの姿だ。あれから暫く姿を見なくなって江戸を去って行ったと思っていたが、また江戸へ戻ってきたのか、何でだ?」
千里は何かに呼び寄せられるようにという感覚はあった。しかしそれが何かというのが判らない。
「しかしこれで解ったじゃろ。子どもには扱えんよ。危険過ぎる。」
「だがこれはこの子供たちを認めたぜ。この法具は誰彼構わず人を選ぶわけじゃねぇんだろ。それに、この法具は、もうお前の手を離れたみたいだしな。」
「バカ言うな、この法具がワシの手を離れるなどあり得ン。ほれこの通り・・」
と天狗がもう一度手にしようとすると・・・今迄天狗が軽く振り回していた錫杖扇が持ち上げる事が出来ない重さに変わっていた。
「バ、バカな・・・持ち上げられん、こんな事、あり得ン!」
「子供たちの方がお前より純な心を持ってたんだろうな。」
「うそ~~ン、ワシだって素直で純な心は持ってるぞ。でも四百年も生きて来たから大分世俗にまみれてしまったのか。人間界に長く居すぎた所為かな?」
「これがこの子達を選んだ理由があるはずだ。知りたくねぇか?使うにはコツがいるんだろ?教えてくれねぇか。」
「コツなどと・・・そんな簡単な話しじゃないわい。しかし、仕方がないな、おい、(千里の方を向いて)後悔すんなよ、制御出来なければ、ワシ・・・知らんからな。」
「俺は理由が知りたい。」
天狗は覚悟を決めて二人(太助と清太)の前に進み諭すように話しかけた。
「(法具に)認められたのは間違いない、だがそれを制御する技を身につけねば周りに大きな災害をもたらす。ただの興味だけでその力を使うことは、許されんのだ。その代わりに風神、雷神は人や自然に恵も齎してくれるがな・・・心して掛れよ。」
「だ、そうだ、それが手に入ったら何に使うかな?お前たち・・・面白半分で使うモンでは無いし、自分の欲求を晴らす為でもない。しいて言うなら、困った人を助ける為、かな。」
清太は大真面目な顔で答えた。
「まものたいじする!だっておいらの父ちゃんもほかの人たちもそいつのせいでみんな死んじゃったから・・・父ちゃんはゆうれいになってもどってきたけど。」
「それを手にしたからって、俺たちに何が出来るってわけじゃねぇけどさ。」
「お前らが魔物退治なんかしなくていい・・・」千里がポツリと言った。
「させられるかよ・・・」神の力をもし手にしたとしても子供に危険な事はさせられない、という配慮かもしれない。
太助と清太は再び三鈷杵を手に取り二間の長さの錫杖へと変化させた。二人はそれを筆の様にして天狗に教えられた梵字を宙へ書きなぞらえた。
「阿字に我あり、我に阿字あり・・・ナムサバティ、ナコサラタ、ソワカ、我は汝の主なり、我が手に来りて我に従うべし、出でよ、風神雷神!」
「何が出て来るんだ?・・・」留吉は千里の傍に寄り添った。虎である、という事を忘れているようだ。千里は虎の変身を解かずに草むらに伏せている。何かあれば、すぐさまこの子供たちを抱えてすぐにこの場を脱出する為だ。------天狗の話ではないが、子供たちが扱いを間違えれば、それは暴走すると、・・・千里は何か得体の知れない物が現れる、という予感があった。果して・・・・
西の空に二つの雲が湧き、雷鳴が轟き雨と稲妻と雹を振りまきながらこちらへ近づいて来る。雨と雹が容赦なく子供等の身体に吹付ける。二人が手にした錫杖の、扇が開いた。
「たー兄ィ・・・なにがくるの?」 声が震えている。
「心配すんなって、何んにも怖くねぇ。」と、こっちも声が震えている。だが清太の前でビビった姿を見せられない。しかし天狗にはお見通しだ。
「ビビるなよ、扇をしっかり持って凛として立て、僅かでも恐れを抱いたら、向こうがお前たちを飲み込む、主はお前たちじゃ、・・・来るぞ。」
近づく雷雲の上に人の様な物が乗っているのがわかる。子供たちにも見て取れた。
「人が・・・乗ってる・・・」「に、仁王、様・・・?」
雲に乗った二体の金剛力士が高速でこちらへ移動している。
(あれは、・・・阿吽像か、始まりと終わり・・・下手な事すりゃ一瞬で終わりって訳だな・・・ホントにヤバイのが来たな・・・)
体長三メートルを超えるであろう二体の力士像は片や烈風を巻き起こして、もう片方は稲妻を立木に突き刺さし、地面を爆発させて彼方に去り、再び向かって来る構えだ。
「しっかり目を開けておれ、法具を手にしたからといってそれで終わりではない、本番はこれからじゃ、出て来た風神雷神を眷属にできるかどうか、お前たちの心根に掛かっておるぞ。」
「オッしゃぁーー!従わせりゃぁいいんだな、てめぇらいう事聞きやがれー」
(まったくバカとしか言いようがねぇなアイツは、怒らせてどうすんだ)
千里の予想が悪い方に当った。------「最初から暴走して出て来やがった。」
風神が巻き起こした烈風と雹が護持院ヶ原に吹荒れている。手にした錫杖扇が、持っていかれそうな感じだ。気を緩めたら身体も持っていかれる、と感じていた。
(立ってられねぇ、清太は大丈夫か?)
「しっかり踏ん張れよ、清太!」「だいじょうぶ、へいきだよ」
亜空間から出現した二体の金剛力士は人間界を破壊するのではないかと思う程の威力をまき散らしている。守り本尊が辺り一面を破壊しまくっている。
これはダメだと千里は子供等を連れて避難する方を選択した。だが・・・
「だから言ったからじゃろが、どうなっても知らんとワシ言ったよな。お前が責任とれ。アイツらはなぁ、法具を持っている者に素直に従うわけではないンじゃ、持ち手に試練を与えて、仕えるに価せず、と判断したら消えていく、後に瓦礫しか残らん。」
「俺の所為か、焚付けるンじゃなかったな。クソっ!」
「法具は今あの子供たちの手にある。他の者には扱えん、法具があの子たちの手にある限りあの風神雷神は子供たちの前に現れる。二度三度と現れる度に被害は大きくなる。」
「真言を唱えずとも出て来るというのか?」
「何かの拍子でな。」
「アイツらを従わせる方法は、ねぇのかよ・・・」
「折れぬ事よ・・・負けない心だ。恐れを抱いてビビったら阿吽は子供たちを飲み込む。」
(見守るしかねぇのか・・・)
------我らは聖域を守護する者、魔を祓い、邪を滅する、------汝等何故我が力を求めるや、己が私的利益として使うか、それとも童の戯れか、・・・我等を使役する資格が汝等に有りや------風神雷神が二人に問いをかけた。
この問いに清太が答えた。「まものをたいじしたいんだ。力をかしておくれよ。」
------魔物が人を襲っていると、・・・何処から現れたるものか----
「魔物を操ってる奴がいるんだよ、そいつを退治するのに力を貸してくれりゃぁありがてぇ。」
-----それは我等が預かり知らぬ小事なり、我等が守るは聖域のみ、聖域を侵す輩、これを許さず、我等を頼るなかれ、魔物を滅っしたくば汝等自身で立ち向かえ。----
冷徹とも取れる阿吽像の言葉であった。その言葉の最中でも雹も雷鳴も止まず、子供たちに吹き付ける。
「え~~そんなぁ。」
「何だそりゃ、つまり自分の縄張りだけしか守らねぇ、ってか、寺社仏閣の守り本尊って言えば聞こえはいいが、人が魔物に襲われてても、おら知らねぇってか、
早ぇ話しが自分たちを飾って祀ってくれてる葬儀屋の用心棒ってわけだ。へっ・・札差の用心棒と変わりねぇな。」
この太助が投げた言葉に二体の阿吽は憤怒の表情を示した。
------不遜、不遜、不遜也、・・・礼も弁えぬ童っぱ共、・・・神罰を下して呉れん------
「あ~~~あのバカ、怒らせちゃった。それこそ、おら知らねぇ・・・。」
雷神の稲妻が立木に、地面に突き刺さる。遂に天狗もこりゃたまらん、と留吉がしがみついている松の木に避難した。風神が膨れ上がった風袋を絞り込んだ。太助たちに狙いを定めている。
「来るぞ、その扇で弾き返せ。出来るはずだ。」
風神の烈風と二人が仰いだ錫杖扇の旋風が激突した!発生した竜巻が風神雷神を襲う、竜巻が両神を吹き飛ばすかと思われたが、風神の風袋がこれを吸い込んでしまった。風神が膨れ上がった風袋の吹き出し口を太助と清太に向けた。
雷神がその烈風に乗せて雷を放った。
------愚か者ども、排除してくれん------烈風雷・・・------
これには天狗も青ざめた。
「あ、アイツら・・・子供相手に容赦無しか・・・これは試練なんてものじゃない、度が過ぎる、殺しちまうぞ・・・」
天狗も留吉も震えながら二人で抱き合っている。
「太―ちゃん、清太・・・」
風神雷神が放つ烈風雷を太助と清太は錫杖扇を振り回し旋風を発生させて軌道を変えてゆく、更に広げられた扇は雷をもはね返す能力を持っているようだ。はじかれた雷が松の木に、地面に、留吉たちの足元に突き刺さる。
「ひぇ~~~ッ!こっちへ飛ばすなよ、爺さん、あれが神様のやる事かい?」
「神様怒らせると怖いんじゃ。・・・人の頼みは滅多に聞かんけどバチを当てるときだけ本気で怒りよる。理不尽だよなぁ。」「そうだね・・・」
遂に、烈風雷の一つが太助と清太に直撃した、轟音と爆発で地面に大穴が空いている。一瞬、天狗と留吉は太助と清太がやられたと思った。留吉の叫び声と嗚咽が一番原に響いた。
「あぁ~~太―ちゃん、清太ァ、二人ともふっ飛んだ!死んじまった。ひでぇや、これが神様のやる事かよ。」
だが天狗は流石に異変を感じとっていた。上空に何かいる・・・、風神雷神の更にその上に・・・
「う、・・・上だッ、上にいる、無事じゃぁ!」
天狗の言葉に示されて留吉が上空を見ると、宙に浮かぶ風神雷神の更にその上空に虎の背に乗っている太助と清太がいた。
「い~~~~~~ッ、どうなってんの?」
烈風雷が二人を直撃する寸前、千里が矢の様な速さで、ではない、光の如き速さで二人を抱えて飛び上がっていたのだ。風神、雷神は一瞬のうちに間を掠めて行った光の玉が何であるか、理解出来なかった。吹き飛ばしたはずの童っぱたちが自分たちの遥か上空にいる、それも、虎の背に乗っている、ということが分かるまで数秒を要した。・・・
------虎が、虚空に、浮いている------童っぱがその虎の背に、乗っている------あの童等は虎を従えているのか------神でさえ理解不能------
興奮した太助の声が空に響いた。
「ヒャッハー!すげぇ眺めだ、絶景かな、絶景かな、まさに壮観、上から見るとこんな感じかい。お江戸の町が全部見渡せらぁ。凄いぜ千里。」
眼下遥かに神田一帯、駿河台、江戸城、番町、更に彼方の房州、神奈川沖そして西の彼方に雪をまとった霊峰まで見渡せる。
「調子に乗って墜ちるなよ。」
清太は下を見て目を回しそうになった。「ひぇ~~~っ、た、たかい~~~こわい。」
「俺にしっかり掴まってろよ、それいくぞ!」
「クソ神共いい加減にしとけよ、子供相手に大人げねぇんだ、てめぇらは!」
子供たちを乗せたまま千里が咆哮一閃、反撃に出る。妖術で虚空に足場を作り宙を飛ぶ。太助が錫杖扇を振り上げて旋風を放つ。一陣、二陣、三陣と渦を巻いた風が次々に風神雷神に向かって行く、風神が烈風で弾き返す、先程より更に大きな竜巻が生じた、風神雷神は当然相手がそれを迂回してこちらへ向かって来る、と予想した。だが、その予測を裏切り虎はその巨大竜巻の中を突っ切って来たのだ。それも火の玉の様な勢いで・・・目の前にいきなり現れた虎の前脚の一撃で風神が吹き飛ばされ地面に叩き付けられた。
------おのれ、小癪、小癪、雷の罰を受けよ!------
逆上した雷神が八方に雷を放ちまくった。松の木を裂き地面に穴を開け、虎を近づけまいとする。だが放たれた稲妻が千里と太助たちに向かった瞬間、黒檀の錫杖扇がそれを吸収してしまった。・・・稲妻が扇に吸い取られた。
「なんだ?扇が雷を吸い込みやがった。」
「あ、すごい、おうぎがバチバチいってる。なんか、光ってるよ。」
「よし、そいつを雷野郎にぶち当ててやる、その中に残っているはずだ。俺の言う通りにしろ。」
言われるままに太助が扇を一閃、雷神に向けて放つ、同時に千里が真言を唱えた。
「ナムアビリジャ、ナコサタラ、ソワカ、喰らえ雷神!てめぇの分身を!」
扇の中に閉じ込められた稲妻が雷神に向かって突き刺さった。絶叫と共に雷神は地に墜ちた。
千里が唱えた真言は二十八宿の星座の牛、北の玄武に属する勝利の神、いなみであった、この虎は二十八宿の真言を殆ど網羅していた。これには天狗も呆れていた。
「アイツ、宿星の真言を知っておったのか、何処で仕入れた知識だ?・・・あの化け猫、虎になったり真言を唱えたり・・・儂と同じくらい?・・・いや、儂よりもっと長く・・・遥か昔から、生きてきたのかもしれん。」
地面に倒れた風神、雷神の前に子供たちを乗せた千里がゆっくりと着地した。
「まだやるかね?・・阿吽の金剛力士よ・・・」
二体の阿吽像は神妙な面持ちで虎と子供たちの前に座した。
---------最早何も言うまい、我等の試練に臆することなく立ち向かうその精神、見事、その子等には法具を使う資格がある・・・利欲で我等を使役せぬ者と見た、我等はその子等の眷属となることを神命をかけて誓う、困った事、危機が襲った時、躊躇なく我等を呼び出し給え、その危機を必ずや払わん----
そう言い残して風神雷神が霧の様に消えた、同時に錫杖扇が二つに分かれ三鈷杵の形に戻り太助と清太の手に戻った。思わぬ形で法具を手にした太助と清太だが、
これを見た留吉は我慢できない様子だ。
「え~~~なんだよぉ、太―ちゃんと清太だけそんなすんげぇお宝手に入れて、俺は何も無しか、・・・俺も何か欲しい、爺さん、いや天狗様、なんかない?」
「いや、もう目ぼしい物は何も残っとらん、ロクな物しか・・・あっ!壺、壺、
ワシの大事な・・・ど、何処いった?」
この戦闘の最中に慌て、狼狽えて、命の次に大事な壺を放り出して見失っていた。
「わぁ~~~探せ、探せ、法具を取られたうえに、あれが無ければワシの存在意義もない。」
「よっしゃー!見つけたら俺のもんだー何が入っているかな?」
広大な原を右往左往して探していると留吉が先に見つけてしまった。
「やったぜ!さーて何が出て来るかな?お宝出てこい。」
天狗の壺を逆さに降って、出て来た雑物の中に長さ一尺程の短筒の様な物が出て来た。
「わーかっけぇ、短筒か?でも火縄がついてねぇな。」
銃身の引き金の上に手で廻す摘みが付いている。それをグルグル廻し始めた。
「わーバカ、止めろ、それに触るな、玩具じゃない。」
という間もなく、留吉が引き金を引くと、カチッと音がして筒の先から圧縮された空気圧の塊が放たれ松の枝を吹き飛ばした。これには留吉も驚いた。
「え~~~何、これ?」
派手な音も手に残る反動も無かった。だが大きな枝が吹っ飛んだ音を聞きつけて、
千里と太助たちがやって来た。留吉が持っている銃を見て驚いた。
「今、松の木の枝吹っ飛ばしたのそれか。そりゃなんだ、鉄砲か、変な形してんな火縄が付いてねぇ」
「それも壺の中に入ってたモンか、色々持ってんな、爺さん。そいつは普通の銃じゃねぇな。圧縮した空気を飛ばす、空気砲・・・みたいなモンかな?・・・それに似た様な物を使っている奴に飛ばされたが・・・」
千里は多聞櫓での戦闘の事を思い出していた。
「(鉄砲鍛冶の)國友が造った玩具みたいなモンと一緒にするなよ。まったく、こいつら危ないモノばっかり手にしよる、手に負えン、本来は子供が持つものじゃないぞ。」
「いーや、こいつは俺が貰った。俺が見つけてやったんだから。」
「見つけたというより強奪だろうが。・・・それより化け猫、それを使ってた奴の顔は見たか?」
「いや、顔は見えなかった、いきなりあらぬ方向から岩の様な空気の塊りが襲ってきた。死ぬところだったぜ。おそらくは大蛇の手下だろうが・・・」
「・・・・そうか・・・・お前を撃った男はおそらく儂の弟子だった男じゃ、あいつ、大蛇の手下になっていたか・・・」
千里の言葉を聞いた天狗は暗い表情を見せた。
「その銃は波動筒という、・・・儂が神界から持ち帰った物でな、留吉が今持っているのはその小型のやつじゃ。本物はあれの数倍の威力を持つ、岩をも砕く、よく
生きていたな、猫の姿だったら粉々になっていただろうな。」
天狗は思い出す様に昔語りを始めた。
「そいつは儂の弟子じゃ、随分と前に儂のところから姿を消した。その時にそれを持ち出していたんじゃな、・・・・儂がそいつを拾ったのは丁度あの子たちの歳ぐらいだ、生まれて直ぐに親に捨てられ、里子に出され、行き場を無くして苦しんでいるのを儂が拾った、・・・」
「天狗は孤児の扶養もやるのかね?育ての親はいたんだろ・・・」
「里親はただの持参金目当てで育てた、だが跡取りが生まれたら疎まれて、居場所はなくなった・・・」
「成程、火遊びが元の望まれぬ子供だったってわけだ。良家によくある話しだ。中条流でも如何にもならず・・・そんで、仏心で拾ってやった、か・・」
「見ておれんかった・・」
「そいつは助けてくれって言ったかね?世話の焼き過ぎだ。お節介が過ぎると相手にとっては重荷になるぜ。放っておけって話しだぜ。・・・・それに、そんな哀れな身の上話しなんざ・・・腐る程見てきた。」
「・・・・あの子等の事も放っておくかね?・・・」
天狗と千里は向こうでつい先刻の出来事を興奮しながらじゃれ合っている太助たちに目を向けた。
「あの子等はこれから大きな厄災に見舞われる事になるかも知れん。」
「バカな・・・厄災が寄って来るってのはどういう事だ?」
「兆候はあったじゃろ・・・厄災は既に魔物や物の怪に姿を変えてこの地を覆いつくしている。法具は・・・あの子等にその役割を委ねた。」
「バカげてる、あのガキどもに魔物退治をやらせるってのか!危険過ぎる。」
いきり立った声で天狗にくって掛かった。
「元凶はあの天守台の地下にいる化け物だ、そいつは俺がぶっ殺す、子供にやらせる事じゃねぇ。」
「もう無理じゃ、扉が開いてしまった、お前がどう足掻こうとも、厄災は姿を変えて子供たちに襲い掛かる・・・もう元に戻せん。お前がそうさせた。」
「俺の所為か・・・俺がアイツらに係ったからか・・・」
「・・・それは、違うかな・・・お前たちが出逢ったのは運命みたいなモンかも知れん、互いに引き合わされた、と思うんじゃ、・・・こうなれば儂からの頼みだ、できるだけあの子等の傍に居てやってくれぬか、・・・風神雷神も無敵ではない。(あの穴蔵の化け物と比べたらな)・・・だがお前ならあの子等を助けて守ってやれるはずじゃ、扨て、あの子たちに話をつけてくるか、お前を傍に置いて呉れる様に頼んでみるわ。普段は猫じゃモンな。」
「勝手に話進めんな・・・」
護持院ヶ原で起きた大気を震わせる異変を羅睺も江戸城地下の天守台の穴蔵で感じ取っていた。その感覚は、羅睺が経験した昔の畏ましい恐怖を思い起こさせた。
「この感覚、怖気が走ったわ・・・あの時と同じだ、まさか二百九十年ぶりにあの感覚を呼び覚まされようとは・・・」
穴蔵の中には荼吉尼もやって来ていた。この魔女も地上の異変を感じ取っていた。
「わたしも感じたぞ・・・この感覚はあの時と同じだ。」
「できれば、二度と味わいたくなかった、・・・何者かが、あの時と同じく異界の門を開いた。場所はかなり近い。」
「まさか、あの化け猫・・・?」
「いや、奴に異界の門を開く力は無い、はずだが・・」
「あの時、二百九十年前、異界の門を開いたのはフロイスに付き従って来た【いるまん】の一人であったな、奴は【げーてぃあ】とかいう黒魔術の召喚術実験をこの地で行う為の実験台になる人間を探していた、・・・その口車に乗ったのが、貴様だ、今の貴様のその姿は、実験台のなれの果て、かな・・・」
「お前もその時見ていたはずだ!あのいるまんの召喚術は九分九厘上手くいってたのだ。だが後少しというところで・・・あの化け猫がァ、邪魔をしおったぁぁぁぁ!」
「恨み骨髄というところか・・・だが今回其処から出て来たのはいるまんが召喚したものとは真逆の物の様な気がする・・我等にとっては脅威となるものだ。」
「放ってはおけぬ、突き止めねばならぬ、この地と天をひっくり返しても、人が何百何千と死のうとも、我が傀儡に命じて正体と目的を突き止める。」
「それでも大したものだよ、貴様は、・・・魂を乗っ取られもせず、逆にその身に悪魔の力を捕りこんだ、いるまんが貴様に目を付けたのは強ち間違いでは無かったな・・・」
羅睺は身体を震わせた、怒りと呼び覚まされた恐怖が空気を震わせ振動が地震波となり地上まで届いた。城詰の侍たちも大奥の侍女たちも将軍、御台所を守りながらの避難を余儀なくされた。
「おうおう、上の方では上を下への大騒ぎじゃ、扨て戻るか・・・御台所を放っておいて雲隠れは出来ぬでな・・」
荼吉尼はそう言い残して怒り立つ羅睺を気にも留めず、その場を去って行った。」
第四話 完




