真珠姫の娘
人魔大戦より数百年。人と魔族は交わり、ハーフやクォーターも珍しくなくなった。世界には共通の敵として魔物がいた。魔物は人々の生活を脅かす反面、資源として人々の生活を豊かにしていった。
私、ロアイト・ムルンは淫魔のクォーターとしてこの世に生を受け、現在はドワーフと人間が住む鉱山都市の傭兵ギルドで鑑定士としてこの街で暮らしています。
「ムルンちゃん、今日もよろしくな」
「素材の鑑定ですね。こちらの番号札を持ってお待ちください」
ギルド内に常設されている酒場が賑わう時間、泊まり込みで今日の朝まで鉱山型のダンジョンに潜っていた傭兵たちが戦利品の鑑定を依頼してくる。今回は樽のようにがっしりとした体のドワーフから素材を受け取る。
ここのダンジョンは、岩系の魔物が多いため採取の際は宝石の原石はもちろん、魔石も同じように丁寧に周りを削らないと価値は落ちる。
そして私のような鑑定が出来るギルド職員は持ち込みの時間帯は大忙しになる。今は、2組しかいないのでそんなに急がなくても大丈夫かもしれない。
「そういえば聞いたか、東の方の街でギルドと商人が癒着して戦利品の金額をわざと安く買い取っていたらしいぞ」
「東っていうとでけぇ湖の近くのところか?」
「そうそう、全く嫌な話だよなぁ」
酒場の方から聞える噂話に耳を傾けながら手元の鑑定はきっちり行っていく。
うーん、今回も品質が良いわね。やっぱり、ドワーフの傭兵は採取の仕方が丁寧で鑑定する私も見ていて楽しいわ。いくつになってもキラキラした物は見ていて心が躍るわよね。
「でも、噂になっているってことはその癒着していた連中は捕まったんだろ」
「それがよ、結構な大捕物だったらしいんだが商人の方が一部逃げたらしいぞ」
「本当かよ。そういうときに逃げた奴って商品もやばいことがあるから気をつけなくちゃいけねぇな」
「1番の番号札の方、鑑定が終わりました」
簡易鑑定書と依頼完了の書類を整えて、支払い用のお金をカウンターより内側のテーブルに準備して待つ。
「おう、ムルンちゃんいつもありがとよ」
「今回も丁寧な採取ありがとうございました。今回は全て納品で良かったですか?」
「欲しい物はなかったからな。全部、金に変えてくれ」
「では、こちらをお持ちください」
お金を渡すとドワーフの傭兵は軽くお金の入った袋を振る。
「ふむ、さすがムルンちゃん。適正価格で助かるわい。どっかの腐ったギルドとは大違いだな」
そういうと豪快に笑いながら酒場に歩いて行った。
その後も納品にくる傭兵から戦利品を受け取って鑑定をしていく。そんな私のなんてことの無い日常。
***
「ふう、今日も問題なく仕事を終われたわね」
街中にある酒場から聞える笑い声と人並みをかき分けるように私は家へと足を進める。
今日は、新月なのね。暗いと変質者は増えるけど誰かと目が合うことがないから良いのよね。
私は、淫魔のクォーターではあるけど父方の血が濃いからか純粋な淫魔と違って他者から精気を吸い取る必要はなく。見た目こそ容姿が整っているけどこの街はドワーフと人間の比率が大体7:3ぐらいで、傭兵も殆どがドワーフだから他種族の私を恋愛対象として見られることがないのがありがたい。
だけど油断は出来ない、お母さんから受け継いでしまった淫魔の魅了はかなり強力だ。淫魔は基本的に自分よりも格下や魅了にかかりやすい種族を狙う。ドワーフは淫魔と種族的には同格だけど魅了にはかかりやすい種族だ。
きっとお母さんがこの街にいたら、貢いでくれるドワーフのお客をすぐにたくさん作っていたんだろうな。
子供の頃は、目を合わせた相手を片っ端から魅了状態にして困った。お母さんが上書きして解除してくれたから問題にはならなかったけど。今も私は、自分の力が怖い。
どんなに仲良くしたい相手や尊敬している恩師がいても私が魅了したら相手の気持ちに関係なく、私の言うとおりに私のためにって大切にしていた物を投げ出させてしまう力が怖かった。
それにお母さんは傾国と呼ばれるくらい有名な娼婦だった。そのせいで、お母さんの娘である私にもそういう目で見てくる大人達に対して恐怖を覚えて、成人後は逃げるようにお母さんに見つからないように偽名を名乗って、行方をくらませるために国内を転々と渡り歩いていた。
まあ、ロアイトは王国内ではありふれた名前だからこの街の住民登録をするときに名前は本名に戻して名字だけ偽名に変えたけどね。
職場にいるときは鑑定用の分厚いレンズがついたゴーグル型の眼鏡をかけっぱなしにしているから魅了の力に怯えないで済んでいる。
でも、職場を出てしまうとゴーグルをかけっぱなしにするのは悪目立ちしてしまうから黒色の色眼鏡をかけている。この色眼鏡も魅了の力を抑える術式を刻んだ魔石を加工した物だから直接目を合わせない限りは日常生活に支障はないけどそれでも育った環境のせいか、他者から自分の姿を隠せる暗闇は安心する。
気分が良くなって足取り軽く移動していると前方から言い争うような声が聞えてきた。
「おいおい、兄ちゃん。荷物が破損しているじゃねぇか!ふざけんじゃねぇぞ!」
「破損しているって、どこも壊れているようには見えないよぉ?」
あそこは先週、引っ越してきた店よね。まだ開店してないから何のお店かわからないけど巻き込まれたくないわね。
でも、ギルド職員としてこういうトラブルは見かけたら報告義務があるのよね。直接話しかけると危なそうだけど物陰から話しだけでも聞けないかしら。荷物を運んできた方の男の人相は把握した方が良いかもしれないわね。もしかしたら指名手配犯なんてこともあるかもしれないし。
道の端を歩いて、ギリギリ声の聞える路地に入る。
「傷に見えても実は、明かりの影でそういう風に見えたとかじゃないのかい?今日はこんなに暗い夜なんだし、見間違えてもおかしくないよぉ」
「いいや!明らかに傷がついている!大事な商品を雑に運んだんじゃないのか!今すぐ弁償代を払え」
酒焼けしたような声が商人ね。傭兵の男より小柄なせいで姿が見えないけど気配から人間のようね。いったい何を運ばせたのか知らないけどそんなに大事なら商人に運ばせた方が傷もつきにくくて確実なのになんで傭兵に運ばせたのかしら。
一般的に考えて、安全性と傷がつかないように丁寧に運んでもらうのなら旅商人に。速度を優先するなら傭兵に。傭兵の方は運び屋の専門家ではないし、徒歩や馬での移動が殆どだから傷がついたのなら悪意を持って傭兵が雑に扱った場合以外は梱包と運搬を依頼した商人の責任。傭兵ギルドを通さない個人契約だとギルドは傭兵を守ることは出来ないから今回みたいなトラブルは完全に自己責任だけど。
「そこまで言うのなら傷がついて落ちた価値の補填分を払いますよぉ。その代わり、傭兵ギルドに鑑定を依頼しましょうよぉ。この街の鑑定士は誠実で腕が良いと評判ですよぉ」
相手の荷物を運んできた男はこちらに背中を向けていて顔は見えないけど暗闇でも目立つ銀髪に長身で気が抜けそうになる緩い口調は、目印になるかもしれない。
その後も様子を見ていると商人の男は自分が確認したから鑑定の必要はない、商品が売り物にならない傷がついたから全額弁償しろと主張を続けていた。対して運び手の男は、手元に払えるお金がないから数日待って欲しいと話していた。
2週間後に再び会うことを約束して、商人の男は逃走防止のためなのか運び手の男からペンダントのような物を預かっていた。
うーん、金額が大きいからあの運び手の男はダンジョンに潜る可能性があるわね。今から職場に戻るのは面倒だけど早めの報告が必要でしょうし、仕方ないわね。
商人の男と運び手の男が去るのを確認してから急いで傭兵ギルドに戻った。
***
翌日、今日も私は納品用のカウンターの奥で商人に下ろすための魔石や宝石の鑑定書を書いていた。昨夜、私は職場に揉めていた2人について報告したところギルドマスターが念のために調べるからこれ以上関わらないようにと言われた。
もしかしたら東の街で商人が一部逃げたって言っていたし、騎士団とギルドマスターで警戒リストみたいな情報交換がされているのかもしれないわね。
それにしてもあのお店、開店が楽しみだったんだけど昨日のアレを思い出すと近づきたくなくなるわね。
「ムルンさん、備品を取りに行ってくるから少しカウンターの方をお願いしても良いかしら」
「わかりました」
カウンターの椅子に座ると入り口の扉が開き、男女2人組が入ってきた。
うわぁ、面倒な人が来たわね。
女性は素材の販売カウンターに向かい、男は真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。
最近、ウンザリするほど話しかけてくる男は地の竜人族に多い濃く長い茶髪を揺らしながらどこかうさんくさい笑顔で近づいてきた。
「ロアイト!今日も磨き上げた宝石のように美しい髪だな」
「パーズさんここは査定のカウンターですよ。傭兵として御用がないのであればパートナーの元へお帰りください」
最近この街にやってきた宝石商兼高位の実力を持つ傭兵の青年だ。成人して間もない竜族らしく、この街には自分の店に並べる商品を自分で集めに来たらしい。街の商店やギルドにも度々、来て質の良い宝石を求めて商談をしている。
しかし、本人曰く宝石よりも光の加減で印象を変える綺麗な髪の方が好きらしく彼のお眼鏡にかなってしまった私はこちらの目が見えないくらい分厚いレンズのゴーグルをかけた状態で我ながらオシャレとは程遠いなと思う姿でも構わずぐいぐい口説きに来る。
正直、さっき一緒に入ってきた女性といい、見かけるときはいつも別のタイプの美女を侍らせているんだから私なんぞお呼びでないと思うんだが。
「そんなつれないこと言わないでおくれよ。この僕の何が気に食わないんだ?それとも恋の駆け引きを楽しみたいのかな」
「ギルドには商談にいらっしゃったのでは?担当者はあちらのカウンターにいますよ」
「ははっ真面目な君も素敵だが鉄壁すぎるのもいかがなものかと思うよ?そうだ!君の業務外の時間に口説かせてよ。今日はいつ終わるんだ?」
・・・しつこい。
思わず顔に出てしまいそうになるのをグッと抑えて、愛想笑いを浮かべる。私の愛想笑いを勘違いしたのかパーズは更に輝きカウンターに身を乗り出してきた。
「時間さえ教えてくれれば今夜、迎えに行くぞ」
「パーズさん何度もお伝えしておりますがそういったお誘いはお断りしております」
「照れているのか?まあ、凡人からみたら君は地味な色合いだが俺のような目利きな上に美丈夫に声をかけられたんだ。ただでさえ、ドワーフ以外の種族は恋愛対象の少ない都市だからなロアイトには刺激が強すぎたかな?」
確かにこの街は人型の種族は少ないけど全くいないわけではないし、こんな公共の場でそんなことを言う奴と一緒にいるのは恥ずかしいから嫌よ。
それに私は恋愛なんてしたくない。近しい関係になればなるほど無防備にならなければならない。淫魔の魅了が利かない種族だとしても、誰かの都合で振り回されるのは懲り懲り。
…普通の淫魔なら竜族は自分より上位の存在だから簡単に死なない食料として重宝するらしいけど残念ながら私はクォーターだから鬱陶しさしかないのよね。
それにこの人の店って噂だと貴族も来るような有名な宝石商だって聞いたわよ。下手するとお母さんの客か、私のことを知っている関係者に会うかもしれないじゃない。絶対に嫌よ。
「すみませーん、素材の鑑定をお願いしたいんですけどぉ」
パーズをどうやって追い払おうか悩んでいると聞き覚えのある声が話しかけてきた。声をかけてきた方に視線を向けると銀髪に垂れ目の傭兵にしては色白の長身の男がいた。
「お待たせして申し訳ございません。素材をお預かりしてもよろしいでしょうか」
何か言おうとしたパーズだが男は割り込むように入ってきて鞄の中をあさりだした。その間にパーズのパートナーが来て一緒に出口に向かっていった。
傭兵の男は持っていた鞄からゴトッと硬そうな音をたてながら袋をカウンターに置いた。
それにしても助かったわね。一緒にいる女性達が止めてくれたら良いのだけど遠くからにらみつけるだけで全然止めてくれない。仮に私がパーズのハーレムに私が加わってもいじめられる未来しか見えないわね。
まだ帰り道に待ち伏せされてないけどあいつが街を出ていくまで気を抜けないのは地味にストレスね。
「あの~?」
「ああ、申し訳ございません。こちらはギルドに納品予定でしょうか?それとも鑑定書をお求めでしょうか?」
「んー今の買い取り金額ってどうなっていますか?」
「左手の壁に貼られている一覧が現在の取引額になります」
定期的に張り替えられる魔石と宝石、その他素材の金額表を指し示す。男はしばらく悩んでいたが全てギルドに納品するとのことだったので番号札を渡した。そのタイミングで同僚が戻ってきたので私は預かった素材を奥の机で鑑定を行い、お金の準備をした。
それにしても聞き覚えのある声というか昨夜の運び手の男にそっくりね。弁償代を準備するって話していたし、ダンジョンに潜っていたのね。
商品の破損具合はわからないけど持ってきた素材の状態を見る限り、雑に扱われた形跡もないし採取も丁寧に行われている。人は見かけによらないっていうけど故意に商品を雑に扱うような人には見えないわね。
ギルマスが調べると言っていたけど、どうなったのかしら?
その後、目立った出来事はなく仕事を終えた。
***
数日後、私は休日を楽しんでいた。今日は野暮ったいゴーグルも外して、黒の色眼鏡をかけてお気に入りの本を持って、行きつけのカフェに来ていた。ここのカフェは、席との間に衝立があるおかげで店内にいる他者からの視線を感じにくいのが嬉しい。
この街はドワーフの方が多いから人間や他種族はそこにいるだけで目立つ。ギルドも私以外の職員は人間がもう1人と獣人が1人、後はみんなドワーフだ。
のんびり紅茶とケーキを食べながら本を読むというのは健全で充実した理想の休日って感じがして気分良く読書もはかどる。
「申し訳ございませんお客様」
「はい?」
「店内が混み合ってきておりまして、相席をお願いしてもよろしいでしょうか」
「ああ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
店員が去るとすぐに男が一人連れてこられた。
「相席してくれてありがとう、昼食がまだで困ってたんだぁ」
「いえ、お気になさらず」
あれ、この人って運び手の男じゃない。こんなところで会うなんて偶然ね。
まあ、私は職場にいるときのゴーグルの印象と真面目さを全面に出した見た目と違って、今日は髪を下ろして明るい印象の服を着ている。人間が少ない街ではあるけど最近は、パーズに見つからないように印象がかなり変わるような服装や化粧をしている。印象を変えるついでに好みの服を着られるから最近の数少ない楽しみだ。
男の存在を気にしないようしながら読書を続けていると男が注文した食事が届いたようで向かい側で食べ始めた。
傭兵にしては食べ方が綺麗ね。まるで、貴族の食事風景を眺めているみたい。
お母さんが相手をしていた客の中には、貴族もいた。お母さんの熱心な教育とお客達の貢ぎ物のおかげで私も中級貴族くらいの教育を受けることが出来た。だからこそこの男のテーブルマナーの良さがわかる。
没落貴族か訳ありなのかしら。まあ、ギルドを通さずに個人的に荷運びをしているような人はあまり関わらない方が良いかもしれないわね。
「ふう、デザートはどうしようかなぁ。ねぇお姉さん、この店にはよく来るのぉ?」
本を読み進めていると不意に声をかけられた。見れば、男は昼食を食べ終わったようでデザートを何にするか決めあぐねているようだ。
「今の時期ならレモンケーキがおすすめですよ。紅茶でもコーヒーでもどっちでも合いますからね」
「へえ、じゃあレモンケーキにしようかなぁ。お姉さんも良かったら食べる?相席してくれたお礼におごるよぉ」
あの商人にいくら請求されているのか知らないが確かにこの男はギルドに持ち込む戦利品の量や質からかなり稼いでいる。見ず知らずの人間に気前よくケーキをおごるくらい訳もないのだろう。
「ありがとうございます。ですが先程、ケーキを食べてしまってお腹いっぱいなのでお気持ちだけ頂いておきます」
「そっかぁ残念」
すぐに男は店員にレモンケーキと紅茶を頼む。
「ずいぶん難しい内容の本を読んでいるんだねぇ」
私の手元の本を見ながら男はのんびりと話しかけてきた。私が視線を向けると人好きする笑みを向けてきた。
ギルド嬢として事務的な会話しかしたことないから気づかなかったけどこの男、他者から情報を引きだすことになれている気がするわね。さっきのテーブルマナーにしてもそうだけどますます貴族っぽいわね。なんでこんな辺境で傭兵のフリをしているのか知らないけど深入りしないように気をつけないとね。
「鉱山型のダンジョンがある街ですから宝石について勉強しておくと仕事で役に立つんです」
「へーそうなんだぁ。俺もここのダンジョンは何回か潜ったけどドワーフの採取する様子はいつ見ても勉強になるんだぁ」
「そうですね。ドワーフはもちろん、ここの街の傭兵は基本的に素材の状態が良くて見ていて心が躍りますわ。間接的にとはいえ、彼らの仕事に関わることが出来て光栄ですわ」
はっきりとギルド嬢であることを明言しないが嘘を言ってもバレるから遠回しな言い方をしながら適当に彼の会話に相づちを打った。
話の内容は街のことや私が読んでいた最新の素材の取り扱いについて書かれた本、男の旅先での話についてなど旅人と現地人の会話と考えれば違和感のない内容だけど…。
なんとなく探られている気がする。確証があるわけじゃないし、この男も上手に隠しているようだけど何が知りたいのかしら。
「ああ、もうこんな時間だぁ。長い時間、俺のお喋りに付き合わせてごめんねぇ」
窓の外から時を告げる鐘の音が聞えて男は私への申し訳なさと慌てた様子を見せながら席を立った。
「いえ、旅先のお話を聞ける貴重なお時間をありがとうございました。お帰りはお気をつけて」
本当にこの男は何が知りたかったのかしら。まあ、街の外の話を聞けたから私としてもちょっと名残惜しいと感じるくらい有意義な時間だったわね。…本当にちょっとだけよ。
「そう言えば、この時間帯は地竜の青年が隣のレストランを利用していることが多いらしいですからお帰りは気をつけてくださいねぇ」
別れ際にさらっととんでもない発言をして自称傭兵の男は店を出ていった。
…上手く誤魔化せていたと思っていたけどはじめから私がギルド嬢だと知った上で近づいてきたみたいね。職場にいるときとは我ながら同一人物だとは思えないぐらいの変貌ぶりだったと思うのだけど…高位貴族の情報網は私が思っているよりもかなり優秀なのね。勉強になったわ。
まあ、忠告通り店を出る際は気をつけるとしましょう。
***
それから数日、あの自称傭兵の男は毎日のようにギルドにダンジョンで採取した戦利品を収めに来ていた。会話をしてもギルド嬢と傭兵としての事務的な内容だけ。
この前の休日のように雑談をしてくる様子はないし、目的も見えない。持ち込まれる素材は相変わらずこの街のドワーフ達と同等ぐらい丁寧な採取がされているけど本人が実際に採取したのか部下に取りに行かせたのか…。どちらにしても素材の状態から優秀な人材がいることは理解出来た。
一応、男が私の素性を調べられていることについて、思い当たることがあったけど下手につついて面倒事に巻き込まれるのも嫌だから接触されないように気をつけつつも基本的に私は普段通りに生活していた。
そうそう、自称傭兵の男が言い合いをしていた商人の方はまだ店を開店していない。
店舗が出来てからの準備期間が普通よりも長いことからあの近所では噂になっている。誰が言い出したのか「あの店は東の街で捕縛から逃れた犯罪者の隠れ家になっているのではないか」、「実は違法な商品を扱っていたが東の街の影響で騎士団の調査がこの街にも来ているせいで開店出来ないのではないか」なんて。他にも色々、荒唐無稽な噂もあるがこの二つの噂が主流だ。
あの店の近くは私の通勤時の道なんだが言い争いを見かけてからは遠回りして帰るようにしている。そのせいで今日も遠回りして帰っているんが…。
「よう、嬢ちゃん。仕事帰りか?俺たちと遊ぼうぜ」
「・・・」
帰宅中に酔っ払いに捕まってしまった。無視して横をすり抜けていきたいのだがうっかり落としたハンカチを拾おうとしたら5人の人間の男達に囲まれていた。
傭兵なのか荷運びなのか、がっちりとした体格に汗と酒が混じった酸っぱい臭いを強めた臭さに思わず鼻をつまみたくなったがそんなことをすれば余計に絡まれること間違いなし。
「すみませんが急いでいるので通していただけませんか」
「おうおう、つれねぇな。俺たち野郎だけで飲んでいてもむさ苦しいだけなんだよ。姉ちゃんみたいな綺麗な花と一緒に酒を飲ませてくれねぇか」
うっとうしいわね。これだから理性のない酔っ払いは嫌いなのよ。仕事で関わる分には仕方ないけど時間外に絡まれるなんて最悪すぎるわ。
「君たち俺のロアイトに何か用事かい?」
どうやって切り抜けようか考えていると聞き覚えのある声が聞えてきた。
パーズ?助かったけど時間外に会うとこいつから逃げる口実がないからそれはそれで困るのよね。お礼を言わずに立ち去るのは失礼だけど男達の意識がパーズに向いたらさっさと逃げましょう。
周囲を見ると強い視線を感じて、そちらの方に視線を見るとパーズがギルドに来るときに侍らせている女性達が面白く無さそうなものを見たと言わんばかりに私のことを睨み付けていた。
「俺達は今、嬢ちゃんと話しているんだ。邪魔するんじゃねぇぞ」
「そうだ、そうだ。今、俺達が口説いている最中だろうが!」
「ぎゃーぎゃーと下位の種族が騒ぐなよ。俺達は互いに待ち合わせ場所に移動していた最中なんだよ。全く、うらやましいからって酔っ払いが俺のロアイトに手をだすなよ」
…誰がお前のロアイトだ。不愉快極まりないわね。
助けてくれたのはありがたいが思わず反論したくなる台詞を吐くパーズの後頭部を睨んでしまう。
早く移動しよう。こういうのは時間が経てば経つほど悪目立ちして逃げにくいことになるから今のうちにさっさと逃げるに限る!
「坊ちゃん!!」
何処かで聞いたことのあるような酒焼けした声に酔っぱらい達とパーズの意識が向いたのを瞬間に後ろに下がり、自然体を意識して路地に入っていく。
真っ直ぐ家に帰るつもりだけどこの辺りの路地は酔っ払いが多いから嫌なのよね。屋根に上がると悪目立ちするし、気配を消して早く通り抜けるしかないわね。
***
「失礼。真珠姫の娘、ロアイト嬢ですね」
絡まれないように周囲に気を配りながら早足で移動し、飲み屋街を抜けてもうすぐ我が家が見えてくる辺りで急に上から人が振ってきて囲まれた。暗闇に溶けるように黒い衣服を着た集団に囲まれて瞬間的に恐怖よりも怒りが勝る。
本当に嫌になっちゃう。絶対にお母さんが何かしたんだ。
子供の頃からお母さんが問題を起こすと私のことを人質にしようとよくこういう集団に囲まれた。街の不良をはじめ、貴族のお抱え集団。何度も何度も…巻き込まれるのが嫌で、成人してすぐにお母さんの側を離れて消息をくらましたのに!
「…はあ、ご用件を伺ってもよろしいでしょうか?」
「こんなところで立ち話なんて無粋な真似は紳士として心苦しい。ロアイト嬢、少々我らの屋敷で茶会をしないか」
「明日も仕事があるのでここで手短にお願いします」
私が答えると包囲を狭めるように後ろの男達が近づいてくる。
上に逃げようにも屋根の上にも人がいる気配がするし、ここは大人しくしておいて逃げる機会を伺うべきかしら。
「…わかったわ。お茶に付き合うわ」
「ご理解頂き感謝する。では、こちらへ」
お母さんってば今度はどこの貴族をたぶらかしたのよ。
5年前、最後に見た真珠のように美しい白髪と淫魔らしく他者を性的に魅了する容姿のお母さんを思い出す。お母さんは常に恋に生きているような人だった。
お母さんの生々しい恋愛事情は一緒に暮らしていく上で嫌でも目に入ったが噂で聞くような虐待されることはなかったし、親子としての愛情をもって育ててくれた。それに貴族並みの教育を受けることが出来るように色々と気にかけてくれたから一般的に見れば商人の子供でもない、背負う物がない私は平民という身分なのにとても恵まれていた。
私がお母さんの彼氏やその関係者に襲われそうになったり、嫌がらせを受ければすぐに対処して同じ人から二度と酷い目に遭うことはなかった。
他にも私が淫魔の力を制御できずに誰かを魅了してしまえば、尻拭いをしてくれた。…今も制御は出来ないけど、子供の頃は制御できるようになろうと練習していた。そのときも一緒に根気よく練習に付き合ってくれた。
正直、恋愛が絡まなければ優しくて綺麗な私の自慢のお母さんだ。…そう恋愛が絡まなければ。
お母さん自身は、今はもう没落した淫魔の貴族と人間の平民の間に産まれた庶子だ。庶子だったがお母さんは子供のうちに中級貴族並の教育を受ける機会があったらしく、しっかり教育を受けることが出来た。お母さんの容姿と知識面での才能は貴族の間でも評判で、望めば平民という身分だが王城で働くことも出来たらしい。
しかしお母さんは自ら娼婦になる道を選んだ。淫魔としての性質が強かったからだ。精をエネルギーとする淫魔にとって娼婦は天職だ。そして種族的に適性があり、才能もあったお母さんはすぐに売れっ子になりついたあだ名が「真珠姫」。
真珠姫と呼ばれるようになってからは元々、名が売れていたこともあってか貴族に呼ばれることが多くなった。私を妊娠したのもその頃らしい。
周囲には、私の出産を反対する意見が多かったらしい。だけどお母さんは時に堕胎薬を盛られかけたり、事故を装って流産するように罠を張られたり、子供を産むことで結婚を疑われて暗殺されかけたりと妊娠期間中やその後もかなり問題が起きたらしいけどお母さんは無事に私を出産し、成人まで育ててくれた。
本当にすごいお母さんだけど恋が絡むと絶対に私にも火の粉が降りかかってくる。
相手はお客さんだったり、店の用心棒だったり、その辺で見かけて一目惚れした人だったり出会い方は多岐にわたる。
お母さんは恋をすると結婚して籍を入れていなくても相手の人の姓を名乗るようになる。そしてそれを私にも強要した。
お互いに告白して気持ちが通じ合うと必ず、私に報告してきて新しく名乗る姓を教えられる。幼い頃は何も考えずに言われたとおりにしていたが大きくになるにつれて、お母さんや私が名乗る姓を変えると必ずお母さんの彼氏の家族や婚約者等に襲われるようになった。今も思い出すだけでウンザリしたくなるぐらい誘拐や刀傷沙汰は私にとって日常茶飯事だった。
そんな日常に嫌気がさした私は必死に勉強をしてお母さんにバレないようにこっそり魔物素材の鑑定士資格を取得し、成人後も一緒に暮らしたがるお母さんやお母さんをつなぎ止めるための道具として見る周囲を振り切って旅に出た。
旅に出て2年ぐらいはお母さんが当時の彼氏に頼んだみたいで真珠姫の娘を探す組織っぽい人達が動いていたけど瞳の色と淫魔らしい蠱惑的な体以外は父親似だった私は一人で戦闘も出来るし、お母さんと並ばなければ真珠姫の娘と気づかれることもなかった。
やがて捜索は中止された様子だったが警戒心の強い私は1年ぐらい旅人として国内を移動し、2年前に現在の王都からかなり離れた辺境の鉱山都市に流れ着いた。
職場で真珠姫の娘ってバレないように衣服や化粧で印象を変えて、上手く誤魔化せていたと思ったんだけど何で見つかったのかな。
いや、それよりもお母さんに助けを求めることが出来ないんだから自力でどうにかしないとだよね。さて、どのタイミングで逃げようかな。
周囲の気配を探りながら、逃げる機会を伺うがかなり手練れの人達みたいで全然スキがなく背中に汗が流れ始める。
「今後の参考のために伺いたいのですけど、何故私が真珠姫の娘とわかったのかしら?」
「ふふふ、その辺りはお茶を飲みながら話そう」
前を歩く男に話しかけるが軽く笑ってはぐらかされた。その後も話題を変えて話しかけるが全てお茶を飲みながら話そうと言って相手にされなかった。
困ったなぁ。どんどん貧民街の方に連れてかれているし、大通りにも出ないから助けを呼べない。目くらましに魔法を使うには周囲を囲む人と距離が近すぎて、使った瞬間に取り押さえられそう。
いっそのこと軟禁か監禁か形はわからないがどうせ何処かに閉じ込められるのだから閉じ込められてから逃げた方が安全に逃げることが出来るかな。なんて考え始めた。
「ぐっ」
小さな呻き声と共に後ろを歩いていた男の一人が倒れた。驚く男達の様子を気にかけつつ周囲の気配を探っていると視界の端に高速で動き回る人影が見えた。
誰?いや、それよりも逃げるチャンス!
即座に四肢に魔力を集めて、武器を構えて警戒していた後ろの男を魔力をまとわせた拳で後頭部を殴って昏倒させてから全力で走りだした。
誰に助けられたのかわからないけど面倒なことになる前に逃げ出せて良かったわね。
貧民街を抜けて、大通りに出ると周囲を警戒しながら急いで家に帰った。
「はあ、やっと帰ってこれた」
「よお、お疲れさん」
「ええ、本当に疲れたわよ」
ん!?
驚いて疲労でうつむいていた顔を上げるとリビングで串焼きを片手に持ち、私に向かってひらひらと手を振りながらくつろぐ男がいた。
誰よ!それになんで家の中に…いや、ちゃんと今日も施錠をしてから出勤したから閉め忘れなんてことはない。じゃあ、無理矢理入られた?なんのために?あっもしかしてさっきの連中みたいにお母さん関係の人ってこと?
もう最悪!ロアイトなんてありふれた名前だったからそのまま名乗っているけど名字は偽名を使っているし、服や化粧だって雰囲気を変えるために好みじゃない物を身につけるようにして見つからないように努力していたのに!
自称傭兵の男やさっきの連中にしても何で見つかったのか全然わからないのが悔しい。
「勝手にあがりこんだのは謝罪するが全く知らない仲でもないし、さっき助けたのは俺だから話ぐらい聞いてくれるとありがたいんだがな」
「はあ?貴方みたいな人なんてしらな…」
銀髪に言われてみれば、毎日職場で顔を合わせる垂れ目が特徴的な見覚えのある整った顔立ち。
「もしかして貴方、傭兵の」
「思い出して頂けたようでなにより。腹減っているだろ、屋台で買ってきた物だがあんたの分も買ってきてある。一緒に食おうぜ」
勝手に出したのかうちの皿に山盛り積み上げられた串焼きにスープやお酒に合いそうなおかずは確かにこの街の屋台でよく見かけるものばかりだった。
お肉の匂いがこっちまで…いやだめだめ。大皿に積まれて無作為に取れるようになっていても毒を仕組むことは出来るのだから。本当はこの家に元々置いていた食料品も触らない方が良いんだけど…。
キュー
「一日働いてきた後にあの店のせいで遠回りして帰っているんだろ。おまけに今日は馬鹿共のせいで貧民街まで歩かされてかわいそうにな」
「自分の食事は自分で用意します。ですが、お気遣いありがとうございます。お気持ちだけ受け取りますわ。それと先程は助けて頂きありがとうございました」
相手の位がわからないけど貴族として話しかけてくる男に家出してからは一度もすることのなかったカーテシーをしてしっかりと感謝の気持ちを伝える。
「なるほど。真珠姫が娘を溺愛しているって噂は本当だったんだな」
やっぱりこの男もお母さん絡みか。普段の口調や雰囲気が全然違うからわからなかったけど何処の家の人かな。せっかく仕事にも慣れて信頼を得てきたところなのに。
思わず出てしまいそうになるため息を飲み込み、キッチンに向かって食材の状態や調味料に異物が入ってないか確認しながら食事を作る。調理を終えてリビングに向かうと山盛りあった串焼きは半分以下まで減っていた。
「お、美味そうなパスタだな」
「お望みであればお作りしましょうか」
「いや、それはまたの機会に頼むよ。それよりも今はあんたに話を聞いてもらう方が重要だ」
次の機会はないし、私は仕事以外で貴方と関わる気はないのですけど!
「ギルドで毎日会っているが改めて自己紹介させてもらおうか。俺はガイ。基本的に傭兵として活動しているが王国騎士団に所属している」
「監査を専門にした部署があると聞いたことがあります。その関係の騎士様でしょうか」
「まあ、そんなところだ。まだこの街には情報が届いていないようだが先月にあんたの母親、真珠姫が大公と結婚をした。王家としても度々、色恋騒ぎで問題の中心にいる傾国の美姫を大公が手綱を握ってくれるのならということで婚姻は正式に受理された」
大公!とんでもない大物が出てきたわね。今までも侯爵家や伯爵家に1年から半年ぐらい愛人として離れに住むことはあったけど王家公認の大公との結婚なんてすごい玉の輿をしたわね。
「王家としてはそのまま大人しくしてくれれば良かったんだが真珠姫が大公に「行方不明の娘に会いたい」と願った。大公としては可愛い新妻の願いを叶えたいし、成人しているとはいえ正式に真珠姫が大公と結婚したことによってあんたも大公家の一員になった」
「待ってください。私の父親は貴族の可能性が高いとはいえ、誰との間の子供かわからない上に淫魔の力も制御ができない出来損ないですよ。母に願われたとはいえ、私を大公家に迎え入れる必要はないでしょう」
「…真珠姫が結婚の条件として行方不明の娘を大公家に迎え入れることを条件にしたらしい。もちろん、あんたが問題を起こせば大公として公平に処罰を下すだろうが今のあんたは大公家の娘だ。戸籍の手続きも終わっているから文句があるのなら母親に直接抗議しに行くんだな」
「そんな…」
大公家の娘だなんて。じゃあ、さっきの男達は大公家の敵対派閥ってこと?弱みを握るために誘拐されそうになったのかしら。
「大公はあんたが見つかったらと安全のために大公家の領地の一部をあんたに譲って女男爵になれるよう手配するそうだ。その話がどこから漏れたのか現在、国中の家を継げない貴族令息からあんた宛に求婚状が大公家に殺到しているらしい。王家としては騒ぎを静めるために王家の血縁をあんたの婿にして収束を図りたいと考えている」
つまり今の私は大公家と縁続きになれる餌なのね。幸い、私には夫どころか恋人すらいないから良かったけどもしもいたら最悪死人が出ていたかもしれないわね。
ただでさえ、パーズのせいで最近は外出に制限がかかっていたのに今度は国中の貴族令息ですって?冗談じゃないわよ。
「ガイ様は私に大人しく大公家に行き、王家が用意した婿と結婚して割り当てられた領地で大人しくしていることをお望みということでしょうか」
「その通り。親に振り回されてかわいそうだが騎士としては力を制御できない平民の淫魔が対策しているとはいえ、その辺をふらふらされている方が面倒だ」
…確かに私も客観的に見たらそんな危険人物が野放しにされているのは困る。だけど…。
「領地で大人しくさせるために監視をつけるのでしょうけど私が周囲の人間を魅了して、母のように問題の中心になるとは考えないのですか?もしそうなる可能性があるのなら、現在の私は問題を起こしていません。このままそっとして頂けるのならば淫魔の力を故意に使用して問題を起こさないと誓いますわ」
私の言葉にガイは怪訝そうな顔をした。
「部下からあんたの素行や成人後の足取りを調査させた。それに数日、直接あんたと関わってみたが母親と違ってあんたは義務で問題に関わることはあっても基本的には問題から逃げる奴だろ。質の悪い女ならパーズに見初められた時点でさっさとギルドを退職している。あいつは地竜の名門一族だ。本人は嫡子じゃないからと自分で店を起こして好き放題しているようだが一族との関係性は悪くないし、浮気性なところに目をつぶれば社交界では優良物件として貴族令嬢の間では有名だ」
パーズってそんなに有名だったの?この街が辺境で、貴族令嬢がくるような場所じゃなくて良かった。王都の近くとか貴族令嬢が出入りするような場所で言い寄られたら嫉妬で暗殺されそうになっていたのではないかしら。
「そういうわけで王家としてはあんたを縁続きにすることは問題ない。それに今時、能力を制御できないなんてよくある話だからな。悪用するなら問題だが自発的に対策して他者を傷つけないよう努力する姿勢は王家としては好印象だ。それよりもあんたを利用して大公家と縁続きになろうとしているハイエナ共の方が問題だ。あんたも平穏に暮らしたいだろ」
それはそうだけど…。さすがに大公家に嫁入りしたのならお母さんの周囲も安全になるだろうし、私に降りかかる火の粉も未然に防いでくれそう。でもなぁ。
「そんなに母親に会うのが嫌なのか?」
「嫌ではないのですが…せっかく母の事情に振り回されることなく過ごせる環境を手に入れたのに再び、振り回されるのは納得いかないですわ。それに会ったこともない男性と結婚をしろと言われましても」
「母親に関しては俺からは何も言えない。相手の男に関しても政略結婚だから割り切ってくれとしか言えないな。ただ、淫魔の力のことを心配しているのなら問題ないぞ。あてがわれるのは淫魔より格上の種族だ。あんたの力に魅了されるような奴を側に置くことはない」
監視を兼ねているのだからそうなんでしょうけど安全のためとはいえ、こんなぽっと出の女がいきなり貴族の世界に行けば絶対にろくでもない目に合う。
でも、居心地が良いからってこの街にしがみついても職場に迷惑をかけるかもしれないし、お世話になった人達に危害を加えられるのは嫌だ。
「……状況は理解しました。出立はいつになりますか」
どんなに私が嫌だと言っても王家と大公家が関わっている時点で意見なんて通らないのよ。
「7日後だ。今、王都から大公家の迎えが向かっている最中だ。到着までは危険なことに首を突っ込まない限り、自由にしてくれて構わない」
「わかりました。…私から質問をしても良いですか」
「俺が答えられることであれば」
自分から危険なことに首を突っ込む気はないので、ガイに現在わかっている私を誘拐するために街に滞在している貴族の数と護衛の人の特徴を教えてもらった。私から接触するつもりはないけどつきまといだと思って巻いたらいけないからね。
「教えて頂きありがとうございます。他に何か気をつけておくべきことはありますか」
「必要な情報は伝えたし、あんたは戦闘や誘拐も慣れているだろう。さっきも俺が助けなくても逃げ出す算段は出来ていただろうし」
逃げ出す算段なんて思いついてなかったけど高く評価されているし、制限かけられるわけではないから勘違いさせておきましょう。
「こちらとしても迎えが遅くなって悪かったな。東の方で大捕物があったんだ」
「噂程度には伺っています。そう言えば、弁償のやりとりをしていた店は放っておいてよろしいのですか?」
「あの夜、聞いていたのはあんただったのか。あれはわざと泳がせているだけだから構わん」
「そうですか」
何処まで信用出来るかわからないけど泳がせている状況なら護衛もつくみたいだし、遠回りして帰る必要はないかな。ああでも、もうギルド嬢の仕事を辞めるのか…。
「それじゃあ、俺はそろそろ帰るわ。遅くまで悪かったな」
「色々とありがとうございました」
玄関に向かうガイを見送るために一緒に歩いていると何か思い出したようにガイが声を上げた。
「わかっていると思うが念のために言っておく。俺のことは外ではこれまで通り接してくれ。護衛のために偶然を装って接触するつもりだがかしこまらなくていい。ただの傭兵とギルド嬢の関わり方にしてくれ」
言いたいことを言って満足したのか私の反応を見ずに「またな」と言ってすぐに出ていった。
「はあ、もうお腹いっぱいよ」
ガイが出ていくと明日からのやるべきことを頭の中に思い浮かべながらリビングの片付けをしてから寝た。
***
ガイとの話し合いから翌日、すぐにギルドマスターに事情を話して退職準備に入った。急なことだったが同僚達に引き継ぎと鉱山都市に来てからずっと住処にしていたアパートの退去準備を同時並行で行った。
一応、何度かガイが騎士の詰め所に入るところを確認したし中の騎士達の会話や周囲にいる護衛の様子からガイが騎士団関係者なのは信じても良いかもしれない。地位も騎士団の中では、高位みたいだけど出会って数日な上にお母さんの関係者が寄越した護衛って思うと信用しきれない。
外出中はガイから毎日必ず一回は接触があったが護衛という名目の元、観察をされているようだった。カフェで話したときのように色々と話しかけてくる訳ではないし、話す内容も誘拐を企てている貴族の暗部達について気をつけた方が良い通りや地区を教えてもらう程度。
まあ、私もガイをはじめとした周囲を護衛している騎士達を観察しているけど。
互いに探り合いをしながら出立の準備を進めていたら気づけば出立の前日だった。
「忙しかったけどあっという間だったわね」
仲の良かった同僚達がお別れ会を開いてくれ、先程まで居酒屋で私がギルド嬢になってから苦楽を共にした同僚達と思い出話をしているうちに予定よりも解散時間が遅くなってしまった。2年間お世話になった我が家は既に引き払い、昨日からお世話になっている宿に急いで向かっていた。
不便や苦労もあったけど真珠姫の娘ではなく、ただのロアイトとして評価してくれた同僚達は私にとって私らしく過ごせる居心地の良い関係だった。
「仕方ないとはいえ、またお母さんに振り回されるのは嫌だなぁ」
今後のことを考えるとこの2年間は居心地が良すぎて、手放さないといけない現実に思わずため息が出てしまう。楽しかった同僚達との会話を思い出すと明日になるのが嫌すぎて足取りが重くなる。
「やっとスキを見せてくれたな」
口元に異臭のする布を当てられ、引っ張られた拍子にバランスを崩した私は誰かに抱き留められた。真っ黒に塗りつぶされるように見えなくなる視界の中、必死に抵抗しようと体に力を入れるが布に染みこんだ異臭のせいか指先一つ動かせずに意識を失った。
***
ああー頭痛い。もう最悪。
嗅がされた薬品のせいなのか、お酒を飲み過ぎたせいなのか、はたまた両方か。痛む頭にうんざりしつつ月明かりしかないのにいつもよりも明るく見える周囲を見回しながら何が起きたのか頭の中で整理する。
気が緩んでいたとはいえ、全く気配がしなかった。これでも気配を読むのは昔から鍛えられているから自信があったんだけどな。
改めて周囲を見回すとランタンの明かりはなく、かなり高い位置にある換気用の窓から差し込むかすかな月明かりと淫魔の夜目がきく目のおかげで周囲を確認出来ているようだった。そして自身の体を見れば移動中に汚れたのか所々に砂や埃がついていたが脱がされた形跡はなく、靴をぬがされて両手両足を縛られた状態で部屋に唯一あるベッドの上に転がされていた。
武器は…ポケットに入っていた分は取り上げられたみたいね。
服の中に隠し持っていた小さな護身用の武器は取り上げられていないようだったけどすぐに取り出せるように普段から髪飾りやポケット、靴の中に仕込んでいた物は全て取り上げられてしまった。
縛られたままだと何も取り出せないしどうにか解けないかな。
縄をほどくために魔力を両手に集めようとすると集めた魔力は縄に吸い取られ、寄り強く拘束されてしまった。
両腕は駄目ね。魔力を使うと拘束力が高まるのなら足は地道にほどいて逃げるしかないわね。
ガチャ
「おはよう、俺のロアイト。もう少し眠っていて欲しかったんだけど君はずいぶん薬に対して耐性があるんだね。さすがは真珠姫の娘かな」
気持ちの悪い笑みを浮かべながら入室してきたパーズを見そうになって慌てて目をつむり、縛られた両手で顔を隠した。
色眼鏡がない!部屋が暗いのに明るく見えたのは眼鏡がなかったせいか!
それまで全く気づかなかったが入室してきたパーズの月明かりに照らされた肌を見た瞬間に私は自分が今、非常に無防備な状況であることを理解した。
「ロアイト、どうして俺を見ないんだ」
「パーズ様、真珠姫の娘は魅了の力を制御出来ず。自身の力を非常に恐れているという情報がございます。恐らく、パーズ様を魅了しないように目をつむったのでしょう」
声から察するにもう一人の男はこの前、路地で集団で囲んできた黒服ね。そこまでわかっているのなら早くパーズを連れて行ってよ!
「魅了ね。俺は名門地竜一族本家の竜人だぞ。淫魔のクォーター風情が俺を魅了なんて笑わせるな。ロアイト、いつまで俺に対してその不敬な態度を取り続けるんだ」
「ぐうぅぅ」
顔を隠していた手を外すようにパーズが私の左手をつかむ。かなり怒っているのかつかむ力が強くて痛みから声が漏れる。
「パーズ様、彼女の瞳を見るのは我々のいないところでやってください」
「ふん!いちいち俺に指図をするな。誰のおかげでロアイトを連れてくることが出来たと思っている」
「その件につきましては感謝しております。しかし我々のような淫魔の魅了に耐性のない種族にとってロアイト嬢の力は驚異なのです。どうかそのことをご理解ください」
「まあいい、ロアイトが力に怯えているのなら俺以外見ることが出来ないようにしてやる」
「ええ、是非そうしてください。我々の主はロアイト嬢が大公家に迎えられることを阻止できれば良いとのご命令ですので」
ん?
「坊ちゃん!騎士団が!」
「ちっロアイトすぐに戻る。戻ったら移動をするからな今のうちにゆっくり休んでおけ」
ガチャンっという鍵をかけられた音と扉の向こうで慌ただしく走って行く足音が遠ざかっていくのをしっかり聞いてからゆっくりとまぶたを持ち上げた。目を開くが正面を見るのは怖くて、自身の足を縛られた縄をほどきながら先程言われたことを思い出す。
今の派閥状況はわからないけどガイの話だと私が大公家に迎えられることは貴族達にとってメリットの方が多いはず。
それに私の戸籍って、もう大公家に籍を入れられているんでしょ。だったら私が大公家に迎えられることを阻止できれば良いっていうのは既に失敗しているのではないかしら。
そもそも私自身には大して価値がないと思う。淫魔の力を制御出来ないし、気配を読めて戦闘は出来ても貴族の護衛が務まるような腕ではない。他にも誕生日を迎える前日に家出をしたからデビュタントをしていない。
基本的にデビュタントをしていない女は社交界では鼻つまみ者だ。私も王家が用意した婚約者と結婚した後はどの程度、社交界と関わっていくことになるのかわからない。
一応、お母さんの恋人が変わるたびに引っ越しをしていたから私の顔を知っている人は一定数いる。でも、親しくなれた人達は私が力を制御出来ないせいで離れていった。私も近づくのが怖くなって子供の頃に知り合った人とは全く連絡を取っていないから人脈という意味でも無力だ。
それに私はお母さんの連れ子で庶子だ。だからお母さんが社交界や貴族のお茶会に呼ばれることはあっても私はいつも留守番だった。だから私は真珠姫の娘として名前は有名だったけどそれだけよ。
私の存在が貴族社会に及ぼすデメリット…王家かしら?
「連れ子とはいえ、私が大公家の令嬢として王家が用意した婿と結婚することで大公家と王家のつながりが強くなる。それが黒服達の主にとって困るのかしら」
そうなると私は情報不足ね。主犯の特定が出来ない。
お母さんが大公家に嫁入りして今までよりも安全な生活を送れるなら心配いないし、私は主犯も王家も大公家も手出しが難しい他国にでも逃げようかしら。幸い、周辺は友好国に囲まれているから移民の受け入れもしてくれるでしょ。
色眼鏡は取り上げられちゃったけど鑑定用のゴーグルなら宿に置いてあるからどうにか脱出して荷物を回収したらこっそり逃げようかな。
「よし解けた」
足を縛っていた縄をほどき、軽く足を動かして血の巡りをよくする。そして回し蹴りをするように足を勢いよく振るとドロワーズの中から鞘に収まった一本のナイフが勢いよく飛び出し壁に当たった。
ふう、スカートの裏に縫い付けていた武器はないけどまさか下着の中にまで仕込んでいるとは思わなかったようね。
鞘から出したナイフを足で固定して、手を切らないように慎重に縄を切った。
よし切れた!うーん、同じ態勢だったせいで体が痛いわね。
ナイフを鞘にしまってから目をつむって両手を挙げてグッと伸びをすると体が伸びて心地よい刺激が全身を駆け巡る。
「囚われの身なのにずいぶん物騒な物を持っているな」
頭上から聞えてきた声に体がこわばり、急速に血の気が引いた。
「…ガイ様ですか」
恐怖から早まる鼓動を落ち着けようと意識して低い声を出す。
…大丈夫、気配は上の窓からする。私の視界には誰もいない。目をつむっているから誰も視界に写らない。
「騎士団を率いて助けに来たんだが案外、自力で抜け出せそうだな」
「…色眼鏡を取り上げられました」
「代わりは持っていないのか?」
「あの色眼鏡は希少な魔石に認識阻害の術式を仕込んだ一点物です。色眼鏡の代わりになるのは鑑定用のゴーグルだけです」
「あの野暮ったいゴーグルか…だが、あんたの護衛をするにために淫魔の魅了対策はしてきている。うっかり事故ってあんたが騎士を魅了しても解除用の魔道具があるから安心しろ」
解除用の魔道具なんて…。
「騎士団を帰してください」
「はあ?何言っているんだ。話聞いていたか?」
「…私が魅了した人物に解除の魔道具は効きません」
「はぁ?」
一般的に淫魔をはじめとする精神作用の能力がある種族の力はガイが言った解除の魔道具で魅了状態を解除出来る。しかし純血や先祖返りという普通よりも力の強い人物がかけた魅了は魔道具では解除出来ない。
更に個人差はあるが私は格上の竜人や魔族すらも魅了が出来る。だから私の瞳を見た者は誰であろうと魅了することが出来る。
解除方法は魅了をかけた私との接触を断った上で他の人に魅了を上書きしてもらう。そして上書きされた魅了を解除することで解除が完了する。
「私は先祖返りです。ガイ様お願いいたします、私が誰かを魅了する前に早く騎士達を帰してください」
子供の頃から私が一人にならないようにお母さんが格上の種族や淫魔の魅了が効きにくい種族を私に合わせてくれた。認識阻害を施した色眼鏡をかけた状態だったらなんともなくても遮る物がなくなった状態で私の瞳を見た者は友達も恩師も皆、魅了してしまった。
何か力を行使した感覚があれば私も制御のコツをつかめたかもしれない。しかし私の場合は種族や人数、距離関係なく。「私の瞳を認識した」人を魅了できてしまう。
一緒に遊んでいた友達がいつの間にか直接私の瞳を見てしまい私に執着する様子は幼心に恐怖を覚えた。そして友達をそんな風にしたのが自分だという事実に更に恐怖した。
「おねがいです。だれもわたしのことをみないで」
誰も魅了したくない。淫魔としてではなく、人間のように普通の日常が欲しい。
「…事情はわかった。しかし騎士は引けない」
「そんなっ」
「だが対策はしよう。取り上げられた色眼鏡か鑑定士用のゴーグルのどちらかを持って改めて迎えに行く。あんたはここで大人しくしていてくれ」
ガイの言葉に絶望していると窓から気配が去って行った。
逃げなきゃ、誰かが来る前に誰かを魅了する前に速く逃げなきゃ。
ナイフをすぐに取り出せる場所に仕舞い、扉の外の様子を伺うために耳を扉につけた。恐らく建物の出入り口。パーズ達と騎士が戦闘をしているのか何か物が壊れる音が聞えるが近くからは足音や気配はない。
今なら多少派手な音をたてても脱出するまでに誰かに会う可能性は低いわね。
助走をつけるために後ろに下がり、足に魔力を集めた。恐怖と焦りからグチャグチャな思考を少しでも落ち着けようと深呼吸してから扉に向かって走り出し、力一杯蹴りつけた。
ドゴォッ!!!
「何の音だ!」
「奥から聞えたぞ!」
勢い余って向かいの部屋の扉まで破壊してしまった。向かいは倉庫にしていたのか木箱や布で包まれた商品と思われる絨毯に突っ込んだ。
うう、痛いな。でも、扉は壊せたし速く逃げなきゃ。
こちらに向かって走っている足音と呼応するように私も動悸も上がる。
「おい!扉が壊されているぞ」
不味い!
「おい!牢屋にいないぞ!」
「こっちの部屋にも誰もいないぞ!」
「不味いな。急いで女が逃げたことを報告するぞ」
騒ぎながら商品の裏など私が隠れていないか捜していた男達を天井の角に張り付いて見ていた私は男達の足音が遠ざかったのを確認してから床に降り立った。
危なかったー。まだ戻ってくる可能性があるけど流石にただのギルド嬢がとっさに天井に張り付くなんて思わなかったみたいね。
周囲の気配を探りながら廊下の方に顔を出すと周囲に誰もいないようだった。
この部屋も窓は換気用の小さな窓が天井近くにあるだけみたいね。それに足音の響き方から半地下なのかしら。簡単にだけど倉庫内にある商品をあさったけど目を隠せるのは布ぐらいで色眼鏡やゴーグルみたいに視界を確保しつつ相手には視認されない物はなかった。
あんまり期待してなかったけどやっぱり色眼鏡なんて貴族がつける高級品なんてないよね。鑑定士用のゴーグルも専門の店じゃないと売ってないし。こうなったら誰にも見つからないように逃げなくちゃならない。
廊下に出て曲がり角まで音を立てないよう気をつけ、誰もいないのを確認しながら移動していった。
***
うーん、地下から脱出できたけど外で騎士達が戦闘しているせいで建物から出られないわね。
地下から出てくるまでに私を探す黒服の男が何人かいたけど後ろを向いている間に全速力で近づいて魔力をまとわせた拳で思いっきり殴って昏倒させてきた。幸い、下っ端ばかりで実力者はいなかったから私でも昏倒させることが出来たけどパーズみたいな私より格上がいると目を認識させれてしまう可能性があったからずっとヒヤヒヤしながら移動してきた。
そして今、地下につながる階段から一階に出てきて側にあった応接室と思われる部屋で身を潜ませている。そこから窓の外を見て現在地を把握しようとしたらすぐ側で騎士達が黒服と戦っていて慌てて隠れたところだ。
たぶん、ここってガイがわざと泳がせているって言っていた商人の店だよね。気が動転していて気づかなかったけど騎士が建物を囲んでいることを伝えに来た男って言い争っていた商人の酒焼けした声に似ていたし。
私が住んでいたアパートの近くだからこの辺りのことはよくわかるからそれだけはありがたいかしら。ここからなら宿までそんなに離れていないから誰にも会わずにゴーグルを取りに行くことも出来るでしょうし。
ドゴォッ
…ただし、この店の周辺で戦っている人達から見つからないようにっていうのが条件だけど。
「付き合っていられるか!坊ちゃんのせいで俺まで捕まってしまう!」
勢いよく扉が開いたと思ったら、酒焼け声の店主が部屋に入ってきた。私はとっさに身をかがませてソファの裏に隠れて様子を見る。
「せっかく東から逃げ切ることが出来て潜伏していたというのに借金のせいでパーズの坊ちゃんに利用されるわ。ふんだり蹴ったりだ。なんで俺が坊ちゃんの色恋沙汰に巻き込まれないといけない!しかも能力の制御が出来ない淫魔なんて化け物を俺の店の中に連れてくるなんて最悪だ」
えっ本棚の裏に埋め込み式の金庫!全然気づかなかったわ。
応接室にある立派な本棚の本を店主がどかしていくと白い壁と同化するように埋め込まれた白い扉の着いた金庫が現れた。部屋の外にも意識をさきながら静かに見ていると金庫の中から金貨が詰まった巾着型の小袋が複数見えた。
「逃走資金分しかないが亡命後にあの傭兵から借金の形に取り上げたこのペンダントを売り飛ばせばどうにかなるだろう。何処の家の紋章か知らないが正規に製造された家紋入りのペンダントなんて裏社会の連中に高く売れるぞ」
金庫の荷物を一つの大きな袋に入れる店主の後ろに音もなく忍び寄り、手のひらに睡眠効果のある魔法を発動させて店主の鼻と口を魔法で覆った。声を発さずに静かに倒れる店主の体を支えてゆっくりと床に寝かせる。
うっかり起きてもすぐに気づけるように店主の目元に金貨の袋を乗せてから部屋の扉を静かに閉める。
やっぱりこの店主、東の街から逃げてきたのね。それにしてもこのペンダント見覚えあるわね。まあ、ガイの手に渡れば持ち主に返るでしょうね。
金庫の中身を机の上に出してペンダントだけ服のポケットに入れておく。店主を確認すると魔法がしっかり効いているようでしばらく起きそうにない。しかし起きたときに見られると困るので店主が持ってきていた袋を顔にかぶせる。呼吸は出来るが簡単に外せないように魔法で細工をしてから目立つように扉の前に寝かせた。
一通り終わり再び外の様子を伺う。
あら?戦闘音が小さくなったわね。今ならこっそり抜け出せないかな。
「ロアイト!近くにいるのはわかっているんだぞ。大人しく俺の元に戻ってこい!」
いやぁ!パーズの声が近い!…うう、今なら見える範囲に人影はない。いつまでもこの部屋でジッとしていることも出来ないんだから外に出るしかないわね!
窓を開けてすぐに外に出る。そのまま戦闘音とは反対方向に向かって走る。
「はぁはぁ、ここまで来たら後は宿に向かうだけ」
時には屋根伝いを移動し、店から離れた私は宿のある地区の近くまで来ていた。休みの日に戦闘訓練や走り込みなどをしていたが旅をしていたときと比べて体力は確実に落ちており、疲労感から倒れ込みたくなる衝動を抑えながら周囲の気配を探りながら移動していく。
あっ見えた!流石に正面からは入れないから宿の人には申し訳ないけど窓を壊して入るしかないわね。
2階にある角部屋が見えたことはやる気持ちのままに走って行く。
「ぐぅっ」
「手間かけさせやがって」
何!?足をひっかけられたの?それにこの声はパーズ?
「数ばかりそろえやがって歯ごたえのある騎士はいねぇしよ。お前は逃げたって言うし、何処を走ったのか知らねぇがこんなに泥だらけになっちまってよ。大事な髪が傷んじまったらどうするんだよ」
「うぐぅ」
首を締め上げるようにつかまれて苦しさから呻き声が漏れる。
「ロアイト、俺はお前が真珠姫の娘って聞いて嬉しかったんだぞ。クォーターとはいえ、淫魔の血が入っているのなら見た目を気にするだろうってな。淫魔は自分を性的に見てもらえるように見た目を気にするって言うからよ」
話しながら苛立ちが増していくパーズに何をされるのかわからず、恐怖からまぶたに力が入る。
「あがっ!」
しかし私の様子が気に入らなかったのかパーズに顔を殴られた。
「なのにお前は俺のために着飾る様子はないのにカフェで騎士の男と話すために着飾って…挙げ句の果てにはギルドをやめて王族と結婚だと!ふざけるなよ!この俺が目をかけてやったというのに散々馬鹿にしやがって!」
ガイとカフェで話していたこと知っているの?いや、それよりも早く逃げなきゃ。
首をつかむパーズの手をつかみ、首から剥がすために力を込める。
「おいおい、まだ俺に刃向かうのかよ!淫魔が竜人の俺に力でかなうわけないだろう!」
怒りと共に手を振り上げる気配にギュッとまぶたに力を込める。
「助けに行くから待ってろって言ったのに」
「ああん!?さっきの騎士じゃねぇか!邪魔するんじゃねぇ!」
「邪魔も何も女殴るのはクズの所業だろ」
ガイの声だ。助けに来てくれた?ガイの指示を無視して一人で逃げようとした私を?いくら命令だからってこんな面倒な護衛対象なんでたすけてくれるの?
不意に息苦しさが無くなり、誰かに抱き寄せられた。そして抱き寄せられたと思った腕がお尻の方に回されて抱き上げられたと思ったら腹部に硬い物が当たった。
「うぐぅ、痛い」
「ああ悪い、鎧が腹に当たったか。まあ、悪さをした罰だと思ってしばらくうめいてろ」
どうやら私はガイに担がれたようで、ガイが走ったり飛んだりする感覚以外わからなかった。
状況がわからない。でも、わからないまま目をあけると誰かと目が合うかもしれない。
「ふざけるな!さっさとロアイトを返せ!」
「いやいやお前のじゃないだろ。それに女の取っ替え引っ替えをしたあげくに内々の取り決めとはいえ、王族の婚約者を地竜一族の末っ子に渡すわけにはいかいだろ」
剣戟の音と怒鳴るパーズ、冷静なガイの声とガイに担がれている私。真面目に戦闘しているガイ達には悪いけどきっと今の私はかなり間抜けな見た目なんだろうなと思った。
「ガイ様、下ろしてください。私は宿屋に置いてきたゴーグルを取りに行ってきます」
「却下だ。あんた、俺からも逃げるだろ」
「ですが、私を抱えたままでは戦闘に決着がつきません。声が聞えないので他の騎士はいないのっ!」
「グダグダ言ってないで大人しく担がれていろ。また舌を噛むぞ」
うう、私を抱えるガイの腕の力が強くなった気がする。痛くはないけど逃がす気はないってことよね。私は誰も魅了しないように立ち回っているだけなのになんでこんな風に扱われなきゃいけないのよ。
激しい剣戟の音と二人の足音に耳を傾けながら私は、周囲の気配を探っていた。しかし屋根の上や地上に行ったり来たりしているのか上下に揺さぶられる状況が続き全く周囲の情報を探れなかった。
それでも気配を探っていると前方から殺気を感じることが出来た。
「ガイ様、魔法で狙撃をしようとしている者がいます」
「どこかわかるか?」
「正確な距離はわかりませんがガイ様から見て斜め左後ろから今、ガイ様が立っている場所よりも高い位置から感じます」
「わかった」
うう、何度も着地の衝撃と同時に鎧がお腹に当たって気持ち悪くなってきた。
しばらく続く剣戟に加えて、魔法が飛んでくる音を聞きながら気配を探り続けているとパーズの気配が徐々に動きが鈍くなり、飛んでくる魔法の数も減ってきた。
終わりが近いのかしら。時間はかかったみたいだけど私というお荷物を抱えながらパーズと戦うなんてガイの実力って私が思っているよりもずっと上の方なのかしら。
うーん、そんな実力者を相手にするのなら逃げるのはあまり得策ではないわね。色々と隠し事をしている上に考えが読みにくい人ではあるけど部下からの情報だけでなく自分で私の人柄を調べていた人だから噂だけで人を決めつけるような人じゃない。
私に用意された結婚相手がどんな人か知らないけどお母さんに会うまでの移動中はガイを信じてついて行っても良いかな。
「お待たせしました!」
「おう、魔法使いの処理と店の連中の処理は終わったか」
応援の騎士が来たのか周囲が騒がしくなる。
やっと終わったみたいね。ところで私はいつまで担がれているのかしら。
「ガイ様、終わったのであれば下ろして頂けませんか」
「もう少し大人しくしていてくれ。それとも横抱きにしてやろうか?」
横抱きにすれば全ての女性が喜ぶとでも思っているのかしら。いや、普通の令嬢なら美丈夫に横抱きにしてもらったら喜びそうね。
「…目が合いそうで怖いので結構です。ですが、これだけ渡してもよろしいでしょうか」
ポケットからペンダントを取り出してガイに渡す。
「店主が隠し金庫で保管していました」
「…」
「家紋入りですので悪用されるとよろしくないと思い回収しておきました」
ガイの顔の前辺りに手を差し出してペンダントを渡す。何か言われるのかと思ったが何も言わずに無言なままのガイに再度、声をかけようか迷っていると急に大きなため息をつかれた。
「大人しい顔して結局母親と同じで自分勝手なのかと思えば…はぁまったくあんたは」
意味はわからないけどすごく不本意なことを言われた気がするわ。
「よし!決めた!」
「キャッ!」
唐突に横抱きにされてギュッと抱きしめられた。
こっちは目をつぶらなきゃいけないのに突然、なにするのよ!
「ロアイト嬢、俺のペンダントを回収してくれたことに感謝を。それとこれを返しておこう」
顔に眼鏡をかけられる感覚と同時にガイがゆっくりと私を地面に下ろしてくれた。感覚的には長いこと担がれていたせいか少しふらつく私を転ばないように支えてくれた。
目が合わないように下を見ながら目を開いた。視界にはいつもの黒い色眼鏡のレンズ越しの視界があった。
私の色眼鏡!うう、良かった。術式もきちんと動いているし、これで普段通りに動けるよぉ。
「ロアイト嬢、改めて自己紹介をさせてくれ。俺はガイ、この国の第五王子で王家が用意したあんたの婚約者だ」
はぁ?ガイが私の婚約者?
驚きで思わず顔を上げると渡したペンダントを首にかけて、機嫌良さそうにしているガイは私の驚いてる顔を見てますます笑みを深めた。
「あんたとなら楽しい未来を描けそうだ。少しずつで構わん俺のことを好いてくれるよう口説くから覚悟しろよ」
その後、私達は無事に鉱山都市を出発して王都にて母と再会した。
再開後は一悶着あったけど、ガイは宣言通りずっと私を口説くために色々とアプローチしてきた。私もそんなガイにほだされて、最初はあんなに王家と大公家が絡んでいるから仕方ない、でもスキがあれば他国に逃げようと思っていた考えはすっかり無くなってガイの思いに答えることにした。そして私とガイは結婚して割り当てられた領地でのんびりと新婚生活を送っている。




