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第4話 共振歪曲(Resonant Distortion)

エレーナ・ハルゼイ……G系機能調律試作機『アリア』と共に帝国から特級指名手配された「亡霊調律師(ファントム)

テオ……反帝国組織「銀の錆」に属する若き少年技師

ガストン……反帝国組織「銀の錆」の技師長

 深い霧の底で、懐かしい「音」を聴いていた。

 高く、澄んだ、規則正しい共鳴。父ヴィクトールがコンソールに向かう傍らで流れていた子守唄。あるいは、精緻な時計仕掛けが刻む完璧な律動(リズム)

 エレーナ・ハルゼイの意識は、その旋律に抱かれるように浮上していく。


 帝都の石炭臭ではなく、安価な揮発油と、焦げ付いた錫の匂いが鼻を突いた。天井の隙間からは雨上がりの淡い光が差し込み、埃の舞う空気を白く染めている。

 霞んでいた視界が、物体の輪郭を取り戻していく。煤けたレンガ、剥き出しの鉄骨。

 ――そうか、ここは帝都の第三工廠じゃない。廃鉱山の、薄暗い監房だ。


 そこは、反帝国組織「銀の錆」が潜伏する最前線の拠点だった。

 三日前、激流に呑まれ意識を失っていたエレーナは、下流の岩場に打ち上げられているところを彼らに拾われた。本来ならそのまま野垂れ死ぬか、慈悲深く葬られるかの二択だったはずだ。だが、彼女が「所属不明の異様な試作機」と共に現れたことが、その運命を歪ませた。


 エレーナ・ハルゼイ。

 意識を取り戻した彼女が偽名を名乗るより早く、「銀の錆」はその正体を見抜いていた。帝国の全主要回線に流布された、特級指名手配犯のリスト。そこに記された罪状と彼女の身体的特徴は、残酷なまでに一致していたからだ。

 彼らにとって、彼女は単なる遭難者などではなかった。帝国への反逆者という名の、極めて価値の高い「獲物」。


 ゆえに彼女は今、こうして冷たい檻の中で「捕虜」としての時を刻んでいる。


 重厚な扉が軋んだ音を立て、粗末な食事の乗ったトレイを手にしたテオが監房へ足を踏み入れた。

 エレーナより数歳は若く見えるその少年は、警戒心よりも好奇心を隠しきれない様子で、檻の中の「特級指名手配犯」を値踏みするように見つめている。


「お目覚めかい、お嬢様。……いや、エレーナ・ハルゼイ主任技師殿、かな」


 皮肉げな笑みを浮かべるその少年に対し、エレーナは冷徹な視線を崩さない。胃を焼くような安物の油の匂いと、拭い去れない身体の汚れ――。自らの技術的価値を誇りとする彼女にとって、この「最低限の人道的扱い」こそが耐え難い屈辱だった。

 エレーナは無言でトレイを受け取ると、石のように固いパンを、表面に油の浮いたぬるいスープに浸した。水分を吸ってふやけた塊を口に運び、不快そうに嚥下する。


「……ここの設計、不備だらけね。この扉の錠、ラッチの噛み合わせがコンマ数ミリ単位で歪んでる。安物の玩具(ペニー・トイ)のほうがまだマシね」


 エレーナの揶揄に対し、テオは待ってましたとばかりに身を乗り出した。


「へえ、気づくんだ。でもお嬢様、それは不備じゃない、『遊び』だよ。ガチガチの理論じゃ、この山の地鳴りには耐えられないのさ。わざと余裕(クリアランス)を作って、『震動』を逃がしてるんだ」


 テオは得意げに、自作らしい基板を指で弾いた。


「余裕がないから壊れるんだよ。……まあ、逆に言えば、その『遊び』を無理に矯正したら、内側からパッキリいくだろうね。そんなこと、誰もしないけどさ」


 その言葉は、エレーナの胸の奥に澱のように沈殿した。


 テオが立ち去ってしばらく後、エレーナの耳に、先ほどの「懐かしい音」が再び届いた。キィィィィン、という、耳の奥を撫でるような澄んだ高音。それは拠点のさらに奥、厚い遮蔽幕の向こう側から漏れ出していた。

 エレーナは最初、それを「故郷を思い出させる音」として、どこか心地よく聴いていた。だが、その音の「周期」が、僅かに加速した瞬間。

 エレーナの脳裏で、すべての論理が牙を剥いた。


 一分間に一八〇拍。

 神経パルスを物理的な限界を超えて増幅させ、脳を強制的に機械へと同期させる際の、あの独特な共振音。


(……待って。この音、知ってる)


 かつて、父の背中越しに盗み見た波形。帝国の最高機密として厳重に暗号化されていた、禁忌の律動(リズム)

 規則正しく、あまりに美しいそれは、しかしある一点を超えた瞬間、奏者の神経系を食い破る「不協和音(ノイズ)」へと変貌する。


(私は、これを知っている)


 それは安らぎの旋律などではない。

 操縦者の精神を「燃料」として燃やし尽くし、演算速度を稼ぐための処刑のために創られた論理(ロジック)。父ヴィクトールがかつて拒絶した、生体割り込み(バイオ・インタラプト)が吐き出す断末魔だ。


「……止めなきゃ。あんなの、技術(エンジニアリング)じゃない。ただの自殺よ」


 エレーナは、監房の隅にある剥き出しの鉄骨へ、一本の細いヘアピンを差し込んだ。

 三日前の最初の食事時、不注意に体を寄せた少年の胸ポケットから掠め取っておいた、安物のスチール製。指先に伝わるその感触は、帝都の精密工具とは程遠い、酷く不純で、「遊び」の大きい代物だった。


(……でも、今はこの粗悪さが都合がいいわ)


 三日間かけて導き出した「計算が合わない」理由。テオとの会話で確信に変わった、この檻の「脆弱性」。

 正解の鍵ではなく、あえて共振破壊を誘発させる。物理的な「迂回攻撃サイドチャネル・アタック」。


 パキッ、と乾いた音が響く。テオの言った通りだ。意図的に作られていた「遊び」にヘアピンという楔を打ち込み、共振を一点に集中させれば、鉄の塊は内側から自壊する。

 帝国の理論では「故障」と定義される挙動によって、監房の錠は破断され、扉は解放された。


 煤けた通路を、最短経路で駆け抜ける。立ち塞がる見張りを最小限の接触でいなし、逃げ場のない硬直した力が床へ沈むのを一瞥もせず、エレーナはただ、音の源流へと向かう。

 辿り着いた出撃ドックでは、継ぎ接ぎに改造された騎兵(ハサー)が、その不協和音(ノイズ)を撒き散らしながら、今まさに出撃しようと身をよじらせていた。


「やめて! 今すぐシステムを遮断しなさい! それは人間を壊すための欠陥品よ!」


 エレーナの叫びに、技師長のガストンが振り返る。


「帝国の小娘が、何の用だ! 戻せ!」


 取り押さえられ、床に組み伏せられるエレーナ。だがその時、解析不能の「屑鉄」としてドックの隅に放置されていた「不純銀の亡霊」が、激しく共振した。


 ――グォォォォォォォォン!!


 生体割り込みの音に呼応するように、アリアが「声」を発したのだ。

 

「アリア……!」


 混乱に乗じ、エレーナはガストンたちの腕を振り払って駆け出した。

 アリアのコックピットに飛び込み、ハッチを閉める。だが、システムは死んだままだ。石切場での戦闘で、エラーごと駆動系を削り殺した物理的な欠損。その代償として、基幹系は帰ってこない信号を待ち続け、致命的な膠着状態(デッドロック)に陥っている。


「……ダメ。私が、この子の『無意識』を殺したんだわ……」


 絶望するエレーナ。しかし、外で鳴り響く「音」が受音膜を震わせた瞬間、モニターに不協和音(ノイズ)混じりの「予測実行」の波形が浮き上がった。

 回路に刻まれた「不可逆な焼き付き」。

 長年の運用で受音膜に染み付いた論理の残像が、外部からの共鳴によって一気に活性化し、消去されたはずの「機械の記憶」を呼び覚ましていた。


「皮肉なものね。お父様の設計が完璧すぎたせいで、私達が積み上げた論理(ロジック)が、呪いのようにあなたの体に焼き付いて離れない」


 蘇ったのは、第三工廠で共に行き着いた超高度な予測演算。

 だが、今の不完全な機体構成でその出力を再現すれば、負荷に耐えかねたアリアは内側から自壊し、再びあの破滅的な暴走へと至るだろう。

 その破滅的な波形を見つめるエレーナの脳裏には、先ほどのテオの言葉が鮮明に響いていた。


「――そうか。不協和音(ノイズ)を消す必要なんてない。その『遊び』を、新しい旋律(コード)の基点に据えればいいんだ……!」


 エレーナは研磨棒(エメリー)を握り締め、真っ赤に熱を持ち始めた受音膜の「傷」へと突き立てた。

 キィィィィィィィッ!!

 摩擦音が受音膜の物理的な歪みを強制的に変質させ、新しい論理波形へと書き換えていく。過去を否定するのではなく、傷跡という不純銀の歪みをそのまま回路として組み込む、狂気の即興演奏。


「……アリア。もう綺麗には歩かせてあげられない。でも――これが今の私達の『対話』」


 アリアの左目が、生命力に満ちた藍色の閃光を放つ。

 その時、隔てられたドックの先は阿鼻叫喚の渦中にあった。


「……ッ、ガストン技師長!一号機、制御不能です!」

「馬鹿な、回路(ロジック)を遮断しろ!脳が焼き切れるぞ!」


 分厚い隔壁を突き抜け、外の世界から地獄の咆哮が響き渡る。先行した騎兵(ハサー)が放つ不協和音(ノイズ)は、断末魔の破断音へと変わっていた。

 自壊しながら暴れる鉄と不純銀の塊。逃げ場のない破滅を前に、テオがただ操縦者の死を予感し、目を逸らしたその瞬間――一筋の「救済」が、絶望の空間を切り開く。


「書き換える!帝国の『正しい論理』を、私達の『不協和音(ノイズ)』で!」


 エレーナはただ一人、暴走した無残な波形を冷徹に射抜いていた。

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