第8話 不純なる対線(Twisted Pair)
エレーナ・ハルゼイ……レオン救済に成功した「亡霊調律師」
ヴァレリウス中佐……「銀の錆」の司令官、生体割り込みに執拗なこだわりをみせる
イアン……帝国アカデミー出身の技師であり、「二号機」の試験操縦士
テオ・ヴァイス……レオンの妹、兄の完全復帰を手助けする
「……『帝国の天才』さんよ。無駄な努力はやめなよ。その不純銀じゃ、どうあがいてもノイズからは逃げられない。俺らも、何百回と試して、そのたびに絶望してきたんだ」
「二号機」の操縦席に収まり、試験操縦士としてコンソールを監視していたイアンが、投げやりな声を上げた。
廃鉱山のドックには、焦げ付いたハンダの匂いと、答えのない焦燥だけが充満していた。
エレーナ・ハルゼイは、生体割り込みが完全に排除された、「銀の錆」の次なる試作機のハッチの隙間に潜り込み、極細の研磨棒で主幹回路をなぞっていた。不純銀の配線は、帝国の規格品とは比べものにならないほど質が悪い。表面の酸化膜を削り、接点を磨いても、計器が描き出す波形は「不快」な揺らぎを止めなかった。
エレーナは手を止めず、冷淡に返す。
「計測もせずに結論を出さないで。……今、その回路に不純銀の遮蔽を被せたわ。イアン、それで計ってみて」
イアンは溜め息をつきながら、手元の測定器を接続した。針が不規則に跳ねる。
「……駄目だ。むしろ悪化してる。不純銀自体の質がバラバラで、ノイズの『溜まり場』 になってやがる。遮蔽自体が外来ノイズを拾って、中でさらに増幅させてる。計算通りだろ?」
イアンの言葉は、技師としての「正論」だった。不純銀は純銀よりも外来ノイズを拾いやすく、一度混入した不要な信号は、制御不能な共鳴となってシステム全体を蝕む。彼は帝国のアカデミー出のエリートでもあった。それゆえに「精霊銀の純度」という問題を誰よりも理解している。
エレーナは機体の影から這い出し、煤に汚れた顔でイアンを睨みつけた。
一週間前。レオンの覚醒という「奇跡」を成し遂げた後、エレーナ・ハルゼイは拠点の最深部にある司令官室に呼び出されていた。
古い紙と重油の臭いが滞留する部屋で、「銀の錆」司令官であるヴァレリウス中佐の口をついたのは、レオン救済への感謝の言葉と、生体割り込みへの執着だった。
「君がどれほどこの技術を呪おうと、我々にはこれしか選択肢がない。君も知っての通り、帝国の軍備拡張は、我々の予測を遥かに上回るスピードで加速している」
ヴァレリウスは、エレーナが最も忌み嫌う生体割り込みの設計図を突き付けた。
「一ヶ月後、帝都へ向かう『大規模精霊銀輸送』を叩く。帝国がその支配体制を完成させる前に、楔を打ち込む唯一の機会だ。これを逃せば、我々に次はない。……それまでに、お前の手でこの『処刑椅子』を完成させろ」
「……笑わせないで」
エレーナは、設計図をゴミを見るような目で見据えた。
「こんなもの技術への冒涜よ。そんなことをするくらいなら、私はここで自分の脳を焼いたほうがマシだわ」
「そう言うと思ったよ。だが、私は指揮官だ」
ヴァレリウスが静かに立ち上がる。その眼光は、エレーナの「正論」を容易く貫くほどに鋭かった。
「では一ヶ月以内に、君の理論で我が軍の機体を再構築してみせろ。もしそれが不可能だと判断すれば……君自らの手で、生体割り込みを完成させてもらう。……いいな、天才」
「……最低ね」
エレーナは奥歯を噛み締めた。自分の積み上げてきた「調律」が、より効率的に人を殺すための天秤にかけられている。
二人の間に横たわる、重苦しい断絶。泥にまみれ、ノイズを受け入れ、それでも「人間」として戦い抜くための、たった一つの、不格好な答え。
「いいわ。その一ヶ月で、あなたたちのオンボロ機体を、アリアの高さまで引き摺り上げてやる」
こうして、エレーナ・ハルゼイは「銀の錆」の技術的中枢という、望まぬ、しかし唯一の足場を手に入れた。
それは、不純な旋律で地獄を上書きするための、孤独な調律の始まりだった。
そして今。ドックの空気は冷え切っている。エレーナは一夜にして英雄レオンを救った「救世主」となったが、古参の技術者たちの態度は硬い。彼女の成功を認めることは、自分たちが一号機の設計に失敗し、英雄を死の淵へ追いやったという「敗北」を認めることと同義だからだ。
だが、イアンは少し違った。彼はレオンの次点候補として、「処刑椅子」に座らされる恐怖を誰よりも知っていた。エレーナの技術に、恐怖と、それ以上の「一縷の望み」を抱いている。
「……不純銀じゃ、動作保証なんてできない。そんなの最初からわかってたんだ。でも、他に材料がなかった。……仕方がなかったんだよ、俺らには」
イアンの独白は、自分を納得させるための言い訳のように聞こえた。エレーナはゆっくりと作業を止めた。
「仕方がなくはないでしょ」
鋭い声がドックに響く。
「環境のせいにして正解を待つだけなら、そこに技師がいる意味なんてないわ。あなたたちは、ただ仕様書がないと泣いているだけじゃない」
「な……ッ」
言い返そうとしたイアンの言葉は、階下からの明るい声にかき消された。
「エレーナ! イアン! お疲れさま、もう遅いからご飯にして明日にしよう」
テオが、湯気の立つスープと、不格好だが温かそうなパンの乗ったトレイを抱えて現れた。
「先に食べちまうぜ?」
イアンが気まずそうに機体から降りてトレイを受け取る。エレーナは返事もせず、きりのいいところまで作業を続ける。
監房から出された後、それまでに出されていた食事が決して悪くなかったことに気づき、彼女は驚いた。捕虜という身分でありながら、反帝国組織「銀の錆」は彼女に最大限の便宜を図っている。その事実が、かえってエレーナの胸を締め付けた。
彼らには覚悟がある。もし彼女の再構築が実戦レベルに達しなければ、ヴァレリウス中佐は躊躇なく、再び兵士の脳を焼く「生体割り込み」へと舵を切るだろう。
(……いずれにせよ、アリアの理論を確立させればいいだけのこと)
自分に言い聞かせるように呟き、エレーナはテオたちの輪に加わった。だが、思考のループは止まらない。
「やっぱり、回路レベルじゃダメね。操縦士か誰かが、外来ノイズに逆位相の波形を当て続けられればいいんだけど……」
「勘弁してくれよ」イアンがスープを啜りながら苦笑する。「そんなことができる化け物が、俺らの中にそうそういてたまるか。脳が焼き切れるのが先だ」
不意に、テオがスプーンを置いて話を切り出した。
「ねえ、他の人たちも手伝ってくれればいいのに。みんなエレーナの凄さはわかってるはずでしょ?」
「……無理だな。他の奴等は真面目すぎるんだよ」
イアンはパンの端をちぎり、冷めた目でドックの奥を見やった。
「自分たちの失敗を、帝国の小娘にバグ取りされるのが耐えられないのさ。俺みたいに適当に流しときゃいいものをな」
「そうかな。僕は、イアンのほうこそ相当真面目だと思うけど」
テオの真っ直ぐな言葉に、イアンは一瞬言葉を詰まらせ、誤魔化すようにスープを飲み干した。エレーナはその様子を横目で見ながら、小さく鼻を鳴らす。
「そうね、ムカつくくらい正しいわね。……理屈で自分を縛って、動けなくなっているところなんて、特に」
「なっ……お嬢様に言われたかねえよ!」
イアンは憤慨したが、すぐに真面目な顔に戻って二号機のコンソールへと視線を戻した。
「だが、不純銀なんてのは外のノイズをそのまま信号に変えちまうから、配線に使えるような代物じゃねえんだよ。この鉱山でも『震度計』代わりに使ってたくらいなんだからな」
「……震度計?不純銀を?」
エレーナが目を細める。
「上手いこと考えたもんだ。それを中央まで伝送して監視してたんだぜ」
「あの坑道沿いに剥き出しになってる銀線でしょ?」
テオが、少し悪戯っぽく笑った。幼い頃、レオンを無理やり連れ出して、禁止されていた奥の坑道へこっそり忍び込んだ時に見かけたのだ。
「ああ。あれも、不恰好に二本をぐるぐる巻きにしやがってな。不純銀は脆いから、そうやって『補強』しねえと、すぐに断線しちまうんだ」
エレーナの指が止まった。
「それは……もう一本が、対になっているのね」
独り言のようなその呟きは、イアンには現実逃避の戯言に聞こえたかもしれない。彼は鼻で笑って続けた。
「そんなゴミを寄せ集めて作ったのが、俺たちの『一号機』なんだよ。最初から、詰んでたのさ」
イアンはそう吐き捨て、空になったトレイを持って席を立った。
遠くで重油炉の爆ぜる音だけが響く中、エレーナは冷めたパンを一口、無感情に噛み砕いた。
翌朝。
湿った冷気が廃鉱山を包む、まだ夜が明け切らぬ時刻。
一つの細い人影が、重い防塵コートの裾を引いて暗い坑道へと姿を消した。
それは、泥と錆の向こう側に隠された、かつての技師たちの無言の「仕様書」を暴きに行く、一人の「調律師」の影だった。




